中野区沼袋の真言宗東寺派の新浮侘落山世尊院明治寺は
明治四十五年に明治天皇の病気平癒を祈願して
草野榮照法尼によって観音菩薩石像が建立されたのが
開基とされる寺院です。
明治天皇は、この観音像の開眼を待たずして崩御されたため
大正元年に開眼供養が行われ、追って本堂は大正六年に落慶、
昭和十一年に、明治寺の寺号が許されました。
境内には、ここを一大霊場とすべく、政財界から庶民まで
広く石仏の勧進が行われ、現在では180体程が奉安されています。
毎年、7月末には石仏に灯明を供える献灯会がおこなわれ
これは、さだまさしの楽曲「献灯会」の舞台にもなっています。
明治四十五年に明治天皇の病気平癒を祈願して
草野榮照法尼によって観音菩薩石像が建立されたのが
開基とされる寺院です。
明治天皇は、この観音像の開眼を待たずして崩御されたため
大正元年に開眼供養が行われ、追って本堂は大正六年に落慶、
昭和十一年に、明治寺の寺号が許されました。
境内には、ここを一大霊場とすべく、政財界から庶民まで
広く石仏の勧進が行われ、現在では180体程が奉安されています。
毎年、7月末には石仏に灯明を供える献灯会がおこなわれ
これは、さだまさしの楽曲「献灯会」の舞台にもなっています。