■メイン写真
玉置神社の駐車場からは、果無山脈や鉾尖山などが一望できる
■今回のコース
玉置神社駐車場→玉置神社→勧業山記念碑→宝冠の森→勧業山記念碑→玉置山→
玉置神社駐車場
3日前の天気予報では雨だったが、日が迫るにつれて予報はどんどん訂正され、
この日はすばらしい晴天に恵まれた。
玉置神社は「呼ばれないと訪れることができない」と言われているが、
我々は今回、めでたく「呼ばれた」ということか。
樹齢3000年という神代杉を見上げながら、本殿をめざす。
胸高幹囲8.7m、樹高40mの大杉は、「県内随一」との標識がある。
前回来た時にはなかった柵が周囲に設けられた。
鳥居をくぐり、いよいよ本殿へ。
国指定有形重要文化財の社務所は、ちょうど改築中で、臨時の社務所は石段を上がる
手前の左手に設けられている。
本殿へ参拝し、今日の安全登山を願う。
境内には大きな杉が多い。夫婦杉も威厳に満ちている。
宿坊の裏手のため、少し目立たないが、これは浦杉。
境内を出て、トラバース道をに入る。ほどなく稜線に出る。
分岐には、勧業山記念碑と上平主税碑がある。
ちょうど正午になったので、ここで昼食をとった。
勧業山記念碑について。
十津川郷士による勤皇運動により、明治維新後に村が窮乏したため、明治15年に
更谷喜延らが政府に勧業資金の貸付を請願した。5年後に貸与された3万円を元手に、
近隣の山に植林が行われ、その記念に石碑が建てられた。
上平主税碑について。
上平主税は、土津川の出身で、紀伊国で医術を、京都で国学を学んでいた。
天誅組の立場が急転したことを十津川郷士に伝え、十津川郷士が天誅組から離脱
したため、村民が朝敵になるのを防いだ。のちに、ある暗殺事件に関与したとのことで
伊豆の新島に流されるが、島で名医として評判になる。10年後に許されて
十津川に戻り、のちに玉置神社の神官をつとめた。
落葉広葉樹の尾根道に入り、宝冠ノ森をめざす。
黄葉は全体的に遅れているが、きれいに色づき始めている樹もあった。
ブナも美しい。他に、カエデ、リョウブ、ミズナラなどが彩を添える。
やがて稜線から右に急下降したと思うと、岩場が現れる。
鎖場を15mほど下降し、キレットから10mほど登り返す。
左右が切れ落ちているので、誤って転落するとただでは済まないため、
全員、ロープで確保して通過してもらった。
もう一度、急な岩場を下る。ここは各自、丁寧に下りてもらった。
宝冠ノ森のピークに到着。磐座が鎮座する。碑伝がひとつ置かれていた。
このピークは、権現垂迹の聖地とされ「大毘盧遮那嶽」とも呼ばれていたという。
普通ならここで引き返す奥へ少し進んだところは、大パノラマスポットだ。
ちらっと太平洋が覗くほか、大雲取山など紀伊半島南部の山々が見えている。
しばし絶景に見とれる。
とはいえ、ほどほどにしておかないと、帰りが遅くなってしまう。
勧業山記念碑までは、もと来た道を戻る。
往路に下った難所は、そのまま急登になる。
勧業山記念碑からは尾根道をとる。ほんの少しで、玉置山のピークに着く。
玉置山から、この日たどった尾根を振り返る。秋の夕暮れは早い。
海に向かって鎮座しているのは沖見地蔵尊。玉置山からも、熊野灘がわずかに見える。
玉置山の別名は沖見岳である。
駐車場に戻り、午前中に見た山々をもう一度眺める。
帰りに道の駅十津川郷でお土産を買ったり、小腹を満たしたり。
充実の一日となった。
ところで今回の山行で、珍しい花を見つけた。
おそらくアオベンケイだと思われるが、奈良県でも希少種になっている。