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komezouの写真と自転車生活

ライフワークの風景写真と趣味の自転車について

父との想い出

2014-08-05 01:39:57 | ETC・・・
日曜は父の顔を見に栃木の病院まで行って来ました。
かなりの暑さで昼過ぎの外気温は車の気温計で38度・・・暑かったです!

母と話していて、昨年の転倒骨折事故から丁度1年が経ったのだね~!と言う話しに・・・
父が電話口で心配しながらも笑ってくれた話しになり、父も好きな事はとことんやっていたから、止めろとは言えなかったんだろうね!って言う事になり、父を囲んで昔話を結構話しました。

兄弟3人揃っての最後の家族旅行は・・・中3だったか高1だったか?
確か3泊4日だったかな?新潟>山形旅行、出雲崎で1泊し良寛和尚の足跡を辿ったり、山寺を周って・・・天童で宿泊、後は何処に泊まったか?は定かではなく。
天童でうなぎを鱈腹食べた事やら・・・

この前書きましたが、高3の進路についての三者面談の時、先生に「写真じゃ食えない」と散々反対された事も母は覚えておりました。
母も父と日頃から話していたそうで「大変かもしれませんが、自分の好きな事をやるのなら言い訳出来ないから」と言う様な事を先生に言った様です。
現在、先生とは年賀状のやり取りだけですが「いろいろ教え子がいたが、親御さんが無謀だと思われる職業に反対しなかったのはkomezouの親御さんだけだった、まさか本当に写真を撮る職業に付けるとは思わなかった」と、いつだったか手紙を頂いた事がありました。
そんな背景には両親の後押しがかなりあったんですよね~!

父も長男でしたが、家業の酒屋を継がないで、書の道を目指し書家になったのと、そんな父を支えて来た母だから、自分の思いを判ってくれたのでしょうね。
・・・って、今の自分があるのは、書と言う好きな事を仕事にした父がいたからなので、今更ながらに両親に感謝です。

と言う様な昔話をいろいろ話して来ました。

写真は栃木の弟が昨日撮影したものです。
大空に描かれた雲は、父が書いた様に思えてなりません。
今、父は最後の戦いを挑んでいます。

父 と TRIP 35

2014-08-02 02:04:36 | ETC・・・
ここに書いて良いか?悩みましたが・・・想いは通じるのでしょうか?

30日に脳幹出血で昏睡状態になってしまった父。
直ぐ栃木の病院へ向かいましたが、既に話す事は出来ずでした。
もう一度父の声が聞きたいと思い、ちょっと父との事を書かせて頂きます。

丸山 暁鶴 これが書家である父の雅号です。

先生からの説明で、もう回復する事はないと言われ、自分の中で父との想い出が駆け巡りました。
両親との栃木での生活よりも21才で神奈川へ出て来た自分は既に53才、神奈川での生活の方が長くなってしまっていて、電話では話しをしていましたが会うのは年に数回だけ。
寂しい思いはさせなかっただろうか・・・弟が栃木にいてくれたお陰で自分で考えた事が余りなかったかも知れません。
二人の弟達も同じ様な事を考えていると思いますが、個々に違う父との思いがあるかと思いますが・・・

父の多彩な趣味のお蔭で、いろいろな所で貴重な経験をさせて貰った事。
バイオリン、クラシックギターと習い事もさせて貰い、史跡調査や神社仏閣観覧、そして今で言うトレッキング、山遊びに川遊び、自然とのふれあい。
写真との出会いも父の趣味から始まった事でした。
最初のカメラを買って貰ったのが11才の夏。
OLYMPUS TRIP 35 自分の原点であるこのカメラは、今も目の前にあります。
迷った時には原点に「このカメラを父に買って貰い、自分の写真人生が始まった」とカメラを見る度、いつも夜遅くまで書の研究をしていた父に励まされている様な気持ちにさせてくれます。
日々精進・・・何事にも探究する心が大切だと言う事を、父の生き方で学んで来ました。

自分は書家でも芸術写真家でもありませんが、高校時代に写真の道に進みたいと言った事に、学校の先生には散々反対されるましたが、両親ともに反対される事なく背中を押してくれたのも父でした。
初めてカタログに写真が採用された2代目ステージアのティザーカタログ・・・素直に喜んでくれた覚えがあります。
そして最近ではR35 GT-Rのカタログやウェブカタログでも・・・そして発表時に放送され一瞬ですが写真を撮っているのが写った「ガイアの夜明け」。
いろいろ真剣に話しが出来る様になったのは、40才を過ぎた辺りだったかな~?

このカメラ見ているといろいろ思い出します。

自分の強みである「何事にもチャレンジと言う姿勢」・・・これは写真に対してだけではなく、小さい頃から両親に教えられた事だったんだな~って、今思えばそんな気がします。
だから52才にして、ダウンヒルバイクにチャレンジ・・・昨年・・・丁度1年前にダウンヒル中に転倒骨折した時、母や弟には止める様に言われましたが、電話口で心配しながらも笑ってくれたのは父でした。

闘病生活になる前までは母と二人で旅行を楽しんでと、子供の私から見ても仲の良い夫婦で、この様な夫婦になれればとカミさんと話しています。
ここの所食欲も出て参りまして、「また二人で旅行に行きたいね」と母に言っていたそうです。

神奈川での生活がある事と、自宅では義母の介護もあるので、母と弟に父の看護を託すしかなく父の耳元で「ありがとう」と言って戻って来ました。
出来る事ならもう一度目覚めて、声を掛けて欲しいと思いつつ、母と弟も思っている筈。
奇跡って起らないのかな~?

「お父さん、頑張って!」