8月15日から17日まで、24年ぶりに金沢市を訪れました。雨模様が続いた3日間でしたが、そのためなのか酷暑ではなく、またいくつかの仕事を抱えていたこともあり、気分も改まりました。
愛用のカメラを2台持っていき(Canon EOS Kiss X5とSony Cyber-shot DSC-WX100)、たくさんの写真を撮ってきました。どこから取り上げようかと迷いましたが、今回は北陸鉄道石川線の起点、野町駅の様子を紹介します。
観光などのために金沢市を訪れたことのある方でも、野町駅を知らないという方は少なくないでしょう。それもそのはず、書店などで販売されている観光ガイドにはあまり取り上げられていないからです。
この駅は、金沢市の中心部である香林坊や片町から南へ進み、犀川を渡って野町広小路交差点をさらに進んで脇に入った所にあります。西茶屋街も野町にありますが、そこからも少し離れています。金沢駅、武蔵ヶ辻、香林坊からバスで向かうのがよいでしょう。
朝から雨が強かったこともあって、駅舎の写真を撮影していません。駅前のバスターミナル(?)の写真で御容赦ください。「喫茶未完成」が写っていますが、撮影した時には気づきませんでした。入ってみたくなる名前なのですが……。
隣県の県庁所在地である福井市や富山市には、中心街を通る鉄道・軌道があります。これに対し、金沢市の場合、金沢駅が中心部からやや外れた所にありますし(武蔵ヶ辻から近いのですが)、香林坊や片町には鉄道が通っていません。北陸鉄道には浅野川線という路線もありますが、そちらは金沢駅に隣接する北鉄金沢駅から北の方へ走りますから、中心街を通らない訳です。それでも、金沢駅は県の代表駅ですし、金沢フォーラスなどの商業施設もあり、北陸新幹線開業を控えて西口も発展しつつあります。しかも、北鉄金沢駅は県内唯一の地下駅なのです。これなら、中心部まで地下鉄として延長することも考えられなくはないでしょう(あとは建設費用と需要の問題です)。
これに対して、野町駅は住宅街の中にあり、表通りからも離れているので、地元の方でなければわかりにくいでしょう。二つ先の新西金沢駅でJR北陸本線と接続しますが、西金沢駅には普通電車しか止まりませんから、あまり利便性は高くないでしょう。起点の不便さという点では、熊本電気鉄道の藤崎宮前駅を思い起こさせます。
バスが到着していました。野町駅は石川線と路線バスの接続点で、バスの運行本数も少なくないようです。
北陸鉄道や金沢市の歴史などを調べると、この駅の位置にもそれなりの理由があるようです。中心街に乗り入れようとすると、土地の買収、会社の資金というような問題があります。手持ちの資料に乏しいため、詳しいことはわかりませんが、資金調達にかなりの困難があったようです。
石川線の起点は、現在でこそこの野町駅ですが、1970年までは北隣に白菊町という駅があり、そこが起点でした。おそらく、西茶屋街のそばにあったのでしょう。ただ、白菊町駅は、1967年2月に廃止された金沢市内線(軌道)と接続しておらず、利便性も高くなかったようです。そこで、1970年に白菊町駅の旅客営業が廃止されました(貨物営業は1972年まで続いたようです)。
金沢市内線という単語が登場しました。かつては、福井市や富山市と同様に、中心街へ向かう鉄道・軌道が存在していた訳です。これが廃止されたことで、野町駅は孤立したようなターミナルとなったのでした(この点も熊本電気鉄道の藤崎宮前駅と似ています)。ちなみに、1944年までは松金線の起点駅でもありました。
暗い写真になってしまいましたが、駅の待合室です。時刻表と出発案内があり、その下に改札口がありますが、列車別改札ですので、列車が入ってこないとホームに入ることができません。
現在は野町から鶴来までの路線となっている石川線ですが、2009年10月末日まではさらに先、有名な白山比咩神社の最寄り駅である加賀一の宮まで伸びていました。また、1980年9月までは鶴来から新寺井までの能美線が営業しており、野町から新寺井までの直通運転も行われていました。1987年4月までは加賀一の宮から白山下までの金名線があり、やはり野町から白山下まで直通運転が行われていました(但し、金名線は1984年12月中旬から営業を休止しています)。
野町行きの電車が到着しました。折り返しの鶴来行きとなります。土曜日の9時台ですが、予想よりお客は多く、通勤・通学線として機能しているようです。ただ、20代から50代までの男性の客はあまりいません。各地のローカル線に共通している点でしょう。
私にとっては見慣れた、懐かしい電車でした。東急の初代7000系です。日比谷線乗り入れ用として東横線に登場した、日本最初のオールステンレスカーです。一時期は東横線の急行と言えばこの7000系でした。また、田園都市線の溝の口~長津田が開業した時の祝賀列車にも使われています。長らく東横線、田園都市線、大井町線で運用されており、晩年に目蒲線でも運用されたので、結局、新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川)と池上線を除く全鉄道線で運行されました。現在は、一部がVVVF化されて池上線と東急多摩川線で7700系として運行されている他、弘南鉄道、福島交通、秩父鉄道、北陸鉄道、水間鉄道、東急車輌に譲渡されました。また、伊豆急行線で走ったこともあります(小田急線でも試験走行をしました)。秩父鉄道に譲渡された分は早々に廃車されましたが、他の会社では現在も活躍しています。
発車時刻が近づいています。電車に乗り込み、運転台を撮影してみました。元は東急の初代7000系ですが、下回りなどはかなり改造されており、モーター音などは7000系というより旧国鉄の101系か103系のように感じられました。初代7000系と言えば、他にパイオニアⅢ型台車が大きな特徴ですが、これも北陸鉄道では使われていません。運転台でも、目立つところでは左側のマスコン(マスターコントローラー)が取り替えられています。東急時代はデッドマン装置付きのマスコンでしたが、北陸鉄道に移る際に元東急3450形のマスコンが取り付けられました。
鶴来行きの電車の車内には、あまり客が乗っていません。とくに後の車両の場合、途中の駅では扉が開かないため、終点まで乗っていた客は、外国人の親子連れ3人、妻、そして私の5人でした。