名寄駅
名寄教会
洋風建築(明治42年)としては名寄最古のもの、貴重な建物として末永く保存を願うものです。一方、名寄文学との関わりをもつ文士も多く、何らかの形で一文を見ることが出来ます。徳富蘆花は北海道(十勝・陸別町)に訪れたおり、名寄に立ち寄り「清楚な耶祖教会もみえた」と紀行集に載せています。森一歩は旧制名寄中学校在学中に教会に何度か足を運び、そこで得たものは大きかったようです。著書の中で「私達は、そこからジャガイモをごちそうになり、讃美歌を歌い、人生について語り、少女ともまったく打ち解けて、夢のような時間を過ごした」とあります。戦時下で援農や勤労奉仕の最中にあった少年文学者の息吹が爽やかに伝わってくる感じがいたします。
なよろ観光まちづくり協会ホームページより
雪あかり館
名寄市北国雪国ふるさと交流館「雪あかり館」は、大正11年に建設された市で最も古い和洋折衷の木造住宅の旧西田邸を改修し、名寄市と姉妹都市を結ぶ山形 県鶴岡市藤島、友好交流都市を結ぶ東京都杉並区との地域文化交流や連携の拠点、さらには市の新たな文化の発祥の地になることを目標として平成19年4月に 開館した施設です。
名寄市ホームページより
帰りの飛行機は旭川から・・・
空港にむかいます。
2/4~2/8
森のオーケストラ「音・木・林(おとぎばやし)」
からくりオルガン・音木林(おとぎばやし)
「西興部村上興部にある道の駅「花夢(かむ)」は、約6ヘクタールのフラワーパークが広がっています。
ここの建物の中にある、森のオーケストラ「音・木・林(おとぎばやし)」。
日本でたった2人しかいないストリートオルガン職人の谷目基(たにめ・もとき)氏が製作した、からくりオルガンです。
大きな丸いステージの上で、58体の木の人形が風の力を使って音に合わせて演奏します。
木製の笛を何十本も組み込み、鞴(ふいご)を利用して風を送り音を奏でるのです。
また、愛らしい木の人形達が音楽に合わせて動きだし、まるで本当に人形たちが演奏しているかのような気分。
のどかでホッとするような優しい音色が、とても素敵な時間を与えてくれます、ぜひお立ち寄り下さい。」
トイレ休憩に寄ったのだけれど、すっごいものみつけちゃったから、演奏を聞きながらソフトクリームをいただいた。
写真を撮り忘れたけれど、大きな美味しいソフトクリームでした。
旧JR名寄本線 上興部駅
2/4~2/8
駐車場からざっくざく歩いてここへ・・・
あれがガリンコ号Ⅱね。
「流氷を砕く大きなドリルで突き進むガリンコ号Ⅱ」
流氷はうんと遠くまで行かないとないし、ガリンコ号は流氷をがりがりして進むからガリンコ号であって・・・
沖からずんずん近付いてくるのを見ていたら、乗るだけ乗ってもいっかな?なんて迷ったけれど、やめといた。
近くに来たら結構な迫力
これでガリガリしているところを見たかった。
降りてきたお客さんはほとんど海外の方と日本の団体さん。
ツアーだから流氷があろうとなかろうと突き進むのです。
そんなもんで私たちはクリオネのいるところまで行って、上からガリンコ号Ⅱを眺めたのでした。
寒そうっ!・・・って、寒いんです。
2/4~2/8
えんがる鉄道物語
http://story.engaru.jp/story/e04/
遠軽歴史物語より
これから紋別に向います。
お部屋からの景色
朝食バイキングはだいたいいつも入り口で朝食券を手渡しして入るけれど、こちらはボックスがあってそこに入れて勝手に入る仕組みだった。
前の人がそうしていたから真似して入ったけれど、お食事中、後からいらした方が入り口でベルを鳴らしていた。
勝手に入ってなんてことはたぶん経験したことはなかったんだね。
ホテルの人が一人居ただけで、ベルは聞こえなかったのかしらね?何度もベルを鳴らしていたら、近くでお食事していた方が、呼んでますよーって知らせた。
お食事終えた方が、帰り際に何やら話していた様子だったから教えてあげていたのかな?そのときホテルの人が来て説明していた。
そのホテルを後にして旭川空港まで寄り道しながら向いました。
と言うと・・・紋別は終わりのようだけれど、これから始まります。
2/4~2/8
明治35年頃から生産が始まった北見ハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界薄荷市場の約70%を占めるまでに成長し、現在の北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となりました。このため平成19年11月30日、経済産業省より日本近代化産業遺産として認定されました。この薄荷産業の発展に大きく貢献したのが昭和9年に開業したホクレン北見薄荷工場でした。翌年同工場の研究所として建てられた施設が、昭和58年その役目を終えた工場が解体されると同時に、ホクレン農業協同組合から北見市に寄贈され、昭和61年北見ハッカ記念館として新たな役割を担うべく公開されています。
(北見市指定文化財第11号 平成8年7月8日指定)
(日本近代化産業遺産 平成19年11月30日指定)
北見ハッカ記念館ホームページより
ハッカのお勉強をしてきました。
2/4~2/8
アメリカ人宣教師G.P.ピアソン夫妻の私邸として大正3年に建てられた。夫妻は道内各地を伝道し、その終着に選んだ地がアイヌ語で「地の果て」を意味する野付牛(現在の北見)。廃娼運動や慈善活動など、夫妻の志は今も北見の精神文化のよりどころとして多くの市民に親しまれている。設計者は近江兄弟社創設者としても知られているW.M.ヴォーリズ。
北海道遺産ホームページより
北見市最古の洋館として知られていたけれど、設計者はわかっていなかったそう。
それでも大切に使われていて、1995年(平成7年)に設計者がヴォーリズだってことがわかったのだそうです。
とても親切に丁寧にお話してくださいました。
2/4~2/8
お部屋に窓から・・・
観光船の港に一番近いから・・・部屋から海が見えるから・・・
そんなことでこのホテルにしたって・・・
私が、はぁ!? ここ????? なんて言ったもんだから!
それはそれとして、従業員の方たちはみなさんにこにこと、親切でとても感じがよかった。
朝食
畳のお席に用意されていたから、二人分出ていたテーブルについた。
すぐにあたたかいご飯とお味噌汁が出て、食後にはコーヒーも。
ほとんどの方がお部屋のスリッパのままだった。
すぐ脱ぐのだから、ごっついひも付きの靴でくることはなかったのだー・・・
寝巻きの浴衣のままの方もいた。
紋別に向けて出発ですが・・・車が凍っている。
北見、遠軽を通って紋別に行きます。
流氷がきていないのは分かっているんだけれど予定だから・・・
2/4~2/8