寺院の国分寺のすぐ近くに、国分寺市重要有形文化財の旧本多家住宅「長屋門」がありました。
代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入り口に、表門と先代当主の隠居所を兼ねて、江戸時代末期に建てられたものだとか。
シンプルで合理的に感じられるのは、コロナウィルスのせいかもしれません。
隠居となった先代が門番に?
耳が遠かったりしたら・・・・・
たぶんお世話をする人がついていて、大丈夫なんでしょうね。
江戸時代から明治にかけて、国分寺村は堅実な合理性をもった名主がいてよかった☆
ということが感じられたりしました。
湧水地がすぐ近くにあるようなこの土地は、かなり価値があったのではないでしょうか。
守り方というものを参考にする必要があると思います。
高齢者もいろいろな形で防衛に参加できる、のではないでしょうか?
また当時もさまざまな疫病があったはず。
疫病対策として、この建物をみる、ということも大事そうです。
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それにしても、幕末期にこんな価値のある土地は大丈夫だったんだろうか、と思ったりしたんですが
よく考えてみれば、近藤勇はこの近くの出身でしたね。
つまり、かなり剛の者たちを育成していた、ということがあるのかもしれません。
ついつい京都での抗争や戊辰戦争ばかりを考えてしまいますが。
ただし、最近では薬品処理がされたりして、
健康によくないものもあるのかもしれませんが、畳文化の効用を見直すべきでしょうね。
正座の健康法もあるようです。
ときどき正座をこころがけましょう。
コロナ禍は、密集に対する警告ではないか
と思えてなりません。
グローバル化の現代でいくら検査をしても密集が続く限りは感染症の可能性は高いままのはずで安全や安心ということではないと思います。
景気浮揚策としての公共事業は
首都機能の一部移転をしっかり考えて
人口の移動を行うことが必要ではないでしょうか。
自然破壊をすることなく、かつての住宅地を整備していく
食の供給を考えて農業を守る
といったことが都政に求められるのでは?
高齢者は他県によろしく
といったことでは、健康上1つをとっても問題であるように感じられます。
周辺の樹木が大事なんでしょうね。