Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2021年4月10日(土) 愛宕山のケーブル駅跡、愛宕山ホテル跡と、ツツジ尾根を歩く!

2021年04月12日 | 山登りの記録
■メイン写真
ぼろぼろの廃墟となった愛宕山鉄道鋼索線の愛宕駅舎跡


■今回のコース
清滝バス停→(表参道)→水口茶屋跡→ケーブル駅跡、愛宕山ホテル跡→愛宕山(愛宕神社)
→水尾別れ→(ツツジ尾根)→荒神峠→保津峡駅

愛宕山の7合目あたりには、戦前の建造物の痕跡が多くみられる。
ケーブルカーで登り、遊園地で遊び、展望のよいホテルに泊まる、かつて
愛宕山はそんな本格リゾート地だったのだ。
表参道から少し入ったところにあるため、ほとんどの人が気づかずに通り過ぎて
しまうのが惜しい場所だ。久しぶりに、その廃墟をたずねてみた。



表参道の鳥居をくぐり、スタート。
表参道は急坂が続く、しんどいルートとよく言われるが、他のルートと比較すると
最も楽かもしれない。



火燧権現跡、壺割坂を経て、奈かや茶屋跡(25丁)の休憩舎へ。秋には紅葉が美しいところだ。



やや単調な参道にも、周りの自然をよく見ていると発見もある。大木にエネルギーをもらう。



水口茶屋跡から大杉谷に続く山道に入り、最初の踏み跡を左に入ると、
愛宕山ケープルの5号トンネル(中は落盤しているので危険)の出口が口を開けている。



今度は水尾別れの少し先で参道を離れ右に入ると、駅舎跡などの一連の遺跡群がある。
駅舎の一階内部。
コンクリートが雨水で少しずつ溶かされ、あちこちで鍾乳石のように垂れてきている。

ちなみに愛宕山鉄道は、昭和4年に操業を開始。現在の嵐電・嵐山駅から平坦線が
清滝まで延び、清滝川駅からはケーブルカーが愛宕山の標高約710m地点まで
通っていたが、太平洋戦争で不要不急の施設とされ、昭和19年に廃止された。



ケーブル愛宕駅のすぐ西、地形図の745mピーク付近には、愛宕山ホテルが建っていた。
和室1室、洋室15室の、浴場あり、トイレは浄化槽つきの水洗だったという。
往時はどんな様子だったのか、いろいろ想像しながら観察するのが面白い。



ホテルの西隣は、愛宕山遊園地があった。飛行塔、キャンプ場、スケートリンクなどが
あり、おおいに賑わったという。これは何の土台だったのだろうか。



表参道に戻り、山頂をめざす。樒・花売り小屋跡を通過。



路傍にモヤシみたいな不思議なコケをみつけた。



愛宕神社社務所前の、金網で囲まれた柵の中にはミヤマカタバミがびっしり。
鹿などの食害を免れると、植生はこうなるのか。



社務所前の広場からは、かろうじて比叡山から大文字山(写真)までの稜線、
吉田山、御所などが見える。



よく探したら、京都タワーもあった。



愛宕山の山頂、愛宕神社に到着。
神仏習合時代は、愛宕権現を祀る白雲寺と呼ばれた。
全国に約900社を数える愛宕神社の総本宮。火伏・防火に霊験がある。
大宝年間(701-704年)に、役行者と泰澄が朝日峰に神廟を建てたのがはじまりで、
天応元年(781年)に慶俊僧都と和気清麻呂が白雲寺として中興した。
お参りのあと、御朱印をもらう人、お守りを買う人など、さまざまにご利益を願う。



下山は季節柄、ツツジ尾根にする。
まず水尾別れに戻り、さらに少し下ったところのこの看板のあるところで右の道に入る。



やがてミツバツツジがあちこちで咲いている明るい尾根道になる。



清滝の住民が、亀岡方面に米を買いに越えて行った「米買い道」が横切る荒神峠を
経て、ふたたび鮮やかなピンク色のツツジのアーケードの中を歩く。



振り返ると愛宕山の、どっしりと安定した姿。



最後は浮石が連続する急坂を一気に下る。保津川と、嵯峨野観光鉄道のトロッコ線を
見下ろしながら、慎重に下る。



保津峡駅に着く直前、満開のアオダモをみつけた。
電車を待つ間に自販機で買った熱い缶コーヒーの甘さがなんとも美味かった。

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