久しぶりに音楽の話題でも。
2015年12月5日、青葉台のフィリアホールで、吉野直子さんとオーヴェルニュ室内オーケストラ(指揮はロベルト・フォレス・ヴェセスさん)のコンサートが行われました。
「12月の青葉台と言えば吉野さん」というイメージが、私の中にはあります。2011年、2013年、2014年、そして今年(2015年)と4回見ています。どの回も印象的な曲・演奏がありましたが、今回はマーラーの交響曲第5番第4楽章を聴けるというので、楽しみにしていました。カラヤンの没後に発売されてヒットした「アダージョ」の最初の収録曲でもあり、映画「ベニスに死す」で有名になった曲でもあります。
フィリアホールにはこれまで何度も行っていますが、最前列のほぼ真ん中という席は初めてです。そのためか、吉野さんのハープは勿論、弦楽五部のアンサンブルを間近に楽しむことができました。とくに、今回はチェロとコントラバスによる低音域が豊かに響きました。
演奏されたのは、順に、次の通りです。
〔前半〕
ヘンデル:パッサカリア(T.ベオン編曲。ハープのみ)
ヘンデル:ハープ協奏曲変ロ長調
メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲第6番変ホ長調(ハープは入らず)
〔後半〕
サティ:3つのグノシエンヌ(ハープのみ)
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
マーラー:交響曲第5番第4楽章(アダージェット)
トゥリーナ:主題と変奏
〔アンコール〕
ルニエ:黙想(ハープのみ)
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲のうち、第2楽章とも言える世俗的な舞曲
今回、どの曲も良かったのですが、やはりアダージェットを筆頭にあげておきたいところです。マーラーの交響曲といえば大人数というイメージがあるのですが、少ない人数の弦楽五部(全部で20人台)でも十分に豊かな響きを醸し出すことができるのです。意外に覚えにくい旋律なのですが、聴けばすぐにマーラーとわかります。この曲こそ、ジルヴェスター・コンサートのカウントダウンの曲として使って欲しいと思いました。重く、暗すぎるかもしれませんが、弱音と強音の絶妙なコントラストは、やはり魅力的です。後の第9番(とくに第4楽章)や、未完の第10番を想起させます。そう言えば、マーラーの交響曲では第9番の第1楽章でもハープが重要な役割を果たします。
次が、アダージェットの前に演奏された「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」です。元々、プレイエル社の半音階ハープのために作曲されたのですが、このタイプの楽器が結局普及しなかったため、現在はペダル・ハープで演奏されます。よく、ラヴェルが「音の魔術師」と言われますが、それは「水の戯れ」や組曲「鏡」などのピアノ独奏曲にこそ相応しいのであり、管弦楽曲ならばドビュッシーこそ「音の魔術師」ではないかと思っています。交響詩の「海」や「牧神の午後への前奏曲」が代表的ですが、「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」も劣らないでしょう。とくに、後半部分の多彩さは筆舌に尽くしがたいものです。このように書いているのは、今年、私はフィリアホールで行われた三浦友里枝さんの2度のコンサートに行き、ピアノ曲全曲を聴いていること、これまで、管弦楽編曲版の「亡き王女のためのパバーヌ」、組曲「鏡」(とくに、この中でもっとも平凡な「道化師の朝の歌」)、「高雅で感傷的なワルツ」、ラヴェルが編曲したムソルグスキーの「展覧会の絵」などを聴いたことがあるからです。
もう1曲あげると「弦楽のための交響曲第6番変ホ長調」です。今日のプログラムに書かれた解説によると「初期の彼がいかにバロックや古典の様式を出発点としていたかを示している」ということで、なるほどフーガのような部分が何度か出ており、面白い仕上がりとなっています。その意味で、後の「イタリア」や「宗教改革」というような交響曲よりも印象深いものとなっているような気がします。驚くのは、12歳で「弦楽のための交響曲」を書き始めていることです。第6番もその一つでした。
今回のコンサートが録音も録画もなされていないとしたら、実に惜しい。こう思うのは私だけでしょうか。
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