ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2009年3月17日、武蔵新田駅(その1)

2020年05月10日 00時51分30秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、「待合室」の第311回として2009年4月26日から5月3日まで掲載した「東急多摩川線途中下車(4) 武蔵新田駅(その1)」の再掲載です。なお、一部を修正いたしました。

 

 東急多摩川線の駅を起点から終点への順に並べると、多摩川、沼部、鵜の木、下丸子、武蔵新田、矢口渡、蒲田となります。これまで、多摩川、沼部、鵜の木と進めてきましたので、本来であれば次は下丸子ということになるでしょうが、今回は下の写真の駅です。

 下丸子を飛ばして武蔵新田(むさしにった)です。写真は、下り(蒲田方面)側の駅舎です。東急多摩川線の場合、途中駅の全ては上りホームと下りホームのそれぞれに改札口があるという構造になっています。駅構内には跨線橋などがありませんから、改札口を間違えると上り(多摩川方面)と下り(蒲田方面)とを間違えます。やはり目蒲線の一部であった目黒線には、現在、武蔵新田などと同じような構造の駅は奥沢しかありません。目黒線と東急多摩川線とに分離される前であっても、目蒲線の目黒~多摩川(分離前は多摩川園)と多摩川~蒲田とでは沿線の雰囲気がまるで違っていました。

 

 下りホームの改札口の前は、非常に距離の短い商店街になっています。手前側が踏切です。奥のほうに人が多く集まっていましたが、何のためであったのかはよくわかりません。

 踏切から少し歩くと、環状8号線に出ます。そこから商店街の入口を撮影してみました。人通りがないように見えますが、かなり距離が短いこと、メインの商店街は踏み切りの向こう側であるということです。「発展門」と名づけられている入口ですが、商店のほとんどは小規模です。商店街はそれでよいのであって、小規模の商店が並んで成り立っていかないような状態のほうが、街の全体にとって問題なのです。

 環状8号線の武蔵新田駅前交差点です。奥のほうへ進めば、池上線の雪が谷大塚駅に近い田園調布警察署、尾山台、東名東京インターチェンジに行けます。

 平日の夕方ですが、それほど交通量は多くありません。環状8号線というと渋滞が激しい道路というイメージがあるかもしれませんが、それは東名東京インターチェンジから瀬田交差点を抜けて上野毛駅周辺までの間、首都高速高井戸インターチェンジ付近、環八五日市交差点などの辺りのことです。田園調布警察署付近の交差点(立体交差になっています)から蒲田までは、それほど激しい渋滞にはなりません。そう言えば、この区間は今から十数年前まで不完全な道路であったという記憶があります。道幅が所々で狭くなっていましたし、尾山台方面から田園調布警察署付近の交差点に向かって走ると、道路標識で蒲田方向の矢印が細くなっていました。

 蒲田方面を撮影してみました。奥のほうに進むと第二京浜と言われる国道1号線との交差点があります。その交差点を左折しますと、程なく池上線との立体交差です。千鳥町駅は、ここからそれほど遠くありません。地図を見ていただければよいのですが、蒲田から多摩川線と池上線は付かず離れずというように比較的近い所を走ります(同じことは目黒線と池上線についても言えます)。とくに、池上線の千鳥町~池上と多摩川線の武蔵新田~矢口渡は、どちらにも国道1号線との立体交差があり、風景がよく似ているだけでなく、1キロメートルも離れていないのではないかと思われるほど近いのです。

 元々、目蒲線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道が経営しており、両社は対立関係にありました。目蒲線のほうは目黒~沼部が開業した後に蒲田へ延長しましたが、池上線のほうは当初から混乱しており、当初は大森から池上に向かうはずであったのが、何故か(地形の関係かもしれません)蒲田から池上に向かうこととなりました。実際、最初に開業したのは蒲田~池上です。そして、池上線は目黒へ向かうはずであったのが五反田へ向かうこととなりました。これで目蒲線と池上線が平行するような形となり、所々で両線の間の距離が近いということにもなりました。また、池上線に洗足池駅があり、現在の目黒線に洗足駅、大井町線(やはり目黒蒲田電鉄の路線でした)に北千束駅があるのも、目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道が対立していたことによるものです。

 交差点の向こう側に肉屋さんがあります。その隣の民家と合わせて、懐かしさを喚起させるような木造建築がありました。外壁に塗炭を使っているのではないかと思えます。撮影しようとシャッターを押したら、自動車が通り抜けて行きました。

 この辺りの道もわかりにくいのですが、おそらく、交差点を渡って奥のほうに進めば、千鳥町や久が原に行くことができるものと思われます。しかし、土地勘がなければ道に迷うかもしれません。歩く際には地図を持って行くか、事前によく調べたほうがよいでしょう。また、自動車などを使う際には、道幅が狭いので注意を要します。幹線道路は広く、そうでない道路は 非常に狭いということで、或る意味でメリハリがあるのがこの辺りです。


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