ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

国際人権規約A規約第13条(高等教育の無償化)の留保をやめることに

2012年09月16日 11時43分57秒 | 法律学

 朝日新聞2012年9月14日付朝刊7面14版に「高等教育無償化留保撤回を通知  国際人権規約で政府」という記事が掲載されていました。これは小さな記事ですが、内容は非常に重要です。この「ひろば」で取り上げておくべきであると考えました。

 上の記事によると、日本国政府が国際人権規約A規約で定められている高等教育の無償化に関する留保を撤回することを国際連合に通知し、受理された、ということです。具体的にいつ通知されたのかが書かれていませんが、11日の閣議で決定されたとのことで、外務省が奨学金の対象の拡大や大学の授業料減免措置の拡大などという状況を見て判断したようです。

 高等教育とは、高等学校の教育ではなく、大学や高等専門学校における教育を言います。一般に国際人権規約A規約と言われる「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」の第13条は、次のように定めています。

 「1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。

 2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。

 (a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。

 (b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。

 (c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

 (d) 基礎教育は、初等教育を受けなかつた者又はその全課程を修了しなかつた者のため、できる限り奨励され又は強化されること。

 (e) すべての段階にわたる学校制度の発展を積極的に追求し、適当な奨学金制度を設立し及び教育職員の物質的条件を不断に改善すること。

 3 この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者が、公の機関によつて設置される学校以外の学校であつて国によつて定められ又は承認される最低限度の教育上の基準に適合するものを児童のために選択する自由並びに自己の信念に従つて児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。

 4 この条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。ただし、常に、1に定める原則が遵守されること及び当該教育機関において行われる教育が国によつて定められる最低限度の基準に適合することを条件とする。」

  第14条もここで紹介しておきましょう。次の通りです。

 「この規約の締約国となる時にその本土地域又はその管轄の下にある他の地域において無償の初等義務教育を確保するに至つていない各締約国は、すべての者に対する無償の義務教育の原則をその計画中に定める合理的な期間内に漸進的に実施するための詳細な行動計画を二年以内に作成しかつ採用することを約束する。」

 国際人権規約A規約は、1966年に国際連合総会で採択されました。日本が批准したのは1979年ですが、その際、上に引用した第13条の第2項(b)および(c)については留保し、規定の拘束を受けないこととしましたが、これに対しては日本でも批判がありました。参議院のサイトには、第165回国会に出された「国際人権A(社会権)規約第十三条二項(b)及び(c)の留保撤回に関する請願」が掲載されています。国際連合の反応なども簡単に紹介されていますので、勝手ながら全文を引用させていただきます。

 「1966年、国連総会は国際人権規約を採択した。日本は1979年に、A規約(社会権規約)、B規約(自由権規約)とも批准したが、A規約第13条2項(b)及び(c)については、日本政府は『拘束されない権利を留保する』ことを宣言している。A規約第13条2項(b)及び(c)は、中等教育及び高等教育における無償教育の漸進的導入を定めたものである。留保に対して、国連の社会権規約委員会は、繰り返し撤回を求め、2001年8月には、日本政府にこれまで以上に厳しい内容を伴った留保撤回の検討を強く求める勧告を行っている。また、同委員会は、日本政府の第三回報告を2006年6月30日までに行うことを求め、勧告を実施するために採った手段についての詳細な情報を含めることを要請するとしている。国際人権規約の批准の際には、衆参の外務委員会で、『留保については諸般の動向を見て検討すること』が、全会派によって附帯決議されている。さらに、1984年7月には、日本育英会法の審議に際し、衆参の文教委員会で『諸般の動向を見て留保の解除を検討すること』が、全会派によって附帯決議されている。日本政府は、無償教育の漸進的導入の理念とは逆行する有償教育の急進的高騰を事実上推進してきた。今日、経済格差が広がる下で、学びたくても学べない若者が増えており、高い教育費の負担は少子化の一因ともなっている。

 ついては、次の事項について実現を図られたい。

  一、国際人権A規約(社会権規約)第13条2項(b)及び(c)の留保を撤回し、無償教育の漸進的導入に着手すること。

 (以上、http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/165/yousi/yo1650951.htm によります。なお、数字の一部を漢数字から算用数字に改めました。)

 以上の内容からして、A規約第13条第2項(b)および(c)の留保の撤回は、日本の文教政策を大きく変えることを意味します。これが閣議のみで決定されたことがよいことなのか、国会で議論されなくてもよいことなのか、などという疑問は湧きます。そればかりでなく、留保の撤回をしてこれらの条項の拘束力を認めるということは、法律上も予算上も「漸進的」とは言え、無償化に向けて確実な措置を取らなければならないということを意味します。つまり、国会、内閣、裁判所のいずれの国家機関も、高等教育の無償化に向けた措置を取らなければならないということです。

 少し考えていただければおわかりのことと思いますが、これは今までの日本の常識を覆すような大きな意味を持ちます。無償化の範囲が問われるかもしれませんが、少なくとも入学金や授業料というところを指すということに異論はないでしょう。少しばかりの奨学金の拡充というところでお茶を濁すという程度では済まされないはずです。先進国あるいはOECD加盟国では最低の教育予算を拡大せざるをえませんし、組織面での制度を多少なりとも変えなければなりません。しかも、その一部は復古的な変更とならざるをえないでしょう。より明確に記すならば、独立採算制を基本とするような制度を改める必要が出てきます。

 現在、日本には純粋な国立大学も公立大学もなく、独立採算制を大幅に導入した(と考えるべきである)独立行政法人制度が採用されています。このため、国立大学あるいは公立大学と言われる諸大学は、国の機関でもなければ地方公共団体の機関でもなく、一応は国とも地方公共団体とも異なる独立の人格を持っています。一方、予算ないし財政という点からすると、独立行政法人に対しては一定の基準によって交付金がわたされます。これだけでも、何とも中途半端な組織となっているのです。

 無償教育の漸進的導入を本格的に進めるならば、一度は国や地方公共団体から切り離して独立の法人とした国立大学や公立大学を、再び国や地方公共団体の機関に戻す必要があるのではないでしょうか。つまり、独立行政法人という制度を廃止することが求められると考えられるのです。そもそもが中途半端な制度ですし、果たして独立行政法人化して具体的に何が改善されたのか、多くの国民にはわかりにくいでしょう。徹底的な再検討など全くなされていないはずですので、まずはそれが求められます。

 しかも、独立行政法人化の経緯からして、無償教育の漸進的導入とは逆の方向を歩んできたはずです(私が大分大学に勤務していた頃、独立行政法人化は最終的に私立大学化を目指すことなのである、とまで論じられたこともありました)。独立行政法人と無償教育が矛盾するとは言えないというのであれば、確固とした方策を示す必要があります。日本政府が、国内法の整備などを徹底して考えた上で、留保撤回の決断を下したのかが問われるのです。

 勿論、私立大学の在り方にも無償教育の漸進的導入は少なからぬ影響を与えます。詳しく調べた訳ではないのですが、日本は、人口の割には大学が多いほうかもしれません。とくに私立大学の多さには驚かされる方々も多いでしょう。統廃合が進められざるをえなくなります。先日の司法試験合格発表を受けて法科大学院の統廃合が議論されていますが、それに留まりません。各都道府県に、国立大学、公立大学、私立大学を問わず、いくつも大学がある、という状況は、条約の遵守を妨げるものであるのかもしれません。

 朝日新聞では小さな記事でしたが、そこからいくらでも話は膨らみます。教育制度そのものが大きく変わっていく可能性を秘めているからです。


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