世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

借金苦

2013年10月04日 | 苦境
借金苦で喘いでいる。

別に今に始まったことではない。


借金苦から逃れたい。

誰しも思うことだろう。


無借金生活は理想の生活だ。

そう信じて疑わなかった。



一度無借金状態になった時期があった。

50歳を目前にしていた。


キャッシュ払いで街に家も手に入れ、

リゾート地に店舗(ホテル)も手にし、

車も3台、全て欲しいままにした。


その代わり預金もなくなった。


あとはホテルをチマチマやって日銭を稼げば

優雅な生活ができるところまできていた。


セミリタイアー。

なんとなく格好いい響きに憧れた。

だが、それも3年ともたなかった。



刺激のない日々。

変化のない日々。

退屈な日々が続いた。


そんな折、ひとつやり忘れていたことに気づいた。

自分の究極の理想の家を建てることだった。


自ら設計した。

あらゆる機能を織り込んだ。


スタイルもひとつにこだわらず、三様式を取り入れた。

外観はヨーロッパ風、

骨組みはログハウス、

そして寝室はアーリ-アメリカン調といった具合にだ。


ジャグジーや打たせ付きの露天風呂、

円形の暖炉、

ロフト、地下室、広いテラス、

オール電化と贅沢の粋を極めた。


そのために、新たな借金をした。

1、500万円。

返済は順調だった。

10年で完済する予定だった。


以前、5、000万円の借金を10年かからずに完済したことがある。


借金慣れしていた。

へっちゃらだった。


これで老後はまた悠々自適。

舐めてかかっていた。


ところが、半部ほど返したところで雲行きが怪しくなってしまった。

例のリーマンショックだ。

そして、3・11が追い討ちをかける。


それでも、政府のモラトリアム(支払い猶予)政策のおかげで

なんとか食いつないだ。


だが、客足は一向に伸びず、時間だけが過ぎていく。

時間を持て余すと、ろくなことは考えないものだ。


退屈を嫌う。

その間、起業家精神が頭をもたげ、

新たな事業へと進出して現在に至っている。


政権が変わり、モラトリアム期間は終了した。


好むと好まざるざるにかかわらず、事業は拡大する一方だ。

それに連れて、歳もとる。


だが、不思議にも気力は衰えるどころか充実度を増している。


激務が続き、睡眠時間は短くなる。

だが、気力のみならず、体力、精力とも向上を見せる。


借金苦はその度合いを増す。



だが待てよ。

もし、無借金になったら、どうなるか。


多分、セミの抜け殻のようになり、

無気力が心を支配するのではないだろうか。



借金あってこその頑張り、充実。


苦しい、苦しい、嫌だ嫌だと言いながら結構楽しんでいるではないか。

これでいいのだ。


借金苦のおかげで、ボクの気力と身体は持っている。


気の抜けない毎日が充実感を与えてくれる。


打たれ強い。

ストレスをストレスと感じない。

悲観しない。

立ち直りが早い。



ただ、やっぱり思う。

借金さえ無かったら、どんなに楽だろうか、と。


そう思うのも、借金あればこそ。



翻って、こうも思う。

返せなくなったら差し押さえられるだけ。


モノはもういらない。

返ってスッキリするのでは。


だから、どっちに転んでも構わない。

だが、返せるうちは頑張って返そう。


そうしているうちが元気の元だから。

リタイアはもう真っ平だ。


女房に逃げられたら・・・?

2013年10月02日 | 苦境
奥さんに逃げられたらどうしますか?


長年付き合っていた女に振られるのもある意味一緒。

どうしますか?

泣きますか?

追いかけますか?




ボクの貴重な(?)体験をお話しましょう。


ボクは二度女房に逃げられ、三度目も同じような気持ちを味わいました。


それはそれは悲しいものです。

虚しいものです。

寂しいものです。

やるせないものです。


自暴自棄になり、何をするにもやる気が起きません。

仕事も手につきません。


茫然自失(be stunned 《at, by》)といった気持ちです。



だけど、


だけど、


一旦その気持ちが吹っ切れて気を取り直した時、

未来に希望が輝き出すのです。


それまで要する時間は数ヶ月から数時間。

回を重ねるに従って、慣れて短くなります。



立ち直りが早いのはいいことです。

いつまでも、過去をズルズルと引きずっていては先に進めません。


でもよくそういう人がいます。

いつまでもくよくよしている。

過ぎ去った思い出に耽けってばかり。


挙句、ウツになる人もいます。

自滅する人もいます。



逃した魚は大きいかもしれない。

だが次はもっと大きいものが釣れるかもしれない。


あるいは、釣りじゃなくて猟に切り替えることだってできる。

魚にこだわっていては、近くにいるシカに気がつかないだろう。




結論を言おう。

ボクは女房に逃げられるたびに、別の大きな幸せを手にしてきた。


精一杯涙を流して悲しみを乗り切ったとき

もっと素晴らしい世界が広がっていた。


ボクは自由というかけがえもないものを手に入れることができた。




自由と孤独は対(つい)をなす。


多くの人間は群れたがる。

家族だ、仲間だ、組織だという柵(しがらみ)の中で幸せを見つける。


一時間でも多く、祭りの中に身をおくことで我を忘れて楽しみを共有しようとする。

祭りのあとの静けさという空虚な時間をなるべく作らないように

いろんな仕掛けを作っては気を紛らわす。



そうして一生を終えるのもいいだろう。

終えればの話だが。


死ぬのも一人なら

寝るのも一人。

たとえ同居人が横にいようとも、同床異夢は避けられない。



人は孤独を恐れる。

だが、一旦孤独の快感を味わったとき

その虜になることも事実だ。




ボクは東京で暮らしていた時、

都会の孤独を知った。


人ごみの中の孤独を味わった。


一方、大自然の中の暮らしも十二分に味わってきた。

田舎暮らし、35年のキャリアを持つくらいだから。



ここ数日、森の中に身を起き自問自答を繰り返してみた。


どう生きるべきか。

どうするべきか。



今、みたび自由を手にした喜びに包まれた。

自分の理想のライフスタイルにどんどん近づいていく姿が見えた。


世界を旅する自分の姿がはっきりと見えた。


人生がそうであるように

旅の世界は一期一会(a once-in-a-lifetime chance [a special occasion])そのものである。


旅は究極の出会いと別れの繰り返しである。

喜びと悲しみを糾(あざな)える縄のように何度も何度も繰り返してきた。

その都度、涙に明け暮れ、笑いに包まれた。



ひとところに住む人間(種族)と、

移動を繰り返す種族とでは、

人間関係の考え方が全く異なる。


どちらがいいとか悪いとかの問題ではない。


理解しがたい側面を持ち合わせているだけのことだ。



ボクは静物ではない、動物だ。


転がる石に苔はつかない(A rolling stone gathers no moss. )。

コケを柵(しがらみ)と置き換えてもいいのかもしれない。


自由とは柵を切り捨てるところに存在する。


ボクは転がる石(A rolling stone )より

風に流され空高く上がるシャボン玉(soap bubble)でありたい。

日の光で虹色に輝くシャボン玉。


最後は、弾けて消えるのだ。


♪ Bubbles, oh bubbles,

You floated up in the air,

Reaching the roof so high,

Reaching the roof so high,

Only to pop and die. ♪




【余談】


「結婚は人生の墓場」

という名言は誰しも知っていながら

結婚に憧れる。


「結婚式は自由との告別式」といったのは美輪明宏。


誰が言ったか知らないけれど、

「人は判断力の欠如により結婚し、

忍耐力の欠如により離婚し、

記憶力の欠如により再婚する」



まるで自分ことだ。


「結婚とは、

熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる」(リヒテンベルグ)



なのに、結婚したがる。

結婚しない(できない)人が増えているのは、良いこと?







最強の生き方

2013年09月24日 | 苦境
最後まで生き残れるのは、

強い者でもなく、賢いものでもない。

変化に対応出来るものである。


これはダーウィンの言った有名な言葉である。


だが、付け加えればこれだけはいえる。

弱い者は生き残れない。



では、変化に対応出来るものとはどういう者を指すのか。


それは、


打たれ強い奴。

負けないやつ。

へこたれないやつ。

批判に晒されても、めげないやつ。

立ち直りの早い奴。

切り替えの早い奴。

常に考えて、工夫する奴。

オレは絶対負けない、勝と信じている奴。

オレは必ずやる!と自分に言い聞かせる奴。

プレッシャー(本番)に強いやつ。

平常心を保てる奴。

ストレスを感じないやつ。

心が折れないやつ。

常にチャレンジしている奴。

好奇心を絶やさないやつ。

感動する奴。

感謝する奴。




人生において、常勝はあり得ない。


その人の真価が問われるのは、勝ったからでもない。

成功したからでもない。


負けた(失敗した)時どう対応するか、

そして、どう立て直していくかで決まる。



つまり、

成功するまでやれば、その途中の失敗は帳消しにされる。

失敗したところで諦めるから、失敗者の汚名を着せられるのだ。



勝つまで試合を諦めなければ、

それまでの負けはカウントされないのが人生の勝負だ。


ゲームには時間制限があるが、

人生の時間は死ぬまである。


いつ死ぬかが分からないところが妙だ。


だから、今日死ぬといつも思っていれば、

常に必死に生きることができる。


これが「一日一生」の思想だ。


そして、必死にことに当たれば、

何事も大概は短時間で成就できる。


20,30,40でまだ時間が残されていると思うから

あっという間に50になり、60になり、

結局、もう歳だからと諦めてしまうのだ。



むしろ人生は60からが勝負。

それまでの59年間は、準備期間。



なぜか。

60を過ぎたら失うものが無くなるからだ。


無私無欲になれるからだ。


欲に溺れ、自分に拘りがあるうちは人間大成できない。


人の奉仕し、世の中に貢献できて初めて

人は人の道を生きられる。



―――――――――――――――――――――――――

ボクはどう努力しているか。


日々、勉強でしょう。


勉強の仕方はいろいろある。


本による勉強はもちろん、

人と会って話をするのも勉強だし、

旅行をしていろいろなものに触れるのも勉強。


つまり、自分の知らないことに対する飽くなき探求心、追及心が旺盛であること。

そして何より、自分の好きを大切にしている。


その中で小さな成功体験を積み重ねた。



そうすることで自分に自信が持てる。

広い視野を持つことができる。

揺るぎないが囚われない(stable but flexible)余裕の心を培うことができる。

さらに、自分を客観的に見ることができるようになる。


だから、何があっても動じなくなる。

うろたえない。

肝が据わってくる。


ひいては負けない体質を作ることができる。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

怖いのは負けを知らないで育つことだ。

子供の頃、親が手とり足とりで失敗を知らずにで育った子が

大人になって世間に出た途端に潰れるのは大概そこからきている場合が多い。


働くことを教えない。

すぐに仕事を辞め、フリーターになり、

ニートになり、ウツになる。


結婚もせず(できず)、パラサイトで生涯を終える。





では弱い人間とはどういう人間を指すのか。


腹を立てる。

修正力がない。

限界を設けている。

他人と比較する。

安定を求める。

状況が悪いともがき、人のせいにする。

考えても感じない。

物事を複雑に考える。

感動、感激、感謝しない。

心(言っていること)と身体(やってること)が一致しない。

欲が多い。

ウソやごまかしが多い。

約束を守らない。

慎重すぎる。

情報や知識に頼りすぎる。

過去をいつまでもひっぱる。


危機を乗り越える

2013年09月19日 | 苦境
人生にはいろいろな危機が待っている。


人生が一人一人違うように、

危機も人によって様々だ。


だが大きく分けると、


経済的危機、

すなわち、金欠、資金不足、借金苦など。


それから、健康の危機。

いわゆる病気にかかることだ。

これも程度により、様々。


最近は肉体的より精神的な疾患が増えている。



それから、人間関係の危機。

これは、夫婦であったり、家族であったり、仕事上の人的トラブルであったりする。


そして、仕事上の危機。

倒産、解雇などの失職、リストラ、転勤も含まれるだろう。



そしてそれらは微妙に絡み合って起きる。


仕事上の危機は、即経済的危機を呼ぶ。

健康の危機も経済的危機につながることが多い。


人間関係の危機は、健康の危機となり、仕事にも影響を及ぼし、

結局経済的危機と結びつく。


こうして見れば、多くの危機は経済的危機に収れんしそうだ。



逆に考えれば、

経済的に余裕、ゆとりがあれば、つまりお金に困らなければ

その他の危機はある程度回避できることになる。



お金があれば仕事をしなくて済むし、

病気の治療も受けることができる。


まずい人間関係も避ければ良い。

夫婦を含む男女関係も慰謝料や手切れ金で解決できる。



「全ては金次第」と言われる所以である。


だが、そういう人はごく稀であって、

お金持ちにもお金持ちの悩みは尽きない。


インサイダーや脱税などで捕まる犯罪人もいる。


一般に、まともに働いて、

あるいは真面目に汗水たらして働いても大金持ちになることは稀だ。



むしろ、財産、遺産が転がり込むとか、

株や投機で運よく大金を手にする、

ギャンブル(宝くじを含む)が当たる、


不動産投資で不労所得が入る人などなど。



多くの人が夢見る姿かもしれない。



だがそれらの人の大半は、

人の恨みや妬みを買ったりして人間関係に苦しめられたり、

病に陥ったりすることが多い。



お金持ちになりたい、有名になりたいとは俗人の二大欲求だ。

だが、もし仮にそうなっても


税金対策に頭を悩ませ大きい負担となる。

有名人には有名税というものがある。


プレッシャーであり、普通の人の生活ができにくいということだ。


つまり、普通に生きることが一番幸せへの近道なのだ。

ところが、その普通ということが難しい。


何が普通なのかも人によって様々だ。


漱石ふうにいえば、どっちに転んでも「所詮この世は生きづらい」のだ。






さて、話を主題に戻せば、


今、危機なのです。

危機はすべての人に降りかかる。



ボクが晒されている危機は、

仕事の危機であり、畢竟経済的危機である。



どちらも今に始まったことではないが、

仕事の危機に直面していることはある程度周知の事実だ。




だが、考えてみれば、

同じような危機的状況は過去に何度もあった。


しかしどれも、振り返ってみれば何とかすり抜けてきている。



たしかに、今は苦しい。

死にたいくらい苦しい。


死んでしまえば楽になるだろうと思うくらい苦しい。



だが、どこかで、これをすり抜ければもっと素晴らしい未来が待っているのという期待感がある。


それは今までがそうだったからだ。

自分が飛躍するときは、何時でもそうだった。


未曽有の苦しみがあった。

いわゆる、女性しかわからない生みの苦しみに似たようなものかもしれない。


だがそれは同時に、死の危険性もはらんでいる。


帝王切開しなければならないかもしれない。

いわゆる、ハードランディングだ。


クラッシュを覚悟で試みるしかないだろう。


一か八かという気持ちだ。

いや、「リッチか罰か」と言い換えさせられているようだ。


まあ、今更リッチはいらないが、

自分の立地(ポジション)ははっきりさせておきたい。




天国のお父さん、

危機です、


だからチャンスです。

見守っていてください。

惨敗

2013年08月30日 | 苦境
自分はどれだけブランド力があるのだろうか。

かじえいせいという名前は、どれだけ影響力を持っているのか。


それを試すイベントの立ち上げだった。


小さな世界でちやほやもてはやされて、

いい気になってるのではないか。


昨夜は思い知らされる場面だった。




これは出版とも大いに関連性がある。


本の売れ行きには、タイトルと表紙が大き左右する、と言われる。

もう一つは、知名度だ。


無名でヒットを飛ばすには、いろんな要素が絡み合わなければならない。

上記に加え、販売力が物を言う。


そうしたものは、一朝一夕に養うことはできない。

やはり日頃の努力と不断の積み重が下地となることは言うまでもない。


結局継続性の問題となる。

継続させるにはモチベーションを保つ必要がある。


健康や若さも同じだ。




人にはそれぞれ欲望がある。


事業欲(チャレンジ精神)、性欲といったものは年とともに薄れていくのが普通だ。

ところが、金欲と権力欲は反比例して増大する傾向にある。



ボクの場合は全く逆だ。


事業欲と性欲だ減少するどころか、増しているような気がする。

反対に、金欲、権力欲といったものはほとんどない。


貪欲と強欲は身を滅ぼすといわれる。



金欲と権利欲は守勢に回ることが多いが、

事業欲には攻撃性がある。




体力や筋力は年とともに衰えるが、

脳の成長は死ぬまで続くとされる。


考えることをしなくなると脳の活動は一気に衰える。

脳は、変化とチャレンジジを好み、ドーパミンを噴出させることで若さを持つ。


ときめく心を醸しし出してくれる。



もう一つ大事なことは、


イメージ力だ。

想像力だが、妄想(delusion)力とは違う。


妄想は、時に悲観的で迷いや疑いを生む。


脳は否定語を理解しない。

少なくとも建設的な想像力を働かせれば、

脳は自ずとそれに従う。


だから、成功したいと思うなら

成功したその姿を思い浮かべ、


幸せになりたければ、幸せな姿を想像すればいいだけのことだ。



さあ、もう一度気を取り直して

パーソナルブランドの構築に臨もう。




【参考文献}


自分のパーソナルマントラを考え出すための4つのステップ


1.自分の感情的魅力を決める。

あなたは、Erika Napoletanoのように面白くて奇抜であるという評判を築きたいのか?

Jay Baerのように確固なメトリクス手動型の見解で知られたいのか?

それとも、Mitch Joelのように、リアルタイムの技術の変化、ビッグデータ、広告とマーケティングの進歩に関する見解を提供したいのか?

何であるにせよ、

自分の感情的魅力を決めるためには人々がなぜあなたを好むのかを知ることだ。


2.自分の説明文を作る。

自分が属する業界についてや、自分が持っている具体的なスキルが何であるかを考えて、自らの説明文(ディスクリプション)を作る。

自問自答するのだ:

自分はどの分野にいるのか(もしくは、いたいのか)?

自分の仕事について話すときに自分が使う言葉は何か(説明的な形容詞)?

ターゲットオーディエンスは誰なのか?

これらに対する回答が、自分の説明文を作るのに役立つだろう。


3.自分の役割について考える。

あなたがすること(もしくは、したいこと)を正確に書き出す。

それは、今の自分のキャリアに直接関係があることかもしれないし(グラフィック、ライター、セールス、ファイナンシャルプランニング、料理)、

もっと大まかなことであるかもしれない(クリエーター、オーガナイザー、コネクター)。

それが何であるにせよ、次のような質問が自分の役割を決めるのに役立つ:

私が人々に提供すべきサービスは何か?

私がその他大勢から目立つためにすべきことは何か?


4.全てをまとめる。 ここが一番難しいところだ。

自分が書いてきたことをどうやって2,3行にまとめるのか?

それができたなら、あなたは自分のパーソナルマントラを手にする。



【原文】

Your Personal Brand

Just like we do when we’re researching a company, product, or service, people will Google you before they meet you in person. In fact, they’ll look at how you interact online and off before you’re invited in for a job interview or a new business pitch.

Why leave that reputation to chance?

The very first thing you want to do is create your personal mantra. This will be used in your Twitter profile, your blog bio, your Pinterest description, your LinkedIn bio, your Google+ description…it’ll be used everywhere you need a two or three sentence bio.

In order to figure out your personal mantra, you want to:

1.Determine your emotional appeal.

Do you want build a reputation for being funny and quirky like Erika Napoletano? Do you want to be known for your solid, metrics-driven insight like Jay Baer? Or perhaps you want to provide insights into real-time technology changes, Big Data, and advertising and marketing advances like Mitch Joel?

Whatever it is, know why people like you in order to determine your emotional appeal.


2.Create your description.

Think about the industry you’re in or what tangible skills you have in order to create your description.

Ask yourself: What field or industry am I in (or want to be in)?

What are the words I use to talk about my work (one word descriptive adjectives)?

Who is my target audience?

Answers to these will help you figure out your description.


3.Think about your function.

Write down exactly what you do (or want to do).

It might be something directly related to your career at this very second (graphics, writer, sales, financial planning, culinary arts) or it could be something more broad (creator, organizer, connector).

Whatever it is, the following questions will help you determine your function:

What service do I have to offer people?

What do I do that is different than anyone else?

What do I do that makes me stand out from the crowd?



4.Put it all together.

Now comes the hard part.

How can you combine what you’ve written into two or three sentences?

Once you’re able to do that, you have your personal mantra.



In some cases it will be phrases (see Geoff Livingston’s Twitter bio as an example) and,

in others, it will be three complete sentences (see Danny Brown’s bio as an example).


No matter how you write it,

your personal mantra will be used consistently across the web as you begin to build your brand.

This is how people will begin to perceive you so take control and make it happen!

何故へこたれないのか

2013年08月10日 | 苦境
とにかく打たれ強い

逆境に強い。


困難に立ち向かう。


問題が起きると喜ぶ。


平穏より波乱万丈な人生を好む。


こんな性格いつからなったのか、

自分でも分からない。



揉まれ続けているうちに

生存本能として自然に身に付いたものかもしれない。



たしかに今は生きにくい世の中かもしれない。

特に日本は。



何処でも生きていくためには

どんなことにも耐えなければならない。


だけど、耐えているだけだと、本当につらい。



だったら、楽しんじゃおう、というのが正直な気持ち。


気持ち次第、


考え方次第で、


物事、出来事はどうにでもなる。


全てはWelcome精神で貫けば良いこと尽くめ。


こんな楽しい人生はない。



今日もいいアイデアが浮かんだ。

パクリだけど。



来月、ベトナムに行くとき

あなたの大切なもの、例えば大事にしているぬいぐるみなどを

あなたの分身として連れて行きます。


そして現地で写真や動画を取ってお送りします。


料金は、5.000円です。


ベトナムツアーを、5,000円で請け負います。


9月3日出発です。

パスポートはいりません。


ご希望、ご関心を持たれた方はご一報ください。

重圧

2013年08月05日 | 苦境
巨大な重圧に押しつぶされようとしている。

難題がこれでもかこれでもかと押し寄せている。


無理が祟って夏風邪をこじらせてしまった。


だが、それでも前へ前へと進まなければならない。


ボクはまだ、成長期にある。

なぜなら好奇心旺盛でチャレンジ精神を失っていないからだ。


ただ、成長期には決まって軋轢を生じる。

骨や筋肉が発達するときミシミシと音を立てている感がある。

当然、痛みや違和感を伴う。


それに耐えうる忍耐と、自分への信頼がどこまであるかが問われる。




幸いボクは感謝の念を持ち合わせている。


どんな状況にあっても、どんな人にも感謝することを忘れない。


あの人のお蔭、

あの出来事のお蔭でボクは創られている。



これからもそうだ。


ただ、不思議なことに

神様からの使者や試練は、その役割を終えると足早に消え去っていく。


それがたとえよかろうと悪かろうと、一定の意味を成し、

用事を済ませると跡形もなく消え去るのだ。



だから、そのすべてに感謝せずにいられない。



―――――――――――――――――――――――――

実は今、苦しみの絶頂にある。

いつもそうだが。


何が苦しいかって?


新しいビジネスへの挑戦と、

今まで展開してきたビジネスの転換を同時に迫られているからだ。


それは、ボクのライフスタイルに大きくかかわってくる。


転換とは変化であり、成長を意味する。


不思議とうまくいっているときほど、その兆しを感じる。




人生とは、苦しみと試練と艱難の連続である。

だからといって、四六時中苦虫を潰したような顔して


不平不満ばかりを垂れているとロクなことにはならない。




苦しの中に楽しみを見出し、

試練と艱難の中にあって喜びを噛み締める。


この域に達すると何があっても怖くなくなる。


いや、むしろ幸せさえ感じるから不思議だ。



――――――――――――――――――――――――――――

心理学的に、

人が幸せを感じるポイントが4つあるといわれる。


それは


①コントロールの実感

②成長の実感

③人間関係

④目的意識


の4つだ。



どういうことかというと、つまり、


1, 誰かに支配される、 指示される毎日ではなく、

   自分自身で自分の人生をコントロールし、


2, 毎日成長している実感があって


3, 人間関係も良好で


4, 自分の行動に目的意識を持てているという状態


なら、 人生は超ハッピーなのだ。



だから、リスクを背負い、強いプレッシャーに さらされるにも関わらず

上記の4つの条件を満たしているから幸せな気分を維持できている。




ただ、正直言えば、

上記の4つの条件以外で現実的問題に日夜晒されているのが実情だ。


それは、何を隠そう



金策。


この問題はどこまで行っても尽きることはない。


金は天下の周り物。

ボクの懐は常に通過地点。


留まることを知らないようだ。


未だ、周ってくるだけ、マシか!?



成るように成る。


いや、成るようにする!!

身も心もずたずたに傷ついている

2013年07月27日 | 苦境
多くのことをしょい込みすぎていますね。

能力以上のことをやろうとしています。


だから負担が多すぎてストレスを感じています。


廻りから理解されていません。

孤独な立場にあります。


心が傷ついていますね。


欲張りすぎて、余りに多くのことをやろうとして、バランスが崩れています。

本来の力が出ていません。



今まで付き合ってきたメンバーが変わります。


転換期に差し掛かっているともいえます。


心を許し、理解してくれるパートナーが必要です。



もう一度原点に戻って考えてみる必要があります。

自分が本当に何をしようとしているのか、考えてみることが必要です。



でも、人柄や仁徳で救われている人もいます。


リスクとデメリットといったものの全てを受け入れる覚悟ができているなら、

このままやり続けてもいいでしょう。




――――――――――――――――――――――――――――――

以上は、タロット占いの結果だ。


恐ろしいくらいまさにピッタリ当たっている。



ボクは今、心も体も傷つきいつ倒れてもおかしくない状況にある。


ボクの悪口を言い、非難する人が増えている。

しかも、今まで仲間だと思っていた人たちからその傾向が強い。

そしてぼくから距離を置き、離れて行く。



阿蘇の宿泊業、

社会起業としてのカフェからずれが生じているのも事実だ。


人間関係にも齟齬をきたしている。



新たなことをやろうとすればするほど、

それはずれていく、



だから原点に帰れというのだろう。


ただ、ボクの中では原点の軸足はブレていないつもりだ。


現象面として違った取り組みの中でも、スタンスは崩れていない。

自分の信念に基づいて行動している。


自然の流れに従って、自然の法則に導かれるように動いているつもりだ。


そうした意味では、無理はしていない。

強引にやろうとしているつもりは全くない。



あくまでも、

一期一会を大切にし、今この時を大事に生きている結果として

この流れがあるのだ。



そこに廻りからの不平不満が伴うのはある意味必要悪なのかもしれない。


「捨てる上さんあれば、拾う上さんあり」と女房のことを茶化したことがある。


「捨てる友あれば拾う友あり」と言い換えてもいいだろう。

ボクは旧知の友も大事にしている。



たしかに、

ボクが阿蘇から久住に移住し、そしてまた阿蘇に戻ってきたときにも


当然友達や仲間が入れ替わった。


だが、一部の人はずっと一緒だった。

ボクを見捨てず付いて来てくれる人もいる。



去っていく人がることは悲しいことだ。

ボク自身も傷つく。


だが、それに伴い新しい人との出会いもボクを勇気づけてくれる。



どういう訳か、ボクの周りには世間で弱者と呼ばれる人たちが多い。

あんな人と行き合うと損するんじゃない、というアドバイスを何度戴いたことか。



自分が得する人間だけを取捨選択している余裕はボクにはない。

またその気もない。


ボクの足にまとわりつく子犬を蹴飛ばすことは出来ない。

例えボクの行く手を阻もうとも。


しゃがんで撫でるなり抱っこしてやり、道中を共にする。

足手まといになることが分かっていても、どうして捨てられよう。




あいつと付き合うなら、

あいつが仲間にいるのなら、

ボクは(私は)あなたと一緒にいられない、という人がいる。


立派で社会的地位の高い人ほどその傾向にあるようだ。



心を病んでいる人は、社会的に抹殺される。

だからこそ、そうした人たちと一緒に活動しなければならない。


それこそがボクの宿命なのだから。


行動の姿かたちは変わっても、

そのスタンスだけは貫いている。



いくらボクの悪口を言う人にも、

いくらボクの評判を落とす人たちにも


ボクは一切のいい訳や反論をしない。



言いたいやつには言わせておけ。


いくら損失を被っても、ボクはボクであることに自信を持っている。


そのために自分自身がどんなに傷つこうとも

ボクは自分で正しいと思う道を進むのみだ。

それが茨の道であっても。


そしてそれが、一人の人を救うことができるのなら

どんな批判も甘んじて受けよう。



あわよくば、

それを分かってくれる人が一人でもいてほしいと願うだけだ。



【追記】


経営者とは孤独なものなのだ。


だからこそ、孤独に耐えて、

それを乗り越えてこそ事業が成し遂げられるのだ。


孤独の耐えかねて、

悪口や批判に晒されて潰されていては

志を貫くことなど到底できない。




【追記2】

昨夜はフィナンシャルセミナーの後、

ある青年とひとしきり飲みながら話をした後、

深夜のラーメン屋へ。


そして就寝は午前2時半。


彼が最初のゲストハウスの宿泊客となった。

もちろん、まだ未完成の段階で料金は戴かない。


ただただ、泊まってくれる人がいるだけでも、嬉しい。



飲んで、語り合って、バタンキュウ―!

これこそが"LOVE TRIP"のゲストハウスの醍醐味だ。




そう言えば、頼んでいた看板が見事に出来上がった。



余りに素晴らしすぎる。

感謝の念に堪えない。


早速取りに伺い、入り口に掲げたいものだ。

ありがとうございます。

動じない

2013年07月22日 | 苦境
「かじさん、最近すごく評判悪いですよ」


ボクにそう諫言(かんげん)してくれる素晴らしい友達がいる。

【諫言する】 remonstrate ((with a person about a thing))

諫言は耳に逆らうAdmonitions are not sweet to the ear.



ボクも知っている。

そして、その主な発信元も承知している。


ボクを何とか貶(おとし)めようと悪評をばらまいている輩がいるのだ。


そして同じようにボクを良しとしない仲間(?)とつるんで(hang up with)は

ボクを酒の肴にしてお互いの傷口をなめ合い、

あるいは第三者にブラックメールを送るなどして溜飲を下げている。



だが、残念ながらその挑発には乗らない。


自分が正しいと思うのであれば、堂々とボクの前に出てきて主張すればいいのだ。

眼前でボクを罵倒すればいいのだ。


それすらもできないで、ボクの顔を見ればコソコソと逃げていく。



狭い社会なのだ。

逃げなければいけないような相手を作らないことが大切だ。



意見が違うからといって、相手を悪者にしてはいけない。

相手の考え方を尊重して、自分の意見を堂々と述べればいいのだ。


そしてお互い妥協点を見つけて、良好な関係を保つのが良いのではないだろうか。


ボクは、ボクとぶつかったどんな相手であろうとも、

憎まず、ひるまず接している。


受け入れて許す心も持ち合わせている。


人は誰しも、もちろんボクを含めて多かれ少なかれ間違いを犯すものだ。


それをいちいち、顔も見たくない、口も利きたくない、絶対許さん! 

等と言っていては自ら世界をドンドン狭めていっているようなものだ。


ボクのミッションは、世界中の人と友達になって平和な地球にすることだ。


ちっぽけな諍(いさか)いでグチグチ言っている時間もないし、

そんなことに使うエネルギーも持ち合わせていない。


ボクにはもっと大きな使命があるのだ。





こう書くだけでも、カチンときている奴はいるだろう。

どうぞご勝手に。



ここでカチンときた時の対処法を。

まず、深呼吸。

時間があれば、瞑想する。


そして、3Sを実行する。

3Sとは、


forget, forgive and  forward

忘れて、許して、前進あるのみ。


自分の悪口を言いふらされたからといって、

むやみに反論したり、言い訳がましいことを言うことは

相手のちっぽけな土俵に上ることになる。


そうしたくだらない奴は多いけど、

放っておいても自滅していくから心配ない。


現実、例外なくそうなっている。

可哀想だが、仕方がない。

墓穴を掘っているのから(dig one's own grave)。




さて、これでぼくの悪評もまた一段と広がるだろう。




【追記】


ボクもたまに人の悪口を聞かされることがある。

そしてそれを聞いているほとんどの人が、悪口を言う人に同情し

一緒になって、


「そんな悪い奴なのか、あいつ」

「普段は、偉そうなことを言っといて、影では悪党かよ!」

みたいに助長する。




ボクはいつも逆だ。

人悪口を言う人はまず信用できない。


そして、悪口を言われる人に関心を示す。


こんなに悪口を言われる人って、どんな人なんだろう。


そして、直接会って話をしてみると

結構魅力のある人が多いのだ。



ただ、個性が強すぎてインパクトを与えすぎるきらいがある。


それだけに敵意を抱かせることも。


ただ、多くは嫉妬だ。


儲かっている奴、うまくいっている奴を見ると

無性に腹を立てる。


なんとなくわかるような気もする。


それは誰しも抱く感情なのかもしれない。

だが、それを悪口として口外してはいけない。



誰しも良い面は必ず持っている。

そして、悪い面もそれ以上の多く持っている。



だからこそ、

少なくてもその人のいい面のみにフォーカスすることだ。


無理やりでもいいから、人に会ったらいい面を探すことだ。

そして、その人のいい面の印象だけを残しておく。


そうすることで友達の輪は無限に広がっていく。

しかも、長続きする。



一時の感情で意気投合しても

些細なきっかけで罵倒し合う関係を築いてしまうことはよくあることだが、


そうならないためにも

上記の 3S (forget,forgive and forward)を肝に銘じておきたい。

耐えてこそ

2013年07月14日 | 苦境
何事もすんなりいくことはない。


苦労して、努力して耐え忍んでこそ成し遂げられる。

苦労もしないで、努力なしに、我慢もせずに何かをやろうとするからうまくいかない。

そして楽な方へ楽な方へと逃げるから、

ますますうまくいかなくなる悪循環に陥る。




順調そうに進んでいることでも、突然ブレーキがかかることがある。

あるいは、敢えてブレーキをかけなければならないときがある。



川の流れに乗ることは良いが、

急流や滝が待っていることが分かれば回避すべきだ。

無理やり進むのは無謀としか言いようがない。




回避の仕方もその状況に応じていろいろある。


撤退、中断

方向転換。



人はやりだしたことを途中で辞めることには抵抗がある。

ボクもそうだ。


信用を失う(discredit)。

沽券に係わる(It is beneath my dignity)。

格好悪い(ugly)。



それは、生き方(人生観)の問題でもある。

家族観の問題ともかかわる。


過去の理想像が総崩れだ。


それに伴って社会制度も変わっていく。



今何をして、何を成さざるべきか。

岐路に立たされ、決断を迫られる。



人生やビジネスには4つのパターンがある。

① High risk high return

② High risk low return

③ Low risk low return

④ Low risk high return


誰しも4番を求める。

だが、それはほとんどない。


安全性を重視して3番で落ち着くケースがほとんどだ。

時に、1番を目指して失敗する。


だが、必ずしも失敗するとは限らない。


一番を限りなく4番に近づけることを考えればよい。

それがアイデアだ。


risk hedge(危険回避)を施して臨む。

だが、途中で危険を感じたら文字通りリターンすることを恐れてはいけない。


それも勇気だ。

決断だ。



―――――――――――――――――――――――――――――――

既存ビジネスと新規ビジネスの谷間で揺れている。


既存のモノをどう変えていくか。

新しいモノをどう取り入れていくか、あるいは中断すべきか。


安定期に入るとマンネリ化と保守化が始まる。

そうなると、一気に谷底に突き落とされる。


敢えて安定を崩してでも変化させるべきなのだ。

だが、その変化を間違えると奈落が待っている。



今、変化の時、転換の時を迎えている。


どう耐えて凌ぐか。

そしてどう変化させるか。


またまた手腕が問われている。

うまくいかないときの対処法

2013年06月05日 | 苦境
なかなか思うように事が運ばない。

いつも失敗ばかりしてしまう。


そうしては滅入ってしまう(depressed)のが常だ。


こんなに努力しているのにどうして分かってもらえないのだろうか。

どうしてできないのだろうか。


自分には才能がないのだ。

もうダメだ、という結論に落ち着く。




そんな時、絶望的(disappointed)になって自分を責めたり、

あるいは、誰かのせいにして批判したり、悪口を言うことで言い訳を作って責任を回避させてしまう。


結局投げやり(negligent)になって、やろうとしたことを辞めてしまう。


ひいては、何事にもチャレンジすることすらしなくなるのだ。


こうなると人生は悪循環に陥ってしまう。




――――――――――――――――――――――――――――――

うまくいかないからといって、

いちいち絶望したり、悪口を言ったり、滅入っていては身が持たない。


外に出ることも、人と会うことも嫌になって辞めてしまう。

そして精神を病んでいく。

挙句、ウツという烙印を押されてしまう。

薬に頼るようになる。


鬱は薬では治らない。

そんな本があったっけ。


「うつは薬では治らない」 (文春新書) [新書] 上野 玲 (著)もその一つ。




基本的には、思考に問題がある場合が多い。

思考は嗜好に繋がる。


つまりその人の習慣を産む。


至高な思考を志向(指向)して施行する必要がある。



ウツになりやすい人の考え方にはある共通するものがある。


それは大体次の3つに集約される。


1.頑張り過ぎる。

2.自分を責める。

3.取りこし苦労。


義務感や責任といった感覚が強い。

生真面目な人が多い。


異常に何かにこだわる。

例えば異常にきれい好きな人は、汚す人、散らかす人を許せなくなる。


まだ起きてもいないことをくよくよ考えては、

それだけで落ち込んでしまって行動に移せなくなる。




だからいつも言うように、

良い加減、テキトーな方が良い人生を送れるのだ。


だが、それだけでは本当にどうでも良い、いい加減な人生になる危険性も潜んでいる。


やりたいいことがあったら、挑戦し、やり遂げるためには

結局は、頑張って努力するしかないのだ。


うまくいっているうちは良い。

問題は失敗や挫折した時だ。


これは必ずだれもが経験する。


人間の値打ちを決めるのは、うまくいって成功するかどうかでなく、

どう挫折を乗り越えるかにかかっている。


つまり、失敗した時の対処法で決まるといっても過言ではない。


何かを成し遂げたり、成功したから偉いのでない。


その道程には、幾多の失敗や挫折があり、それを乗り越えてきたから偉いのである。



ボクは、今、挫折の中にある。

それをどう乗り越えるか否かで自分の価値が決まる。



へこたれるか、奮起するか。

discouraged? or encouraged?

That is question.




【追記】


ボクは行き詰った時どうしているか。


まず、思いっきり落ち込む。

泣く、わめく、叫ぶ。


ひとしきり感情を顕わにし尽したら、

心を落ち着かせるために瞑想する。

いつまでもイライラ、ハラハラ、ドキドキしていては余計にド壺に嵌(はま)っていくから。



それから、

「Thinking,thinking」 とつぶやく。

心の中で思うだけでなく、声に出すこと。


必ず解決方法、他の道があるはずだと自分に言い聞かせるため。


「オレは出来る、やれる、やる!」と、自分を信じる。


問題点や、課題を紙に書く。

本当はどうしたいのか、何が問題のかなどなど、

箇条書きでも、マインドマップ形式でも、書きなぐってもいいから紙(神)に書く。


そうして、思いついた別の方法を実行する。


失敗したら、同じことを繰り返す。


絶対にできるまで諦めない。

だけど、そのやり方については、拘ることをしない。



「柔軟な頭」と「平穏な心」、そして「迅速な行動」を兼ね備えることが肝心だ。



もしも


もしも、


それでもだめだったら、究極のコツがある。


それは、



「開き直る」ことだ。

それは「心を開き、元に直る」ことを意味する。


そうすれば必ず完遂(accomplish)できる。



これが、挫折を乗り越え、成幸を掴みとる唯一の秘訣だ。

ブルーな日に想う

2013年05月18日 | 苦境
基本的にこのブログは前向きに書こうと心がけている。


人生そのものも、前向きであるよう努めている。


だが、時にどうしてもそう気にならないときもある。

いわゆる心がブルーになる。

I feel like that now.


そんな時は思いっ切るブルーに浸ることにしている。

I will totaly immerse into the blue.


無理に前向きになろうとすると、文字通り自分の中に無理が生じる。


自分に正直でありたい。

誰だって落ち込むときはある。



問題は、落ち込んだ時の対処の仕方だ。

落ちこんだ状態が長く続くとうつ病と診断される。


そこから抜け出そうとしても、あがけばあがくほど底なし沼のように沈んでいく。




ボクはどちらかといえば、躁鬱症(病)だろう。


病の範疇に入るかどうかは別として、

誰しも、躁の時と鬱の時の双方を持ち合わせている。


機嫌がいい時と悪い時と違って、

気分がいい時と悪いときがある。



気分なのだから、

気を紛らわして、なるべく元気になろうとするのが一般的かもしれない。


そうできればそれもいいだろう。


だが、例えば音楽を聴くとかして気を紛らわしているうちはいいが、

止めた途端またブルーが襲い掛かる。

それもさらに増殖している。


抵抗すれば、対象物はさらに反発を強めるものだ。

チカラづくでは、根絶は出来ない。


かわせるものならかわすのがいいが、

どうしても避けて通れないことなら、あっさり受け入れてしまえばイイのではないか。



病気ならその病気を、

嫌なことならその嫌なことを、

金欠なら金欠状態をあっさり認めて受け入れる。


だからどうするとか、どうなるものでもないだろう。

むしろどうこうしようと思わない。

無抵抗になっちゃう。


状況はさらに悪化するかも知れない。

ならばならで、流れに任せてしまう。

行きつく所まで行き着こうと。


行きつけば、一息つく(行きつく)ことが出来るかもしれない。


これ以上落ちるところはないというところまで落ちてみる。

開き直ってみるのは、結構いい手かも。


悩みなんて、どうでもいいことが多いものだ。




ということで、

今日はブルーの日とさせていただきます。


今夜のパーティーは、ノリノリでいきますが。

危機の中に好機が潜む!?

2013年05月11日 | 苦境
絶体絶命の危機の中にある。


人生の歯車が、カラカラと空回りしている。




ボクは、歯車の歯ではない。

それはもう卒業した。

だが以前はボクもその歯車の一つに過ぎなかった。


今は、軸であり、駆動させる立場だ。



それだけの自負がある。



だが、以前歯車だっただけに、

一つ一つの歯車の気持ちがよくわかる。


ある歯は欠け落ち、またある歯は今にも折れそうに悲鳴を上げる。

その痛みが、軸に伝わってくる。



昨夜もそうだった。


重要な一つの歯車が悲鳴を上げた。

その歯にかみ合うはずの別の歯車の歯がきしみ始めたのだ。

その歯車は今にも挫けそうだった。


ボクは夜中に東奔西走して、油を指して回った。

とりあえずは再び動き出したようだ。


だが予断は許さない。


一回転してきたときに、うまくかみ合うのだろうか不安は尽きない。




また別の歯は動きを全く止めてしまっている。

ウンともスンともいわない。


ナントか動いてほしい。

最悪の場合、歯を入れ替える必要もあるだろう。





軸が折れたり、曲がっては元も子もない。

ましてや動きを止めるわけにはいかない。


常に、シャキッとして一定のリズムとバランスを保ち光り続けなければならない。


ボクは、軸なのだ。




軸とししての責任と矜持がある。


軸として、やるべきことを全うしなければならない。


全てをやり尽くしたと言えるのか。

誓ってそう言えるのか。


否。

まだまだ打つ手はある。


あらゆる手を尽くし、すべてやり切ったと思っても、まだ半分。

山の頂は一つでも、登る道は幾通りもある。

無ければ、作ればいい。


誰も挑戦したことのない道なき道に挑むことだってできる。


無理だと思う。

恐怖が襲う。

震えが止まらなくなる。



それでも、キッと山の頂を睨(にら)み付けて

重い足を一歩前へ進めなければならない。


         

それが、軸が軸であるべき姿なのだから。



【追記】


結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。

決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる
。(イチロー)



努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。

多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する。(ヘンリー・フォード)

どん底

2013年05月10日 | 苦境
今ボクはどん底にいる。

そんなことをいうと、何を言っているんだ、と言われそうだ。


一見、飛ぶ鳥を落とす勢いでまっしぐらに突き進んでいるかのように見えるかもしれない。


そのつもりだ。


だが、あまりにも逆風が強い。


将来の夢は両手の指でも足りないくらいある。

だが、目先の生活は爪に火をともしている。


霞を食べて生きられる仙人ではあるまいし

将来に賭ける夢だけでは生きてはいけない。


とはいえ、

今はその夢だけが生きる支えとなっているのも否めない。


ここで夢を捨てて、何が残るのか。

皆無だ。



抱く夢を実現すれば楽になるかといえば、そうではない。

むしろ、苦しみは増すばかりだろう。


それでも夢を追うのは何故だろうか。

夢の先に何があるといのか。

夢って、そんなにいいものなのか。



夢はあっても、

現実の生活が追い付かなければ希望が湧かない。


夢と希望はワンセットのはずなのに。

まるで一輪車に乗っているような不安定さの中で揺れている。


心と身体のバランスを保つのが難しい。

少しでも気を抜けば、狂うだろう。



苦しくなればなるほどストイックにならざるを得ない。


酒を断ち、オンナを断ち、次は何を断てばいいのか。

男を辞めた後は、人間を辞めるしかないのだろうか。


それでも生きろというのか。

動じない心構えの創り方

2013年04月28日 | 苦境
どんな状況になっても動じない心構えの創り方がある。



自分の行動を、ある尺度に照らし合わせることである。


それは、

人として正しいかということだ。


自分のやっていることが、

人の道から外れていないか、ともいえる。


もし、正しいことをしているのであれば、

人が何と言おうと何ら動じる必要はない。


言いたいやつには言わせておけばいい。

影で批判や悪口をいう奴には、必ず天罰が落ちる。


そうした輩の言動にいちいち振り回される必要はない。


―――――――――――――――――――――――――――――

まず自分の行動が人の道に恥じないかどうかを確認したうえで、

心を落ち着かせるための方法をご紹介する。



それは、瞑想状態に入ることだ。





イライラする。

焦る。

夜眠れないことなどは誰しもあるだろう。


こういった状態の時、

常にボクが取る行動がある。



まず、深呼吸をする。

1~3回、思いっきり息を吸い、できるだけユックリ吐き出す。

これは、胸式呼吸になる。

胸(肺)にイッパイ酸素を取り入れる。


立ってでもいい。


これだけでも少し落ち着きを取り戻せるはずだ。



その後、座って瞑想をする。

静かで、少し暗いところが好ましいが、特に場所は厭わない。


今回は腹式呼吸を心掛けることがコツとなる。


目を半眼(薄目を開ける感じ)にし、胡坐をかく。


座禅の結跏趺坐(けっかふざ)ができればいいが、拘る必要はない。

要はリラックスすることが肝心だ。


ただし、背筋はピンと伸ばす。

顎を引き、肩の力を抜く。

手は、軽く開き手の平を上に向ける。


腹式呼吸をできるだけユックリと繰り返しながら

イメージする。


天からエネルギーが頭のてっぺんに降り注ぐ様子を。

そして、首から背中を通り、お尻から筒抜けていく。


それを時間の許す限り続けるのだ。

落ち着きを取り戻すまで。


―――――――――――――――――――――――――

チョッとしたことでもこの方法を心掛けておけば

いろんなところで役に立つ。


人と言い合いになろうとした場合。

腹が立った時、などなど。


この方法を瞬時に使うことで、かなり人間関係が好転する。


自分自身もストレスと溜めこむことが少なくなる。


クセにすれば、穏やかな生活が送れるようになる。


お試しあれ。