懐かしの男体山・・・
郡山に到着し乗り換え・・・
会津若松到着・・・
午前中歩き回って、お昼はどうする?
やっぱり、ラーメンでしょ!
ラーメン!ラーメン!
食い意地が張っているから、食べ始めた。写真は?と言われ、おぅ、写真、写真!
すでにチャーシューは消えスープも減っておりますが・・・とっても美味しいラーメンをいただきました。
ってことで・・・取り合えずざっくり!
新幹線はすぐそこから乗れるから、羽田へ行く間に仙台に行けちゃいます。なのでとってもお気楽!
ユニクロヒートテックのおかげで顔以外はちぃーっとも寒くはなかった。顔はね・・・鼻苺状態
日帰りなのでちと忙しかったけれど、出会った方たちはみんないい方で、楽しかった。
日帰り会津若松の旅・・・そろ~りと始めます。
というのは、大人の休日俱楽部パスは一日ではなく、連続する4日間 JR東日本乗り放題 と 5日間 JR東日本とJR北海道乗り放題とありますのでね・・・🚄
12/6
本館ではなく別館に宿泊
下でつながっています。
別館無人のロビー?にはカシニョールの絵が飾ってありました。
お部屋は広く、二台のソファーはベッドになるようで、最大4人で泊まれるみたい。
お風呂と独立したシャワールームがあり快適
さらにトイレは反対側のクローゼットの隣に独立していた。
窓からは富士山は見えない位置だけれど芦ノ湖が・・・
オートロックではありません。って聞いていたのに、入りっぱなしで鍵かけず・・・
ギャっと気が付き慌てました。
私は行きませんが、温泉があり、そこには温泉着を着ていけます。
なので入湯税あり。
忙しそうだから、無理でしょ!と思ったけれど、今度本館のまぁるい方に泊まらない?朝食なしで・・・と言ってみたら、いいね!
朝食は芦ノ湖畔のベーカリー&テーブルに行きましょう。
いつの事やら・・・
1/6~7
何度も通用はしなかったけれど・・・
富士山はフーッ!と雲を飛ばすとスーッと現れてくれた。
元々の予定は京都だった。
チョイと事情があって、ひと月前にホテルも飛行機もキャンセルした。
そんなもんで、箱根駅伝でもないのに京都マイナス1泊で箱根へ行って来た。
夫にはかいがいしく 朝食を出したのだけれど、ちょっと待って待ってとウサギさんのご飯やら、洗濯物部屋干ししたり、自分の支度に手間取り、デルモンテ無塩野菜ジュースを飲んだだけで出発してしまったから、何か食わせろー・・・で、東名のSAであたたかいシウマイをみっけ!車で食べた。
そして初めて箱根のゴールとスタート地点に行ってみた。
そこには箱根駅伝ミュージアムがあった。
中に入ることはなかったけれど、へぇー・・・とぐるりとして来た。
なんか、取れないみたいね。ホテル・・・
ここで見たかったのにね。
お散歩中に わわわっ!可愛すぎるーとみていたら勝手に口が写真撮らせてもらってもいいですか?
いいですよ~と言っていただき パシャリっ!
か、可愛いっ!欲しいー・・・
モコとアトムがいるでしょっ!と言われちった。
今回はのんびり旅だからのんびりした。
そして以前から欲しかった寄木細工のイヤリングを買って・・・
帰り道で鈴廣に寄って
お買い物・・・
1泊2日の箱根の旅を綴ります。
1/6~7
起き上がり小法師を連れてきた。
可愛い、偉いね!・・・と、ころころ遊んでいる。
毎度、北へはこの橋を渡って行きます。
そして、今後忘れなかったら後部座席に乗ることとします。宣言をして後ろに・・・
前だと、過激な私の声がドライブレコーダーに拾われちゃうから、後ろからこっそりほざいて・・・
素敵なホテルを見つけて、ちょっと案内をいただこうと寄ってみた。
入ったら絶景が広がっていたのでお庭に出てみた。
そして催し物をみて・・・
そうそう日帰りだったんだわっ!のんびりしている場合ではありません。
道の駅で休憩して喜多方へ・・・
あちこち寄り道して、会津若松へ・・・
日帰り福島は厳しいっ!
今度は1泊しなくては!そしよう と、話がまとまった。
現在,仙台市歴史民俗資料館となっている旧第四連隊兵舎は,現存する宮城県内最古の洋風建築である。明治4年(1871)に小倉,石巻,東京,大阪に鎮台(ちんだい)が置かれ,明治6年の徴兵令施行後は,東京,仙台,名古屋,大阪,広島,熊本の6鎮台となった。鎮台は明治21年に師団と改称され,仙台は第二師団となった。榴岡(つつじがおか)に歩兵第四連隊が設置され,兵舎が明治7年に竣工,同9年二大隊となった際に増築された。この兵舎が明治7年竣工時のものか明治9年の増築時のものかは明らかではない。終戦後は,米軍が進駐し,その後昭和50年(1975)まで東北管区警察学校として使用された。榴岡公園整備に伴い,昭和52年に6棟が解体され,この1棟のみを東側に移築し,当初の外観構造に復元保存された。木造二階建寄棟造(よせむねづくり)瓦葺で,布基礎は安山岩の切石積,壁は漆喰塗(しっくいぬり)で,建物の角隅にコーナーストーンを装飾し,ガラス入り上げ下げ窓や洋風円柱のポーチなど瀟洒(しょうしゃ)な建物である。
仙台市ホームページより
この日、ちょっと遠くへ行く前にちょっと寄った。
ところが駐車場を出るときに、出庫の機械が機能せずに1時間近くも駐車場に閉じ込められた。
みなさん、のんびり子供たちを駐車場で遊ばせていたけれどうちは遠いから・・・これ以上は待てない。ってことでね・・・
車見て・・・おーっ!
そんなことがあったから、寄らずに帰っちゃおうかとも思ったけれど、また来ることってあるかな?って考え、せっかくだからでかけた。
ってことがあった。
12/15~12/16
もうひとつ、素晴らしのがあるからと、通りからではなく校内の建物の隙間を通って、駐車場?なんて言ったらその先にフェンスが・・・
ってっことで
「東日本大震災以降、館内の立ち入りは禁止となっており、内部をご覧いただくことはできません」
文化庁解説文:
東北学院旧宣教師館は,明治20年頃に宣教師のために建てられた住宅で,東北学院土樋キャンパスの西端に所在する。
外観は南面から東面にかけてバルコニーを設ける,いわゆるコロニアルスタイルで,一階は玄関ホールを中心に書斎,居間,食堂等を配し,二階は寝室とし,主人用,使用人用の動線を明確に分離した平面構成をもつ。
東北学院旧宣教師館は,我が国に残る外国人宣教師住宅の最初期の事例として希少で,保存状況も良好であり,高い歴史的価値を有している。
次は、通りを挟んだ東北大学に参ります。
12/15~12/16