Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2017年7月20日(木) [滋賀]三上山(近江富士)から妙光寺山へ縦走! ほとんど熱射病に。

2017年07月23日 | 山登りの記録
■メイン写真
北尾根縦走路で振り返ると、美しい三角形の三上山がそびえる


■今回のコース
御上神社駐車場→表登山道登山口→妙見堂跡→二越→割石→三上山→(北尾根縦走路)→
東光寺越→古代峠→妙光寺山→妙光寺磨崖仏→国道8号線→御上神社駐車場⇒
福林寺跡磨崖仏群


あとの予定があるからやむを得ないとはいえ、この暑い中に低山歩きはつらい。
この日の近江富士も、暑さに負けた。



スタートは御上神社。古い神社だ。
起源は、第七代・孝霊天皇の6年、御祭神の天之御影神(あめのみかげのみこと)が
三上山の降臨にさかのぼる。

約2200年前というが、西暦に直しにくい。孝霊天皇は「『日本書紀』『古事記』に
事績の記載が極めて少ない」とされる、いわゆる「欠史八代」の天皇で、
天皇在位は76年。『日本書紀』では128歳、『古事記』では106歳の長寿だった。

718年に藤原不比等が勅命を拝し、現在の地に造営して、遷祀したという。



国道を渡り、悠紀斎田の横を抜ける。
悠紀斎田(ゆきさいでん)とは、昭和3年の昭和天皇即位式に続いて行われた大嘗祭に
供える米を作った田んぼ。今でも5月にお田植まつりが行われている。



三上山へは、表登山道と、裏登山道がある。この日は表登山道から登る。



獣除けの柵を抜けると、魚釣岩がお出まし。大昔、ここから琵琶湖に釣り糸を垂れた
という! 今は湖岸まで10km近くあるはず。



石段の道を上る。左に廃屋。



妙見堂跡を通る。



二越からの眺め。琵琶湖の向こうに比叡山が見える。



ザックを背負っていては通れない、岩の狭い割れ目、割石。おもしろスポットを
抜けて生まれ変われるか!

このあとしばらく続く急峻の岩場は、登るのはじつに楽しいが、耳の周りに虫が
ブンブンまとわりつく。



展望台。岩の上は熱が反射して、ホットプレートの上にいるよう。
数枚の写真を手早く撮って、退散退散。



山頂部にある奥宮に到着。裏登山道との合流点でもある。



三上山の山頂は、思いのほか地味。樹林に囲まれて、展望もゼロ。
ただ、この日は直射日光から逃れられたのと、通り抜ける風がありがたかった。



東側に道を下る。やはり最初は急峻で、巨岩の直下は鎖場になっている。

そのまま下り切れば、花緑公園に下りるのだが、途中で「中段の道」に入り、
ほどなく「北尾根縦走路」に入る。ここまでは、割に涼しく歩けた。



高い木がなく、風化花崗岩と露岩の北尾根縦走路は、灼熱地獄。
くらくらする。



古代峠にあるくぐり石。ルートそのものは変化に富み、ひじょうに楽しい。



湖南アルプスを彷彿とさせる巨岩を越えていく。



東光寺不動山。
特に東側の眺めがいい。鏡山と、遥か向こうに鈴鹿山系の綿向山などが見えた。



倒れそうになってたどり着いた、妙光寺山。やっと日陰が!
ここで座り込んで、ランチタイム。



北側山腹にある岩神神社。古墳ではなかったかとされる。
名外交官として知られる白洲次郎の妻で、随筆家の白洲正子が訪れ、
「ドルメンのような建造物」と言ったという。
白洲正子は、近江の磐座信仰にもとづく石造文化に高い関心を示し、
「近江山河抄」を著している。



岩神神社から西へ数十メートルのところにある、妙光寺磨崖仏。
仏様の脇に彫られた年号は元享4(1324)年、鎌倉時代末期だ。
足に沓を履いている珍しいデザイン。じっと東の方角をながめておられる。



ほどなく里道に出て、日干しになりながら国道を歩いて、御上神社の駐車場に戻る。
しばらく、クルマのエアコンをフルパワーにして、ぐったりしていた。



やがて動けるようになったので、野洲駅周辺をぐるっと回り、
クルマを福林寺跡石仏群へ。
予想外に多数の素朴な石仏が残っており、感動した。

見どころが多い、すばらしいルートではあるが、この季節に歩くのだけは
やめたほうがいい。


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