連絡船のある風景

2009年09月23日 | 
かつて青森の街は
北海道への通過点であり
本州の玄関だった。

青函連絡船。

鉄道連絡船として
日本の物流の大動脈であった航路である。

その頃の青森駅は
今の何倍もの活気があった。

狭い湾内に
次々と発着する連絡船。
乗り降りする乗船客と、入れ替えの貨物列車の黒い列。
悲喜こもごもの会話や足音、機関車や船の汽笛で
青森駅は24時間絶え間なく賑わっていた。

上野発の夜行列車が何本も到着した長いホームも
今は無用の長物と化したかのように
山側に2~3両のローカル列車がこじんまりと止まっている。

今でも1時間おきには
弘前や八戸、函館を結ぶ特急列車や
日に3往復の寝台列車が発着するけれども
そこから船へ乗り換えて
さらに北へ向かう人はほとんどいない。

私の手許には
かつての青函連絡船の乗船前に
名前を記入する【旅客名簿】の白紙が残っている。
もうそれを入れる改札箱も無い。

青森駅からは
函館行きの緑色の特急列車が
満員の客を乗せてせわしく発車していった。

あの頃、たっぷりと存在していた旅情は
事務的に簡素化されてしまっていた。
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