萌黄の館の内部です。窓に特徴があると感じられたりします。
2階からは海が見えます。当時は多くの船の出入りが見えたのかもしれません。
マントルピースのタイルがきれいでした。
玄関からすぐのところにある椅子です。
次々と来客があり、待っている間も情報交換とか?
この館はアメリカ総領事ハンター・シャープの邸宅として建築されたとか。
イギリス人の建築家アレクサンダー・ネルソン・ハンセルの設計と推定されているとのこと。→ こちら
まるで女性が設計でもしたような繊細さが感じられたりします。
この館が1903年にできたのだとすれば、風見鶏の館の1年前ということになるようです。
なるほど、風見鶏の館からのほうが萌黄の館への出入りがよく見える?
1904年は日露戦争が起きた年ですが、そのころの神戸は多くの外国人がやって来て情報収集をしていた?
などと想像してしまいます。
住人たちは、それほど長く住んだわけではなく、移り変わりのあり様を想像すると
まるで映画の舞台のようにも見えてきます。
それぞれの館の「窓」からは何が見えたのでしょうか。住人たちの胸に去来したものは何だったのでしょうか。
さらに想像を広げると、植民地を支配する側も思いのほか大変な思いをしていたかもしれません。
もう少し踏み込んでもらいたいですね。
思考の耐久力といったものが必要ではないかと思います。
これからの観光には「謎解き」がキーワードだったりするかもしれません。
謎をめぐって発表会とか意見交換会とか。
その会合もノンフィクションの映像になりそう。
戦争とかしている場合でないような、楽しい時間をつくるのも日本の役目かもしれませんね。