ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

西鉄2000形の写真

2012年01月07日 23時22分10秒 | 写真

 2004年から、私は毎年、福岡市早良区にある西南学院大学で、法学部の集中講義「税法」を担当しております。2012年も担当する予定です。一週間以上の滞在となりますので、同僚などからは「大変だね」とか「よく続けられるよね」などと感心されたり呆れられたりするのですが(しかも、2007年、2009年、2011年は福岡大学での集中講義も担当しましたので)、7年間の大分大学時代に何度も福岡へ遊びに行ったからでしょう。そして、私が、集中講義そのもの、福岡という都市、そして九州を回ることを楽しみにしているからです。2011年は熊本市と大分市に行きました(妻の実家が大分市にあります)。今、「今年はどこへ行こうか」などと楽しみにしています。

 福岡滞在中は、宿泊場所の関係で、西南学院大学での集中講義の場合は福岡市営地下鉄空港線、福岡大学での集中講義の場合は福岡市営地下鉄七隈線を利用します。しかし、そればかりでなく、必ず西鉄天神大牟田線を利用します。太宰府天満宮に行くため、大橋に行くため、などの理由によります。

 西鉄は日本最大のバス会社でもあるのですが、九州唯一、三大都市圏以外で唯一の大手私鉄でもあります。その西鉄で長らくイメージキャラクター的な存在であったのが、2010年10月17日を最後に引退した2000形です。そこで、今回は、この往年の特急用車両、西鉄最大の名車とも言える2000形を取り上げます。なお、以下の内容は、私のホームページに設けている「待合室」に、2010年9月19日、別室22として掲載し、2010年9月25日に修正し、2010年10月17日に別室17へ移行し、2010年11月28日に掲載を終了したもので、ここに掲載するにあたって修正を施したものです。

 ※※※※※※※※※※

 西日本鉄道、略して西鉄の天神大牟田線から、往年の特急用車両にして西鉄初、いや九州初のローレル賞受賞車両、2000形が引退しました。西鉄は2010年9月13日に発表しており、同年10月17日に最終運行となりました。

 川崎市に住んでいる私は、年に1回は福岡へ行って仕事をする生活を2004年以来続けておりますが、さすがに10月17日に福岡へ行くのは難しかったので、せめて、これまで撮影してきた写真で、ということにしておきます。

 2000形が特急用としてデビューしたのは1973年、その翌年にはローレル賞を受賞しました。当初は2扉車でしたが、途中、8000形のデビューに伴って急行用に格下げされ、3扉車となりました(正面のカラーリングも変更されています)。急行用とは言っても、時には特急として走ることもありましたし、普通として運用されることもありました。6両固定編成で6編成が活躍しましたが、2001年、最初に第4編成(大牟田側から2041-2042-2043-2044-2045-2046)が廃車となりました。その後、2008年に第1編成(2011-2012-2013-2014-2015-2016)が廃車、2009年には第5編成(2051-2052-2053-2054-2055-2056)および第6編成(2061-2062-2063-2064-2065-2066)が廃車となっています。そして、2010年3月のダイヤ改正では定期の運用から外されました。西鉄のサイトでは第2編成(2021-2022-2023-2024-2025-2026)および第3編成(2031-2032-2033-2034-2035-2036)が在籍していると読めるような内容が書かれておりましたが、実際には第2編成のみが運用されていました。同年9月の集中講義の時期にも、この第2編成を何度か見ました。

 私が初めて西鉄天神大牟田線を利用したのは大分大学在職中のことですが、それ以前から、まさにこの2000形の故に、西鉄には関心を持っていました。西鉄と聞くとこの2000形というイマージュがあったのです。そして、福岡へ行く度に天神大牟田線に乗り、2000形にも乗りました。

 最初は、あまり写りがよくないので撮影者の腕がよくわかるという写真です。2004年2月12日、西鉄福岡(天神)駅で撮影した第2編成です。私があともう少しで大分大学を離れようとしていた時期で、この日は太宰府市役所と太宰府天満宮へ取材に行くところでした。

 続いて、2005年9月10日、西鉄二日市駅で撮影したものです。この日は昼に天神で大分大学時代のゼミ生たちと会う約束をしていたのですが、その前に薬院駅から普通電車に乗って西鉄二日市で降り、2000形などを撮影したのでした。上の写真は第6編成のク2061で、6番線に停車しています。特急用であった時代には、正面の窓の下に西鉄の社紋が付けられており、その下のカラーリングも現在とは違っていました。

 この頃は第4編成を除く5編成が活躍していました。3番線・4番線に停車しているのが、最後まで生き残った第2編成のク2026で普通電車の筑紫行、5番線に停車しているのが5000形の急行花畑行です。

 2000形と5000形が並んでいるのを見ると、やはり西鉄の車両の色彩および外観は独特であると感じます。

 5000形は2000形より後、1975年にデビューしており、アイスグリーン(水色)にボンレッドの帯という、他には見られない塗装を施されています。これは、その後、6000形、6050形、7000形、7050形まで引き継がれ、天神大牟田線・太宰府線・甘木線の色となっています。また、5000形の前面は左右非対称で、運転席のある左側だけがパノラミックウインドとなっています。これも他には見られない姿ですが、西鉄では6000形および6050形にも引き継がれました(しかし、7000形および7050形は左右対称に戻りました)。

 一方、2000形の塗装はオキサイドイエローに赤帯と、これも他の私鉄にない色彩です。天神大牟田線では2000形だけがこの塗装であり、目立ちました。一方、貝塚線(かつての宮地岳線)の車両は全てこの塗装となっています。

 そして、2000形の最大の特徴は運転台でしょう。日本の場合、通常は左側に運転台が置かれますが、2000形は中央に置かれています。軌道線であればこのような配置は見られますが、鉄道線、少なくとも新性能車で言うならばあまり例がありません。私は西鉄2000形以外に思い出せません。

 続いて2006年9月9日、西鉄二日市駅で撮影したものです。まずは第2編成のク2021、急行の西鉄福岡(天神)行です。この頃は、まだ600形が残っていたはずです。しかし、700形は撮影日の少し前に廃車となっていました。

第3編成のク2031、やはり急行の西鉄福岡(天神)行です。西鉄二日市駅で普通電車が特急や急行を退避することが多いのですが、この時は普通電車が7番線に停車していません。

 続きまして、2007年9月4日、西鉄福岡(天神)駅から発車しようとする第6編成の急行花畑行です。この日、朝から日田へ行きました。いったん西鉄福岡へ戻り、夕方に雑餉隈へ行きました。特急、急行のどちらも雑餉隈に停車せず、特急は薬院を出ると西鉄二日市まで停まりませんので、西鉄福岡(天神)から普通電車に乗るか、急行に乗って大橋で普通電車に乗り換えるか、ということになります。

 結局、普通電車の津福行(5000形)に乗りました。大橋で急行の待ち合わせをします。その時に来た急行が2000形の第2編成でした。この急行は小郡行ですので、筑紫から小郡までは各駅に停車します。しかも、私が乗っている普通電車のほうが遠くへ行くのです(津福は西鉄久留米の3つ先、花畑の2つ先です)。この急行が西鉄二日市で普通電車に接続するかどうかわかりませんが、不思議な運用だと思いました。

 次は2008年9月7日、西鉄福岡(天神)駅で撮影した第6編成のク2066です。隣には、西鉄のICカード、nimocaを宣伝する8000形の特急が止まっています。この時は甘木へ行こうと思っており、宮の陣で甘木線に乗り換えるために、この急行を利用しました(特急は宮の陣に止まりませんので、西鉄久留米で乗り換えることになりますが、運賃が高くなります)。

 この編成の大牟田側先頭車、ク2061の車内にある、ローレル賞受賞のエンブレムです。左側には停車駅等表示機があります。西鉄は、2007年にも3000形(2005年にデビュー)でローレル賞を受賞しています。

 西鉄2000形は、時に太宰府線でも運用されました。平日朝のラッシュ時、特急や急行が7両編成(快速急行があった時は8両編成も)で運用されるために5000形などの通勤用車両で運行されるのです。本来の特急用である8000形が急行や普通で運用されることもあります。そして、8000形や2000形は太宰府線で運用されることもあります(昼間は5000形や7000形などの通勤用車両です)。

 2009年8月3日の朝、西鉄二日市の1番線に第2編成が到着しました。西鉄二日市で折り返し、太宰府行となります。

方向幕が動きました。太宰府行に乗って終点の太宰府で降り、太宰府天満宮へ向かいます。これも私が毎年行っていることです。この編成が最後まで残るということなど、当時の私は予想もしておりません。

 2000形は特急用として登場し、8000形のデビューとともに3扉に改造されて急行用となったのですが、両端部がロングシートである他は転換クロスシートまたは固定クロスシートのままです。2000形の前の特急車である1000形は、格下げされて3扉化された時に全てロングシートとなったのですが、2000形はそうならなかったのでした。主に急行用として運用され、時には普通電車として、時には特急としても走りました(8000形などの代走として、ということのようです)。

 そして、2010年9月5日、西鉄小郡駅です。この時は、私が愛用しているSONY Cyber Shot DSC-L1ではないデジタルカメラを持っており、そのカメラの性能がいまひとつであるのか、それとも私が使いこなせていないのかわからないのですが、ピントが甘いような写真しか撮影することができず、残念です。花畑発西鉄福岡(天神)行の急行として、2000形で最後まで残った第2編成が到着します。

 私は、既に記したように、2004年から毎年、福岡で仕事をします。西南学院大学法学部の集中講義です。そのために、平均で10日間、福岡に滞在します。2007年と2009年には福岡大学法学部でも集中講義を担当しましたので、福岡の滞在日が増えました。いつも西鉄福岡(天神)駅の近くに宿泊しており、ホテルから西鉄天神大牟田線の電車を見ることもあります。そして、滞在の間に必ず天神大牟田線に乗ります。2010年も利用しました。西鉄福岡(天神)から大牟田まで特急に乗り、大牟田の街を見てからゆっくり帰ろうと思い、新栄町から西鉄久留米までは特急に乗ったのですが、西鉄久留米からは普通電車に乗りました。そして、西鉄小郡で急行に乗り換えます。そこにやってきたのが2000形の第2編成でした。

 大手私鉄で活躍してきた電車には、他の私鉄に譲渡されるものが少なくありません。東急であれば旧5000系、旧7000系、7200系が有名ですが、最近では、2008年に引退した8000系はもとより、今でも田園都市線で大活躍する8500系の一部が長野電鉄や秩父鉄道に譲渡されています。また、東横線、池上線および東急多摩川線で活躍する1000系の一部が上田電鉄や伊賀鉄道に譲渡されていますし、8090系の一部も秩父鉄道に譲渡されています。他にも、東武、西武、小田急、京浜急行、京王、近鉄、名鉄、南海などの車両が地方の私鉄に譲渡されて活躍しています。

 しかし、西鉄は、こうした傾向に対する大きな例外の一つです。軌道線用車両の場合は他社に譲渡されたものもありますが、鉄道線用車両、つまり、天神大牟田線、太宰府線、甘木線および貝塚線を走った車両は、どれも他の鉄道会社に譲渡されたことがないようです。少なくとも新性能車両についてみれば、1000形、1300形、600形、700形、2000形のいずれも、廃車後に他社に譲渡されていません。

 ともあれ、2010年10月17日を最後に、西鉄2000形は天神大牟田線を引退しました。写真か模型でない限り、もう目にすることはできません。私も、2扉車時代については写真でしか知りません。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大阪都構想が実現すると、公... | トップ | 再び東急8500系8637F(青帯車) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

写真」カテゴリの最新記事