きょうはみっちゃんの「百か日」にあたります。
百か日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれるそうで、この百か日法要をもって、残された遺族は哭(な)くことから卒する、つまり、悲しみに泣きくれることをやめる日であることも意味しているとのこと。
(2016年1月28日撮影 以下も同様)
亡くなって百か日も過ぎれば、少しはこころの痛みも和らぐのかなと思っていたのですが、やっぱり、そんなに割り切れるものではありませんでした。
仕事を終わって家に帰ろうとすると、家に帰ったらみっちゃんの世話をしなくては、みっちゃんはひとりで大丈夫だろうかと、ふと考えて。すぐに、ああそうだ、みっちゃんはもう居ないんだったと、我に返るのです。
確かに、亡くなった悲しみそのものは、だいぶ薄らいだような気がしますが、それにも増して、居なくなったことに対する寂しさが余計に強くなってきました。
まだまだ、気持ちの整理には時間がかかりそうです。
今日は、念入りに仏前にお参りしたいと思います。