10月14日(日)に所沢・山口まちづくりセンターホールで
第60回山口地区文化祭記念事業
山口歴史講座「勝楽寺 1300年の歴史」 湖底のふるさとを振りかえって
が開催されました。
プログラムは
1.嘉永2年の『山口詣』から見た勝楽寺村佛蔵院について
小山 裕さん(山口郷土民俗資料保存会副会長)
2.座談会 旧勝楽寺村からの勝楽寺移転について
竹中清悟さん(佛蔵院勝楽寺二十四代住職)
斎藤重雄さん(山口郷土民俗資料保存会/元宮大工)
小山 裕さん(山口郷土民俗資料保存会副会長)
司会進行 神藤年三さん(山口まちづくり推進協議会会長)
となっていました。
狭山湖底に沈んだ勝楽寺村について、興味を持っている方が増えているようで、この講座にも多くの方たちが来ておられました。
ふと郷土史というものは、古いものについてはこれが真実だと言い切れないものがあったりして、その時代での望ましい歴史みたいなものが付け加えられたりするのかもしれない、と思うことがあります。
1.では、江戸末期の嘉永2年(1850年)の資料について大変興味深いものですが
作者が柳瀬の川うそ となっていて・・・・数々の伝説の紹介がされていました。
奈良時代から鎌倉時代まではどういう時代だったのか、かえって謎が深まっていくような・・・・・
2.では元宮大工の方や佛蔵院住職の方から移築のお話がありました。佛蔵院は勝楽寺村にあったお寺でいまは山口に移築されています。
勝楽寺村は松材の産地だったようです。それで大きな家が並んでいたのだとか。
佛蔵院の移築の様子だとのこと。大掛かりな足場で滑車などを使ったようです。
梁にはりっぱな松が使われているようですね。
90歳を過ぎているという元宮大工の方の生き生きした説明に、これこそ歴史だ!と思ってしまいました。
奈良時代にもこういった多くの大工さんたちが日本のあちこちで活躍していたことでしょう。
なるほど重機がなくても結構大きい建造物を造ることができたりするんですね。あれこれの復興に役立つことがあるのかもしれません。
ドイツ人建築家カールベンクスさん(76歳)という方が日本で古民家再生をされているとのこと。日本の古民家は宝だとおっしゃっていました。
再生された家はたいへん魅力的なものでした。日本は外国人の協力や助言をあらゆる方面で受け入れると合理的な社会にできるのかもしれませんね。
そのいっぽうで、世界に日本のあれこれを発信すれば平和の伝道師となれそうです。