
「ともに生きのびた愛猫への想いを綴りつつ、ある家族の、ささやかだけれどかけがいのない苦闘と再生の年月を書き綴った・・・」
うつ病・・・今のところたぶんご縁のない所にいると思います。と言ってもそこいらを浮遊しているわけではありません。性格的なものかもしれませんし、周りに居ないので良くわかりません。でも何かのきっかけでなり得る病。
15年もいてくれた猫のトラにずい分すくわれたのですね。
斯く言う我が家も同居 うさぎ にはずい分救われました。


著者の息子さん達も帰ってくると必ず トラは・・・? と言っていたそうで、読んでいて あーいっしょだぁ~!
我が家の息子たちも よくうさぎに話しかけていました。愚痴っていたのでしょう。


常々 自然と動物は偉大だと思っています。
本の最後に、「トラ、1歳の秋。病院住宅の塀の上で。」と、トラちゃんの写真が載っていたので真似してみました。


コットンクラブで
シャニース

一生懸命歌ってくれてとても楽しいのりのりライブでした。
よくあんなに高い声がでますね。何オクターブ出ているのでしょうかしら?

大人だけが楽しめるところ
ちと大人になりすぎておりますが・・・


お一人様のOLらしき方を何人かみかけました。
ステキOL
好きな所には一人で行っちゃう!
先日お昼のテレビを見ていたら、タモリさんが ”今の学生は一人で食事をしていると友達いないと言う事で、一番下のランクに入れられるとかで、一人で食べているところを見られたくないからトイレで食べる学生が居る。”なんて事を言っていたのを見てびっくりしました。ぐじゃぐじゃ言う子がいるのでしょうね。
その年頃の時、なんでも一人でしている人にあこがれていましたけれど。
私の中では 群れない!=強い!
ステキ
でしたけれどね~・・・
でも社会に出たら、一人で何でもできないと困るんですよね。群れるのも大切だけど、自立している一人一人が群れるのと、一人じゃ何にもできないから群れているのとでは全然違うじゃない?・・・と、思いました。
たま~に会社の帰りに呼び出してくれて、どこかに連れて行ってくれます。 
その昔、この界隈は私のテリトリーだったのだけれど、知らない店ばかりで残念なことに過去の栄光となってしまいました。
だがしかし、悲しいかなまだまだ記憶の片隅にかすかに残っていて、ここにあれがあったのに~何で消えたっ!な~んてことを・・・
丸の内コットンクラブ







よくあんなに高い声がでますね。何オクターブ出ているのでしょうかしら?


大人だけが楽しめるところ











先日お昼のテレビを見ていたら、タモリさんが ”今の学生は一人で食事をしていると友達いないと言う事で、一番下のランクに入れられるとかで、一人で食べているところを見られたくないからトイレで食べる学生が居る。”なんて事を言っていたのを見てびっくりしました。ぐじゃぐじゃ言う子がいるのでしょうね。
その年頃の時、なんでも一人でしている人にあこがれていましたけれど。
私の中では 群れない!=強い!


でも社会に出たら、一人で何でもできないと困るんですよね。群れるのも大切だけど、自立している一人一人が群れるのと、一人じゃ何にもできないから群れているのとでは全然違うじゃない?・・・と、思いました。



その昔、この界隈は私のテリトリーだったのだけれど、知らない店ばかりで残念なことに過去の栄光となってしまいました。

だがしかし、悲しいかなまだまだ記憶の片隅にかすかに残っていて、ここにあれがあったのに~何で消えたっ!な~んてことを・・・




















明治15年(1882)竣工
原案設計者 ベートマン(Charles J.Bateman)アメリカ
実施設計 開拓使工業局営繕課
「博物館本館は、正面中央に片流れで軒先を三角の破風形にした玄関ポーチをつけ、外壁は下見板張りとするが、正面及び背面の妻は竪板張りとして束や方杖形を表し、ハーフティンバー風になっています。軒などを支える繰形付きの持送りや開拓使の星形マークなどを各所に使い意匠を凝らしています。内部は一、二階とも一室で、玄関を入ると両側に階段が配置され、陳列棚は一階は中央と両側及び背面に、二階では中央及び背面等に配置され、自然史、開拓史資料などが展示・収蔵されています。」
と、書いてありましたが、2階への階段にはロープが張られ上がれないようになっていました。
南極に行った 樺太犬 タロです。ジロは国立科学博物館にいるそうです。







明治36年(1903)竣工 設計者 中條精一郎
大正 7年(1918)移築
「明治15年現在地に2坪の便所が建てられましたが大正7年に取り壊され、現在の北海道大学農学部の位置に明治36年に建てられた便所を現在地に移築しました。
外部は下見板張り、天井は網代天井で屋根に臭気抜きが設けられています。」

植物園はどうやらデートコースのようで、私たちも含めて





明治31年(1898)竣工
昭和37年(1962)北海道から寄贈・移築
「アイヌ民族の教育・文化の向上に意を注いだ、イギリス人宣教師 J・バチェラー博士が、離日する1940年まで居住していた邸宅です。
当時は北3条西7丁目にあり、木造2階建の屋根の中央には煉瓦造りの煙突二本備え付けられ、十字架も掲げられていました。
昭和37年、北海道から寄贈を受け、植物園内に移築しました。
移築後、民族資料室として公開していましたが、現在は同氏の遺品を収めた記念室を2階に設置し、建物は収蔵施設として利用しています。」









明治34年(1901)竣工 設計者 中條精一郎
「正面(北側)中央に切妻形の庇をつけた出入口を設け、基礎は煉瓦積み、床下換気口はアーチ形で鋳鉄製のグリルをはめ、外壁は腰を竪板張り、上を下見板張りとしています。小屋組はキングポストトラスで、各部屋には天井中心飾があります。窓は外側を上げ下げ、内側を開き戸とする二重窓となっています。室内の机、棚等も新築当時の設備品として重要文化財に指定されています。」




楽しかった旅の日記は、終わってしまうと寂しいです。

だから・・・次の旅が始まるまで ゆ~っくり と書いていましょう







雨の日には雨の日にできること、晴れた日には晴れた日にできること・・・都会で毎日あくせくしていたらそんなことは。。。
だから 南の島に行きたくなるのです。沖縄はいいです。とってもいいところです。
でも、最近は熱烈に行きたいとは思わないのです。まぁ~お年のせいもあるかもしれませんね。
お仕事に疲れたり、もういいやっ!と投げやりになっていたとしていたら 沖縄 はいいです。
不思議な島です。ハワイやグアムやサイパンではなく 沖縄 です。沖縄がいいのです。
離島が好きです。小浜、竹富 石垣や西表・・・石垣は何度か行っていますが、西表は一度だけ、きっともう一度行くと思います。


本書を読んでいて、こんなことは全然なかったけれど・・・沖縄 って思った。
熱烈ではないけれど やっぱ 沖縄っ!


沖縄で 晴耕雨読 ・・・なんくるない この言葉 好き






大正13年(1924)竣工
「初めは孔雀を飼うために建てられた施設で、南全体に斜材の桟を入れたガラス戸を入れ、櫛形の明かり窓を付けています。また、壁は真壁で、外側に下見板を張るなどデザインが考慮されています。」
お散歩コースから一番初めに見えたのがこちらの建物です。
木々の間に あらあら と現れました。いよいよですね~と、わくわくしました。



明治18年(1885)現博物館事務所位置に竣工
明治33年(1900)現在地に移築
「初めは現在の博物館事務所がある位置に平屋建切妻造として建てられましたが、事務所新築に伴い現在地に移築され、その後、マンサード型の二階建に改められました。」
ここに重要文化財の建物がかたまってありました。


ガテン系です。
シフォンのブラウスなんぞ着てチェロを担いだとしたら、もう目も当てられません・・・たぶん
でも大丈夫シフォンのブラウスは持っていませんから。
チェロを担いでいく時はやっぱりガテン系!スーパーにいくのとほとんど同じです。違うのはGパンがブランドの物なのと、首輪をつけることくらい。
そして本日のレッスンにはチェロを担いでいかないのに、ガテン系でお出掛けしてしまいました。雨が降りそうでしたから、玄関で突如中止したのです。チェロは置いてきぼり・・・
でもチェロを留守番させて良かったです。月1ワタミの日でしたから
いっぱい食べて、楽しく飲んで、おしゃべりしてきました。
まぁ
いろんな所に行って、いろんな事されていて、いろんな事ご存知で、私の毒もさらりとかわして、ご苦労があった分、
でっかいっ!
おしまいっ!
。。。にしてはいけません。レッスンの記録をしましょう。
本日は・・・
♪ 音階練習 C-dur,D-dur
♪ 教本p9-4
宿題だったのですか? 聞いてないです~・・・
では初見で
改めて 宿題です。
♪ 曲 イエスタデイ・ワンスモア
3人揃った所で仕上げですね。 えっぇぇぇ
来週もう1回ですか・・・
新曲は ♪ パッヘルベルのカノン
先生が弾いてくださいました~
はっ早いです ・・・
あーこんなに早くなくていいです~。
それにしても今回宿題が多いです。次回は来週です。
逃げているんじゃありません。追いかけているのです。
やっぱりガテン系
フルートの時みたいにキレキレしては行けません。
お荷物入りま~す。。。転ばないようにね! 

シフォンのブラウスなんぞ着てチェロを担いだとしたら、もう目も当てられません・・・たぶん

チェロを担いでいく時はやっぱりガテン系!スーパーにいくのとほとんど同じです。違うのはGパンがブランドの物なのと、首輪をつけることくらい。
そして本日のレッスンにはチェロを担いでいかないのに、ガテン系でお出掛けしてしまいました。雨が降りそうでしたから、玄関で突如中止したのです。チェロは置いてきぼり・・・
でもチェロを留守番させて良かったです。月1ワタミの日でしたから


まぁ




。。。にしてはいけません。レッスンの記録をしましょう。

♪ 音階練習 C-dur,D-dur
♪ 教本p9-4
宿題だったのですか? 聞いてないです~・・・


♪ 曲 イエスタデイ・ワンスモア
3人揃った所で仕上げですね。 えっぇぇぇ


新曲は ♪ パッヘルベルのカノン
先生が弾いてくださいました~



それにしても今回宿題が多いです。次回は来週です。



フルートの時みたいにキレキレしては行けません。






日本工業倶楽部会館


大正9年(1920)地上5階、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造の会館が竣工 設計担当の一人は松井貴太郎
平成15年に建替えられた時に、会館の南側部分が保存・再現されています。







大正5年(1916)に建てられた煉瓦造の建物 外壁の一部が残されています。





雅楽の演奏会に行く人以外は、ほとんどお隣の国からの団体のお客様でしょうか。富裕層?ポーズをきめて丹念に写真を撮っていますから、たぶんそうだと思いました。カメラでも服装でも・・・











昭和41年(1966年)に香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽堂



演奏会が終わって外に出たらたくさんの方が皇居をお散歩

大手門から入って北桔橋門から出て、北の丸公園の科学技術館でヤボ用を済ませ、せっかくここまで来ているのだからと こちらに・・・
旧近衛師団司令部庁舎


「明治43年(1910)陸軍技師田村鎮の設計による赤レンガ造り、2階建て、スレート葺、簡素なゴシック風で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 関東大震災や弟二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめています。」
昭和52年に一部を改装して東京国立近代美術館工芸館として使われています。






皇居を右手に見て出発点の東京駅に戻ります。皇居のぐるりは







東京駅地下 オアゾ付近にあった物

辰野金吾作品


東京散歩・・・
久しぶりのお散歩でした。パチリッ!

空を見上げると、今にも泣きだしそうでしたが、何とか もってくれました。















「大手門」「北桔橋門」から入れます。東京駅からでしたから大手門へ向かいます。
9時開門の大手門にはすでに行列ができていました。
そして楽部に大手門グループが到着した時には、楽部に近い北桔橋門から入られた方たちの行列が。。。
9時30分開場 お行儀良く、順番に入ります。が、いいと思われるお席はすでにいっぱい。まっ!いっか!な、お席に曲目解説の挟まった案内を置いて席取りして、見学です。
演奏が始まるまでは写真OKですから、皆様めったに入れないところをパチリ!パチリ!

パンフレットから・・・演目は違いますがこんな感じです。



10時30分 演奏が始まり、途中10分間休憩が入り 次は舞。 12時終了でした。

「例年,10月下旬から11月初旬の間,皇居内楽部で雅楽の演奏会を行っています。演奏会の開催日時・演奏曲目・申込要領などは7月初旬頃にお知らせしています。」
往復はがきで申し込みをします。当選者は迎賓館と同じく本人確認があります。更に厳しいのは一人1回1枚往復はがきでの申し込みです。一緒に行きたいと思っても連名での申し込みはできません。
だから一人で行く覚悟が必要ですね。

雅楽は聴いてみたいけれど・・・な方は、いい方法だと思います。

