世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

首が回らない

2013年04月18日 | 苦境
昨日、一昨日と立て続けに奇妙な依頼の連絡が入った。


まず一昨日だ。

福岡に住むフィリピン人女性。

助けてほしいというメッセージ。


彼女からは以前にも同じような依頼を受けた。

その時は、警察に連絡したが犯罪とはみなされず、ほぼ無視された。


今回はそれ以上に深刻な様子。

休みもなく、自由もない。

挙句、客との接待も強要されている。


セックスまでは至っていないというが、

売春行為に発展するのは時間の問題だろう。



もうフィリピンへ帰りたいと

彼女は電話口の向こうで怯えていた。


外国人労働者の悲哀が伝わってきて

もの悲しさに包まれる。



そこで入国管理局へ匿名で通報。

調査しますという返答は得たが、

どう対処するのかは今のところ不明だ。




続いて昨日。

今度は熊本に住むベトナム人からの電話。

お金を貸してくれと。



実は、一週間ほど前にも

タイのバンコクにいる別のベトナム人からも

お金が無くなったからと無心の依頼を受けた。



なんでボクのような金欠人間にこうも立て続けに無心する(ask for money)のだろうか。

また、自分は自分で、ないくせに何とかしてあげたいと気持ちに苛まれる(torment)。


困った人を見ると助けてあげたいと思うのが人情。


夏目漱石は「草枕」の冒頭で言った。


「智に働(はたら)けば角が立つ、情に棹させば流される」 ってね。


これは、

理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、

他人の感情を気遣っていると、自分の足元をすくわれる、ってこと。


実にこの世はままならない。



でも、

「情けは人のためならず」という言葉がある。

よく誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に解される。



だが本当の意味は、

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、

やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということだ。


別に見返りを求めているわけではないのだが。


―――――――――――――――――――――――――――――


昨夜は深夜に彼女のアパートまで走った。

そして何故お金がいるのか事情を聴いた。


友達が入院しているからお金がいるのだという。

保険がきかないから病院代が高いとこぼす。


ボクは、その病院に掛け合ってあげるからといって彼女を説得した。



日本に来ている外国人労働者の実態はあまり知られていない。


先日から足を運ぶ馬のいる牧場にも

フィリピンから来た夫婦が外国人労働者として働いている。


実直そうな彼は黙々と仕事をこなしていた。




日本にあこがれを抱き、

日本来たがる外国人は多い。


また、

人口が減り高齢化が急速に進む日本も

移民を増やさなければやっていけないお家の事情がある。


一昨日の新聞によれば、

65歳以上人口、初の3000万人超え

定住外国人を含む総人口は1億2751万5千人で、

1年間で28.4万人減と外国人の国外転出とともに、

昨年に続いて過去最高を更新した、という。


移民の受け入れを渋る日本では、

むしろ外国人が逃げているのが実態なのだ。


これではまるで奴隷時代のアメリカではないか。



そうした意味でも

NPO法人の設立が大きな意味を成す。




さて、

日本経済を語り、

世界情勢を憂う我が身を振り返れば、


尻には火が付き、首が回らない火の車状態だ。




人様の心配をする前に、

わが身の行く末を案じなければならないというのに。



ア~ァ、

「情けは人のためならず」、か!?




【補足】


ボクの今の状況はNPOだ。


Nai Pocket Okane

笑いごとではない。



千難万来

2013年04月17日 | 苦境
千客万来ならぬ

千難が毎日ボクの下に飛び込んでくる。


ある時はお金の無心であり、

手助けの頼みごとであり、

教えてほしいという依頼であり、

各種問い合わせであったりする。



ボクはそのすべてに応えようと努力する。

何といっても、断れない性格。



解決できない難問は降りかかってこない。

応えられない依頼はやってこない、と確信しているから。



つまり、自分の身に降りかかるいかなる問題も、

必ず解決できるものであり、

応えられるから、頼まれるのである。


無碍(むげ)に断れば見込んでくれた相手を失望させるだろう。

それ以上に、自己嫌悪に陥る自分が怖い。



出来るできないは二の次だ。

引き受けてやってみることに意味がある。

相手の身になって一緒に考え、行動することこそ意味がある。



千客万来が商売繁盛なら、

「千難万来、人生繁盛」なのだ。



一生懸命やっても相手の期待に応えられなかったとき、

逆恨みを買うことだってある。


それ以上に、分かってもらえることだってあるのだ。

逆恨みを恐れていては、何もできない。


要は、思いやりの気持ちがあるかないかだ。

なんとかしてみようという気持ちがあるかないかだ。

思いやりとは、相手の気持ちになって考えられるかどうかだ。




もちろん騙すヤツモいる。


だが、最初から騙す奴と

やむなく騙さざるを得なくなる輩とは、いささか違う。


特にお金に関してはその傾向が強い。


騙す人間になるより、騙される人間になる方がよっぽどマシだ。

人を騙してばかりより、

時にはわかっていても騙されてみる。


騙す人間は、一生後味の悪さを引きずって生きることになる。

騙されても、時が経てば爽やかな風が吹く。




まさに人生万(よろず)相談である。

お金、経営、健康、人間関係などなど、様々だ。



―――――――――――――――――――――――――――――

人生で後悔するのは、

「やったことではなく、やらなかったこと」だという。


もう一つ人生で後悔することがある。

「頼みごとを引き受けたことではなく、断ったこと」である。



「不作為の罪」というものがある。

何もしない罪だ。

放置する罪だ。



「敗北者とは、負けたものあるいは失敗したものではない。

最初から何も挑戦しなかったもののことである」


つまり、

失敗しない人間とは、常に何事もしない人間のことである。



失敗したって、せいぜい死ぬだけのことじゃない。


呼吸するから生きてるんじゃない。

行動することこそ生きている証なのだ。


行動とは、チャレンジそのもののことだ。


何もチャレンジしないものは、生きた屍(しかばね)に等しい。




ボクの生き方を一つ、


 「無限に生きると思って夢を描き、

今日死ぬと思って今やるべきことをやる」

Dream as live forever,

Do as die today
 .



「人生を賭けるに値するのは、夢だけだ」

と言ったのは、たしかマスターキートンではなかったか。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

人生の敗北者には、パターンがある。


成すべき事を成さないとき

常に忙しいを言い訳にする奴。


現代は誰しも忙しい。

問題は何に忙しいかだ


パッとしない人間に二種類あるといわれる。

言われたことができないタイプと、言われたことしかできないタイプだ、と。


そういう人間に限って、忙しいを口癖にして言い訳する。

そうして、不満や悪口が口を突いて出る。


「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」 とはよくいったものだ。


トーマス・エジソンはいう。

「失敗する者の多くは、

あきらめてしまうとき、自分がいかに成功に近づいているかに気付いていない」



今一歩のところで、辞めてしまう。

残念な人の如何に多いことか。   


では一体どれだけ努力すればよいかという人がいる。

「努力して創造していく間こそ人生」なのである。  


山より大きな獅子はいない

2013年04月13日 | 苦境
身震いで目が覚めた。

嫌な夢だった。

(関西の地震の揺れかも?)



今経済的破綻の瀬戸際に立たされている。

経済的に困窮し、もうダメだと思ったことはこれで何度目だろう。


裏切られて、騙されて、それでもボクは人を信じて生きてきた。

懲りない性分だ。



夢と希望がボクを支えている。


支えてくれる人がいる。

応援してくれる人がいる。


だからボクは生きていられる。

そう頑なに信じて生かされてきた。




どんなに失望しても絶望してはいけない。


失ったものはいつしか必ず取り返せる。

あるいは、そのほかのもので代替できる。


だが、絶やしたものはもう戻ってこない。


散った花はまた咲くが、

一旦枯れた木はもう戻ることはない。


失うことは一時的でも、

絶やせば永遠につながる。



お金は頑張ればいつでもまた作れる。

友人も知人もまた出来るだろう。


だが、愛する人はなかなか代わりが見つからない。



出会いは別れの始まりだという。

そうではない。

むしろ、別れが出会いの始まりなのだ。



失ったものをいつまでも嘆いても埒(らち)はあかない。

今あるものを大切にすべきだ。

例えそれがわずかなものであろうとも。



財産を失う。

パートナーを失う。

健康を損なう。


人は数々のものを失いながら

それでもどこかに何かの希望を見出そうともがきながら生きている。


肌が新陳代謝を繰り返すように

人の環境も常に新陳代謝が起きている。


脱皮を繰り返すたびに、大きく成長していくものだ。



生きている以上、悩みや苦しみは払いのけても払いのけても

打ち寄せる波のように次から次へとやってくる。



ならば、その波に身を任せ、心地よく揺られてみるのもいい方策かもしれない。


岸から思い切って漕ぎ出して、

波をかき分けて沖に出てみれば穏やかな海が待っている。



振るし切る雨の中でも

一旦空に向かって飛び立てば、

分厚い雲に激しく揺られながらもその先には青空が広がっている。


誰しも土砂降りの中に身を置けば心細くなり打ちひしがれるだろう。

凍えるかもしれない。


だが落ちてくる雨の先を見れば

雲の上には必ず青空があることを意識してほしい。


どんなに長く降っても、上がらない雨はない。

雨は潤いをもたらす。

時に洪水を引き起こすこともあるが。


むしろ怖いのは日照り続きだ。

乾いた心は砂漠のように殺伐としてそこからは何も生まれない。


ぎらぎら光る太陽は、じりじりと肌を焼き、咽喉を干からびさせる。


だから人々はオアシスを求めて旅をする。



今がどんなに苦しくても、

どんなに切なくても希望の光だけは失ってはいけない。


乗り越えられない壁はない。

時が経てば壁の方から崩れこともある。


山より大きな獅子はいないのだ。



【One point English Lesson】



新陳代謝ってどういう?


〔生理学で〕metabolism


新陳代謝するは、

undergo metabolic change


metabolic は形容詞で、

「物質交代の, (新陳)代謝の」、あるいは、

「 変態する」という意味である。




日本語で言ういわゆる、メタボは


メタボリック‐シンドローム【metabolic syndromeメタボリック症候群】の略で、

内臓の周囲に脂肪がたまり、

それに加えて高血糖・高血圧・高脂血・高コレステロールの症状のいくつかを複数併せもつ状態のことをいう。

放置すると、糖尿病・動脈硬化・心筋梗塞などを起こすとされる。



metabolic syndrome:

a combination of medical conditions,

including high blood pressure and high levels of cholesterol in the body,

that increase someone's risk of getting heart disease or having a heart attack


ナルホド、知らなかった。

挫折の乗り越え方

2013年04月08日 | 苦境
行き詰った時にボクがやる効果的な方法がある。


人生何事もうまくいかないときの方が多い。


むしろ、うまくいっていると思う時、

その反動が必ず押し寄せてくる。


それは、一種の副作用であると考える。

あるいは、好転反応であると解釈する。


好転反応とは、

もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、

治療の過程で一時的に起こる激しい身体反応のこと。


つまり、あん摩で揉み返しが来るようなものである。

鍼灸では瞑眩(めんけん、もしくは、めんげん)と呼ばれる。


漢方の常識では、「瞑眩なくして効果なし」とも言われるほどだ。


読んで字のごとし「好ましい方へ転ずる」身体の反応という意味であり、

自然療法には必ず現れる反応といってよい。

特に慢性疾患を持っている場合に起こりやすい反応でもある。




症状が良い方へ転ずる時、一時的に悪化または不定愁訴が出ることを言う。

これを人生に当てはめるのだ。


つまり、好転反応の症状が出るのを境に、体質は急速に好転(改善)していくことになるのだが

人生でもいいことが起きると、必ずと言っていいほど反作用で悪いこと、問題が生じる。


何事も、全く問題が無くてスムーズにいくほうが怖い。



だが、現実は、何事もなく無事航海を終えることを願うものであり、

恙無(つつがな)いことを望むものである。



それだけに、トラブルを想定しないと、そこで挫折してしまうのが常となりやすい。



だが、いくら想定していても、

好転反応だと分かっていても、トラブルは嫌なものである。


ついジタバタしてしまう。

ヒステリックになり、投げ出してしまう危険性がある。


ここは冷静に対処する必要がある。


実は、その冷静さをどう保つかが問題だ。



そのために、ボクは瞑想に入る。

頭と、心と、体をいったん落ち着かせるのだ。


問題解決は、冷静に対処しなければできない。

テンパっていては、ますますこじらせてしまう。



瞑想は、座禅という型を取り、

調身、調息、調心と言われるボディワークを行うのである。


調身とは身を調える(ととのえる)こと、

調息とは呼吸を調えること、

調心とは心(精神)を調えることを意味する。



実は、浄土真宗には『断食・断眠・断水』をして身体的な極限状況の中で、

自分の人生と言動、人間関係を反省して、良い部分と悪い部分を認識していく

『身調べ(みしらべ)』という修行法があるのだが、


ボクはこの形はとらない。

飲まず、喰わず、眠らずなどとは意志の弱いボクには到底できないだろうし、

かえってストレスを増し、健康を損なうのではないかと考えるからだ。


さらに、この『身調べ』を精神医学的な心理療法に応用したものに、

内観法(内観療法)というものがある。


『してもらったこと・して返したこと・迷惑を掛けたこと』の三点を重点的に内省して、

『感謝・報恩の気持ち』を養うことで

生きる意欲を取り戻していく方法である。


これは効く。


徹底的に行うと、泣かずにはいられない。

号泣するほどだ。


これをやるには、

かなりの時間と空間、環境を必要とする。



だから、日常うろたえる(up-set, mad)状態になりそうなとき、

パニックに陥らないように手っ取り早く瞑想をするのだ。


長ければ長いほど良いが、

このせわしない時代、数分でも効果覿面(てきめん)である。


瞑想は決して難しいことではない。

誰にでもできる。


瞑想を癖にすれば怖いもの知らずになれる。


一旦落ち込んでも回復力が早くなる。

勇気と自信を取り戻せる。



順風満帆な人生なんてつまらない。

むしろ、逆風満帆が面白い。


それには強靭な精神力と体力を要する。

それを鍛えるために、瞑想は欠かせない。



【おさらい】

調身……静謐な時間と心境における座禅によって、身体感覚を調える修行。


調息……ヨーガなどに由来する独特のリラックスした呼吸法によって、呼吸を調える修行。

初めは自分の呼吸をゆっくりと行ってその回数を数える『数息(すうそく)』を行い、

段階的に『出息長・入息短(吐く息を長くして、吸い込む息を短くする)』の呼吸リズムに近づけていく。



調心……身体や呼吸に注意力(集中力)を一点集中させることによって、

精神(心理状態)を調える修行法。

リラックスして心身を安らげる精神統一の方法であり、

催眠療法や自律訓練法などでも調心の原理が用いられている。

気にしない生き方

2013年03月17日 | 苦境
人が自分のことをどう評価するかは誰しも気になるところだ。


悪口を言われていないだろうか。

陰口を叩かれていないだろうか。


気にするなといっても、気にしてしまう。

だが、必要以上に気にする人が増えているように感じる。


その結果、疑心暗鬼に取りつかれ、自分自身を追い込んでしまう。


人から文句を言われたり、批判されたりすれば

もうそのことが気になって気になって夜も眠れない。


ひどければ引きこもったり、鬱になったりで

身動きが取れなくなる。


これでは本末転倒だ。




誹謗中傷、批判の90%は嫉妬から生まれる。


うまくいっているからこそ、横やりが入るのだ。

悲しみに打ちひしがれてているものを罵倒するものなどほとんどいない。


批判の多くは無責任な発言だ。

自滅するのを待っている。


その罠にまんまと引っかかるのは愚かとしか言いようがない。



正しいと思ったら、

言いたいことを言いなさい。

やりたいことをやりなさい。


それを人がどう評価しようが、結果が物語るだろう。


所詮横槍を入れる奴は、それだけの人間でしかない。

いちいち雑音を気にしていたら、何もできない。


馬耳東風を決め込んで

自分の正しいと思った道を行きなさい。


志を一旦立てたなら、

その信念を貫き通すのが筋だ。


勇気と自信を持とう。

そうすれば必ず分かってくれる。


ただひたすら自分の決めた道を歩けばいい。

気にするな、気にするな。

転ばぬ先の杖より、転んだ後の松葉杖

2013年03月07日 | 苦境
人生はサバイバル力で決まる。


なぜなら

人生には、予測不能な思いがけない出来事がポッカリト口を開けて待っているから。


どんなに用意周到に準備しても、事故や事件は起きる時には起きる。

というより、必ず身に降りかかる。

そんなときのために準備しておく必要がある。



人はすべからく、大なり小なり問題を抱えている。


問題を起こさない、問題を無くすという考え方より、

問題が起きた時どう対処するかを常々考えておくことの方が重要となってくる。




告白しよう。



ボクは、問題児だ。


ボクが問題を引き起こすというより、

ボクの周りはいつも問題が起きている。


どうやら問題を引き寄せる力が備わっているようだ。



常に人間関係や金銭問題で悩まされる。

今までのところ、健康問題が然程起きていないことが救いといえるが。


人生で起きる問題は、ほとんどこの三つに集約されるからだ。



だが恐れることはない。

危機とか問題と言われるものの中には、

貴重なチャンスが隠されていることを知れば

それは歓迎すべきものに変わる。



離婚の危機、破綻の危機といえば、人生最大の問題のように見受けられる。

何かを得ようと思えば、何かを捨てなければならない。


考えようによってはそれは新たなチャンスなのだ。


今持っているものを維持しつつ、

さらに新しいものを得ようとするからうまくいかなくなる。



一昔前、特に日本では失敗を認めない風潮があった。

失敗を恥ずかしいものと思う雰囲気も漂っていた。


今は、失敗や挫折が勲章になる。

昔から身体の傷や弾痕は、修羅場を潜り抜けてきた証とされた。


心の傷は見えないが、

深ければ深いほど、多ければ多いほど人は鍛えられる。


だが、ただ一度の失敗で挫折したり、トラウマになったりして

再起不能に陥る柔な輩が増えていることも否定できない。




一方、情報が飛び交い、世界が広がれば広がるにつれ、

想定外のことが起きやすくなることは避けて通れない。


車がない時代は交通事故もほとんどなかった。

騒音も公害もなかった。


今や過剰な情報も思いがけないところで人を傷つけることがある。

いくら防いでも、情報は漏洩する。


――――――――――――――――――――――――――

特に日本では、ハングリー精神が無くなるとともに

新たなことに対する挑戦力が希薄になってきている。


石橋をたたいて渡ろうとする輩や

転ばぬ先の杖を肩身放さず持っている輩が増えている。



まだ起きてもいないことを、頭の中で思いめぐらせては心配し、悩む。

挙句の果て、コンフォートゾーンに引きこもり、身動きが取れなくなる。


そうして動いた途端、転ばないための杖にさえ躓(つまず)くのだ。

そうして、再び再起不能に陥る。



それより、転んでもいいように松葉杖を用意しておいた方がよっぽど役に立つ。

松葉杖をついてでも歩こうとする気概が漲(みなぎ)っていれば

不幸の女神も近づけまい。


死んでもやり抜く(死んだらやれないが)といった気迫が必要なのだ。


そうして、セカンドチャンス、サードチャンスをつかみ取ろう!


七転び八起き、

現代は再起可能な世界なのだ。

支離滅裂

2013年01月18日 | 苦境
まとまらない。

やるべきことが多すぎて、一つのことに集中できない。


余りに多くの課題を抱え込んでしまった感がある。

脳みそがパニクっているのだ。



書き殴り症候群に陥っている。

妄想に駆られ、浮かんでは書き留め、書き留めてはまた浮かぶ、


それをまとめることができないでいる。


だから、ブログの内容も支離滅裂。



加えて日々の行事(イベント)、それに伴う飲み会。

息つく暇もない。

処理能力をはるかに超えてしまった。



訳の分からない電話がけたたましい音を立ててひっきりなしになり続ける。

それが耳鳴りなのか、リアル電話なのかも判断がつかない。



ユッタリとした時間が必要なのはわかっている。

瞑想の時間がいる。

だが、状況が許してはくれない。


強迫観念に駆られる。

義務感が焦りを呼ぶ。


焦燥感のスパイラル。

20代の時の動きと同じ現象が今現れている。


狂うはずだ。



断酒して早2週間。

禁断症状か?


アルコール依存症でなない。

常に自分をコントロールでき切る位置に置いてきた、つもりだが。



泣き言は言わないつもりだったのに、

愚痴はこぼさないつもりだったのに、

弱音は吐かないつもりだったのに。



昨年1年間の全国の自殺者数は2万7766人で、

15年ぶりに3万人を下回ったというのに。



現実と妄想の入り交じった世界に引きずり込まれる幻覚妄想状態。

思考障害を引き起こす。


思考のまとまりが悪くなり、筋道を立てて考えを進めていくことが困難となる。


病名は、統合失調症。

重症の場合には、話の意味が全然通じなくなる。


極端なものでは話は無関係な言葉の羅列になり、

「言葉のサラダ」と呼ばれ、「滅裂思考」と呼ばれる状態になるという。


既に発狂だ。

そして、人を傷つけ、自殺に至る。



まだそこまで自己分析できるうちは冷静さが保たれているといってよい。


そして、そのような状態さえも陶酔してしまう。

これじゃ、酒を飲んでも断っても同じなような気がするが。



さて、今日のブログの文章は支離滅裂か?

危機意識

2013年01月10日 | 苦境
今、日本人に欠けているもの。


ハングリー精神より危機意識ではないだろうか。


なんだかんだ言っても満たされているから、動かない。


家から出ない。

日本から出ない。


出ても、すぐ帰ってくる。



だが、それがいつまで続くかという保証はない。

むしろ脅(おびや)かされていることは薄々感じているはずだ。


今の日本は、安心はある程度あっても安定はしていないといっていい。


今、なんとかなって、食べていくには困らない。

一人身でも生きていける仕組みが出来上がっている。


恥ずかしくない。

バツイチだろうとバツニだろうと、シングルマザーだろうと堂々としている。

むしろ自慢げだ。


昭和ではとても恥ずかしくて人には言わなかったことだ。


みんな自分勝手に生きている。

ボクも含めて。



だけどそのつけは必ず払わなくてはならない。

そのために危機意識を忘れてはならない。


誰しも、いつどこでどういう風に災難に見舞われるか分からないのだ。




ボクは、大きく2つの危機感を常に抱いている。


一つは、


経済的危機感。


いつ喰えなくなるのか?

仕事を失うのか?

破産するのか?



もう一つは、

健康に関する危機感


いつ倒れるのか?

疲労、ストレス…。


いつ病気を患うのか。

ガン、脳卒中、心筋梗塞、痛風etc.


災害や事故による怪我にも気をつけなければならない。


うかうかしてはいられないのだ。


5年先、10年先、20先を常に考慮して今を生きなければならない。


今に集中することと

今が良ければそれでいい、というのとでは訳が違う。


今を精いっぱい生きながら、

先に何が起きても対処できる適応力を身に着けておかねばならない。


あらゆることを想定して。

だが得てして想定外のことが起きることはよくあることだ。


だから想定外でも、想定しておく必要がある。

少なくとも、プランA,B,Cくらいは立てておく必要があるだろう。


そのためにあらゆることに危機意識を持って望むことだ。

人生最大の危機

2012年12月12日 | 苦境
また苦しみがやってきた。

今度の波は多きいゾ。


今人生最大の危機を迎えている。

面白いもので、

その都度その都度危機を迎えるたびに

それはその時点で人生最大の危機であった様な気がする。


今までそうした幾多の波にも飲み込まれそうになりながら、

なんとか乗り切ってここまで来た。


そしてそののすべてに運が味方してくれた。


自分の想像もしなかったところで

または、手の届かないところで

底知れぬ見えざる力が働いていたような気がしてならない。



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さて今度の波はどうか。


一言で言えば、破産の危機である。


次から次へと金銭がらみの問題が起きている。


資金繰りの悩むことは日常茶飯事だ。

金額の大小はさほど関係ない。


百万単位、一千万単位に苦しむこともあれば

一円に泣くことだってある。



今回の試練が今までと違うのは、

今までは自分のため、家族のためと思って立ち向かってきたが、

今直面していることは、むしろ人のためといえる。


とはいえ、貢献とエゴは紙一重にある。

つまり、人のためと言いながら、本当は自分のためではないのか。


私利私欲を、貢献という言葉で美化しているだけでないのか。


期せずして、あるいは血の滲むような努力をして得た資金、財産を

寄付や何かの貢献に使うことはよくあることだ。


その時点で、どんなお金持ちや成功をおさめた人も

一種の後ろめたさのような感覚を抱くのかもしれない。


自分だけがこんなに儲けていいものだろうか、

独り勝ちでいいものだろうか。


どんな世になっても、世の中苦しむ人はいる。

成功すればするほど真逆の人たちの存在が目に入り、放ってはおけなくなる。


成功の陰には努力や煌(きら)びやかももさることながら、

泥臭さと罪悪感が伴うのは何故だろう。


その罪滅ぼしが貢献へと向かわせるのだろうか。


だが、その貢献さえもエゴとみなされてしまう傾向は否めない。


――――――――――――――――――――――――――

今、身辺整理という形で無駄をそぎ落としていこうとしているにもかかわらず

心の負担は反比例してその関わりを増大させている。


何もしなければ何事も起こらないだろう。

だが、動けば身の回りに風も吹けば波もたつ。


風を呼び波を起こさなければ、退屈さがまとわりつく。

そう思えばエゴと言われても否定できないのかもしれない。


だが、退屈しのぎにしては事が大きすぎる。


ただそれが自分の生き方なのかもしれないし、

神から与えられた宿命なのかもしれない。



――――――――――――――――――――――

自分の生き方が100%正しいとは全く思わない。

だが、自分に正直であろうとすればするほど、何故か軋轢を生む。


その軋轢こそが試練となって具現化(incarnation)されるのだろうか。


それならば、甘んじて受け止めなければならないだろう。

その試練を真っ向から受けて立つしかないだろう。


逃げていはいけない。

勇気を振り絞り、他人が何を言おうと自分を信じてをこの茨の道を進むだけだ。


この試練をどう凌ぐか。

今試されている。


課題が次から次へと投げかけられる。

これでもか、これでもかというばかりに。



【追記】

人生というものは、所詮苦しみなのだ。


苦しみを避けて快楽を求めても

また苦しみが追いかけてくる。

「苦労の種は尽きない」ともいう。


ならば、いっそ苦しみや苦労と共に歩いてみよう。

苦労の労は、いたわるという意味を持つ。

いたわるの意味は、

㋐弱い立場にある人などに同情の気持ちをもって親切に接する。
気を配って大切に世話をする。「病人を―・る」

㋑労をねぎらう。慰労する。「選手を―・る」

㋒手当てを加える。養生する。「からだを―・る」

とある。

毛嫌いしないで優しい気持ちで接すればいい。


だから、苦しさを道連れに旅をしよう。

そうすれば、苦しみが楽しみへと変わっていく。


苦しみとはそもそも「来る染み(沁み・浸み・滲み)」なのだ。


来る年波とともに、皺(しわ)や肌のシミのように

知らず知らずのうちに、何処からかじわっと忍び寄ってくる。



もう苦しみから逃げることはよそう。

疲れるだけだ。


いっそのこと、苦しみさんとお友達になろう。

親友になろう。

どうやら苦しみさんに惚れられてしまったようだ。

苦悩は続く

2012年11月24日 | 苦境
なかなか人生の上昇気流がつかめず乗れないでいる。


もがき苦しむのが人生ならば、またそれもよかろう。

文字通りもがきの中にあって、藁をも掴みたい気が焦りを呼ぶ。

暗中模索といったところ。


それでも何とか、気を張って一筋の光を見つけたい。

旅の先にそれはあるのか。


身体も心もボロボロになりながらも、そういう一心で旅を続ける。

そこに光があると信じて。


弓折れ矢が尽きてもまだ方法はあるはずだ。

どんなにやり尽くしたといっても、まだ半分という。


諦めなければ必ず成し遂げられる。

諦めた時に敗北は決まる。


勝負の相手は、他の誰でもない、自分自身だ。


今は歯を食いしばって、石にかじりついてでも乗り切らなくてはならない。


例え倒れても、命のある限り。



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いくら心の内を吐露しても

笑顔を絶やしてはいけない。

例え泣き笑いでも。

例え引きつり笑でも。



苦しささえも楽しみに変えるには、楽しく振る舞うことだ。

そうすれば必ず心から楽しめるようになる。


その時初めて苦しみから解放されるから。


それにしても、苦しい。

だから、苦笑い。

失敗学的思考法

2012年11月22日 | 苦境
日本人は、失敗しないようにしようと考える。

アメリカ人は、失敗した時にどうすべきかについて考える。


失敗しないことを前提とするか、

失敗することを前提とするか。


性善説に基づくものなのか、

性悪説に基づく考え方なのか。


人は悪いことをしてはいけない、と考えるのか

人は悪いことをするものだというところから出発するのかで

とらえ方は全く違ってくる。


人を見たら泥棒と思うがいいのか、

人は皆親切だと思うのがいいのか。


人から裏切られた時、ショックを受けるのか、

仕方がないと諦めるのか。


振られた時、振った相手が悪いのか、振られた自分がバカなのか。

どう考えるか、いかにとらえるかで人生は大きく違ってくる。


順調にいくことだけに配慮し、

上手くいかなかったときを想定していなかったために

再起不能に陥ることはよくあることだ。

地獄を見ろ

2012年10月24日 | 苦境
差し押さえ予告書が届いた。



ピンチ?

そう、そうかもしれない。


固定資産税を払ってなっかったのだ。

元から自覚している。

差し押さえされても当たり前の状態だった。

むしろ遅いくらいだ。



ある意味災難のように見えるが、これは自己責任以外の何物でもない。

納税は国民の義務。

身から出た錆だ。



ただ、ものは考えようなのだ。

今まで経験したことのないことをすることは人生、意義深いものを感じる。

例えそれが不幸と呼ばれるものであっても。



いや、人生は、不幸に見舞われれば見舞われるほど、面白いのだ。

だって、よく言うじゃない、

「涙の数ほど人は強くなり、優しくもなる」 って。


この場合の涙は、決して嬉し涙じゃない。

悲しい涙、苦しい涙、悔しいな涙なのだ。



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だからボクは言いたい。

敢えて地獄を見よう!と。


最悪を知ろう!と。



人は、最悪を知って初めて最強となる

最悪で最強に。




ところで人生の最悪なことは何だろう。


倒産 (事業の失敗)

離婚

訴訟 (裁判沙汰)

大病

逮捕(誤認逮捕)

被災 (災害)

事故

家族間の争い

不慮の死 (最愛の人の)

そして、差し押さえ



大体半分は経験した。

あと半分??



どん底を知ると

どんな状態に陥ったとしても再起はあることが分かる。


命を失わない限り、人生、再起可能なのだ。


どんなに借金まみれでも、

指名手配されても、

大病におかされても、

どんなに非難を浴びても


死んでしまえば、すべてが 「ハイそれま~でェヨー」となることは間違いない。



借金取りに追いかけられても、

借金の保証人が苦労をしようが、

裁判中であろうが、

大病を患い必死にリハビリ中であろうが、

死ねばそれで片が付く。


だから自殺が絶えないのだ。

そうでなくても、自己破産することもできる。


自殺同様、自分で自分の幕を引こうとするわけだ。


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さて、差し押さえ通知が来た。

これも人生の最悪に匹敵するだろう。


まだ経験したことがない。

だからちょっと興味がある。


固定資産税、延滞料も含めて70万円余り。

国家権力は、何をどう差し押さえようというのか。


役場へ行って聞いてきた。

差し押さえって、何をどう差し押さえるのか、と。

いろいろ興味深い話が聞けた。


好きなものを持って行ってよ、と嘯いて見せた。

また一つ人生勉強ができた。


そうした経験もまた楽し。



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これも最強になるための一歩なのだ。

何が来ても何が起こっても、動じない、めげない、懲りない。

すべてを嗜(たしな)み、楽しむ。


逆境を楽しむすべを知ると、もう怖いものなしになる。

進んで逆境を受け入れよう。


どう転んでも、笑う。

だから人生は辞められない。



何が起きても、自暴自棄ならぬ

自望時期なのだ。

ますます闘志が湧いてくる

2012年08月18日 | 苦境
営業(売り込み)を断られた時と

女に振られた時、

ますます闘志が湧いてくる。


その両方が一緒に起きれば

二倍の闘志が湧く。



「ナニクソ根性」がボクを奮い立たせる。


女に振られるのも、

売り込みが失敗すことなので、

本質的には同じなんだけど。



ただ、断られた(振られた)瞬間はさすがに落ち込みます。

丸一日、長くて3日。


ひとしきり落ち込んだ後は、立ち上がるだけ。

When real people fall down in life,

they get right back up, and keep on walking.
strong>

  (”Sex and The City”からのセリフ)



トコトン追い込まれたとき

窮鼠猫を咬むの心境だ。


もうダメだと思った時、

光明が射すことはよくあること。


ただ、マジメに努力しなければいつまでたっても浮かばれない。


そして、傷は完全に癒した方がいい。

今はその時。

自殺願望

2012年08月13日 | 苦境
ときどきフーッと死んでしまいたいと考える時がある。

絶望感に襲われた時だ。


死んだら楽だろうナー、と思う。


だが自分から死ぬ勇気(?)も度胸もない。


脳梗塞や心臓発作でコロリといけばいいのにと思うこともある。

オヤジがそうだった。

中途半端に身障者にはなりたくない。


贅沢で自分勝手なことは分かっている。

そんなにうまく人生は出来ていないからだ。



まだまだやりたいことは山ほどある。

だからといって、どこまで生きても尽きないだろう。


ならばこの辺が潮時かもしれない。

ここまでずいぶんいろんなことをやってきたし。


いつでも覚悟は出来ている。



人生に疲れた。

もう十分生きたのではないか。



西郷隆盛が自刃するとき言ったそうだ。

「もうよかでごわす」

ホントかウソかはどうでもいい。

自分の信念に従い、戦ってやり切った男が最後に吐いたセリフだ。


分かる気がする。

そんな心境なのだ。


もう十分やった。

この辺でよかろう。


静かに眠りたい。


金銭的には保険で帳消しになるし

少しはお金も残るだろう。


そうした面では迷惑は掛からないはずだ。

むしろ喜んでくれるかもしれない。


子供たちも3人ともしっかり独り立ちしてくれた。

皆誇りに思っている。


これ以上の幸せはない。

幸せな人生だったと心から思う。


だから


もういい。


この辺で、もうイイ。




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時には弱音をはこう。


強がって、いきがって、肩ひじ張って

格好つけて、良い人ぶって生きたって


疲れるだけだ。

ストレスになるだけだ。


誰だって弱味は見せたがらない。

短所を隠そうとする。


自己啓発書では

強味を探そうとか、長所を列挙しようなどと鼓舞する。


自分に正直になればなるほど、

素直になればなるほど弱気が顔をのぞかせる。


お酒を飲んで愚痴るのも、

人の悪口を言うのも、

自虐的に語るのも弱気の表れだろう。


時にはそれでイイではないか。


どんな強うそうに見える人間でも弱点はある。

そしてそれは時とともに変化する。

同時に歳と伴にも変わる。


時代という見方もできるだろう。



今が戦国時代だったらどうだろうか。

江戸時代だったら?

幕末、維新だったら?


あるいは、縄文時代ならどうだ。

あるいはまた、未来なら?



ボクは戦後っ子だ。

戦争を知らない子供たちとしてこの世に生を受けた。


だが、学生運動に加担し、

ベトナム戦争を身近に感じ、

高度成長の恩恵を受けて育った。


夢と希望だけで青春時代を乗り切った。


ある意味団塊の世代は逃げ切り組を称されるが、

そうは問屋が許さない。


ここへ来て年金の恩恵にはさほどありつけず、

社会保障への負担は増えた。



だが、団塊ジュニアやゆとり世代と呼ばれる青年たちや

これからの子供たちにどういう未来が待ち受けるのか。


戦争はおろか、ストやデモすら知らない。

アフガンやシリアをどう感じ、どう見ているのだろうか。



不安と不信が渦巻く中

今のに日本人は意外や意外、不満はさほどないという。


先のことは考えられない、考えたくないといったところか。



心を病み、

社会不適合者がゾンビのように町をうろついている。


自殺者は一向に減る気配がない。


それでも世の大半の声は

「強く生きよ」と叱咤激励する。


疲れないわけがない。


現代は、

疲れ切った体と心に鞭を打ってでも

生きていかなければならない生き地獄なのだろうか。


緊張の糸を緩める暇(いとま)もなければ、

いずれはプッツンと切れるのを待つしかない。


死にたい気持ちにもなるもんだ。

メンタルトレーニング

2012年07月03日 | 苦境
体を鍛えている人は多いと思う。

だが、意外とメンタル面は弱い場合がある。


体と心は連動している。


体も鍛え、健康でなければならないが


どちらかと言えば

メンタル面が大きい比重を占める。


強そうに見えてもすぐに心が折れてしまう。


体の強さ以上に心の強さが必要だ。




何をやっても長続きしない、

やることがコロコロ変わる。

何をやってもうまくいかない。


そんな自分が嫌になる。



いつも失敗ばかりしていると

どんな強い人間でもめげてくる。





強くなければならない、

上手くなければならない。


失敗してはいけない。

弱みを見せてはいけない。




「ねばならない」、

「〇〇してはいけない」

と思っていると疲れてくる。





ボクだって

人一倍くよくよするし

めげたり落ち込んだりする。



絶望感にも襲われる。

夜も眠れないときだってある。





モチベーションを保つのは並大抵ではできない。



自分を信じろ、

自分の可能性を信じろ
 と口では言っても


実際にどうすればいいのか。




よく

集中力だとか、


今を大切にしろとか

今を生きろとかいうが


具体的にどういうことなのか。



それができりゃこんなに苦労はしないのだ。



夢はでっかくなんて言葉に囃されて、

最初から無理な目標を立てる。



これでは

誰しも途中で挫折する。


目的と目標を混同したり、

間違っている人がいる。




目的は、最終ゴールだ。

いきなり壮大な目標を達成できる人はいない。



今まで何もしなかった人が

いきなりオリンピックに出るといっても

出来ない。



コツコツとトレーニングを積むところから始めなければならない。


まず筋力をつけるといった身近な小さな事柄が

目標となる。




誰しも何らかの形で成功体験を持っているだろう。

何かで褒められた経験があるだろう。



そこにフォーカスして、目の前のことから始めることだ。



つまり、まず

自分の好きなこと、得意なことをやってみる。


そして小さな達成感を覚える。




体を鍛えて自信を持つ。

おしゃれをしてみるなど外見から変えてみるのも一つの方法だろう。




まず自分の夢(目的)を明確にする必要がある。


何がやりたいのか、

何をやろうとしているのか。


そのためには

ある程度の使命感(ミッション)が必要となる。



何のためになるのか、

人の役にたつのか、


誰かのためになるのか、


誰かを喜ばすことができるのか、

幸せにすることができるのか、などなど。





夢を明確にするには


紙に書く

人に言う



他人の幸せや成功を願う
 ことなどが有効だ。




まず、

「目の前のこと」をやっているうちに、

目標への道が見えてくるということがよくある。



目の前のこととは、

意外と小さなことが多い。



片づけをする

掃除をする、


ベッドを整える、

手を洗う、

歯を丁寧に磨くなど日常的なことだ。


そうした「小さなことを、きちんとやって積み重ねていく」ことで

結果を出していく。


地味で、手間がかかって、

それでも高確率で前進できる。



それが達成感につながる。



小さくても

自分の変化や成長を感じることが重要なのだ。



そして、そうした自分を褒めること。





それでもめげることはある。


いつも頑張って正面から向かっているばかりでは

誰でも疲れてしまう。




そんな時は

スパッとやめてみるのも一つの手だ。



拘っているものから離れてみる。

距離を置く。



いわゆる気分転換(回避)だ。



音楽を聴くのもいいだろう、

体を動かしてみるのいい、



知らないところへ行って自然の中に身を置くのもいい、


やったことのないことをやってみることだって効果的だ。



自然の中にはパワースポットが多くあって

実際にパワーをもらうことだってできる。



パワーを感じる場所に足を運べなくても、

意識的に

パワーを感じる言葉を口に出して使ってみる。

パワーを感じる考え方をしてみる。

パワーを感じる本を読んでみる。

パワーを感じる人に会って話をするだけでもいい。




つまり

本物に接する

現場へ行く

遠くを見る
 などが効果を発揮するのだ。



また


人のことを気にせず、

自分のペースでやることが大切だ。



そのためには

イメージトレーニングがいい。


五感でいいイメージを重ねていく方法だ。



呼吸をゆっくりするだけでもいい。

瞑想、ヨガ、座禅、気功といった方法を取り入れればなおさらいい。





自分なりに

自分に合った


創意工夫は欠かせない。



そうした地道な努力を重ねていくうちに

ゴールまでの見取り図が見えてくる。



そしてビジョンが明確になってくる。




心の筋トレは

日常生活の心がけと

習慣から鍛えられていくものだ。