ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

憲法ノート:平和主義 憲法第9条をめぐる諸問題

2014年08月20日 02時01分30秒 | 法律学

 今回も、「日本国憲法ノート」〔第5版〕からの復活掲載です。第5回の「平和主義 憲法第9条をめぐる諸問題」で、やはり基本的な内容は2007(平成19)年5月17日のものであることをお断りしておきます。

 ★★★★★★

 戦争放棄を定める憲法の規定自体は、他国にもある。しかし、日本国憲法の特徴は、侵略戦争その他の一切の戦争、武力行使、武力による威嚇を放棄したこと、戦力の不保持を宣言したこと、国の交戦権を否定したことにある。

 改憲論は憲法第9条をターゲットにしているが、この条文は占領軍側のみの創意によるのではなく、幣原喜重郎首相(当時)の思想が反映されているともいわれる。

 2007(平成19)年5月、日本国憲法の改正手続に関する法律が成立した。このこと自体は歓迎すべきである。何故なら、憲法第96条第1項により「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」が国民の「承認」とされており、国民投票手続に関する法律の制定が憲法の要請するところと考えられるからである。また、このような法律が制定されないことにより、憲法変遷が生じたり、解釈改憲などが(半ば脱憲法的に)行われたりするとも考えられるし、さらには憲法廃棄や憲法廃止〔いずれについても第02回(ー注:このブログに「憲法ノート:日本国憲法制定までの過程/憲法改正」として復活掲載)を参照〕に至りかねない。憲法の保障のためには、改正手続が明確に示されたほうが良いのである。

 しかし、今回成立した法律には、多くの問題が残されている。たとえば、この法律には、有効投票数の規定が存在しない。地方自治法によって正式な法制度として位置づけられておらず、法的効力を認められていない住民投票であっても、有効投票数の要件が定められている場合が多いことと、著しい対照をなしている。投票制度は、可能な限り忠実に、国民全体の意思を反映するものでなければならないはずである。そのためには、有効投票数、とくに最低得票数の要件が必要である。有効投票数が定められていないとするならば、極端な例をあげれば有権者(投票権者)の99.9パーセントが棄権し、あるいは法律違反などの故に投票権を行使できない状態に置かれ、残りの0.1パーセントの有権者による投票により、憲法改正が承認されることとなる。国民主権の理念からみれば問題があることは明らかであろう。

 この問題については、項目を改めて詳しく検討したいと考えている。参考までに、公職選挙法の第95条ないし第95条の3を参照していただきたい。

 1.憲法第9条の解釈

 この条文は、一読しただけであればすんなりと読解しうると思われるのであるが、多少とも詳しく分析すれば、すぐに難しいものとなる。その理由の一つが、日本国憲法の原草案になかった芦田修正(芦田均氏によって追加された文言のこと)である。これは、第1項の冒頭にある「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という部分と、第2項にある「前項の目的を達するため」という部分である。芦田均氏、そして政府は、当初、これらの文言を追加したことによって第9条の意味が変わるものではないという趣旨の説明を繰り返していたが、1960年代に憲法改正論議が高まった時、芦田氏自身が日本の再軍備を予定したものであるという説明を行った。この修正の意味は、日本国憲法が無条件で戦争を放棄したのではなく、自衛のための戦争以外のものを放棄したことを示すことにある、というのである。

 もう一つが、第1項にある「国際紛争を解決する手段としては」という部分である(第3版までは、これを芦田修正の一つとして紹介していたが、実際には異なるようである)。これについての解釈が難しいため、全体として非常に複雑な問題となっている。

 まず、第9条第1項の解釈について検討を行う。ここで最大の問題となるのが「国際紛争を解決する手段としては」という部分の意味である。

 A説は、侵略戦争のみの放棄を定めたものであると解する。これは1929年の不戦条約の解釈に由来する。同条約の解釈において、自衛戦争が排除されていないことは、国際的な共通理解であった。芦田氏は、外交官であったため、このあたりの事情を熟知していたようで、第2項に「前項の目的を達するため」を追加した理由も、おそらくはここにあるものと思われる。また、マッカーサー三原則において侵略戦争と自衛戦争とが区別されていることも、理由としてあげられている。

 これに対し、B説は、自衛戦争を含めて全ての戦争の放棄を定めたものであると解する。その理由として、およそ戦争は国際紛争を解決する手段であって、この点において侵略戦争と自衛戦争とを区別することはできないこと、実際にも両者を区別することはできないし、実質は侵略戦争でも名目は自衛戦争であるという例が多かったこと、などがあげられる。

 次に、第9条第2項の解釈についてである。ここでは「前項の目的を達するため」の意味が問題となる。

 C説は、「前項の目的」を第1項の「国際紛争を解決する」ことと理解する。

 D説は、第1項の特定の部分を示すのではなく、全体の趣旨を「目的」として捉える。従って、「前項の目的」は戦争を放棄するに至った動機を一般に指す、と理解することとなる。

 E説は、第1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という部分を指すと理解する。ただ、この説を主張する論者は少ないようである(私が参照した文献では、辻村みよ子『憲法』〔第4版〕(2012年、日本評論社)77頁において紹介されているに過ぎない)。

 第1項についてA説を採る場合については、第2項においてC説を採るかD説を採るかで見解が分かれる。文理解釈からすればA説→C説が正当であるとも指摘される〔西修『日本国憲法を考える』(1999年、文春新書)84頁を参照〕。この考え方によると、結局、放棄されているものは侵略戦争だけであり、自衛戦争は認められることとなる。また、交戦権についても、戦時国際法上の権利と解することによって、自衛戦争が認められるという解釈につながる。現在の政府の見解は、A説→C説、あるいはこれに近いものと考えられる。ただ、この解釈によると、戦力を自衛のための戦力と侵略のための戦力を区別することになるが、これが非常に難しいこととなる(実際、自衛を名目にした侵略戦争が度々行われた)。A説→C説によると、自衛のための戦力を持つことは許されるのであるから、自衛隊も、それが自衛のための戦力に留まる限りにおいて合憲である。

 一方、A説→D説も存在する。憲法学界においては、これが通説であろう。第1項においてまず侵略戦争が否定され、第2項において全ての戦争が否定されると理解するのである。結果としては、後に示すB説→D説と変わらない。

 なお、A説→E説という選択肢も考えられうるが、明示的にこの見解を採る者は、管見の限りでは存在しない。そのため、不明確な部分も残るが、A説→C説とほぼ同じ結論になるのではなかろうか。

 第1項においてB説を採る場合には、B説→C説もありえない訳ではなかろうが、B説→D説というのが通常の選択肢であろう。この考え方によると、第1項において全ての戦争が否定されるのであり、第2項はその確認に過ぎない、ということになる。おそらく、「国際紛争を解決する手段」について法学上の解釈に通じていない者であれば、B説→D説が最も素直な解釈であろう。この説であれば、自衛隊は憲法違反の存在となる(A説→D説も同じ。そして、B説→E説も同様であろう)。

 ここで、自衛権とは「急迫した危害を除去するために必要な行為をする国際法上の権利」であり、国際連合憲章第51条によっても確認されている。必要性、(危害の)違法性、均衡性の三つの要件が必要とされる。日本国憲法も自衛権(但し、個別的な自衛権)まで放棄したのではない、と解するのが通説である。もっとも、自衛権が認められるといっても、具体的にどこまで認められるかは問題である(「戦力」の解釈につながる)。

 学界の通説は、「戦力」を、軍隊、および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊を指すものと解する。軍隊と警察との違いは、目的および内容にあるとされる。この解釈からいけば、自衛隊は違憲である(当初の政府解釈も同様)。

 軍隊の目的は外国に対して国土を防衛することにあり、警察の目的は国内の治安の維持と確保にある、とされる。

 また、軍隊は、人員、編成方法、装備、訓練、予算などの諸点から判断して、外国の攻撃に対して国土を防衛するという目的に相応しい内容を持った実力部隊(名称は無関係)である、という解釈が一般的であると思われる。

 これに対し、現在の政府の公定解釈によれば、自衛権は国家固有の権利であり、憲法第9条によって否定されていない。そして、自衛権を行使するための必要最小限の実力は、憲法第9条によって禁止される「戦力」ではない(だから、自衛隊は合憲であるということになる)。

 これは、他国に侵略的な脅威を与えるような攻撃的な武器は保持できない、ということを意味する。しかし、防衛用の兵器と攻撃用の兵器を分けることは容易であろうか。この疑問は、政府見解が、核兵器の保持については、1957年5月7日の岸信介首相発言、および1978年3月11日の真田法制局長官発言により、憲法上は禁止されていないが政策的に禁止されている(と言うよりも、自己制約をかけていると表現したほうが適切である)と述べられていることから、ますます増大する。原子力基本法第2条は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として」と規定するが、政策如何で法律を改正して防衛目的にも拡大することが可能になる、ということであるのか。なお、生物・化学兵器(BC兵器)の保持については、1969年7月15日の真田法制局第一局長発言により、憲法上可能とされているが、核兵器の保持と同様の問題点がある。

 また、政府の解釈によれば、急迫不正の侵害があった時にやむを得ない措置として相手国の基地を攻撃することは自衛の範囲に入る。さらに、自衛隊の海外出動については、かつて、憲法上は可能であるが自衛隊法上は不可能というような解釈を採っていた。しかし、いわゆるPKO協力法により、可能になった(武力行使を伴わないことを条件にする。最近では、さらにPKFの凍結解除も検討されている)。また、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を巡り、深刻な意見の対立がある。

 ここで、ガイドラインについて簡単に述べておく。ガイドライン(guideline)は、指針などを意味する言葉であるが、英米法では要綱や基準を、また、日本の政治などにおいては政策の指針や指導目標を意味するものとして用いられる。現在、問題となっているのは、新聞などの報道によって周知のように、日米防衛協力のための指針(およびこれに関連する法案)であり、これをガイドライン(これに関連する法案が、周辺自体措置法案などである)とも言っている。

 日米防衛協力のための指針は、1978年に策定され、1997年9月23日に改められて策定された。このガイドラインそのものは、法律でも条約でもない。1978年に策定された時には閣議決定とされているが、閣議書が作られていないとのことであるから、法的な性格は不明である(敢えて言うならば、政府、とくに防衛庁による計画書ということになるのか)。ガイドラインは、所々で、文章の主語として「日米両国政府」を使っているが、日米安保条約を運用するための具体的な基準とはなりえても、条約として国際法上の効力を与えるものではない。あるいは、国際法としても不明確な性格を与えられているとも言いうる。

 現在のガイドラインは、目的として「平素から並びに日本に対する武力攻撃及び周辺事態に際してより効果的かつ信頼性のある日米協力を行うための、頑固な基礎を構築すること」をあげ、さらに「平素からの及び緊急事態における日米両国の役割並びに協力及び調整の在り方について、一般的な大枠及び方向性を示す」ものとされている。文言は、「米軍の活動に対する日本の支援」、ガイドラインの「運用面における日米協力」などについては、それなりに具体的である。しかし、肝心なところが曖昧である。例えば、「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態である。周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものである」と定義される。しかし、これだけでは不明確であるし、さらにガイドラインを読み進めても、周辺事態の意味が一向に明確にならない。他に、後方地域支援という用語も、わかりにくいものの例としてあげられよう。

 また、このガイドラインについて、憲法第9条に違反するおそれは勿論、日米安全保障条約との整合性の問題も指摘されている。

 (ガイドラインに関する参考書としては、さしあたり、山内敏弘編『日米新ガイドラインと周辺事態法?いま「平和」の構築への選択を問い直す?』(1999年、法律文化社)をあげておく。なお、この部分は、1999年4月22日1限の講義に関連して、或る学生から受けた「『ガイドライン』とはそもそもどういう意味ですか」という質問への返答を基にしている。)

 この他、自衛隊を合憲とする説にはいくつかのヴァリエーションがある。

 2.自衛隊に関する判例

 ◎恵庭事件(札幌地判昭和42年3月29日下刑集9巻3号359頁)

 北海道恵庭町(現在は恵庭市)にある島松演習場付近に居住する被告人は、爆音などによる乳牛の被害に苦しんでおり、砲撃訓練に抗議したが何の進展もないので演習場の通信回線を切断し、自衛隊法第122条違反に問われた。被告は自衛隊の合憲性を争ったが、裁判所は被告に無罪判決を下して、自衛隊が合憲か違憲かを判断しなかった(憲法判断の回避)。

 ◎長沼ナイキ事件

 北海道長沼町に航空自衛隊のナイキ基地が建設されることになり、農林水産大臣は、森林法に従い、基地建設予定地となっている国有保安林の指定を解除する処分を行った。これに対し、周辺住民が、自衛隊が憲法に違反することなどを理由として、保安林指定解除処分の取消を求めた。

 札幌地判昭和48年9月7日判時712号249頁は自衛隊違憲の判決を下したが、札幌高判昭和51年8月5日行裁例集27巻8号1175頁は、日本流「統治行為論」を用い、一見極めて明白に違憲・違法であるといえない場合には司法審査の範囲外にあるとした。最一小判昭和57年9月9日民集36巻9号1679頁は、自衛隊の問題には触れていない。

 ◎百里基地訴訟最高裁判所判決(最三小判平成元年6月20日民集43巻6号385頁)

 茨城県小川町(現在は小美玉市の一部)に土地を所有するA(本訴原告・反訴被告・被控訴人・被上告人)は、基地反対派の町長B(控訴参加人・上告人)の使用人C(本訴被告・反訴原告・控訴人・上告人)との間で土地の売買契約を締結した。しかし、Aは、売買代金の一部が未払いであり、債務不履行であることを理由として、Cとの契約を解除し、土地を国に売却した。この裁判は、Aおよび国からBおよびCに対する所有権確認などの請求、それに対する反訴請求という形で展開した。

 第一審判決(昭和52年2月17日訟務月報23巻2号255頁)および控訴審判決(東京高判昭和56年7月7日訟務月報27巻10号1862頁)は、Cの請求を棄却した。最高裁判所の判旨は、国が私人と対等の立場で締結する私法上の契約が原則として憲法第9条の直接的な適用を受けず、自衛隊基地建設のための土地売買取引が民法第90条に違反する行為であるという認識が一般的に存在したとは言えない、というものである(憲法の規定の間接的効力という前提)。

 3.日米安全保障条約と憲法第9条との関係

 自衛隊は、日本国の一行政組織であり、さしあたりは国内法の問題である。これに対し、国際法的な問題として、日米安全保障条約の存在がある。同条約の問題として、①憲法違反ではないのか、②日本の施政下にあるアメリカの基地に対して攻撃がなされた場合に、日本が防衛行動をとりうるというが、自衛権行使の三要件が常に満たされうるのか(この場合の決定権は、日本にではなく、アメリカにある)、③国際連合第51条によって認められる自衛権の行使の具体的な意味について、日本とアメリカとの間に見解の相違がある、④「極東」の範囲が明確でない、という点が指摘されている。

 日米安全保障条約に関して正面から判断する判決は、現在のところ一つしかない。

 ◎砂川事件最高裁判所判決(最大判昭和34年12月16日刑集13巻13号3225頁)

 昭和32年7月8日、東京都砂川町(現在は立川市の一部)にあった立川飛行場内の民有地において測量がなされていた。そこに千名を超える集団が気勢を上げて、滑走路付近の境界柵を破壊した。これが日米安全保障条約(改定前)に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反に問われた。第一審判決(東京地判昭和34年3月30日判時180号2頁)は、日米安全保障条約(改定前)が憲法第9条に違反すると判示したが、検察官側から跳躍上告(刑事訴訟規則第256条以下、刑事訴訟法第406条)がなされた。最高裁判所大法廷は、憲法第9条にいう「戦力」が日本の戦力のことであって外国の戦力のことではないとし、日米安全保障条約は高度の政治性を有するから、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法裁判所の審査にはなじまない、と判示した。

 ここで示された判断の方法を「統治行為論」ということがあるが、厳密に言えば誤っている。

 「統治行為論」とは、高度な政治性を有する事柄が訴訟の対象となったとき、憲法判断が可能であっても憲法判断をしない(してはならない)という考え方のことである。従って、裁判所は、その事案が「一見極めて明白に違憲無効であると認められ」る場合であっても憲法判断をしてはならないのである。

 砂川事件最高裁判所判決の採った手法は「統治行為論」と「裁量行為論」とが混ざり合ったものである。「裁量行為論」の場合には、憲法または法律が(一定の)国家機関に裁量の余地を与え、その機関による裁量行使に逸脱または濫用があった場合にのみ、違法または不当である場合にあたるとして違憲(違法)判断が下される(行政事件訴訟法第30条を参照)。結局、砂川事件最高裁判所判決は、何を言いたいのか?

 純粋な「統治行為論」は、苫部地訴訟最高裁判所判決(最大判昭和35年6月8日民集14巻7号1206頁)においてみられるのみである。

 

 付記:平和的生存権について

 憲法前文は、憲法改正に対して法的な限界を与え、憲法改正権を法的に拘束する。しかし、狭義の裁判規範として、すなわち、その規定を直接の根拠として裁判所に救済を求めることのできる法規範として捉えることはできない、と解すべきである。

 平和的生存権は、憲法前文第2項・第9条・第13条を根拠とする具体的人権として主張されているようである。しかし、私は、平和的生存権を具体的人権として理解する見解に疑問を持っている。

 第一に、権利とは、佐藤功教授が述べるように「実定法規範によって個人に一定の個別的・具体的な内容の利益が認められ、それによって個人が相手方(その利益の実現の義務を負う者)にその実現を要求する力を与えたときに成立」し「その実現が妨げられた場合には裁判によりその実現が保障される」ものでなければならない〈佐藤功『憲法』〔新版〕(上)(1983年)28頁〉。平和的生存権を個人が有する場合、具体的に何を請求し、実現しうる権利であるか。憲法学説を見る限り、この点について満足な解答は与えられていない。判例において認めらないのも当然である。

 第二に、平和という語には、多義性が認められる。J.ガルトゥング以来、平和学においては「消極的平和」と「積極的平和」の両概念が認められている。「消極的平和」とは、単純に言えば戦争のない状態を意味するのであるが、戦争や内乱の原因が存在しない状態ではない(貧困、差別などは存在する)。「積極的平和」とは、単に戦争のない状態なのではなく、貧困や差別などの「構造的暴力」のない状態を意味する。平和的生存権が主張される場合、どちらの平和が念頭に置かれているのか。なお、法律学においてもこの両者は知られているが、「積極的平和」を法律学に導入することに成功した例は存在しないようである。

 なお、ここで小嶋和司『憲法概説』(2004年復刻版、信山社)45頁を引用しておきたい。博士は、この「われら」が日本国民を指すとした上で、次のように述べられている。

 「この文章(引用者注:憲法前文第2段)は、日本国民が国際社会に対して、その国家行為のあり方についての覚悟を宣言するものである。したがって、『われら』が『全国民の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』を確認するとは、戦争が他の『全世界の国民』の生活を恐怖と欠乏に陥れることを認識して、それをしないことの宣言で、ここにいう『全世界の国民』(all people of the world)の主役と考えられているのは、他の国の国民ではあっても、『われら』ではない。しかるに、学説には、日本の個々的私人もまた『全世界の国民』の中の一人であり、前文のこの部分は、それに具体的効果をもつ『平和的生存権』を保障すると説くものがある。この宣言が外国の国民に対し具体的請求権まで『確認』するとは考えがたいが、日本国民にそれ以上の請求権を保障するとなす解釈は、文理や法理を無視している。」

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