ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

姫島村長選挙の結果

2020年11月04日 07時00分00秒 | 国際・政治

 2020年10月29日に「姫島村の話題」という記事をあげたところ、思わぬ反響がありました。そこで、村長選挙の結果について記していきます。朝日新聞社のサイトに、11月2日9時30分付で「10選村長『後継者見つける』それでも『無投票がよい』」(https://www.asahi.com/articles/ASNC26W55NC2TPJB005.html)という記事が掲載されていましたので、これを参考にしましょう。

 記事の見出しを見た瞬間に結果がわかります。それとともに「この村では新たな村長候補など簡単に見つからない」と思いました。

 以前にも記したように、市町村にはそれぞれの事情があります。部外者が簡単にあれこれを書いたところで的外れになることが多いことは理解しています。それでも、いくつかの意味において、私は新たな村長、しかも「後継者」としての候補は簡単に見つからないと考えています。

 そもそも、私は、国民主権・民主主義の下で「後継者」は存在しないし、すべきでもない、という意見を持っています。このブログでも、少なくとも二度書いています。「公職者の『後継指名』 選挙制度を無視していないか?」、「国民主権・民主主義に『後継指名』や『意中の人』はありえない」を御覧ください。「進歩していない」とお思いの方もおられるでしょうが、私は大分大学教育福祉科学部助教授時代に朝日新聞大分版に向けて何度か同じ趣旨のコメントをしています。お探しになろうとする方もおられるかもしれませんので、2002年8月6日付朝日新聞朝刊26面13版「県政継承は時代錯誤」、2002年9月15日付朝日新聞朝刊32面(大分)10版「2003 統一選へ・知事の『条件』/下」より「望まれる知事像は/有権者3人に聞く」、2003年3月26日付朝日新聞朝刊34面10版(第2大分)「知事選語録スペシャル  平松知事、『意中の人』発言で物議」をあげておきましょう。なお、私は大分大学教育学部・教育福祉科学部に在籍していた7年間に憲法の講義を担当していたことを記しておきます。

 勿論、或る候補者が自ら「私は●●さんの後継者です」と発言するのは自由ですし、政党や後援会などが「▲▲さんを■■さんの後継者として支援しよう」と考えるのも自由です(むしろ当然でしょうか)。しかし、それは候補者の意識の問題に過ぎません。有権者はそれぞれの考え方を持っているでしょう。もし、候補者の意識が選挙にそのまま現れるのであれば、自由選挙・秘密選挙の原則に反しており、民主主義も何もありません。あるのは独裁政治か専制政治です。

 だから、私は公職者が「後継者」や「意中の人」を公言することが許されない行為であるという趣旨を述べているのです。

 まして、「無投票がよい」という趣旨の発言は、実質的には真っ向から選挙制度を否定していますし、国民主権・民主主義に反します。目先では無投票がよいかもしれませんが、中長期的には政治も経済も社会も停滞します。小規模の市町村でも選挙制度が機能しているところはいくらでもあるでしょうから、むしろそうした市町村から良い点を学び、取り入れるべきです。

 2015年の神奈川県議会議員選挙で我が川崎市高津区選挙区は無投票でした。地方公共団体の議会の議員になろうとする人がいないという話があった中でのことです。また、2017年、高知県大川村では村議会議員の新人候補が出そうにないということで村議会から町村総会(地方自治法第94条)へ移行しようという話も出ました。以上は議員についてですが、同様のことは首長にも妥当しうることです。無投票が続くということは、早晩候補者がいなくなる確率が高くなるということでもあります。

 姫島村が「後継者」にこだわっている限り、「後継者」は現れないでしょう。現状を打破しようとする者を受け入れなければ、停滞から抜け出すことはできないでしょう。


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