「安門瀑布紀行」から
52枚のうち35番目
曲渕(まがりふち)を登っている図の部分です。
39番目の図です。綱を使って登っています。
55歳といえば当時はかなり老人だったはずなのでさぞたいへんだったことでしょう。
部分です。
52番目、滝の探訪が終わり、ほっとして川原平村でくつろぐ様子で終わっています。
いちばん奥が平尾魯仙のようです。
平尾魯仙の死から15年後、ようやく宮内省への献上ができたとのこと。
遺族や弟子たちがぜひ献上したいと思うような画集だと思います。
時代が大きく変わるとき、何か新たな力を得たいと思った人たちがいた・・・・・
もしかしたら、この本を丹念に眺めていたらその力のおこぼれをもらうことができるかもしれません。
あまりに単純な視点から考えていたことに気づかされます。
青森からはどのように見えていたのか
記録を細かくみてみることで
時代の波の乗り切り方みたいなものを
得られたりするかもしれません。
そういった議論があれば、と思います。
明治維新という時代の崖をのぼっていくという気分を表現したのでしょうか。
滝は時代の流れの急激さであったりする?