春のGIシリーズが続いている中、ここ最近の競馬界では悲しいニュースが相次いでおります。28日に多くのGI馬を輩出してきたメジロ牧場が5月をもって解散すると発表し、4月30日には90年代を代表する名スプリンター・サクラバクシンオーが死去しました。
メジロ牧場の北野雄二代表が28日にJRA六本木事務所で記者会見を開き、5月20日で牧場を解散させ、馬主としての事業も撤退すると発表。解散の理由について北野代表は、「近年の成績不振から経営が困難になった」と述べておりました。さらには3月に発生した東日本大震災も追い打ちをかけたと言われています。
メジロ牧場は1967年に北海道伊達市に開業し、史上初の牝馬3冠馬・メジロラモーヌをはじめ、メジロライアン、メジロマックイーン、メジロパーマーなどのGI馬を輩出し、緑と白の勝負服で長年愛されてきました。しかし、2000年になってからは成績が低迷し、朝日杯3歳ステークス(現フューチュリティステークス)のメジロベイリーを最後にGI勝ちが無くなり、2006年の小倉大賞典のメジロマイヤーを最後に重賞勝利から遠ざかるようになりました。
日本を代表する牧場のひとつが消えるというのは本当に残念としか言えません。90年代にマックイーンが春の天皇賞を連覇したり、パーマーが強気の逃げでグランプリ春秋連覇、ライアンが同期のライバルを破り宝塚記念を制したりとメジロ勢がGI戦線で暴れまわっていた「メジロ黄金時代」は本当に懐かしかったな~。黄金時代の後、ライアン産駒のメジロドーベルがGIを5勝。ライアンは種牡馬でも成功したんです。
「メジロ軍団」といえば天皇賞で春秋合計7勝と無類の強さを誇り、祖父・メジロアサマ、父・メジロティターン、息子・マックイーンの「史上初親子三代天皇賞馬」の偉業を達成。1998年の春天ではメジロブライトが勝利しました。(他にも69年のメジロタイヨウ、71年のメジロムサシ)その一方でダービーとは無縁で、2着が4回(88年のメジロアルダン、90年のライアンetc…)と悲願達成まであと一歩のところまで来ていたのですが、解散で夢は叶わぬまま終わりました。北野会長も「一番の心残り」と語っていました。
今回の解散発表で一番悲しい思いをしているのは、天国にいる初代会長の北野豊吉さんとミヤさん(名物おばあちゃん)夫妻ではないかと思います。特におばあちゃんは「メジロ軍団の顔」的存在で、あの人がいなければマックイーンも強くなれなかったし、黄金期も無かったはずです。メジロの勝負服が見られるのもあと少し。解散前までにメジロの馬が勝利する事を願っています。
メジロ牧場解散の正式発表から一夜明けた30日は訃報が入りました。かつて短距離戦線をリードしてきたサクラバクシンオーが、心不全のためけい養先の社台スタリオンステーションで死亡しました。22歳でした。
社台スタリオンステーションの徳武英介氏のコメントによると、「数多くのオファーがあったものの、高齢という理由で休みながら種付けを行っていた。今年は80頭ほど種付けし、翌日に再開するはずでした」と述べておりました。
サクラバクシンオーは1989年4月14日に父サクラユタカオー、母サクラハゴロモの間に生まれ、1992年1月にデビュー。92年のクリスタルカップで重賞初制覇を飾ると、93年と94年のスプリンターズステークスを制してV2達成。94年にはJRA賞最優秀短距離馬にも選ばれました。通算成績は22戦11勝。11勝は全て1400m以下のレースでした。
94年に現役引退後、社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送り、ショウナンカンプ(2002年高松宮記念)、シーイズトウショウ(重賞5勝)、カノヤザクラ(アイビスサマーダッシュでV2)、ダッシャーゴーゴーなど多くのスプリンターを輩出。昨年はバクシンオー産駒のグランプリボスが朝日杯FSを制しました。
バクシンオーは日本最強かつ最高のスプリンターでした。94年のスワンステークスで1400mの日本レコードを叩きだすと、スプリンターズSで1分7秒1の当時の1200m日本レコードを樹立して引退に花を添えるいう凄いパフォーマンスを見せてくれました。こんなに強くて速いのなら海外GIにも挑戦できただろう。産駒たちも父と同じようにスプリント戦線で活躍する姿をよく見ます。グランプリボスは来週のNHKマイルカップに参戦予定なので、天国に行ってしまった父のためにも絶対勝ちたいでしょう。
昨年はオグリキャップとスーパークリークが死亡、最近はメジロ牧場の解散、バクシンオーの死と残念なニュースが続く事で、90年代の記憶が段々失われつつありますね。この時代の競馬史は絶対に残しておきたいし、後世の競馬ファンに語り継がれてほしいなと思います。いままでありがとう。
メジロ牧場の北野雄二代表が28日にJRA六本木事務所で記者会見を開き、5月20日で牧場を解散させ、馬主としての事業も撤退すると発表。解散の理由について北野代表は、「近年の成績不振から経営が困難になった」と述べておりました。さらには3月に発生した東日本大震災も追い打ちをかけたと言われています。
メジロ牧場は1967年に北海道伊達市に開業し、史上初の牝馬3冠馬・メジロラモーヌをはじめ、メジロライアン、メジロマックイーン、メジロパーマーなどのGI馬を輩出し、緑と白の勝負服で長年愛されてきました。しかし、2000年になってからは成績が低迷し、朝日杯3歳ステークス(現フューチュリティステークス)のメジロベイリーを最後にGI勝ちが無くなり、2006年の小倉大賞典のメジロマイヤーを最後に重賞勝利から遠ざかるようになりました。
日本を代表する牧場のひとつが消えるというのは本当に残念としか言えません。90年代にマックイーンが春の天皇賞を連覇したり、パーマーが強気の逃げでグランプリ春秋連覇、ライアンが同期のライバルを破り宝塚記念を制したりとメジロ勢がGI戦線で暴れまわっていた「メジロ黄金時代」は本当に懐かしかったな~。黄金時代の後、ライアン産駒のメジロドーベルがGIを5勝。ライアンは種牡馬でも成功したんです。
「メジロ軍団」といえば天皇賞で春秋合計7勝と無類の強さを誇り、祖父・メジロアサマ、父・メジロティターン、息子・マックイーンの「史上初親子三代天皇賞馬」の偉業を達成。1998年の春天ではメジロブライトが勝利しました。(他にも69年のメジロタイヨウ、71年のメジロムサシ)その一方でダービーとは無縁で、2着が4回(88年のメジロアルダン、90年のライアンetc…)と悲願達成まであと一歩のところまで来ていたのですが、解散で夢は叶わぬまま終わりました。北野会長も「一番の心残り」と語っていました。
今回の解散発表で一番悲しい思いをしているのは、天国にいる初代会長の北野豊吉さんとミヤさん(名物おばあちゃん)夫妻ではないかと思います。特におばあちゃんは「メジロ軍団の顔」的存在で、あの人がいなければマックイーンも強くなれなかったし、黄金期も無かったはずです。メジロの勝負服が見られるのもあと少し。解散前までにメジロの馬が勝利する事を願っています。
メジロ牧場解散の正式発表から一夜明けた30日は訃報が入りました。かつて短距離戦線をリードしてきたサクラバクシンオーが、心不全のためけい養先の社台スタリオンステーションで死亡しました。22歳でした。
社台スタリオンステーションの徳武英介氏のコメントによると、「数多くのオファーがあったものの、高齢という理由で休みながら種付けを行っていた。今年は80頭ほど種付けし、翌日に再開するはずでした」と述べておりました。
サクラバクシンオーは1989年4月14日に父サクラユタカオー、母サクラハゴロモの間に生まれ、1992年1月にデビュー。92年のクリスタルカップで重賞初制覇を飾ると、93年と94年のスプリンターズステークスを制してV2達成。94年にはJRA賞最優秀短距離馬にも選ばれました。通算成績は22戦11勝。11勝は全て1400m以下のレースでした。
94年に現役引退後、社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送り、ショウナンカンプ(2002年高松宮記念)、シーイズトウショウ(重賞5勝)、カノヤザクラ(アイビスサマーダッシュでV2)、ダッシャーゴーゴーなど多くのスプリンターを輩出。昨年はバクシンオー産駒のグランプリボスが朝日杯FSを制しました。
バクシンオーは日本最強かつ最高のスプリンターでした。94年のスワンステークスで1400mの日本レコードを叩きだすと、スプリンターズSで1分7秒1の当時の1200m日本レコードを樹立して引退に花を添えるいう凄いパフォーマンスを見せてくれました。こんなに強くて速いのなら海外GIにも挑戦できただろう。産駒たちも父と同じようにスプリント戦線で活躍する姿をよく見ます。グランプリボスは来週のNHKマイルカップに参戦予定なので、天国に行ってしまった父のためにも絶対勝ちたいでしょう。
昨年はオグリキャップとスーパークリークが死亡、最近はメジロ牧場の解散、バクシンオーの死と残念なニュースが続く事で、90年代の記憶が段々失われつつありますね。この時代の競馬史は絶対に残しておきたいし、後世の競馬ファンに語り継がれてほしいなと思います。いままでありがとう。