2013年3月30日、東北新幹線に乗って福島市へ行ってまいりました。この日にコラッセふくしまで行われた日本自治学会セミナー(共催:福島大学)「福島復興に向けて~被災自治体をどう支援するか~」に参加するためです。
実は、東北地方に足を踏み入れるのはようやく2回目で、本格的には今回が初めてです。2004年9月に勿来駅を利用していますが、これは目的地の大津港駅(茨城県)に私が利用した特急が停まらなかったためです。その翌日には泉駅を利用しましたが、これも大津港駅に停まらない特急に乗って帰らなければならない事情があったためです。つまり、福島県の南部にほんの少しばかり入っただけでして、これでは行ったことにならないと思っていました。
そして、せっかく福島市に行くのだから、セミナーに出席したらすぐに帰るというのもつまらないし、時間を調整して、飯坂温泉まで行ってみようと考えました。東北新幹線の時刻を調べ、東京駅を9時24分に発車するやまびこ131号に乗ることに決めました。福島駅には10時46分に到着しますので、これなら余裕ができます。
福島駅に到着し、福島交通飯坂線のホームへ向かいます。東北新幹線のホームは西口にありますが、福島交通飯坂線のホームは東口で、かなり北のほうに外れた場所にあります。阿武隈急行と同じホームの右側(東側)が飯坂線のホームです。
360円の切符を買い、待っていたら電車が到着しました。何とも変なデザインの正面ですが、これが、東急東横線や田園都市線などで活躍した日本最初のオールステンレスカー、初代7000系です。福島交通には中間車のデハ7100形のみが譲渡されたため、運転台を設置する改造を受けています。その結果、東急9000系を非貫通構造にしたかのような正面になった、という訳です。
飯坂線には元東急の初代5000系も走っていましたが、電圧が直流750Vと低く、旧態依然とした車両も多く在籍していました。1500Vに昇圧する際に、全車両を初代7000系に改めました。福島交通でも7000系として走っています。
初代7000系は、VVVF制御への改造を受けて7700系として現在でも東急池上線・東急多摩川線を走っており(2012年に廃止された十和田観光電鉄線でも走っていました)、青森県の弘南鉄道、埼玉県の秩父鉄道、石川県の北陸鉄道(石川線)、大阪府の水間鉄道にも譲渡されました。秩父鉄道では既に廃車となっていますが、弘南鉄道、北陸鉄道、水間鉄道、そして飯坂線では現在でも活躍しています。
10時55分発の電車に乗り、懐かしいモーター音、ブレーキ音を聞きながら、車窓を楽しみました。元々、飯坂線は軌道として開業しました。そのためなのか、駅間距離が短く、速度もあまり高くありません。初めて利用した私にとっては意外なことに、沿線は住宅地で、終点の飯坂温泉まで続いています。また、乗客も多く、収支状況はともあれ、輸送密度はそれほど低くないのではないか、と感じられました。
終点の飯坂温泉駅に到着しました。線路は一本しかなく、乗車ホームと降車ホームとに分けられています。
飯坂線が福島飯坂電気軌道株式会社によって開業したのは1924(大正13)年のことで、福島から飯坂(現在の花水坂)までの8.9キロメートルでした。同年、会社は飯坂電車株式会社と名を改めています。1927年、現在の終点である飯坂温泉まで延長し、ここに現在の飯坂線が完成します。同年に福島電気鉄道株式会社と合併し、飯坂西線となります。1962(昭和37)年に、会社は福島交通株式会社と改名します。福島交通は飯坂線以外に軌道線を運営していましたが、すべて廃止しており、この飯坂線だけが残ります。
1976(昭和51)年には東急から3300系が移ってきました。そして、1980(昭和55)年、東急から初代5000系が移ってきました。1991(平成3)年に昇圧したことにより、東急から初代7000系を譲り受けたのです。
しばらく飯坂温泉駅周辺を歩き、電車に乗って福島駅に戻ってきました。
飯坂線ではワンマン運転が行われておらず、必ず車掌が乗務します。但し、車掌は基本的に乗車券の販売と回収を行うだけです(途中に無人駅が多く、終日駅員がいるのは桜水駅くらいであるため)。
片道9.2キロメートルという短い路線ですが、味のある路線、そんな印象を受けました。何と言っても、初代7000系が今でも活躍しているのがうれしいところです。
〔2013年4月1日~8日、待合室「ひろば」の第519回として掲載。〕