東京や埼玉で太田道灌はあちこちに姿を現すように感じられます。
しかし、神奈川にお墓があったりして・・・・・
系図などもよくわからなかったりなんですよね。
川越城や川越氷川神社も縁の地のようで、矢竹の植樹とともに
老いらくの身をつみてこそ武蔵野の草にいつまで残る白雪
という歌が献納されているとか。
ひょっとして、太田道灌は複数いたということなんでしょうか。
そのうちのひとりは謀殺されたけれど、残された人たちは武蔵野で草として生きたとか?
「道灌組」のような土木や建築、戦争、農業に強い集団がいた、ということを想像してしまいました。
武蔵七党などともどこかでつながっているような。
道灌の道とは、歴史の中にある道のようにも感じられたりします。
なお「メゾフォルテからあなたへ」で太田道灌についての記事をまとめたものは こちら
私のブログを読まれるときには PC版で読んでいただければ幸いです。
長い年月をかけて同じところに戻ってくるとか。
もしかして私の中には武蔵7党にいた記憶があって・・・・みたいな想像をしてしまうことがあります。
少し踏み込んだ話では世間は狭いということがあって・・・・
共通の知人がいたりするんですよね。
介護問題が気になります。
在宅でも施設でも、介護する方のケアをもっと考えるべきだということで意見が一致したりして。
コロナの病棟でもしっかりと医療従事者のケアを考える必要がありそう。
とくにメンタル面でのケアが考えられていないような気がします。