甘いハートのスプリッツァー

2011年02月13日 | 徒然
行きつけのイタリア料理屋の
オリジナルワインカクテルです。

白ワインを炭酸で割って
ハート型に凍らせた赤ワインのアイスを浮かべた
素敵な一品。

香りも味も、甘くてライトでまろやかでお酒っぽくなく
普段ワインを飲み慣れない人でも飲めそうです。

ちなみに、いつもはフルボディしか飲まない私も
これは美味しいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽田空港

2011年02月12日 | 
羽田空港のターミナル巡りをしてきましたお。

国際線ターミナルは、オープンして3箇月以上経ちますが
いまだに混んでいて、この施設自体が人気観光という状態が
まだまだ続いている様子。

国内線第2ターミナルも、南側が拡張したため
店の数が増えて、飛行機に乗る(若しくは撮る)以外の目的でも
十分楽しめるようになりました。

「新」羽田空港の従来の第1ターミナルも展望デッキの改修工事がはじまり、
羽田に来る楽しみが、これからもどんどん増えていきます。


出来れば早いうちに台北(松山)行か香港行でどこか行きたい…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建国2671年

2011年02月11日 | 
建国記念日なので
神社巡りをしてきました。
伊邪那岐大神、カムヤマトイワレヒコのすめらみことから明治天皇まで
この国を護り賜いし神々に罪穢れを祓い清め給えと申すことを聞こしめせと
お参りしてきましたお。


雪の降る神社は、いつも以上にその神域を清浄にしてくれるような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カメラ

2011年02月10日 | 徒然
パシフィコ横浜で開催中のCP+に行ってきました。
カメラと写真のイベントです。

一応、ビジネスユーザーでの入場です。


これは!ってモノは無かったですね…
気になったのは、ナショナルジオグラフィックのカメラバッグと、フィルムカメラ。
110サイズとか二眼レフ、大判カメラも
これから先、生き残っていって欲しいですね。

銀塩には銀塩の良さがありますから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガーデニング

2011年02月09日 | 徒然
職場のデスクの慰みに
パピルスの栽培を始めてみました。

まぁ、仕事がらみといえば仕事がらみなんですが
昔から色々と栽培してきたので
結構発芽が楽しみです。

発芽したら写真うpしますお!

夢は、伸びたパピルスの茎で
紙状のパピルスを作ること。

うまくいったら、ここでも紹介いたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の予報

2011年02月08日 | 徒然
今日の東京は
夜半から雪の予報がでています。

「交通機関など雪の影響で乱れる可能性があります」
なんて事前から大雪が降るような事を言っている時に限って
大して降らないものです。

まぁ、用心に越したことはありませんがね…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顔文字

2011年02月07日 | 徒然
日本語は、全角入力なので
(´・ω・`)や( ´∀`)といった
表情豊かな顔文字を入力できるお(^ω^)

英語だと
(:-D)というように
90度回転した顔文字になってしまいます(゜ω゜)

同じ全角入力の中国語でも、顔文字は半角入力になるので
日本語は顔文字に関しては世界一の種類を誇ることになります。


たかが顔文字とはいえ
文章中でどんどん人格を持つように見えてくる。

顔文字を多用した新聞なんて出たら
真意が今以上に伝わるようになったりして(`・ω・´)
んなこたぁないなwww
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の地形

2011年02月06日 | 
起伏に飛んだ東京は
縄文時代にはかなりの部分が入江であり
江戸氏や豊嶋氏が入った頃は
不忍池は今よりも数倍大きく、
千束池や姫が池など、上野の山の東側は
湿地帯であったようです。
浅草などは、島のような地形になっており
その東側はまだ海というか干潟のような
そんな場所だったのです。
飯倉の交差点あたりに立って坂下を眺めると
結構すぐに深くなる海だなと
そんな風に思えます。

神田川も現在の流路とは異なっていて
御茶ノ水の深い谷は家康の江戸開発の際に掘られたもので
それ以前は平川のルートを流れていたのです。

東京の旧称「江戸」は入江と谷が入り組んだ地形に由来し
それ以前の名称「豊嶋」は、縄文以来
奥江戸湾まで海が来ていた頃にこの地方に
島が多く存在していたことに由来します。

実際にそれらの島であった高台には
古い神社や貝塚、古墳や砦の跡が存在しています。
東京タワーのそばにも、古墳が存在しています。


家康入城以前は日比谷は入江であり
その入江を挟んで対岸、現在の銀座周辺は
江戸前嶋と呼ばれていました。

川家康が入城し、天海僧正の入れ知恵の下で
江戸という寒村を大都市にする工事が行われた際に
多くの低湿地は埋め立てられ
川は付け替えや掘削で流路を整理され
一部は江戸城の濠として利用され
実生活でも風水的にも住み良い街になったわけです。

近代にはいって、東京は多くの川が暗渠化され
上水の跡や川の跡はすっかりと姿を消しましたが
地形をみていると、川の跡が読み取れたりもします。

鉄道は勾配が苦手です。
鉄道開業初期に開通した山手線の西側、品川から田端と
当初の山手線であった池袋から赤羽は
盛り土の上を走ったかと思うと切通の中を進む
そんな線形をしています。
ハイライトは駒込から田端。
谷田川の谷を越すと深い切通に入り左にカーブします。
貨物線を越えてしばらく進むと
急に目の前が開けて、新幹線の高架と車輌基地、
その奥に広がる沖積平野が目に飛び込んできます。
ここが、縄文時代の海岸線です。
田端の高台かた中里、王子にかけては
貝塚などが存在しています。

現在、沖積平野を流れる隅田川(荒川)に注ぐ石神井川は
鎌倉時代ごろまでは内陸側の谷田川が流路であったと思われ
滝のような轟音をたてて流れていたことから
滝ノ川と呼ばれていました。
現在の滝野川の地名の由来です。
この川は西ヶ原や染井の湧水を集めながら
不忍池に注いでいたと考えられていますが
その川がいつ、現在の流路にちかい、荒川に注ぐルートになったのかは
それが工事によるものか、自然氾濫によるものかも含め、わかっていません。

ちなみに現在「荒川」と呼ばれる広い川は
100年前に墨東地区の水害を防ぐ目的で掘削されたもので
「荒川放水路」と呼ばれる人工河川です。

池袋や新宿、渋谷といった都会はこうした地形をうまく利用して
発展したのです。

池袋はその名のとおり、湿地帯で
現在でも芸術劇場の地下からは大量の湧水が湧き出ています。
この付近にあった丸池から雑司が谷を経由し
音羽を抜けて神田川に合流する流れがあり
この水源をもって「池袋」の由来とする説がありますが
実際には現在の豊島岡女子高校あたりから湧き出し音羽に流れた川や
新田掘(明治通りと山手線の交差点)付近からスタートして北池袋駅の西を通って
池袋本町で谷端川に合流する流れなど
細かい起伏が今でも残っており、要は湧き水が豊富な場所だったのです。
当然、駅はそれらの湧水池をはずした谷の上部に設置されています。

新宿も十二社にはかつて大きな池があり
そこから流れ出た水は神田川へ注いでいました。
歌舞伎町界隈も谷になっていて
そのスタート地点は大ガードの北側、ペペの辺りです。
また駅の南側も新宿御苑など、川の源流となる池が多く存在していますが
駅自体は甲州街道に併走するように作られた
玉川上水ルートの北側、つまり周りよりも少々高い場所に作られました。
ちなみに新宿という地名は、甲州街道内藤宿の「新」宿に由来しています。

渋谷は地下鉄が地上3階を走っていることからわかるように
渋谷川が削った谷の町で
宮益坂には縄文人の掘った横穴が見つかっています。
駅自体は谷底に盛り土をして作られていますが
深く細い谷底にあるのはバスターミナルで
繁華街はその斜面や高台に集中しています。
1日に3000便以上のバスが発着する日本一のバスターミナル(タイトル画像)の地下には
実は今でも川が流れていて
新宿御苑を源流とする渋谷川が明治神宮の清正の井からの水などを集めながら
東京湾へと注いでいます。

記紀による、都の場所の決定に始まり
京都にしろ鎌倉にしろ、当時の権力者たちは
自然の地形を活かして、それらを変えることなく
周辺勢力からの脅威を退けてきました。
東京は家康以来、その地形を活かしながら
人の力によってその姿を変えて
自然災害や人災からの脅威を避けてきたのです。

東京の坂道には、そんな太古からの自然の脅威が
記憶されているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下町

2011年02月05日 | 徒然
下町。
東京の下町というのは
果たしてどんな定義で語られるのだろうか。


都内、特に山手線の内側には
案外起伏が多く
それはつまり縄文期の入江や
家康入城以前の川跡であったりするのだが

浅草や谷根千をはじめとしたいわゆる「下町」は、
まさにこれらの低地に位置している。


ただ、その定義であてはめると
日比谷や小石川あたりも「下町」であり
下町風情のない「下町」ができてしまう。

反面、品川や千住、板橋といった旧宿場町は
少しばかり標高のある場所に設けられていて
それが為に町が形成されたのであろうが
現在は「下町」の範疇に組み込まれる事が
時としてあったりもする。
この場合は、おそらく高低差からくる「下町」ではなく
古くからの、古典的風情が残る町という
そんな意味合いで解釈すれば
いいのではないだろうか。

東京は中小河川と6上水、埋め立てと掘削で
16世紀末から発達した都市だが
こんな2つの意味の「下町」をたよりに
東京を歩いてみるのも
結構愉しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプト情勢

2011年02月04日 | 徒然
政治的な話はしませんのであしからずwwwww

仕事柄、現地からの情報が入ってきます。
テレビなどでは報道されていなかったりする事が多いので
ここでは書きません(書けません)が
デモ隊や、彼らを取り巻く状況が
いかにもエジプト的な状況で
なんとなく笑ってしまうような事も起こっているようです。


北アフリカがどんどん変わろうとしてますね。
こうなると、世界の「生産」のマップが変わってくるんじゃないかなと…

これからは、アラビア語が必須かもしれませんぞ。

それでは
マアッサラーマ! ( ´ω`)ノシ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年快樂!

2011年02月03日 | 徒然
今日は旧正月、春節です。
日本では節分。どちらも縁起のいい春の日です。

中華街も平日にもかかわらず多くの人が集まって
媽祖廟も關帝廟も、線香の煙が
春霞のようにたちこめています。

  新 恭 
  年 喜
  快 發
  樂 財


民 萬 恭
國 事 賀  
百 如 新
年 意 禧


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エレベーター考

2011年02月02日 | 徒然
毎日、どこかしらで乗るエレベーター。
よく見てみると、いろんなエレベーターがあります。

メーカーも、有名どころだけでも
三菱、東芝、日立、オーチス、フジテック、シンドラー・・・・
と、片手では足りないような数です。

ただ、最近のエレベーターは「乗り物」というよりも
「マシーン」になってしまい
面白みが少ない気がします。

例えば日本橋高島屋のような、格子の扉が付いているような
あんな感じのエレベーターこそ
「乗り物」っていう、機械らしさがあって好きなんです。

高度成長期からバブル期にかけてのエレベーターが
一番画一的で面白味がないかな。

エレベーターごとの個性を見つけるのも
密閉された空間では楽しいものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撤収  (o'ω'o)ノ゛

2011年02月01日 | 徒然
ひとつの長期イベントが終わって
展示物をすべて片付けた部屋は
ガラーンとして
一抹の寂しさを感じる。

数ヶ月前、建てこみをしたときの活気は
もうどこにもない。

展示物をしまった木箱の微かな匂いだけが
広々とした展示室に漂っているだけ。

この街のひとたちに
この部屋からいくつもの思い出を持って帰ってもらった

そう思いながら次の土地へと我々は去ってゆく。
【美術品輸送中】のテールサインとともに…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする