世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

未知の世界へ

2016年06月11日 | 熊本地震
今まで、学生時代のアルバイト(30業種以上)、

商社マン時代(財務管理、人事労務、鉄鉱石輸入、石油化学全般)で、

かなりの業種はかじったりこなして経験してきた。


だが、アルバイトでトラックの運転手や助手は務めたことがあるが、

今回携わることになったいわゆる運輸業界は初めてである。


運輸は、単純に言えば品物を送り届けるだけだが、

国内津々浦々、世界の隅々にまでその範囲は広がり、

商品も数えきれないくらい多岐にわたっている。



運輸会社が外国に進出する場合は、

ほとんどが輸出入といった国際輸送の分野だ。

だが、この会社は違った。

ミャンマーにおける国内輸送に携わるという。


    今回の仕事を紹介してくれた広島の友人(ミャンマー人ではありません)

ヤンゴンからマンダリンまでの600Kmが主な輸送ルートだ。

外資系の輸送会社が他国の国内運送に特化して携わる例はほとんどないという。

そして、今年の11月正式にオープンさせ軌道に乗せる計画だ。
(そのお披露目の日には、アウン・サン・スーチーさんを呼ぼうという話も出た)

それだけでもこの会社のこの企画に対する情熱を感じた。

そしてボクの興味を激しくくすぐった。


      社長と友人と一献傾ける


友人の紹介でもあり、

この社長ならお手伝いさせていただいてもやりがいがあると思った。


    バーで深夜まで夢を熱く語り合った

友人の恩義に応え、

僭越ながら、この会社の社長の夢を実現させて差し上げようと覚悟を決めた夜だった。


運輸業界にほとんど経験がないが、

とりあえず一か月間行ってみて、

というこれまた社長の太っ腹のお言葉。


具体的な仕事内容は実際のところ行ってみないと分からないが、

ひとまず現地社員の教育担当を仰せつかった。


国内輸送であるからして、

現地スタッフにいかに日本の合理的かつ近代的輸送システム及びサービス精神を理解してもらうか。

どうやらその辺がポイントらしい。



ミャンマーは2~3年前から訪れてみたいとずっと考えていた。

そして、3度ほど行く計画を立てたが、

いずれもそのビザの取得の煩雑さから延び延びになっていた。

今回4度目の正直となるだろうか。


思い続ければ思考は必ず実現するのだ。

それが思い描いていた形とは違っていてもだ。



それはそうと、

明日からはネパールに行く。

こちらもつい一月ほど前に思い立った。

瞑想修行という目的で。


ところがなんとミャンマーもまた瞑想の国である。
(瞑想ビザというものがあるらしい)

実は、瞑想修行にどこの国を選ぼうかと考えたとき、

インド、タイ、ネパールとミャンマーの4か国が脳裏に浮かんだ。

そして今回はとりあえずネパールにしようと決めた矢先の

ミャンマー行きの話が降って湧いたという経緯(いきさつ)である。


ということで、7月予定だった阿蘇の「瞑想センター」オープンはしばらく延期ということになろう。

だが期せずして、ミャンマーでも瞑想修行ができることになったわけだ。

インドやタイにだってすぐに行ける。

瞑想にもっともっと磨きをかけることができる。


なんだか止まっていた運命の歯車が

どうやら地震の衝撃でギシギシと音を立てて回り始めたようだ。


人生は面白い。

いや、面白すぎる。

自分の身の周りの人々、自分に起きる現象のすべてに感謝。


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6月10日(金)のつぶやき

2016年06月11日 | 熊本地震
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急展開

2016年06月10日 | 熊本地震
「英語が出来て、交渉能力のあるやつはいないか?』

広島の中堅運送会社の社長の投げた言葉に、

『いますよ』と即座に応えた古い友人から電話があったのは

つい一週間前のことであった。


昨日その会社の社長に広島で会って2時間後、

来月からミャンマーに行くことが決まった。

即断即決。

条件は一任した。

知らない業界、
 
知らない世界。

また新しい挑戦が始まる。

ワクワクが止まらない。

人生とはかくも面白いものなのだ。



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6月9日(木)のつぶやき

2016年06月10日 | 熊本地震
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地に足を付けて

2016年06月09日 | 熊本地震
阿蘇・西原村に今週から帰ってきている。

熊本地震で被害が最もひどかった地域の一つだ。

今は唯一我が家といえる場所になった。


        この時季アジサイが心を癒してくれる

しかしながら、依然として土砂災害の危険性があり

雨が降ればすぐに避難指示が出される。

その場合はまた車中泊を余儀なくされる。

それを覚悟で帰ってきた。

いまだに身体に感じる余震は一日1~2回あるが、

やはりぐっする寝れる場所には違いない。

もう震度3程度の揺れには慣れ切ってしまったせいもあるのだろう。

片付けはまだまだ手付かずだが、

ひとまず地に足がついた感じだ。


ここにはメインの建物が3棟ある。

築120年になる母屋のアジアン雑貨の店(Dream Catcher)は未だ休業中である。
(屋根がほんの一部損傷)



シェアハウスとして貸している宿泊棟(納屋を改装しもの)の住人は、

今月で引っ越していく。
(こちらの建物はほとんど無傷)




敷地の山の方に10年ほど前に建てたカントリーハウスがボクのねぐらである。

今後、状況が安定すれば、阿蘇瞑想センターとして運営してく計画を立てている。
https://www.facebook.com/asomeditation/


ここに帰ってきたといっても、

今日から広島に一泊の予定で行く。

4日目にしてまたまた熊本脱出である。

さらに一日置いてネパールへと旅立つ。


そういう意味では、

実質的に地に足はなかなかつかない。

だいいち、タビストにとって

地に足を付けるということは自殺行為に他ならない。


地に足がついていないとお叱りを受けるのは無理ないことだ。

それがタビストに課せられた宿命なのだから。


【追記】

地に足をつけるとは、どういうことなのか。

ボクの解釈では、大きく二つの意味を持つ。


まず一つ目は、物理的意味合いであって、

ちゃんとした定職を持ち、

一つ所に住居を構えて落ち着いた生活を送ること。

この意味では、ボクは全く地に足がついていない。

あっちフラフラ、こっちフラフラ、今や失業中。


二つ目は、精神的意味合いである。

つまり、自分の信念を持って、ぶれないこと(揺るがない)を意味する。

ボクの信念とは、

難事にあっても決して浮足立たず(動じず)、

自分のタビストとしてのライフスタイルを堅持しつつ

愛する人はもちろん、

一人でも多くの人のために寄与することである。

ひいてはみんなが仲良く、

世界平和につながるよう貢献することを目的としている。
(ボクを嫌う人はいても、嫌いな人はいない)


その具体的手段の中で、

試行錯誤を繰り返し、失敗もし、

自分の至らなさから迷惑もかけることがあることは

心苦しく思っている。


それでも、ボクの信念に揺るぎはない。

とはいえ未だ勉学、修行の途上にあることは否定できない。

ボクの生き方に完成という文字はないからして、

死ぬまで未完成のままで終わることは免れない。

なぜなら、死ぬまで進化(成長を伴った変化)し続けるからである。

体力は落ちても、

気力と脳力は老いてますます磨きがかかっている。

精力もまた然り。(蛇足=言わんでもいいこと)


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6月8日(水)のつぶやき

2016年06月09日 | 熊本地震
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二つの事件

2016年06月08日 | 熊本地震
一つ目、

4回目の片付けボランティアの方々の協力で

フリートークの看板を下ろした。



ビルに無数の亀裂が入り、

修復の目途も立たず、

これ以上経営を続けることは無理だと判断。

ついに断念、看板を外すことにしたのだ。


断腸の思いだったが、意外と寂寥感は感じなかった。

むしろ、吹っ切れた清々しい気持ちに包まれた。

それは精一杯やり切った達成感にも似た感情であったのだろう。


また一つ肩の荷が下りた。

こうして一つ一つ人生の断捨離が進行していく。

諸行無常。(All worldly things are transitory.)

人の人生もまた大自然(宇宙)の流れの中にある。

これも又節理(nature's blessing;natural law)というものかもしれない。


5年と2か月という短い期間でしたが、

楽しい充実したフリートークライフを満喫できた。

多くの方々との交流の中、いろんな勉強をさせていただいたことに感謝している。

そして、多くのお客様にご利用いただき心より感謝いたします。

ありがとうございました。



二つ目、

地震の影響で延び延びになっていた貸金等請求事件の初の口頭弁論があった。




10分前に到着すると、

書記官が一人、録音機のセッティングを行っていた。

静まり返った法廷であったが、

ドラマで見るような張りつめた空気はほとんど感じなかった。


そして、時間きっかりに裁判官が現れ、

事件名が告げられ被告不出廷のまま裁判が始まった。


傍聴人もおらず、

裁判官と書記官とボクの3人で、

ボクが提出した訴状の確認が淡々と行われた。

慣れ親しんだ(?)法定で、

まったく緊張感のない、むしろ和気あいあいと言った雰囲気さえ漂っていた。


それもそのはず、裁判官はまだ若き女性であったのだ。

この美貌で、素晴らしい頭脳の持ち主なのだろうと、

視線を逸らすことなく、そのくせ質問は上の空で聞いていた。

イメージとして裁判官官らしからぬ優しい口調に、胸のトキメキさえ覚えそうになった。
(ここでも不謹慎男の性が露呈してしまった、てか、単なるエロオヤジだ(-_-;))

天は二物をお与えになるものなのだと妙に感服した。


裁判官の涼しげな眼を見て、

ボクは証拠物件を示しながら、

彼女、いや裁判官の質問に一つ一つ答えていった。

請求内容が多岐にわたったため、

異例の約一時間という時間を要した。


次回は8月25日。

被告は原則2回欠席することはできない。


被告が出廷すれば話し合いの場を持ちましょうね、との裁判官のこれまた優しいお言葉。

一瞬ホロリとしそうになった。

話し合いで和解ができれば望むところだ。

無駄な争いはしたくない。


では本日はこれにて閉廷いたします。

起立して深々と頭を下げた。

顔を上げた時、裁判官の姿はそこにはなかった。


被告は逃げずに済々堂々と話し合いに臨んでほしいと思っている。


こちらが負ける裁判ではない、

あるいは損をする裁判ではないので、

終始気楽で笑顔で最初の公判を終えることができてほっとした。


一日で二つの出来事に一区切りがついた安堵感を覚えた。

人生流転、

時は否応なく流れていく。


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6月7日(火)のつぶやき

2016年06月08日 | 熊本地震
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破壊から創造へ

2016年06月07日 | 熊本地震
満を持して熊本に帰ってきた。

この一か月間、福岡に潜伏(?)していた。


      滞在していた旅館にて

さあ、反撃開始!

といっても、

この熊本にドッカリ居座るのではない。

今までは静かに動きを止めていた。

誰から何と言われようが、静観を決め込んでいた。

だから、これからはタビストらしく動きに動きまくるのだ。

水を得た魚のように。


フリートークもだいぶ片付いてきた。

西原村までもう10往復くらいは必要だろうけど。

今日もこれからボランティの方々がお手伝いに来てくださる。

助かる―。

何ともありがたい。

感謝!感謝!大感謝!


"Scrap & Build"

常に破壊の中から創造は始まる。

破壊は一瞬である。

創造には想像を絶するほど時間がかかる。


では何を創造するのか。

buildの部分が問題なのだ。

今まであったものと同じものを作り直すのではあまりにも能がない。


さて熊本大地震はボクを含め多くの人々に破壊をもたらした。

これからどう生きるかという命題を突き付けられた格好だ。

復興、復興、ガンバレ、ガンバレと叫びのはいいが、

その姿が見えてこない。

カラ元気に聞こえてしょうがない。


熊本城はシンボルである。

シンボルの復元も結構だが、

もっと根本的にやらなければならないことがあるはずだ。

被災者のの生活の確保だ。

つまり広義のライフラインの充実だ。


今、あらゆる面でパラダイムシフトが起こっている。

この現象に気付く核付かないかで、方向性は180度違ってくる。


未だに高度成長期時代やバブル時代の再来を望む時代錯誤の人たちがいる。

破壊の後にはあたかもバブルが来るかのように。

いわゆる膨大な需要が生まれると勘違いしている。


投資や消費が伸び、所得が増えて景気が良くなるという

20世紀型教条主義的古典経済学から脱却できない古い頭の持ち主だ。

インフラ整備に伴ういわゆるゼネコン主導型の景気対策に期待しているのだろう。


こういう人たちが未だ蔓延って熊本を牽引しようとすること自体、

熊本の再建、発展を大きく阻害している巨悪の根源である。

希望的観測としてはいいのだろうが、愚かな妄想に過ぎない。


基本的にこういう考えの持ち主は未だに物欲に長け、

金儲け主義の人たちが多い。

個人的に商売に専念されること自体は何ら否定しないが、

こういう古典派を排除しないと、

真の熊本のこれからの発展はあり得ない。



それではこれからの熊本の発展のためにはどうすればいいのか。

キーワードは「2S+O」である。


一つ目のSは、Soft。

世はhard から soft へと移行している。

IT業界ももそうだ。

アプリの開発がシステム作りにつながる。

箱物Hardより、その内容Softがより重要となる。


もう一つのSは、Spiritual。

ひところはやった占い的なスピリチュアルブームとは違う。


新しいスピリチュアル文化が生まれている。

それは、瞑想を基盤とした、氣であり、

姿として、座禅であったり、ヨガであったりする。

それは人から占いめいたものを聞くのではなく、

呼吸法を通じて自然のエネルギーを受けて自らつかみ取っていくものである。


Oは、昨日のベタOversea(海外志向)である。


人の判断も、見かけよりその人の生き様に焦点が当たるだろう。

すなわち、赤裸々に見せる可視化現象。

積極的に見せる見世物文化の時代なのだ。

自ら発信し、実況中継をしていく。

広告媒体を使わず、

SNSなど無料の媒体で、

個人個人が素人でも発信できる時代である。

しかも、世界中のあらゆるところから。


個人の個性が光る時代だ。

人と同じでなければ叩かれた没個性の時代は終焉し、

人と違うことが賞賛される時代に移行している。

もちろん奇を衒うようなパフォーマンスはすぐに見破られ、長続きはしない。

いわゆる一発芸的一過性に終わるだろう。


だが、それでも形を変え、地に足を付けて表現すれば

マスコミなど表に出ない形で十分に生き延びて行けるのだ。


人の敷いたレールに乗るのではでなく、

自分でレールを敷きなさい。


人の作った土俵の上で勝負するのではなく、

自分の土俵を作りなさい。


自分の好きなこと、得意なことを好きなように作って表現する。

一人一人がアーティストになれる時代が到来している。


アーティストとしての生き様を可視化させる。

それがこれからの人生を謳歌する生き方なのだ。

自らの生き様こそ熊本発展の原動力となる。



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6月6日(月)のつぶやき

2016年06月07日 | 熊本地震
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世界に目を向けよ

2016年06月06日 | 熊本地震
「嫌なら買わんでよか」

「気に食わんなら来んでよか」

笑顔一つ見せない。

交渉事もしない(できない)。

まさに殿様商売。

※ 殿様商売とは、

商品知識や客とのかけひきなど、もうけるため の努力・工夫に気を使わない商い方を皮肉っていう語。

鷹揚(おうよう)に構えて商売上の工夫などもせず, 利益にあまりこだわらない商売のやり方を軽蔑していう語。


これが熊本人の商売(ビジネス)のスタンスだった。

ボクの祖父母方の家は熊本随一の繊維問屋であり、

そこで中学生まで育ち、店頭で店の手伝いをしていたから、

そうした光景を目の当たりにしてきた。

そしてそれが商売の仕方として当たり前だと思っていた。


大阪の大学に行き、

学校には行かず、バイトばかりしていた。

海外に行くためだった。

あらゆるバイトをしながら、大阪商人のやり方を学んだ。

「もうかりまっか」

「ぼちぼちでんな」と。


総合商社に入り、

東京で商社マンとしてのスキルを身につけた。

その商社マン魂は今も脈脈と生きている。


49歳で熊本に帰り、

アジアを中心にビジネスを手掛けた。

そんな中で、熊本の多くの会社社長や商売人と係ってきた。

インドの会社とのジョイントベンチャーも手掛けた。

数人の人には現地を案内した。

商品分野としては様々だ。

納豆、サツマイモ(からいも)、焼酎あるいは米、

トマト、スイカ、シイタケ(キノコ)、メロン、ニンニク、

牛肉、コーヒー、着物、バイオマス、発電システムなどなど。

カフェ、日本語学校もオープンさせた。


まるで節操のない取り扱いだが、

「ラーメンからミサイルまで」と揶揄された商社マンとしては至極当然の行動である。



さて、前置きが長くなったが、今日の本題に移ろう。

熊本復興。

とりわけ熊本経済復興。


      雄姿よ再び

道路や家屋など物理的なことはお上任せでもやれるかもしれない。

だけど、こと経済に関してはそうはいかない。

ヤッパリ、民間がやるしかないのだ。

熊本に至っては、地場の大企業はない。

中小企業や零細企業、はたまた、これから起業する人たちが頑張るしかない。


上記の様々な商品の中でうまくいっているのは着物関係だ。

納豆やサツマイモなどの農業関係はいまいち動きが鈍い。


そんな中の震災だった。

納豆メーカーやサツマイモをはじめ農業関係は甚大な被害を受けた。

あの時海外に進出しておけば、と思える企業も数社ある。


とにかく腰が重い。

現地へ行かない

踏ん切りがつかない。

臆病なのか。

保守的なのだろう。

進取の気鋭に乏しい。


これまで、多くの分野で種まきをしてきた。

咲いた花もあるけど、枯れてしまったあるいは枯れかけているものも多い。


そもそも政府の手掛ける地方創生とやらで成果が出ているところはほとんどない。

熊本でも例外ではなかった。

地震が起きようが起きまいが、

熊本経済は下降していた。

それが今急降下だ。

ここでスロットルを全開にしないと墜落することは必至だ。

とにかく機首を上に向けなければ。


そのためには、今一度目を海外に向けることだろう。

インバウンドだけでなく、

このさい思い切ってアウトバウンドに転向しなければならない。

そのためにも、未だ残る殿様商売気質を悔い改める必要がある。

井の中の蛙、お山の大将を脱却して

遅ればせながらも国際社会に進出しなければならない。


なぜなら、

もはや熊本は限界政令指定都市になろうとしているからだ。

超高齢化、人口減少は加速するだろう。

県民の価値観が一変して低欲望社会になった。

いくら頑張っても消費が伸び悩むことは見えている。

そうすれば財政難となって県は疲弊の一途をたどるだろう。


もはや躊躇している時間はない。

国がいくら地方創生をさけんで景気浮揚策を打っても

それが熊本経済に及ぼす効果はたかが知れている。


ひところ、町おこし、村おこしと称して

一村一品運動や熊本も日本一運動を繰り広げたことがあった。

これもコミュニティビジネスやご当地ブーム同様、地域を元気にする効果はあっても、

県のGDPを押し上げるほどの効果はなかった。

国は、地方創生として1000億円の予算をつけるらしいが、

1000億円のおカネを1800の市町村に配っても、

各市町村に1億円もいき渡らない。

これは単なる選挙対策としてのパフォーマンスに過ぎない。


国を相手にしていても埒は開かない。

個人、企業が自分たちでどうすればいいかを自分の頭で考えなければならない。

そのためには、「考えられる人、方向を示せる人、構想を練られる人、実行に移せる人」が求められる。


こういう人材が今の熊本にいるのか?

はっきりいって、いない。

蔓延っている古い、石頭のおじさんたちがシニアリティ(年功序列)をチラつかせながら、

ない知恵を絞ってもなにも出てこない。

今こそ熊本は、

よそ者、若者、バカ者、変人、外国人を受け入れ

胸襟を開いて酒を酌み交わすべき時なのだ。


そして、

もっともっと「世界」に目を向けなければならない。

世界のマーケットを見て、研究しなければならない。

地方、企業、個人、それぞれが世界を視野に入れて、

「これだけは世界でトップだ」と胸を張れるものを作っていくことが求められている。


もはや待ったなし。

背水の陣を敷いて、

地方、企業、個人、それぞれがこの未曽有の危機に備えるしかない


いみじくも大前研一も言っている。

地場産品を、国内で販売するだけでなく、海外に輸出して稼ぐ。

それから、観光客や企業、ビジネスマンや技術者、つまり人・モノ・カネが海外から入ってくる仕組みを作ることが必要だ。

中央・東京依存型の経済から脱し、地域が直接海外経済とつながるというやり方に転換しないといけない、と。


熊本経済再建の秘策は海外進出にしかない。

そのために、

小生も老体に鞭打って一肌脱ぐ覚悟はできている。

熊本人としての矜持をもって、

熊本への恩返し、御奉公として。


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6月5日(日)のつぶやき

2016年06月06日 | 熊本地震
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熊本の限界

2016年06月05日 | 熊本地震
熊本市生まれである。

生粋の(born and bred)熊本人である。

企業や組織が構成員の人柄で決まるように、

地方の発展もそこに住む人々の人となりで決まる。


ボクは、大学(19歳)から県外に出た。
(約30年後帰ってきたが)

熊本の地は好きだが、熊本の人間は好きにはなれなかった。

早く熊本から出たかった。

それ以前に、日本から逃げ出したかった。

何となく島国根性が嫌いだった。

広い大陸的気質に憧れた。(アメリカ)

そしてそれは陽気なラテン気質へと昇華(sublimination)していった。(スペイン、中南米)



熊本という土地は大好きだが、

はっきり言って熊本人の気質は嫌いである。


すぐに群れたがり、人の足を引っ張る。

「肥後の引き倒し」という言葉があるくらいだ。


これは、

誰かが成功したり抜きん出ようとすると 邪魔をしようとする傾向が熊本県人にはあるということを意味している。

成功者が出にくく、いつまでたっても団栗の背比べの域を出ない。

井の中の蛙、お山の大将的ローカル性の表れだろう。


それだけに排他的である。

よそ者や変わりものを受け入れにくい。

それゆえ、生まれつき変わり者(?)の自分は馴染めなかった。


熊本人の非常に特異なところは、

人の判断基準として、卒業した高校にこだわるところがある。

高校の先輩、後輩の絆が強い。

学歴というより、セクト主義(仲間意識)が強いのだ。

実にくだらない偏向だ。


また、「肥後もっこす」とも言われ、

津軽じょっぱり、土佐いごっそうと共に、日本三大頑固のひとつに数えられる性質をもっている。

良く言えば(?)、純粋で正義感が強く、一度決めたら梃子でも動かないほど頑固で妥協しない男性的な性質を指すが、

何が何でも反論し、たとえ間違っていても自分の意見を押しとおす気質を指す。


それと相俟って、曲がったことを好まず駆け引きは苦手で、

他者を説得する粘り強さに欠け、

プライドや反骨精神も強いため、組織で活躍することは向いていないと言われる。

いい方向に傾けばいいが、融通が利かないので取り付く島がなくなる場合が多い。

損をしてでも自分の主張を曲げない極めてバカなところでもある。


ある県外人曰く、

「熊本人は、自分が世界の中心にいると思っていて傲慢」だと。


さらに、「肥後の議論倒れ」という言葉もあり、

議論好きで、それでいて自己主張が強いため議論がまとまらないことが多い。

このような、自説にこだわる頑迷さ、

および議論好きで自己主張が強く個人主義的であるという点においてドイツ人との強い類似性があるようだ。


いかにも議論大好きの、強情っ張り、激しい気性に加え、短気、感情的で、競争心が強く、恥や面子にこだわる。

まさに「九州男児」を象徴しているかのように取られる。

反骨精神がある割に、保守的だが、意外に新しいもの好き。

それでいてけっこう気が小さい。


熊本女性はまるで昭和や明治の女性の典型であるかのように、

男を立て、甲斐甲斐しく働く。

男はそれに甘え、だらしなくなる傾向もある。
(ボクがそうであるように)

いわゆる髪結いの亭主型だ。

もとより男尊女卑の傾向が強かった。

だが、その反動からか、「火の国の女」と呼ばれる熊本女性は、

忍耐強く、かかあ殿下的にしっかりした女性が多い。

男性と同じく、頑固で情熱的といえる。


それが高じて、最近は自立志向型タイプの女性が増えてきた。

いわゆる肉食系だ。

身に沁みて感じている。


さて、総じて熊本は素晴らしい。

気候風土と言い、食べ物、水、自然に恵まれ、住みやすい土地柄もあり、

そのせいかあまり外(県外)に出ようとしない。

あまりにも居心地が良すぎるのだろう。

いわゆるコンフォートゾーン(ぬるま湯)なのである。


それだけに、勢い狭い社会にいると、その中のことしかわからないくなる。
(まさに井の中の蛙)


人間は、

同じような人ばかり付き合っていると、同じような自分しか出てこない。

いわゆる人間が狭い。

器(度量)が小さい。

進取の気鋭が乏しい。


そんなDNAがボクの中にも流れているかと思うと自己嫌悪に陥る。

頑固な上にへそ曲がり、天邪鬼でひねくれている。

嫌な性格。


だからこそ、反骨精神をもって外に飛び出す。

旅に出るのだ。

進取の気鋭を鼓舞し、創造性を豊かにし、

新たな時代の変化に即応できるように。


多様な人が自分の周りにいることで、

自分のなかにある多様性にも気が付く。

向き合う相手が変われば、自分のほうも違うものが引き出されていく。

旅はボクを変えていく。



【結論】

熊本復興は、人間改革なくしてあり得ない。

姿かたちをもとに戻しても、それだけでは活気は戻ってこない。



つまり、器に魂を入れなければ、

画竜点睛を欠くことになる。


排他主義を無くし、柔軟な考えを取り入れない限り熊本は黄泉がえらない。

「熊本復興 = 熊本人改革」である。


坂本龍馬の言葉を借りるなら、

「今一度熊本を洗濯致し候」

といったところだろう。


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【追記】

現在の熊本城を徒歩で見学できるコースがあることをご存じだろうか。



地震により大きな被害を受けている熊本城では現在、

城下の観光施設「城彩苑(じょうさいえん)」を経由して、


         ゲートにそって坂を上へと歩いていく 

被害を受けた城内の数カ所を、


        石垣そのものも、いたるところで大きく崩れている



安全な場所から見学できる徒歩コースが設置され、

一般に公開されている。

※ ゲートの通行可能時間は9時から18時30分までとなっています。


公園内や途中の道路には黄色い帽子をかぶった係の方がおられ、熊本城について色々と話を聞くことができます。

ぜひ足を運んでいただきたい。

※ ただし、まだ余震が頻繁に起きています。

十分に気を付けて、自己責任のもとに訪れてください。


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【補足】

熊本人気質は

熊本出身の有名人、芸能人を見れば大体想像がつくだろう。
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6月4日(土)のつぶやき

2016年06月05日 | 熊本地震

困難への対処の仕方 復興よりまず健康 goo.gl/s7obRP


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地震後の経過

2016年06月04日 | 熊本地震
地震から一か月半余りが過ぎた。

未だに余震が続く。


この間、ボクは何をしていたか。


いきなり車中泊が始まった。

避難所生活。

不安を露わにするお年寄り、

支援物資が届く中、

炊き出しなどのボランティアで動く人々。

ヨガやマッサージを無料で行う人たち。

いろんな方たちとの出会いがあり

たくさんの恩恵を授かった。


そんな中、県外の宿泊施設が無料で被災者を受けてくださることを知った。

さっそくそこに身を寄せお世話になった。

実に有難いことだ。

行政もボランティアの対処の仕方も東北大震災の経験が大きく役立ったようだ。


まずは、現場の中心あり、そして、一歩外から

現実をありのままに観ることこそが、

『量子論』的思考にも適っていた。


そのうえで、疎開先で自分に何ができるかを模索する日々が続いた。

体力的には限界があるが、

精神的拠り所になることはできると確信した。


否応なく強制的に失うものが続く中でも、

むしろ希望の光が見えることを知った。


これまでもいくつかの人的、自然災害を経験してきたので、

既に心の準備はできていた事が幸いした。


まずは、慌てない、身の安全を図ることが第一義だ。

必要以上に恐れることもない。

心の平安を図ることが第二義。


復興より、健康。

自分の精神状態、体調を考慮することが大事だ。

そのうえで、無理なくできることから始めていく。


それを回りの人たちに伝えていく。

そのためにも自分自身がしっかりしなければならない。

妬みにも似た誹謗中傷に耳を貸している暇はない。


自分自身を信じることだ。

どんな事態にも動じないことだ。

そして、そのことをできるだけ多くの人に波及させていく。


普段から自覚的に心の準備をして生きていれば、

何か突発的なことが起こっても、ダメージを最小限に留められ、

むしろ、柔軟に対応すれば、それをバネにしてさらなる飛躍を目指せるということを知っている。


誰にでも災難は起きる。

しかも一定の周期でやってくる。

それが人生のメカニズムなのだから。


新たな人生の飛躍を迎える時は、

決まって悩み、苦しみ、受難の時期が先行する。


だから、今回の地震で自我の執着、自尊心が粉々に砕けたとき、

人生の新たなステージに進むことができると確信したのだ。


なぜなら、

古いものを抱えたまま、新しいものを手に入れることはできないから。


今回の地震は、

自分(自我)の心が執着して、自分では捨てられないものを 捨てさせるために、

手放さざるを得ないような状況を運んできてくれたのだと半ば狂喜せざるを得ないほどだった。

むしろこの興奮を周囲に悟られないように抑えるのに必死だった。

それでなくても、不謹慎と罵られるのだから。


こうして今告白するのも、

これはボクだけでなく、

すべての人に当てはまるいわば宇宙の論理だから、

皆さんが希望を捨てずにこれからの新たな人生に臨んでいっていただきたいからに他ならないからである。


すべては無限の可能性の海の中にあって、

何が起こっても不思議じゃない、という考えを持つことが必要なのだ。

それが本当の意味での『現実』なのだから。


人は、

どうもがいても自分自身が設定した『自分の限界』の中でしか生きていくことができない。

ならば、常に『自分の限界』を広げるような生き方をしてみてはどうだろうか。


『できない』と考えることが未来に起こる確率は限りなく0に近いが、

それを『できる』に変えた途端、それが起こる可能性がこの世界に生まれる。


例え1%でも『できる』という前提をもって、それが現実になる確率を高めていけば、

どこかで必ずそれは、『必然』になる。

その確率を高める方法が、行動を起こすことに他ならない。


今すぐ、行動を起こそう。


週明け(明後日)からボクは西原村に帰ることにした。

復興の目途も立たず、未だに土砂災害の残る現場の真っ只中に。


     この山の亀裂の下に家がある

そこで、新たな人生の幕開けに向かって旅支度をしよう。

夢と希望をバッグに詰め込んで。。



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