ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

おしらせです(2013年4月11日)

2013年04月11日 22時43分13秒 | 受験・学校

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 4月9日付で、「新・判例解説Watch」(http://www.tkclex.ne.jp/commentary/law_commentary.html)に、私が担当した「相続開始後に売買契約を解除した場合の相続税の課税財産が問われた事例(広島地方裁判所平成23年9月28日判決<LEX/DB25480115>)」(租税法No. 75)が掲載されました。

 御一読をいただければ幸いです。

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再び、大牟田駅から新栄町まで歩く(2010年9月5日)

2013年04月11日 15時04分08秒 | 旅行記

 (2010年12月4日、2010年12月10日、2010年12月16日および2010年12月22日掲載。2010年12月26日、統合、一部変更の上で再掲載。2013年4月11日、「ひろば」に移行。)

 かつて、日本は、少なくともエネルギーの一部について自給国でした。近代産業革命の原動力となった石炭は、日本においても工業生産の発展の原動力となりました。しかし、第二次世界大戦後、エネルギー政策の転換により、日本は石炭の採掘をやめていきます。石油に比べて熱効率などの点で悪いから、ということなのでしょう。自動車などの生産の発展は、石油に切り替えたからこその話であり、石炭中心ではそもそも起りえなかったでしょう。その意味では、石炭から石油への転換は必然的でした。

 しかし、石炭からの離脱により、いくつもの市町村が衰退していきました。とくに北海道と九州北部には多くの炭鉱がありましたから、炭鉱で栄えた市町村は急激に衰退していきます。北海道では、夕張市周辺、釧路市など、1980年代、1990年代、さらには21世紀に入っても石炭の採掘が行われた地域も少なくありません。これに対し、九州北部での炭鉱の閉山は早い時期に集中しています。その中で、福岡県大牟田市、同県みやま市、熊本県荒尾市にまたがる三井三池炭鉱では1990年代まで採掘が行われ、1997年3月に閉山しました。その後、急激に街は衰退していきます。

 「別室9」では、その大牟田市にある大牟田駅から新栄町駅までを2007年9月8日に歩き、目にした様子を「大牟田駅から新栄町まで歩く」と題して紹介いたしました。元は第234回(その1、2007年10月21日掲載)、第235回(その2、2007年10月28日掲載)、そして第236回(その3、2007年11月4日掲載)です。

 それから3年後、2010年9月5日、私は再び大牟田市を訪れました。今回は「再び、大牟田駅から新栄町まで歩く」と題し、第392回(その1、2010年12月4日掲載)、第393回(その2、2010年12月10日掲載)、第394回(その3、2010年12月16日掲載)および第395回(その4、2010年12月22日掲載)として、写真とともに状況を紹介しました。別室9の続編という内容でもあるため、今回、まとめて若干の修正を加え、別室21として掲載することといたしました。

 

 私が集中講義を最初に担当したのは、2003年8月、熊本県立大学総合管理学部の「財政法」です。その翌年、つまり2004年に大分大学教育福祉科学部から大東文化大学法学部に移り、西南学院大学での集中講義を担当しました。それから、毎年の夏休み、9月上旬に福岡市で集中講義を行うのが私の恒例行事のようなものとなっております。2007年と2009年の8月には福岡大学での集中講義も行いました。2010年も、8月31日から9月8日まで、西南学院大学で集中講義を担当いたしました(但し9月4日と5日は中休みです)。大分市に7年間住んでいた者としては、毎年、福岡市に滞在する機会をいただけることに感謝しております。

 さて、その集中講義の期間中に、私は九州の各地を周るようにしています。宿泊を伴うことがあるため、おおよその方角を決めておき、時刻表などを調べます。昨年(2009年)は長崎県の佐世保市と諫早市、佐賀県の佐賀市(ここだけは8月)、有田町、伊万里市、唐津市、そして大分県の大分市、九重町、竹田市などを周りました。大分市を訪れたのは2004年12月下旬以来、およそ4年9か月ぶりのことでした。

 今年は、福岡県内のみとすることを決めていました。もっとも、関門トンネルを通って山口県の下関市にも行きましたが、これは予定していなかったことです。私が気になっていたのは北九州市と大牟田市で、日を変えてどちらにも行くようにしました。

 「別室9」で「大牟田駅から新栄町まで歩く」として大牟田市の中心街を取り上げています。それから3年後、大牟田市の中心街の様子を再び見ておきたくなり、9月5日、西鉄天神大牟田線の特急に乗りました。

 西鉄福岡(天神)駅から約1時間、終点の大牟田駅に到着しました。市の中心街は隣の新栄町駅のほうが近く、特急も新栄町駅に停車しますが、私は大牟田駅まで乗り、そこから新栄町駅まで歩きます。そのほうが周りやすいからです。大牟田駅の東口からは、新栄町駅の東側にある「ゆめタウン大牟田」へ行くバスが出ています。私はゆめタウン大牟田にも行ってみるつもりでした。

 大牟田駅から鉄道線に沿って歩きます。ほどなく、アーケード街が見えてきます。3年前にも歩いたことがある銀座通商店街で、そこが中心街の南端と言うべき場所です。早速歩いてみますが、何軒かの店は開いているものの、ほとんどと言ってよいほど人通りがありません。日曜日の朝だからでしょうか。しかし、既に11時を過ぎています。

 「別室9」で大牟田松屋の建物を紹介しました。2007年9月の時点では建物が残っており、処遇も決まっていなかったのですが、同年の10月23日、西日本新聞で「大牟田の松屋跡地売却 柳川の建設会社に 利用計画は未定」と報じられており、譲渡がなされているということになります。そして3年後です。上の写真のように、アーケードはあるものの、松屋の建物は解体されており、駐車場に変わっていました。アーケードにMATSUYAと書かれた表示板がぶら下がっているのが、かえって侘しさを強く感じさせます。

 アーケード商店街にある交差点を右に曲がります。アーケード商店街は「サンルート」という名称が付けられていますが、松屋の跡は柵で囲まれており、停まっている車も少ないだけに、ここが商店街であることを忘れさせます。ここにどのような建物ができるのでしょうか。分譲マンションでしょうか。それとも何らかの商業施設でしょうか。

 もう一度交差点に戻ります。3年前もそうでしたが、アーケード商店街の舗装が強い違和感を覚えさせます。3年前と異なるのは、松屋の建物がないということです。そのため、違和感はいっそう強くなります。

 サンルートを北に歩きます。別室9の6枚目の写真も御覧下さい。ほぼ同じ地点から撮影していることがおわかりであると思います(角度などは異なりますが)。右側手前の建物には「マチ好きテナント大募集!」と書かれていますが、3年前には店の名前が書かれていました。シャッターに書かれていた店の名前も消されています。

 そして、3年前にはアーケードに店の名前を記した案内板がかけられていましたが、いつの間にか外されていました。このアーケード商店街の将来を暗示しているようにも思えますが、今後、アーケード自体が撤去される可能性があるのかもしれません。

 サンルート、銀座通商店街は、ここで途切れます。正確には途切れていないのかもしれませんが、アーケードはここで終わります。私が、またここに来ることがあるかどうか、今の時点ではわかりません。しかし、再び訪れてみたいと思っています。さらに新栄町駅を目指して歩き続けます。

 大牟田駅と新栄町駅との間に川が流れています。川の南のほうにあるのがサンルートで、橋を渡りますと、上の写真のようにema-ruという名の店舗が見えます。しかし、シャッターが閉じられており、店の前にはロープが張られています。壁に落書きもされています。建物も傷んでいるようです。

 閉店して或る程度の年月が経ったのでしょうか。3年前にも通っているはずですが、記憶にありません。自宅のパソコンを使い、インターネットで検索してみましたが、それらしい店の情報が見つかりません。

 手前の公衆電話ボックスの上に、竜の頭のようなオブジェが飾られていますが、いったい何なのでしょうか。

 3年前にも見かけました。ゴリラ(?)がビルをよじ登っている、というようなものです。前にも六本木のハード・ロック・カフェみたいだと記しましたが、今はどうでしょうか。今年、およそ10年ぶりに六本木へ行きましたが(しかも2回、妻と行きました)、ハード・ロック・カフェの近くを歩いていないのです。

 ほどなく、3年前にも通った三井三池炭鉱専用線の跡に出ます。ここに4種類の絵が描かれているのを「別室9」で紹介いたしましたが、今回は絵に変化がありました。まずは上の写真です。3年前には仏様のような絵が全面的に描かれていたのですが、今回、下のほうは描き換えられています。何だかよくわからない絵なのですが、どなたか、意味がわかる方がおられれば、お教えください。

 なお、今回は他の3つの絵を撮影していませんが、全く変わっていなかったのは水着の女性の絵だけでした。

 新栄町に入りました。歩道の上にあるアーケードにGALLERYと書かれていますが、これはアーケード商店街の名前のようです。建物はパチンコ屋の跡で、板が打ち付けられている部分もあります。3年前も閉店していましたので、全く手つかずのままでしょうか。こう書いて、インターネットで検索をかけてみますと、日刊大牟田という新聞があるそうで、そのサイトではわからなかったのですが、別のサイトでは、どうやら大牟田市が購入したようであると書かれています。これが事実であるとするならば、いったい何のために購入したのでしょうか。

 先ほどのパチンコ屋の建物です。1階がパチンコ屋で、2階がレストラン、カラオケ、喫茶の店、3階から6階までが駐車場、7階が会社(本社?)のようです。なお、この会社は現在もカラオケ屋などを営業しているようです。公式サイトがないのかどうか、検索しても出てきませんので、仕方なく、タウン情報のようなサイトを見ました。

 おそらくはスーパーマーケットか別の大型店舗があったと思われる場所です。3年前にも通っています。歩道にはアーケードがありますから、やはり異様です。駐車場となっていて、意外に多くの車が停まっています。しかし、商店街にはほとんど人通りがありません。3年前よりいっそう空洞化が進行しているような印象を受けます。

  「別室9」でも記しましたが、九州新幹線の新大牟田駅は、大牟田駅から5、6キロメートルほど離れた、大牟田市大字岩本が予定地となっています。新大牟田駅には九州新幹線しか通りません。近い駅というとJR鹿児島本線の吉野駅、および西鉄天神大牟田線の倉永駅ですが、どちらも普通列車しか停まらない駅です。しかも2キロメートルほど離れています。新大牟田駅が開業すると、場合によっては市街地の移転に近い状態が発生するかもしれません。その場合、新栄町は完全に命脈を絶たれる可能性もあります。

 井筒屋大牟田店があった場所は、3年前と同様に空き地になっています。ここにマンションができるという話があったのですが、工事は全く進んでいません。新栄町駅はすぐそばにありますから、西鉄天神大牟田線の特急に乗れば西鉄福岡(天神)まで1時間ほどです。ただ、同線は大手私鉄の幹線ですが、便利なのは西鉄福岡(天神)~西鉄二日市、もう少し先に行って筑紫までです。大善寺~大牟田は、日中、特急が30分間隔、西鉄福岡(天神)には行かない普通電車が30分間隔です。急行は朝と夜に何本かが走る程度です。九州の交通事情を考えれば、悪くはない条件であるとは言えますが、やはり福岡市からは遠いでしょうか。

 ちなみに、井筒屋大牟田店は現在もあります。もっとも、独立した百貨店としてではなく、新栄町駅の東方にある「ゆめタウン大牟田」のテナントとしてです。

 井筒屋大牟田店の跡の真向かいにある建物ですが、3年前にはなかったはずです。「別室9」で取り上げた、板が打ち付けられている、あるいは嵌め込まれている宝くじ売り場があった建物が、この場所にあったのです。現在はマンションになっていますが、1階はテナントとして貸すことが予定されているようです。「新築分譲中」という幟がありますので、まだ完成して間もないのかもしれません。

 新栄町には完全なアーケード商店街があまりなく、歩道がアーケードとなっている所が多いのですが、ここは完全なアーケード商店街となっています。しかし、シャッター通りとなっていて、開いている店は少なく、お客もほとんどいません。あるいは日曜日なので店が休みなのかもしれませんが、それにしても寂しい通りです。

 道はタイル貼りのような舗装となっています。大牟田松屋跡の前もそうですが、道路は美しくデザインされた舗装がなされているので、建物と道路とのギャップがいやがうえにも目立ちます。

 この商店街は「エレガンス一番街」です。大牟田といえば三池炭鉱で、閉山前は人通りも多かったことでしょう。田川市や直方市もそうなのですが、炭鉱で栄えた市町村は、閉山の後がかなり厳しいことがわかります。

 日本には炭鉱で栄えた地域が少なくありませんが、代表は何と言っても北海道と福岡県でしょう。北海道のほうはよくわかりませんが、財政再建団体となった夕張市を初めとして、人口が激減し、財政破綻などに至った市町村は少なくありません。福岡県、とくに筑豊地域も同様です。大牟田市は筑豊地域ではなく、筑後地域にありますが、閉山で人口が大きく減少したことは想像に難くありません。また、筑豊地域の炭鉱は北海道よりも早い時期に次々と閉山していますが、三池炭鉱は1997年に閉山しています。

 一番街を抜け、北のほうへ歩きます。3年前と変わらない土地が目の前にありました。おそらくは大規模店用の建物があったと思われるこの土地の活用方法については模索中なのでしょうか。奥のほうにはビルが並んでいるだけに、目立ちます。

 右側が、先ほどの空き地です。完全にフェンスで囲まれています。そして、歩道の上にアーケードがあります。やはり、何度見ても異様な光景です。これではアーケードの意味がないでしょう。左側には建物があり、いくつかの店が営業を続けているようです。

 新栄町駅の前まで歩きました。西鉄天神大牟田線の特急に乗って大牟田駅で降り、新栄町駅まで歩くコースは、3年前とほぼ同じです。しかし、今年は、ここで終わるのではなく、新栄町駅の東側にある「ゆめタウン大牟田」にも行くつもりです。

 再び登場しました。井筒屋大牟田店の跡地です。ここにマンションが建てられる予定で、幟にもあるように「大牟田市中心市街地活性化プロジェクト」とされています。3年前に来た時には水溜りがありましたが、今回は整地されているようです。しかし、まだ建てられていません。どういう理由によるのかは不明ですが、何らかの問題があるのでしょうか。

 新栄町駅の南側に踏切がありますので、西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線を渡ります。すぐに国道208号線に出ますので、その国道を北のほうへ歩きます。ほどなく、上の踏切に出ます。ここは旭町1号踏切です。ここを三井化学の専用鉄道、かつての三池鉄道の路線が通っています。炭鉱の閉山までにほとんどが廃止されましたが、ここは唯一、現在も営業中です。

 

踏切からJR鹿児島本線のほうを撮影してみました。線路を見れば、現役の路線であることがわかります。ここは貨物列車しか通りません。

 反対側を撮影してみました。奥のほうに進むと三井化学の工場があります。

 よく考えてみると、私は大牟田市を自動車で走ったことがありません。大分市に住んでいた7年間に一度しか訪れたことがなく、その時は西鉄天神大牟田線に乗って大牟田駅で降り、東口を歩いてJR鹿児島本線に乗って博多駅に出たのです。ちなみに、九州自動車道は大牟田市を通ってはいますが、インターチェンジがありません。また、国道3号線は大牟田市を通っていません。

 さらに国道208号線を歩き続けると、東側の歩道に御覧のような商店街(?)が見えてきます。歩道にはアーケード、というより屋根が架けられており、何軒かの商店が並んでいます。屋根の傷みは激しく、また、閉まっている店も多かったのでした。ただ、それは日曜日であるからなのかどうかがわかりません。いかにも昔からあるような店ばかりなので、歩いていて懐かしさを覚えてきました。

 この商店街を抜けると、すぐにゆめタウン大牟田が見えてきます。

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佐賀駅から中心街を歩く(その3)

2013年04月11日 00時04分27秒 | 旅行記

 以下は、「待合室」の第346回として2010年1月22日から29日まで掲載した記事です。写真の撮影日は2009年8月3日です。誤字脱字の類を除いて一切修正を施しておりませんので、御注意ください。

 「しらやま商店街」を歩いています(しらやまは、漢字で記すと「白山」です)。九州島内の県庁所在都市、すなわち福岡市、佐賀市、長崎市、熊本市、大分市、宮崎市および鹿児島市の全てを訪れ、中心街を歩いていますが、福岡市は別格として脇に置くとしても、ここまで空洞化が進んでいる所は佐賀市の他にありません。 私は、大分大学在職中に何度か佐賀市を訪れていますが、中心街を歩いたことはありません。佐賀駅の北方、長崎自動車道の佐賀大和インターチェンジの近くに郊外型大規模店舗がいくつもあり、その辺りを車で走ったことがあるだけです。

 この写真の左側だけを見ると、シャッターが閉じられている店もありますが営業中の店舗もあり、午前中の商店街という感じです(実は正午を過ぎています)。しかし、右側にある、明らかに大規模店舗の跡が商店街の今の様子を物語っています。一度訪れただけで軽率に印象を語るものではありませんが、京浜地区の商店街を歩き慣れているだけに、また、九州各県の県庁所在都市を歩いているだけに、空洞化の進行状況がわかります。

 この大型店舗の跡は、いやがうえにも目立ちます。閉店してからそれほど時間が経過していないようで、外壁はそれほど傷んでいないようにも見えます。問題は、この後に建物がどのようになるかでしょう。別の企業による大型店舗の開店も考えられなくはないのですが、可能性は低いものと思われます。

 ただ、よく見るとこの建物で営業している店舗があります。上の写真の右側に、その店舗の立て看板があります。この建物の4階と5階にインターネットカフェがあります。 全国的に展開しているインターネットカフェの支店であるとのことです。

 ネットカフェ難民という深刻な現象が語られる昨今ですが、私は2004年にインターネットカフェを利用したことがあります。首都圏では溝口と立川、九州では福岡の今泉(西鉄福岡駅と薬院駅の間)と大分駅前です。大分大学を離れて大東文化大学へ移った年で、まだ自宅にインターネットの環境が出来ていなかったためです。とくに、西南学院大学における最初の集中講義の際には、ほぼ毎日、夕食をとってからインターネットカフェを利用していました。

 ここから建物の中を見ることができますが、閉店して間もないようです。そして、入口には閉店を知らせる貼り紙がありました。その全文を書き写しておきましょう(写真もあるのですがピンボケになっていますので)。

  「お礼とご挨拶

 H.I.は平成21年6月29日をもちまして閉店させていただきました。

 皆様に支えられた28年間、多数のお客様にご来店していただき、感謝と感動の気持ちでいっぱいです。お客様より頂きました『暖かいお言葉・すばらしい感謝』を忘れる事はございません。

 また、6月27日・28日・29日の『感謝の3日間』、多数のお客様に足を運んでいただきました事を厚く御礼申し上げます。

 なお、これまでH.I.にてご購入して頂いた商品のメーカー様お問い合わせ先につきましては、下記QRコードよりご確認する事ができます。

 また、サイバック佐賀店につきましては、今後も今まで通り営業いたします。

 最後となりますが、長きに渡りのご愛顧、誠に有難う御座いました。

 (「メーカー様お問い合わせ先QRコードは省略」)

 平成21年6月吉日

 株式会社  ヒートアイランド」

 佐賀新聞が2009年6月26日に報じたところによりますと(http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1318883.article.html)、このヒートアイランドという会社は衣料品店を経営しており、1981年に創業しました。1987年、佐賀市の唐人に本社ビルをオープンさせ、1999年4月に上の写真の建物に移転しました。実は、この建物は元々ダイエー佐賀店が入っていたビルだったのです。大分市もそうでしたが、九州からはダイエーの多くの店舗が撤退しています。ダイエー佐賀店の閉店は大分店より早かったようです。その後にヒートアイランド社が入居したのですが、ほぼ10年で閉店に至ったことになります。佐賀新聞の記事には「ピーク時の年商は10億円を超えたが、大型店進出の影響で近年の売上は3分の1程度まで落ち込んでいた」と書かれています。やはり、北部の郊外型大規模店舗との競争に負けたということでしょう。会社は清算するとのことでした。

 上の挨拶文に登場するサイバック佐賀店はインターネットカフェで、これは現在も営業しています。前の写真の立て看板はサイバック佐賀白山店のものです。

 同じビルの東側 です。おそらく何らかの店舗だったのでしょう。しかし、営業を終えていることは明らかです。この、かつてダイエー佐賀店であった建物は、4階と5階に営業店舗があるのに1階から3階までは完全に空き家という奇妙な状態にあります。

 しらやま商店街を抜け、少し南に進むと、今度はエスプラッツの建物があります。これも大分時代に聞いたことがある名前です。研究室で聞いた、NHKラジオ第一放送の「列島リレーニュース」でした。ここは、かつて第三セクターの「まちづくり佐賀」が運営していたのですが、1998年のオープンからわずか3年でこの第三セクターは倒産しました。しかも、その後もしばらく営業していたとはいえ、しばらく全ての店舗が撤退して空き家の状態が続くという状態になりました。結局、佐賀市などが購入し、公共施設などがオープンするということになりましたが、やはり自動車社会の進展とそれに伴う郊外型大規模店舗の進出が致命的であったようです。悪いことに、エスプラッツには大型の無料駐車場がなかったようです。これでは失敗が最初から運命付けられていたようなものでした。ちなみに、この建物の上部は住宅となっています。

 少なくとも九州で中心街の活性化を図るための第一歩は、駐車場の見直しです。有料では利用客が減ります。買い物をするために利用するとしても、実際に何かを買わなければ高い駐車料金を払わなければなりません。また、買い物の金額によって無料となる時間が決まっていますから、たとえば2000円分の買い物をした場合に1時間分が無料になるとしても、1時間を超えると駐車料金を払わなければなりません。さらに、利用客にとって駐車場の券はわずらわしいものでして、紛失したらおしまいですし、そうでなくとも買い物の度にレジで券を出して処理してもらわなければなりません。郊外型大規模店舗の駐車場であれば、そもそも駐車料金をとられませんから、時間と買い物の金額を気にする必要もありませんし、券の紛失などを心配する必要もありません。もし、中心街が郊外型大規模店舗と対等に競争をし、勝利したいのであれば、駐車場を無料化することから始めなければなりません。しかし、そのためには広大な面積の敷地、または大きな駐車場専用ビルを建設する必要があります。

 以上のことは、首都圏でも当てはまります。私は、時折、休日に川崎市高津区、宮前区や横浜市青葉区、都筑区、緑区のホームセンター、大型電器店などへ行きます。駐車料金は無料です。品揃えも悪くありませんし、中心街より安価であることも多いのです。電器店で言えば、専門的知識、さらにポイントカードの使い易さまで、中心街の店舗より郊外型大規模店舗のほうが上であることも少なくありません。

 それから、コンビニエンスストアについても駐車場が必要となります。現在、私が住んでいる場所の近くに、絶えずお客が集まるコンビニエンスストアがあります。ここには比較的大きな駐車場があります。駅からそれほど離れてはいないのですが、駐車場のおかげで集客力があると考えるのが自然です。同じような例をいくつも見ています。

 お断りしておきますが、以前にも記しましたように、私は自動車社会を良いものと思っていません。7年間、大分市に住んでおり、自家用車通勤をしておりましたので、体調が悪い時などに感じる不便さを痛いほどに知っています。私が住んでいた所は郊外型大規模店舗が近かったので、買い物などは便利なほうでした。しかし、自家用車がなければ通勤も通学もできない、病院にも行けない、などという地区が多いのです。何しろ、大分市では飲み屋でも駐車場完備が当たり前というくらいです。どう考えても公共交通機関を使えそうもない所にショットバーや居酒屋があったりします。これでは飲酒運転を減らせる訳がありません。

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