■メイン写真
917m電波反射板の手前から、地蔵山を眺める
■今回のコース
越畑→芦見峠→地蔵山→電波反射板→愛宕スキー場跡→愛宕山三角点峰→
竜ヶ岳→芦見谷出合→越畑隧道分岐→芦見峠→越畑
京都の愛宕山といえば、京都市民のシンボル的な山であるが、表参道の長い長い
石段道を敬遠する声も多い。
表参道は、Mr.Dashは必ずしも嫌いではないのだが、まあ気持ちは分かる。
そこで、アプローチが大変ではあるが、北西の南丹市側から回り込み、越畑から
芦見峠経由で登ってみた。石段をまったく通らずに愛宕山に行けるルートだ。
自然林の長大な尾根ルートに群生するアセビは、ちょっぴり鈴鹿山系の
入道ヶ岳などを思い起こさせ、すばらしかった。
越畑は、美しい棚田が自慢。朝日新聞創刊130周年・森林文化協会30周年記念の
「にほんの里100選」に選ばれている。
越畑バス停から少し北に、京都市の指定有形文化財である河原家住宅がある。
藤原鎌足のご子孫の家で、主屋は明暦3年(1657年)の建築で、年代が確定する
民家としては京都市内最古という。なお、長屋門は元禄9年(1696年)の建築だ。
イチョウ古木の黄葉がちょうど見頃を迎えていた。
バス停側に少し戻り、阿弥陀寺の辻から坂道を上る。
獣除けのフェンスを抜け、山道に入ると、水路跡がある。
この水路は芦見谷の水を、芦見峠直下を越えて反対側の越畑に灌漑用水を引いていた
そうで、そのスケールに感心させられる。
この先で林道工事が行われており、少し高巻きを強いられる。
折からタカノツメの落葉が峠道に散り敷き、あたりはカラメルのような芳香が
漂っていた。カツラ同様、タカノツメの葉にあるマルトールが甘く香るのだ。
芦見峠で小休憩。すぐ横に送電線が通っている。
地蔵山への長い尾根道に取り付く。長いが、急登はなく、だらだら登り続ける感じ。
途中、左手に古いトタン小屋の残骸があった。
錆びた看板に「ミッション・コーラ」とあるが、これ何?
調べたら、1953年製造が始まったコーラ。その後のシェア争いに負けたのかな。
さらに先へ進む。ふと見ると、ナラの枯れ木にびっしりとキノコ。
似たコレラタケはスギに生えるので、これはたぶんナメコだろうが、
ちょっと怖いので採らない。
やがて周囲はアセビに囲まれる。右に朽ちた金網の囲いが現れると、
西向宝庫地蔵尊がぽつんと立っている。
お地蔵さんから100mばかりで、地蔵山の一等三角点山頂に着く。
京都府で第5位の標高、947.6mを誇る山であるが、訪れる人はそう多くない。
さらにアセビのトンネルが続く。見事な群落だ。
標高917mのピークには、巨大な電波反射板が建つ。
この先の、愛宕山スキー場跡に寄り道してみた。
太平洋戦争の鉄材供出により、愛宕山ケーブルが廃線となったが、そのときに
同時に廃業となったらしい。建物の跡もなく、ながらかな平原が広がる。
スキー場を拓いた、中山再次郎の記念碑跡。
再次郎の胸像そのものも、戦争に供出されてしまったという。なんとまた。。。
すぐ先に竜ヶ岳への分岐がある。あとで、ここから竜ヶ岳をめざす。
とりあえず愛宕山三角点(890.1m)までピストンする。
京都市街が見下ろせ、比叡山、大文字山、音羽山などが見える。
愛宕神社は、今日は時間の関係で省略する。
先の分岐まで戻り、シバグリやリョウブ、ウリハダカエデなどの雑木林を
抜け、再びアセビ群落になる。小ピークを越えたり巻いたりしながら
竜ヶ岳921mピークに到着。
ここから、とんでもない急坂を下る。一気に標高差250mを下るのだが、
滑りやすい土と木の根の急斜面をすごしたかと思えば、今度は痩せた岩稜と、
息もつけない面白さ。
三点確保の連続。意外なスリルにニヤけながら芦見谷分岐に下り立つ。
芦見谷は、若き日の梅棹忠夫先生が絶賛した美渓だ。
ここはかなりの上流に位置するが、その片鱗を感じる。
渡渉を数回繰り返し、沢沿いの道を下る。
やがて林道跡に出る。梅棹先生が愛でた渓流も、この林道ができてしまって
魅力を大幅に減じたことだろう。
しかもこの林道、数年前の台風被害で、あちこちが崩壊してしまった。
道中、カエデは多くはなかったが、沢沿いに出るとちょくちょく見かけた。
ところで沢の対岸に水平道が切ってある。ところどころ山ヌケで崩壊しているが、
明らかに、例の水路跡である。
やはり台風前までは、この水平道を歩くこともできたようだが、今はどう見ても
不可能。このまま自然に還るのだろう。
越畑隧道。水路のトンネルが残っていた。ここが、芦見峠に登り返す分岐である。
日が傾いてきた。芦見峠を越え、朝に歩いてきた道を戻る。
夕日がタカノツメ林を照らし、あたり一面が黄金色に輝いていた。
917m電波反射板の手前から、地蔵山を眺める
■今回のコース
越畑→芦見峠→地蔵山→電波反射板→愛宕スキー場跡→愛宕山三角点峰→
竜ヶ岳→芦見谷出合→越畑隧道分岐→芦見峠→越畑
京都の愛宕山といえば、京都市民のシンボル的な山であるが、表参道の長い長い
石段道を敬遠する声も多い。
表参道は、Mr.Dashは必ずしも嫌いではないのだが、まあ気持ちは分かる。
そこで、アプローチが大変ではあるが、北西の南丹市側から回り込み、越畑から
芦見峠経由で登ってみた。石段をまったく通らずに愛宕山に行けるルートだ。
自然林の長大な尾根ルートに群生するアセビは、ちょっぴり鈴鹿山系の
入道ヶ岳などを思い起こさせ、すばらしかった。
越畑は、美しい棚田が自慢。朝日新聞創刊130周年・森林文化協会30周年記念の
「にほんの里100選」に選ばれている。
越畑バス停から少し北に、京都市の指定有形文化財である河原家住宅がある。
藤原鎌足のご子孫の家で、主屋は明暦3年(1657年)の建築で、年代が確定する
民家としては京都市内最古という。なお、長屋門は元禄9年(1696年)の建築だ。
イチョウ古木の黄葉がちょうど見頃を迎えていた。
バス停側に少し戻り、阿弥陀寺の辻から坂道を上る。
獣除けのフェンスを抜け、山道に入ると、水路跡がある。
この水路は芦見谷の水を、芦見峠直下を越えて反対側の越畑に灌漑用水を引いていた
そうで、そのスケールに感心させられる。
この先で林道工事が行われており、少し高巻きを強いられる。
折からタカノツメの落葉が峠道に散り敷き、あたりはカラメルのような芳香が
漂っていた。カツラ同様、タカノツメの葉にあるマルトールが甘く香るのだ。
芦見峠で小休憩。すぐ横に送電線が通っている。
地蔵山への長い尾根道に取り付く。長いが、急登はなく、だらだら登り続ける感じ。
途中、左手に古いトタン小屋の残骸があった。
錆びた看板に「ミッション・コーラ」とあるが、これ何?
調べたら、1953年製造が始まったコーラ。その後のシェア争いに負けたのかな。
さらに先へ進む。ふと見ると、ナラの枯れ木にびっしりとキノコ。
似たコレラタケはスギに生えるので、これはたぶんナメコだろうが、
ちょっと怖いので採らない。
やがて周囲はアセビに囲まれる。右に朽ちた金網の囲いが現れると、
西向宝庫地蔵尊がぽつんと立っている。
お地蔵さんから100mばかりで、地蔵山の一等三角点山頂に着く。
京都府で第5位の標高、947.6mを誇る山であるが、訪れる人はそう多くない。
さらにアセビのトンネルが続く。見事な群落だ。
標高917mのピークには、巨大な電波反射板が建つ。
この先の、愛宕山スキー場跡に寄り道してみた。
太平洋戦争の鉄材供出により、愛宕山ケーブルが廃線となったが、そのときに
同時に廃業となったらしい。建物の跡もなく、ながらかな平原が広がる。
スキー場を拓いた、中山再次郎の記念碑跡。
再次郎の胸像そのものも、戦争に供出されてしまったという。なんとまた。。。
すぐ先に竜ヶ岳への分岐がある。あとで、ここから竜ヶ岳をめざす。
とりあえず愛宕山三角点(890.1m)までピストンする。
京都市街が見下ろせ、比叡山、大文字山、音羽山などが見える。
愛宕神社は、今日は時間の関係で省略する。
先の分岐まで戻り、シバグリやリョウブ、ウリハダカエデなどの雑木林を
抜け、再びアセビ群落になる。小ピークを越えたり巻いたりしながら
竜ヶ岳921mピークに到着。
ここから、とんでもない急坂を下る。一気に標高差250mを下るのだが、
滑りやすい土と木の根の急斜面をすごしたかと思えば、今度は痩せた岩稜と、
息もつけない面白さ。
三点確保の連続。意外なスリルにニヤけながら芦見谷分岐に下り立つ。
芦見谷は、若き日の梅棹忠夫先生が絶賛した美渓だ。
ここはかなりの上流に位置するが、その片鱗を感じる。
渡渉を数回繰り返し、沢沿いの道を下る。
やがて林道跡に出る。梅棹先生が愛でた渓流も、この林道ができてしまって
魅力を大幅に減じたことだろう。
しかもこの林道、数年前の台風被害で、あちこちが崩壊してしまった。
道中、カエデは多くはなかったが、沢沿いに出るとちょくちょく見かけた。
ところで沢の対岸に水平道が切ってある。ところどころ山ヌケで崩壊しているが、
明らかに、例の水路跡である。
やはり台風前までは、この水平道を歩くこともできたようだが、今はどう見ても
不可能。このまま自然に還るのだろう。
越畑隧道。水路のトンネルが残っていた。ここが、芦見峠に登り返す分岐である。
日が傾いてきた。芦見峠を越え、朝に歩いてきた道を戻る。
夕日がタカノツメ林を照らし、あたり一面が黄金色に輝いていた。