最初にお断りです。今回は、「待合室」に第380回「東急池上線途中下車(3) 大崎広小路駅(その1)」(2010年9月16日〜23日掲載)、第383回「東急池上線途中下車(3) 大崎広小路駅(その2)」(2010年10月8日〜15日掲載)および第384回「東急池上線途中下車(3) 大崎広小路駅(その3)」(2010年10月15日〜21日掲載)の再掲載です。写真撮影日は2010年7月15日です。内容を修正しておりませんので御注意ください
(その1)
2007年3月30日、第209回として東急池上線の池上駅を取り上げました。池上線を取り上げるのは、それ以来、およそ3年半ぶりにして3回目のこととなります。これだけ間が空いたのは、池上線を利用する機会が少ないからです。東横線や田園都市線を利用される方にとっても、池上線は利用しにくい線と言えるでしょう。
また、世田谷線のような話題性に溢れる路線とも言えません。その名もズバリ「池上線」という歌もありますが、その程度でしょうか。あとは、1993年、池上線に1000系が入線した時、実に60余年ぶりの新車と騒がれたくらいで、支線中の支線というような扱い方をされてきました。東急最初の新性能車である青ガエルこと旧5000系は、東横線を皮切りに大井町線、田園都市線、目蒲線を走りました(いずれも、元をたどれば東急の母体である目黒蒲田電鉄系の路線です)が、車両限界の関係もあって池上線を走ることなく引退しました。また、日本最初のステンレスカーである5200系以来、東急の鉄道線には多くのステンレスカーが入線しましたが、池上線にはなかなか入線せず、 ようやく1984年になってから7200系が走り始めました(鉄道線では最後となります)。8000系以降の20メートル車は入線できず、旧6000系および旧7000系も入線できなかったために7200系となったようです。ちなみに、池上線と同様に最後まで旧型電車(旧3000系)が走った目蒲線には、1972年に7200系が投入されています。
そんな池上線ですが、嵌まると抜けられなくなるほどの独特の味わいがあります。 戸越銀座、旗の台、長原、洗足池、雪が谷大塚といった所を記しておけばよいでしょうか。
これまで、大田区内にある洗足池駅と池上駅を取り上げましたので、引き続いてどこを取り上げようかと考えてきました。荏原中延、旗の台、長原も 候補にあがったのですが、手元によい写真がありません。そこで、大崎広小路といたしました。五反田の手前ですが、池上電気鉄道の一時期、起終点でもあった駅ですし、意外に思われるかもしれませんが私にとっては利用頻度の高い駅でもあります。
仕事の関係で、JR大崎駅の近くにある日本税務研究センターの図書室を利用することがあります。山手線を使うのが常道でしょうが、池上線や大井町線の沿線に居住する人であれば、山手線に乗り換えるより池上線の大崎広小路駅から歩くほうが速いでしょう。 私も、時折、大崎広小路駅から大崎駅付近まで歩くことがあります。
池上線の起点は五反田で、その五反田を出るとゆっくり走ってもすぐに大崎広小路に着きます。わずか300メートルしか離れていないのです。 ちなみに、大崎広小路と戸越銀座の間は1.1キロメートルです。この駅間距離の違いに、池上線の歴史がよく現われています。池上電気鉄道は、終点の蒲田から池上までを最初に開業させ、山手線のほうに路線を伸ばしていったのです。しかも、当初は五反田ではなく、目黒を目指していたという話があります(ついでに記すと、当初の終点としては大森が予定されていました)。大崎広小路と戸越銀座の間にあった桐ヶ谷駅から大崎広小路までが開業したのは1928(昭和3)年、五反田まで開業したのも同年のことですが、さらに白金方面に延長することも考えられていました。このために、五反田駅では山手線とほぼ直角に、しかも山手線を乗り越えるような構造になっているのです。
それにしても、五反田駅との間が非常に近いにもかかわらず、大崎広小路駅が廃止されずに残ったのは不思議なことでもあります。隣にあった桐ヶ谷駅は1950年代に廃止されています。
大崎広小路駅の高架下に通る道路は山手通りです。渋谷駅から大井町駅までの東急バス渋41系統が通っています。手前のほうへ歩いていくと立正大学、JR大崎駅に行くことができます。逆に奥のほうへ歩いていくとすぐに中原街道との交差点に着き、さらに真直ぐ進むと、かつての敵対路線でもあった目蒲線、現在は目黒線の不動前駅の近くを通り、東横線の中目黒駅に行くことができます。
車両の近代化などが遅かった池上線ですが、東急の鉄道線で最初にワンマン運転を開始したのは池上線で、1996(平成8)年のことです。
このように記すと、1989(平成元)年にこどもの国線でワンマン運転が開始されたという御指摘を受けることでしょう。実は、こどもの国線は純粋な東急の鉄道線と言えません。元々はこどもの国協会が東急に運行を委託していた路線で、鉄道事業法の施行後にこどもの国協会が第三種鉄道事業者(施設などを保有する事業者)、東急が第二種鉄道事業者(施設などを自ら保有せず、他者が所有する施設を利用して運送を行う事業者)となりました。現在は横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者です。
駅前にある大崎広小路バス停から、五反田側を撮影しました。高架橋の工事をしています。この区間は最初から高架線でした。
下り電車が大崎広小路駅に到着します。最新の7000系です。日本最初のオールステンレスカーである旧7000系と区別するため、2代目7000系、新7000系とも言われています。池上線および東急多摩川線向けの18メートル車で、全て3両編成です。基本的な設計は新5000系と同じなのですが、かつての標準色であった緑の濃淡を使用しており、前面スタイルもかなり異なっています。
(その2)
品川区にある、東急池上線の大崎広小路駅は山手通りを横切る高架線の上にある駅です。所在地は大崎4丁目で、駅の西側は西五反田8丁目です。まずはそちらのほうへ歩いてみます。
大崎広小路交差点は、山手通りと都道317号線が交差する場所です。ここを左折すると国道1号線の中原口交差点に出ます。つまり、中原街道へ向かうことができます。池上線は、五反田から雪が谷大塚まで、中原街道に沿うように走っており、洗足池駅と雪が谷大塚駅で中原街道に最接近します。雪が谷大塚駅を出ると、池上線は左に曲がって池上、蒲田へ向かいますが、中原街道は田園調布の南側を通って丸子橋を渡り、すぐに綱島街道を分岐して武蔵中原駅付近を経由して港北ニュータウンへ向かいます。丸子橋付近から東急東横線が綱島街道と沿うように走っています。
大崎広小路駅 と言えば、以前から簡易保険ホールが有名でした。長らく郵政関係の省庁、公社が設置し、運営しており、東京簡易保険会館という名称でしたが、現在は民営化され、ゆうぽうとが正式の名称となっています。なお、日本郵政株式会社は現在も土地と建物を保有しているとのことです。
都道317号線のほうに出ると、大崎広小路駅交差点から山手線の五反田駅が見えます。ビルに囲まれているので見えませんが、右側のほうに池上線の五反田駅があります。山手線と池上線の連絡口が写っています。五反田には都営浅草線も通っていますが、駅は国道1号線のほうにあります。ちなみに、五反田駅は東五反田にあります。
山手通りで、大崎広小路交差点から西へ進むと西五反田一丁目交差点があります。国道1号線は西五反田一丁目交差点のほうを通ります。都営浅草線は、高輪台駅から五反田駅を経由して西馬込駅まで、国道1号線の下を通ります。なお、地域と世代によっては、国道1号線と言っても話が通じません。第二京浜という俗称のほうがよいかもしれません。
私が用事で行かなければならないのはJR大崎駅のほうです。そこで西五反田ではなく、大崎駅のほうへ向かいます。山手通りは、大崎広小路駅から立正大学(右側に大崎キャンパスの看板が見えます)の前を通り、大崎駅で山手線の上を通り、もう一度山手線と交差して(下を通ります)、京浜急行の新馬場駅付近に向かいます。北品川二丁目交差点で国道15号線と交差するのですが、この国道15号線こそかつての国道1号線であり、現在も第一京浜と言われています。
(その3)
東急池上線の大崎広小路駅から大崎駅(JR東日本、東京臨海高速鉄道)へ向かっています。 案内によって所要時間が異なるかもしれませんが、歩く速度に個人差があるのは当然のことです。それに、初めてか慣れているかという違いもあります。私の場合は5、6分というところでしょうか。
大崎広小路駅から歩いて数分の所に、仏教系(日蓮宗系)の大学の一つである立正大学があります。短期間ながら内閣総理大臣を務めた石橋湛山がこの大学の学長を務めていたことがあります。
立正大学は、埼玉県熊谷市にもキャンパスがありますが、こちらの大崎キャンパスのほうに本部があります。学部によってキャンパスが異なるようです。
首都圏の大学には、東京都の23区地域に本拠を置きつつも郊外に広大なキャンパスを展開する大学が少なくありませんが、近年、都心回帰とも言うべき現象が見られます。一度、郊外のキャンパスに移った学部が再び都心部のキャンパスに移ることがあります。また、大東文化大学を典型としてあげられるように、1年次、2年次を郊外のキャンパスで、3年次以上を都心のキャンパスで過ごすというパターンは多かったのですが、1年次から卒業時まで同一のキャンパスで過ごせるようにする大学も見られるようになってきています。国学院大学がその典型で、人間開発学部は横浜たまプラーザキャンパス、その他の学部は全て渋谷キャンパスとなったようです。立正大学も、私の記憶に誤りがなければ都心回帰というような意味合いのある言葉による宣伝がなされていたように記憶しております。入学から卒業まで同じキャンパスで過ごせるように配分などを行ったのでしょう。私自身は、1年次から卒業時まで同一のキャンパスで過ごせるような大学のほうが、学生にとって好ましいと思うのですが、いかがでしょうか。
このページを作成している時に気がついたのですが、立正大学のすぐそばに銭湯があります。写真の手前右側です。都内にあるだけに、昔ながらの建物ではなく、ビルの中にあります。都内のみならず、全国的に銭湯は少なくなっていますが、探すと意外に見つかるものです。あるいは、都心のほうが、郊外よりも銭湯が残っているのかもしれません(よく調べてみないとわかりませんが)。
立正大学大崎キャンパスを過ぎてすぐに、峰原通りとの交差点に出ます。この日まで知らなかったのですが、今歩いている所はかつて峰原という地名で、この通りにある坂を峰原坂といったようです。品川区のサイトにも峰原通りが紹介されています。かなり短い通りです。
都内には●●通りが多いのですが、わかりにくいという印象をもたれる方が多いでしょう。私もその一人です。川崎市に生まれ育った私ですが、何かと言えば世田谷区、大田区、目黒区、渋谷区、品川区、港区、千代田区、中央区、新宿区(山手線の南半分という言い方も可能でしょうか)へ行ったりしたので、主な場所への行き方はわかりますし、カーナビがなくともここにあげた区であれば大筋でわかりますが、やはり●●通りはわかりにくいのです。
このことを改めて感じたのは、高校生時代に初めて京都市へ行った時でしたが、さらに実感したのは大阪市へ行った時でした。日本で一番道路がわかりやすいのは大阪市と札幌市ではないかと感じたくらいです。
大阪市の場合は、御堂筋、堺筋、谷町筋のように南北に伸びる道路を「筋」と呼び、長堀通、土佐堀通などのように東西に伸びる道路を「通」と呼びます(神戸市中央区の三宮周辺などでも同じような例が見られます)。京都市と異なり、筋、通の名称が必ずしも町名などに結びつきませんが、結びつけばよいというものでもないし、たとえばフランクフルト・アム・マインやミュンヘンなどのようにどの道路でも●●通り(Strasse)であるよりも合理的でわかりやすいのです。以前、どこの新聞であったか忘れましたが、日本でもヨーロッパのように●●通り××番地という表示にすべきであるという馬鹿な意見が読者のページに掲載されていましたが、よくこんな戯言を新聞が載せたものです。
札幌市の場合は、少なくとも札幌駅周辺やすすきのなどの辺りでは北■条西▲丁目などと呼ばれます。これが住居表示とされている点で大阪市と異なります。交差点にある信号には「北■西▲」という表示板がありますから、今、自分がどこを歩いているのか、走っているのかが明瞭です。京都市や奈良市でも◆条という表現があり、理解を助けてくれますが、札幌市の中心部ほど徹底していません。
東京都の23区域は、地形的な条件もあるとはいえ、区画整理も充分に行き届いておりませんし、●●通りと言われてもわかりにくいという難点があります。私は道路の名称よりも町名や駅名を頼りにして東京の地形を覚えています。
峰原通りをさらに歩いてみたいという衝動に駆られたのですが、時間の関係であきらめざるをえません。しかし、いつかは歩いてみたいという気がします。なだらかな坂で、京都市にも大阪市にも札幌市にもない、東京らしい良さがこの坂道にあるような気がするのです。
山手通りから脇に入ると、このように狭い道があります。川崎市にも横浜市にもこのような場所が多くあります(多過ぎるのかもしれません)。私が小学生の頃は、友人からの影響を受けたのかどうかわからないのですが、広い道より狭い道のほうが面白いと感じていました。路地裏歩きを売りにするような番組もあるくらいで、街の面白さはこういうところにあるのかもしれません。ニュータウンのような人工的、あるいは工学的に造られた場所のつまらなさは、このような狭い道がないことによるのでしょう。
JR大崎駅が見えてきました。山手通りは、JR山手線を乗り越えます。そのための橋を渡るのです。
山手線と言えば環状運転ですが、実は品川から大崎、渋谷、新宿、池袋を経由して田端までの区間が山手線でして、東京~品川は東海道本線、東京~田端は東北本線の一部です。それはともあれ、山手線の駅で大崎 くらい大変貌を遂げた駅 はないでしょう。そして、この大崎駅の周辺よりも人工的な臭いが強すぎる所も、山手線沿線にはないでしょう。世間の評価がどうなのか知りませんが、大崎駅周辺には今でも馴染めません(実は、山手線もそれほど好きではないのです)。
大崎駅が見えます。いつの間にか生まれ変わった駅と街です。おそらく湘南新宿ライン(実はこれも私が好きでない路線です)が出発していきます。五反田と目黒には停まらず、大崎と恵比寿に停まるという、意味がよくわからないような路線です。
前にも記しましたが、東急池上線を使う機会はそれほど多くありません。しかし、この独特の味わいのある路線は、やはり途中下車の旅あるいは散歩に向いています。次はどこの駅に行こうか、と考えています。
なお、或る意味でどうでもよいことですが、今回からMicrsoft Expression Web 4を使用しています(それまではFrontPage 2003を使用しておりました)。