長屋門の奥に武蔵国分寺跡資料館がありました。
銅造観世音菩薩立像です。可愛らしい感じです。
武蔵国分寺の軒先瓦が創建期と再建期では違うんだとか。
瓦の郡の刻印が俺たちが一番、と主張しているような。
武蔵国分寺は郡に競い合わせて造ったのかもしれません。
模様や刻印を見ていると元気が出るのはなぜなんでしょうか。
長屋門の奥に武蔵国分寺跡資料館がありました。
銅造観世音菩薩立像です。可愛らしい感じです。
武蔵国分寺の軒先瓦が創建期と再建期では違うんだとか。
瓦の郡の刻印が俺たちが一番、と主張しているような。
武蔵国分寺は郡に競い合わせて造ったのかもしれません。
模様や刻印を見ていると元気が出るのはなぜなんでしょうか。
タチアオイの深紅や刻印に、国分寺の建造物を造るときに、厳しくつらい奴隷労働があったのかもしれない、と思ったりもします。
子孫である私たちは、奴隷でもあり奴隷を動かす側でもあった、と考えることはいかがでしょうか。
水や大気が汚染され疫病が流行し、水害や噴火を誘発し上層も下層も多くが亡くなっってしまった・・・・・
もしかしたら、天体の周期といったことも関係して、そういった繰り返しがある
ということもあるのかもしれません。
親しみやすい感じというか。
大丈夫、大丈夫と励ますような気持があるとか?
公文書的なものとは違う歴史があったことでしょう。
東アジアの融和を考える必要がないでしょうか。
芥川龍之介「蜘蛛の糸」があの時代に書かれた理由がわかるような気がします。
自ら固形化していくような状態になっている?あるいは追い込まれている?
香港だけではなく北朝鮮、韓国も巻き込まれてしまう?