ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2007年5月30日、鵜の木駅

2020年05月07日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は、「待合室」の第215回として2007年6月4日から10日まで掲載した「東急多摩川線途中下車(1) 鵜の木駅」の再掲載です。若干の修正を施しましたが、基本的な内容は初掲載時のままであることをお断りしておきます。

 

 東急多摩川線は、現在の東急の母体である目黒蒲田電鉄が開業させた目蒲線の一部です。東京メトロ南北線および都営三田線との直通運転を機に、2000年8月6日に目蒲線が分割され、目黒〜田園調布が目黒線、東横線と重複していた田園調布〜多摩川は東横線の複々線の一部、そして多摩川〜蒲田が東急多摩川線となりました。

 多摩川線という路線名は西武鉄道にもあり(武蔵境~是政)、間違いを防止するためなのか、東急多摩川線というのが正式な名称です。東急線路線案内にも東急多摩川線と書かれています。そして、車両は池上線と共通運用です。

 何故かわからないのですが、目黒線に乗っていると、時折、多摩川線の途中駅まで行きたくなります。雨の日に、多摩川で東急多摩川線の3両編成に乗り換え、次が沼部、そして次が鵜の木です。ここで降りました。

  蒲田側に改札口があります。こちらは下り線(下丸子、蒲田方面)の改札口です。

 こちらは上り線(沼部、多摩川方面)の改札口です。東急の地上駅ではよくあることですが、鵜の木駅の場合、上り線と下り線とではホームも改札も別でして、構内に連絡地下道も跨線橋も踏切もありません。そのため、乗り間違えないように確認することが必要です。もっとも、切符売り場でわかるようになっています。先日、愛車ゴルフの法定点検のために尾山台へ行きましたが、その尾山台駅も鵜の木駅と同じような構造になっています。

 鵜の木駅下り線の改札口を出てすぐに左に曲がります。夕方でしたので、自動車は通行止めとなっています。多摩川線の場合、終点の蒲田を除くと、このような駅前通りばかりですが、これも風情があってよいものです。

  駅前通りを、今度は南側に見ています。まっすぐ歩けば多摩川の河川敷に出られるはずです。商店街はかなり短いのですが、「ちょっといい雰囲気の店」があるのです。それにしても、私が鵜の木駅を降りる日は、雨の日ばかりです。雨だから行きたくなるのかもしれませんが。

 東急多摩川線に沿っている道路です。手前のほうへ行くと沼部、丸子橋方面で、さらに進めば二子玉川方面に出られます。沼部で少々わかりにくくなり、細くなります。奥のほうに進めば下丸子、蒲田方面に行けます。

 以前から、この道路には路線バスが通っていません。沼部と鵜の木にはバス停がないのです。そして、このあたりには、何となく昔風の、あるいは、昭和後半の雰囲気の食堂などが何軒かあります。

 先ほどの道路を少し歩きました。この交差点を右に曲がると鵜の木駅です。少し前に聞いたのですが、この鵜の木駅周辺から蒲田方面まで、町工場が多かったそうです。日本の技術力と言えば、大工場ではなく、町工場にあります。鵜の木にも町工場が多かったそうです。

 ここは大田区、鵜の木、下丸子、蒲田、糀谷などは、町工場が多かったそうです。部品一つを持って行けば、たとえ絶版のようなものであっても見事に複製を作ることができた、という工場が並んでいたのです。また、これは父から聞いた話ですが、今の麻布十番あたりも町工場などが多かったそうです。

 目蒲線時代は、JRのような20メートル車が入線できず、17メートル車や18メートル車しか入れなかったのですが、目黒線は東急3000系と5080系、都営6300系、東京メトロ9000系、埼玉高速鉄道2000系という20メートル車が走っています。一方、多摩川線は、現在も18メートル車しか入れません。目蒲線時代は奥沢検車区に属していた旧3000系、旧5000系、5200系、7200系、7600系(7200系の改造車)、7000系、7700系が走っていました(18メートル車で入線しなかったのは旧6000系だけでしょう。ただ、回送としてであれば入線したかもしれません)。分割以来、多摩川線は池上線の雪が谷検車区の車両、1000系、7600系、7700系を使っています。

 上の写真は7700系です。7000系をVVVF制御の冷房車に改造したもので、一部は十和田観光電鉄に譲渡され、一部は廃車解体されましたが、現在も池上線と多摩川線で活躍しています。7700系には、いわゆる歌舞伎色(前面の真ん中が黒くなっている)もあります。

 最近では日本全国でステンレス車が走っていますが、日本最初のステンレス車は東急5200系、そして日本最初のオールステンレス車は東急7000系です。どちらも名車に値しますが、とくに7000系の名声は長く語り継がれるべきでしょう。7000系は現在でも弘南電鉄、福島交通、北陸鉄道、水間鉄道で活躍していますが、かつては東横線の急行、日比谷線直通(つまり、六本木、銀座、秋葉原、上野を走っていた!)として活躍しました。田園都市線、大井町線など、池上線と新玉川線以外の鉄道線全線で活躍しました。私は、某掲示板で「東急7000系ファン」と名乗っていたほどでして、モーター音、空気ブレーキ音などが好きでした。

 こちらは1000系です。元々、7000系に代わる日比谷線直通運転用として製作されたもので、東横線・日比谷線では8両編成で活躍しています。デビュー当初は、日比谷線でこの電車が来るまで何本も乗らずに待つ乗客が多かった、という伝説を残しています。後に、池上線に3両編成が登場しました。当時、池上線に64年ぶりに新車が入ったということで話題になりました。

 鵜の木駅は、多摩川線で最もホームが短いというところです。目蒲線時代の最後の頃、4両編成だったのですが、鵜の木駅では目黒側の1両のドアが開かなかったのです。

 多摩川線には、地味ながら味のある駅が並んでいます。折を見て、順次紹介していきます。


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