■メイン写真
七宝瀧寺の本堂を抜けた先にある行者ノ滝
■今回のコース
犬鳴山バス停→両界ノ滝→塔ノ滝→身代わり不動尊→燈明ヶ岳→経塚権現山(葛城第8経塚)→
天狗岳→大天井ヶ岳→経塚権現山→身代わり不動尊→七宝瀧寺本堂→行者ノ滝→犬鳴山バス停
久しぶりに犬鳴山の天狗岳、大天井ヶ岳を訪れた。
微妙な天気予報だったが、お昼時には澄んだ青空まで出てきて、快適に歩けた。
ひとつ衝撃だったのは、昔からあった犬鳴温泉センターが、おかみさんの高齢化より
7月で閉鎖となっていたこと。時代の流れなのかもしれないが残念だ。
犬鳴川にかかる二の橋を渡る。
役行者と前鬼、後鬼に迎えられる。
犬鳴山は葛城修験の中でも重要な存在である七宝瀧寺を擁する。
のっぽ杉。高さ38mは大阪一だとか。
連瀑帯が現れる。両界ノ滝。
犬鳴山には七つの滝がある。淳和天皇が雨乞祈願が成就した際に命名した、
「両界ノ滝・塔ノ滝・弁天ノ滝・布引ノ滝・固津喜ノ滝・行者ノ滝・千手ノ滝」である。
その上には大きな釜がある。沢登りができないのが残念に思えるほど、すばらしい渓谷だ。
瑞龍門。行者迎えの門として知られる。
塔ノ滝。こちらも立派な釜。
義犬の墓。犬鳴山の名の由来にもなった伝説がある。
宇多天皇の世、紀伊の猟師が犬を連れて、対岸にある蛇腹という場所で鹿を追っていたところ、
大樹の陰から大蛇が猟師を狙っていた。犬はそれに気づき吠え立てたが、その声で鹿は
逃げてしまう。猟師は怒り、犬を刀で切りつけた。犬はケガをしつつも大蛇に立ち向かい、
相討ちとなる。大蛇の存在に気付いた猟師は、七宝瀧寺の僧となり犬を厚く弔った。
その話に感激した宇多天皇が、寺の山号として「犬鳴山」を与えたという。
それまでは一乗山と呼ばれていたという。
志津の涙水。岩の間からポタポタと雫が落ちている。
淡路の小聖と呼ばれる人が、御所の官女の志津に慕われたが、小聖は修行の妨げになると
言って犬鳴山に逃れた。志津は諦めきれず犬鳴山に探しに行くが、この場所で悶死した。
その涙水と伝わる。
身代わり不動尊。青銅製としては、日本最大の不動明王だという。
ここの右奥から、登山道に入る。ここからようやく、登山のスタートだ。
稜線までは、ずっと急登が続く。ルートを間違えないよう、ガイドロープが張ってある。
ロープはこの山域に多く張られているが、例えば大天井ヶ岳への登りなど、
歩行ルート上を交差したりして、その都度またいだりする必要がある。
親切でロープを張ってくれているのだろうが、転倒のリスクを自ら増やしている。
もし登山ガイドが、検定や研修でそのようなフィックスロープの張り方をしたら、
大幅減点であることは間違いない。
蛇腹の鳥居。行場道は通行禁止となっている。
急登がようやく緩くなったら、奥の院(燈明ヶ岳)に着く。
朱の鳥居は倒壊しており、その奥に海を向いた祠がある。
昔、ここに火をともし、沖を行く漁船の目印にしたという。
昔はもう少し展望があったが、今は木の枝越しに関空方面が望める。
続いて経塚権現山に着く。葛城二十八宿の第8番経塚だ。
「山頂石」があるのは、ここ。
ここからは、関空、淡路島、六甲山系などがクリアに見渡せる。
本日の行程では、ここが最高のビューポイントだ。
稜線に出て、まず天狗岳をめざす。展望がない頂上は、小さな山名表示板だけ。
10mほど南側に、天狗の石像が鎮座している。
この天狗さん、手塚治虫の漫画に出てきそうなデザインだ。
ちょうど正午になったので、ここでランチタイム。
続いて尾根を西へ、大天井ヶ岳をめざす。
二度ほど短い急登がある。最後は足場が粘土質で、ちょっと滑りやすい。
大天井ヶ岳の山頂も地味な場所ではあるが、本日の最高点であり、
現在は一般ハイカーは進入禁止の裏行場ルートの取付くピークでもある。
先ほどの急坂を忠実に戻る。皆さん、用心しながら自分のペースで下り、
スリップや尻もち転倒もなく、無事に身代わり不動尊に戻った。
この先は、七宝瀧寺の本堂をめざす。
本堂に参拝し、100円を納めて本堂の建屋を通り抜けると、一眼上人供養塔がある。
一眼は、七宝瀧寺の先師の名であるが、拝みながらカメラ技術の上達を祈願せずには
おれなかった。
行者くぐり岩は、3回くぐりながら六根清浄を唱えると、所願が成就するという。
何人か、シッカリ3回くぐられた。
行者ノ滝。白装束の行者さんが滝行を行う場所だ。
何度かテレビでお笑いタレントなどが寒さに震えている滝だが、さすがにこの時期は
誰もいなかった。
参道を引き返し、15:50発のバスにちょうど間に合うように下山。
午後から崩れるという天気予報は少し遅れたようで、最後まで雨に降られることなかった。