渋沢史料館は比較的新しい建物でした。
雨模様の肌寒い日のせいか、すいていて展示をゆっくり見ることができました。
両親や親類の自筆の史料など含めて興味深いものがたくさんありました。
幕末期には尊王の武闘派として活動したようです。
豪農の出身と聞いていましたが、幼少から論語に親しみまた武術の心得は相当なものであったようです。
史料館の中で、サクラのシーズンだけカメラを許されるリフレッシュ・コーナーがありました。
また、現在、史料館では「近代紡績のススメ 渋沢栄一と東洋紡」という企画展が開かれています。
史料館の向かい側に 国指定重要文化財である晩香廬と青淵文庫という建物がありました。
1917年にできた晩香廬です。
喜寿祝の茶室で、内外の賓客を迎えたのだとか。
1925年にできた青淵文庫です。
80歳の祝いで、書庫と接客の場であったのだとか。
こちらは青淵文庫の中の撮影できる部屋で、タイルやステンドグラスに重厚な美しさが感じられます。
なお、晩香廬と青淵文庫公開カレンダーで確認の上、お出かけ下さい。→ こちら
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史料館の向かい側に 国指定重要文化財である晩香廬と青淵文庫という建物がありました。
1917年にできた晩香廬です。
喜寿祝の茶室で、内外の賓客を迎えたのだとか。
1925年にできた青淵文庫です。
80歳の祝いで、書庫と接客の場であったのだとか。
こちらは青淵文庫の中の撮影できる部屋で、タイルやステンドグラスに重厚な美しさが感じられます。
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建物やまわりの佇まいをみても、おそらく欧米の賓客たちに信頼感をもたせたのではないかと思います。
晩年近くの渋沢栄一の訪米が大歓迎されたようなんでが・・・・このあたりはまだ埋もれた歴史があったりするのかもしれません。
後進国が国際社会でその道を切り拓いていくとき、後世からみて負の歴史があるのは仕方がない面がないでしょうか。教訓として生かしていくということも必要でしょうね。
先進国の判断の正当性を認めさせることもある?
先進国がかつて暗黒の時代を通過したことを忘れて、後進性を理由に排除するというのは、おかしいのではないかと思ったりします。それゆえに先進国の後退が始まることになる?