第5弾として荏原中延駅を取り上げたのは2015年9月5日のことでした。11か月以上も経過して、ようやく第6弾です。
今回は、東京で最長の商店街、戸越銀座です。日本で一番長い商店街は大阪市の天神橋筋商店街であるということになっていますが、戸越銀座は何番目になるのでしょうか。我が川崎市の元住吉の商店街もかなり長く、西口と東口を足したら戸越銀座より長いのではないかと思うのですが、よくわかりません。何しろ、戸越銀座とはいいますが、実は単一の商店街ではなく、商栄会、中央街、銀六会の総称です。一方、元住吉の商店街も、西から井田中ノ町商栄会、モトスミ・ブレーメン通り商店街(以上西口)、モトスミ・オズ通り商店街(東口)となっています。
それはともあれ、戸越銀座です。ここは、中原街道から東へ、天下の国道1号線を跨がるように伸びています。西端の荏原二丁目交差点から少し南のほうへ歩けば平塚橋交差点で、そこから武蔵小山の商店街が伸びています。
関東地方に限られた話でもないと思うのですが、商店街で「▲▲銀座」と名乗る所は少なくありません。その元祖がここ戸越です。元々は「とごえ」と呼ばれ、江戸越えを意味するという戸越の商店街が戸越銀座と名乗る理由ですが、私が見たところいくつかの説があります。
まず、戸越銀座商店街ホームページの説明では、大正時代、関東大震災で被害を受けた京橋区の銀座(現在は中央区の銀座)から、戸越の人たちが白レンガを譲り受けたことが由来であると書かれています。当時、街灯といえばガス灯で、そのガス灯のためのガス発生炉用に耐火レンガとして使われていたのが白レンガでした。
もう一つ、宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影』(2008年、JTBキャンブックス)112頁では、やはり関東大震災で被害を受けた銀座通りの舗装を張り替えるためにレンガ敷きを撤去し、戸越の人々がこのレンガを譲り受けて下水工事に使用したことによると書かれています。
いずれにせよ、東京の銀座に関係するということです。
戸越銀座商店街のうち、商栄会と中央街の境目にあるのが、東急池上線の戸越銀座駅です。駅番号はIK03となっています。所在地は品川区平塚2丁目16番1号で、駅名と地名が合っていませんが、よくある話ではあります。目の前が戸越銀座商店街なので、これでよいという訳です。東急の駅で、正真正銘、戸越に所在するのは、大井町線の戸越公園駅です(このブログでも取り上げています。「その1」と「その2」を御覧ください)。
上の写真は、2番線ホーム(上り線)のほうの改札口で、商栄会の東端の前ということになります。中原街道、さらに武蔵小山駅まで歩くには、この商栄会の通りを歩いて行くこととなります。
この駅は、東急池上線や大井町線などの多くの駅と同じく、1番線ホーム(下り線)と2番線ホームのそれぞれに改札口があり、駅構内には跨線橋などがないので、例えば1番線に入ってしまうと2番線に行くことができません。乗り間違いに注意しなければなりませんが、2番線側の改札口では130円区間の切符しか買えず、運賃表にも大崎広小路および五反田しか掲載されていないので、わかりやすいと言えるでしょう。
こちらは1番線側の改札口で、中央街の西端の前ということになります。自動券売機の上の路線図・運賃表では、大崎広小路と五反田の部分が空欄となっています。荏原中延、旗の台、蒲田方面の乗り場であるためです。
戸越銀座駅は、隣の荏原中延駅と同じく、1927(昭和2)年8月28日に開業しました。この日、池上電気鉄道は雪ヶ谷から桐ヶ谷までを開業させました。従って、戸越銀座駅は終点の一つ手前であった訳です。ちなみに、同年の10月9日に桐ヶ谷から大崎広小路までが開業し、桐ヶ谷駅は1945(昭和20)年7月25日に休止し、1953(昭和28)年8月11日に廃止されています。
駅の構内に踏切があるという駅は、日本全国に結構多く残っているものですが、東急では池上駅だけとなりました。かつて、池上線の駅には構内踏切があった所も多かったようで、戸越銀座駅もその一つでした。おそらく、上の写真の手前に構内踏切があったものと思われます。宮田道一氏の前掲本112頁によれば、1955(昭和30)年頃に廃止されたとのことです。
駅を降りればすぐに商店街が伸びています。 こちらは、駅から中原街道のほうに伸びる商栄会です。
駅から東へ、国道1号線まで伸びるのが中央街で、今、そこを歩いています。今回は時間の都合もあって午前中に来たのですが、次は夕方に歩いてみたいものです。
私が生まれ育った川崎市でも、商店街には魚屋があったものですが、最近は見かけなくなりました。しかし、戸越銀座にはあります。このお店以外にも何軒かあるのでしょうか。
この商店街を歩いたのは何十年ぶりで、しかも二度目であるため、よく知らないのですが、脇道を見ると住宅地になっています。戸越銀座は一直線の商店街であるようです。
中央街の東端である国道1号線の戸越銀座交差点に近づいてきました。 奥は銀六会です。時間帯によっては人の往来が激しい商店街なのだろうと想像を巡らせています。
国道1号線の戸越銀座交差点です。中央街から銀六会に向かって、つまり西から東へ歩いてきたので、左に曲がれば五反田、三田、日本橋方面、右に曲がれば中延、馬込、横浜方面ということになります。また、高輪台駅(昔の二本榎)から西馬込駅まで、都営浅草線が通っています。
世代によっては、国道1号線というよりも第二京浜というほうが通りがよく、第一京浜=国道1号線と思っている人も少なくないようです。実際に、戦前の1号国道から第一京浜という通称が生まれたのでした。第二京浜が整備されて国道1号線となったのは第二次世界大戦後、1950年代のことです。
今回は時間の関係でゆっくり歩いていませんが、銀六会の部分です。この道を真っ直ぐ進めば大井町のほうに行けるとのことですが、地図を見る限り、西品川1丁目の交差点でJR東日本の東京総合車両センターに突きあたります。また、銀六会の東端が何処なのかがはっきりしませんが、豊町1丁目であることは戸越銀座商店街ホームページの案内図からも読み取ることができます。
そう言えば、この商店街には猫が描かれた幟が多いことに気づきました。マスコットキャラクターで「戸越銀次郎」という名が与えられています。
戸越銀座交差点から、今度は中央街を撮影します。中央街は平塚1丁目、商栄会は平塚2丁目にあり、銀六会は戸越の1丁目から3丁目、豊町1丁目にあるということになります。また、銀六会の途中を右に曲がると宮前坂で、さらに進めば宮前商店街に着きますが、ここまで行くと大井町線の戸越公園駅のほうが近くなります。
国道1号線にある都営浅草線の戸越駅です。所在地は戸越3丁目4番17号となっていますが、これは駅の事務所か何かの所在地です。実際には戸越3丁目と平塚1丁目に跨がっています。
都営浅草線は押上から西馬込までの路線ですが、途中の泉岳寺で京浜急行に接続しており、相互乗り入れを行っているため、泉岳寺から西馬込までの区間運転も行われています。2番線で電車を待っていると、平日の日中には3本に1本の割合で京成線への直通電車(快速佐倉行き)、残りの2本は泉岳寺止まりです。朝夕ラッシュ時などには成田空港行きや印旛日本医大行き、さらにはわずか1本ながら芝山千代田行きも来ます。京浜急行との直通運転区間から外れるので、乗客は少ないように見えます。
この駅は、1968年11月に、泉岳寺から西馬込までの区間が開通したのと同時に営業を開始しました。すぐ近くに池上線の戸越銀座駅があり、大井町線には戸越公園駅があるのに、後発のこの駅が戸越を名乗ることができたのには、理由があります。「東急大井町線途中下車(13) 下神明駅 その2」で記したように、現在の下神明駅が初代の戸越駅だったのです。つまり、そのものズバリの「戸越」が空いていたから名付けられた訳です。
東急大井町線の大井町から大岡山までの区間は、1927(昭和2)年7月6日に開業します。初代の戸越駅も同じ日に開業しました。現在の下神明という駅名になったのは1936(昭和11)年1月1日のことです。戸越銀座駅が開業したのは1927年8月28日でしたから、この時点では戸越という名前を与えることができなかったでしょう。もっとも、現在の池上線は池上電気鉄道により建設されたのであり、同社は東急の母体となった目黒蒲田電鉄とは敵対関係にありましたから、戸越と名付けようと思えばできたはずです。現に、両者は洗足池を巡って洗足池駅(池上線)、「池月」→「洗足公園」→北千束駅(大井町線)と対抗していました。また、現在の旗の台駅は戦後になって開業しており、それ以前は池上線に旗ヶ岡駅、大井町線に東洗足駅があって、両駅は近かったものの全く接続していなかったのでした。目を他所に転じて阪神本線と阪急神戸線を見ると、場所が離れていて接続・連絡もしていないのに両方に御影駅、春日野道駅があります。他にも、同じ駅名なのに全く別の駅という例は日本に多く存在します。池上電気鉄道に対する目黒蒲田電鉄の牽制があったのではないかと推察されますが、いかがでしょうか。
戸越と名乗ることができないのであれば、所在地をそのまま駅名にしてもよさそうなものです。しかし、現在の戸越銀座駅がある場所は平塚です。神奈川県には、天下の東海道本線の平塚駅があります。全く同じでは混乱を招きますし、国も認めようとしないでしょう。武蔵小山のように、頭に「武蔵」を付けるという手もありますが(現に、西武池袋線には武蔵藤沢という駅があります)、結局、戸越銀座に落ち着きます。地元からの要請があったのでしょうか。
(ちなみに、現在の戸越公園駅は、1927年7月6日の開業から1935(昭和10)年12月31日まで蛇窪と名乗っていました。)
私にとっては寄り道しにくい場所にある戸越銀座ですが、また、何かの機会を見つけ、次は夕方の商店街を歩いてみようと思っています。
第1弾:洗足池(大田区) 「待合室」の第180回(2006年8月18日から25日まで)および第181回(2006年8月25日から9月1日まで)
第2弾:池上(大田区) 「待合室」の第209回(2007年3月30日から4月9日まで)
第3弾:大崎広小路(品川区) 「待合室」の第380回(2010年9月16日から23日まで)、第383回(2010年10月8日から15日まで)および第384回(2010年10月15日から21日まで)。
第4弾:旗の台(品川区) 「待合室」の第436回(2011年8月20日から27日まで)、第437回(2011年8月21日から27日まで)および第438回(2011年8月27日から9月8日まで)
第5弾:荏原中延駅(品川区) このブログ(2015年9月5日8時0分に掲載)
まだ取り上げていない駅:五反田(品川区)、長原、石川台、雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、蓮沼、蒲田(以上、大田区)
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