MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

さよなら 健さん 2

2014年11月21日 | A DAY IN THE LIFE

1960年代・・・生まれてましたか?

当時は甲府にも映画館がいくつもあった。
東映も東宝も松竹、日活もそれぞれの小屋(単館)を持っていた。

東映はヤクザ映画の真っ盛り。
東映の隣が確か・・・・・・セントラル?だったか洋画専門館だったはず。

セントラルの客層と、東映のそれとはまったく違って、
言ってみれば、リーベルとボカの違いだ。 コアなフッボル小僧しかわからんぞ^^

中坊だった僕は、リーベルにもボカにも行った。
ボカこと東映は、中坊にはなかなか入りづらいところで、
不良やヤクザもんの巣窟・・・みたいなイメージがあったのだ。

実際、健さんに夢中になって、ふと気がつくと、サイフをスラれていた。
いたいけな中坊から盗むなんて、犯罪者の風上にも置けないヤツがいたもんだ。
今でも、サイフの色も形もよくおぼえているほどだ。

昭和残侠伝も網走番外地シリーズも、ドキドキしながら観ていた。
昭和残侠伝のラスト、雪の降りしきる中を往く高倉健と池部良。



これは究極ですね。

こんな究極のカッコよさを刷り込まれたもんだから、
その後の健さんの役柄がどうもしっくりこない。
ゆるく、ぬるく、チカラが抜ける・・・・・・・。
もちろん、高倉健のせいにはしない。
監督やプロデューサーの無能を嘆く。

俺たちの健さんを返せ! と。

こーゆー無責任でわがままな人が無数にいたのだ^^
ご本人、エラい迷惑^^


さて、ここからは佐藤忠男 高倉健を悼む からの引用だ。

・・・・・・・・略

 しかし、ヤクザの役だけでは、限られた範囲のファンには熱烈に受けても、
国民的な俳優と言われるのは難しい。
彼は仁侠映画の一時的なブームが去った後、その役柄で築いた風格で、
おとなしく善良な庶民の本当の男らしさ演じるという、文字通りの離れ業をやってのけた。

「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」がそれであり、
彼は本当に男らしい男が、実は心優しくつつましい庶民でもあり得るという、
すてきな人格のありようを示してくれたのである。


ほんと、その通りです。
ま       ったく異議なしです   が が が

私のマイ・フェイバリットは「ザ・ヤクザ」なんだなぁ これが^^