安田講堂

2016年10月22日 | 東京のお散歩
正式名を「東京大学大講堂」という、東大のシンボルでもある建物です。

正式名称に「安田」の名が入っていないのは、安田善次郎が匿名を条件に
講堂を寄付したことが理由ですが、安田善次郎が完成を待たずして没すると
その匿名寄付の事実が知れ渡り、安田を偲んで誰ともなく
この大講堂を安田講堂と呼ぶようになったようです。

基本設計は内田祥三で、伊東忠太や佐野利器を協議員として
大正十四年(1025)に竣工しました。

この建物が有名になった事件に、東大紛争の俗に言う安田講堂事件があります。
昭和四十三年(1968)7月2日に、反日本共産党系新左翼の学生らが
安田講堂に立てこもりバリケード封鎖を行いました。

その3日後に、理学部学生の山本義隆を議長として全共闘が結成され
東大紛争は混乱を増していきます。
11月には加藤一郎が総長代行として民青やノンポリ学生との交渉でスト収束に成功しますが
明けて昭和四十四年(1949)1月18日、秦野警視総監以下、
下稲葉耕吉警備部長を警備本部長、佐々淳行警備一課長を幕僚長として
安田講堂封鎖解除のための攻防戦が行われ、放水によって学生側を制圧しました。

(安田善次郎以外の人物の肩書きは全て当時のものです)

コメント
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