世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

来るものは絶対拒むな

2012年09月14日 | 人生
友達関係を長続きさせる秘訣がある。

それは


「来るものは絶対拒まず、

去るものはチョッと追え」


ということだ。



来るものとは、人はもちろん、頼まれごとも意味する。



どんな嫌な奴でも、

どんな無理難題でも引き受けなければならない。


そして、根鉢強く、誠心誠意尽くすのだ。

見返りを求めてはいけない。



確かに、生理的に受け付けないやつや馬の合わない相手はいる。


それでもこんなにあいつのためにしてやったのに、

お礼ひとつ言わない、などと愚痴をこぼしてはいけない。


一切の見返りを期待してはいけない。


いわゆる、「陰徳」を積む気持ちが必要なのだ。



もし、相手の期待に添えない場合、

相手は自分に失望を覚えるだろう。


何だ、ちっともやってくれない。

と、引き受けた方を逆恨みするかもしれない。



だから多くの人は、鼻から断るのだ。

自分の力を過小評価して

失敗したらどうしようと考える。


恐れや面倒臭さがまず頭に浮かび、断る。

そうすれば、それで完結する。


たぶん、付き合いも終わるだろう。

どうせあいつに頼んでも断られるのが落ちだ、と。



出来なかったり、失敗したら

素直に謝ろう、ごめんって。


ただそれだけでいい。

いい訳なんていらない。



引き寄せの力より、引き受けの力。

断る勇気より、断らない許容力。




―――――――――――――――――――――――――――――

もし相手が自分に失望し、去って行っても、

引き留める勇気も必要だ。


まあ、まあ、そういわずにもう一度チャンスをくれよ、とか言って。


それは屈辱的かもしれない。

自分が下手になるのもいやかもしれない。

むしろいなくなってくれた方がホッとするかもしれない。


だからといって、去る者は一切追わずではあまりにも味気ない。

あまりにも素っ気ない。

あまりにも情けない。




ただ、引き留めはあまりしつこくするものではない。

未練がましくなることはない。


あまりに深追いすると、ストーカー呼ばわりされる危険性もある。


さりげなく、爽やかに、颯爽(さっそう)と引き留めてみよう。


そうすれば一旦は愛想を尽かした相手も

自分の非を認めて帰ってくることかとはよくあることだ。


あの時は悪かった、も一度君の力を貸してくれと。


その時も、気持ちよく引き受けよう。

こちらこそ申し訳なかった、ボクでよければ喜んで力になるよ、と。

それほどの寛容力が求められる。


こちらが誠心誠意接すれば、いずれは必ずわかってくれる。

去った相手でも、時がたてばその時の事情を理解してくれるだろう。


そして再び戻ってきてくれるだろう。


そう信じて生きよう。



どんな相手でも突っぱねてはいけない、

恨みに思ってもいけない。


そうか、また一緒にがんばろうと、笑顔で迎えることだ。


そうすれば絆は一層固まる。

いわゆる雨降って地固まるだ。



こうして友情は一生続いていく。


友人の数より、

友情の長さが大切だ。


―――――――――――――――――――

人間関係で、

付き合う相手が長続きしてる人であれば

まず悪い人はいない。


コロコロと変わる人は、要注意だ。


付き合う相手を見ればその人が分かるという。



さて自分の人間関係はどうか。

何年も続いている友人、知人はどれだけいるか。


自分から去って行った人は、何故なのか。


二度と会いたくないと思う人はいるか。

相手から、あいつとは二度と顔を合わしたくないと思っている人いないか。



お天道様の下を堂々と歩ける生き方をしたいものだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆行人生のすすめ

2012年09月10日 | 人生
何かをやろうとするとき、

たとえば事業を起こす時など、


よし、お金を貯めよう。

お金が貯まったらはじめよう。

そのために宝くじを買おう,などと考える。


または、コツコツお小遣いを貯め、いつかできるだろうと漠然と考えている。


それはそれで、まあ悪いことではない。


だがそういう人は、往々にしてそのままの人生で終わってしまう。




英語を勉強してから海外に出ようとする人。


海外に行きたかったら、今すぐ行けばいい。


しゃべれなくても、お金が無くても、行けば何とかなる。

それから大成功する人は多い。



成功すれば幸せになると思っている人。

そう考える人が当たり前だと思う。


だが、これも反対だ。

幸せな人でないと成功しない。


仮に成功しても、幸せな成功者にはなりえない。


成功すれば幸せになれると思っている人は、

得てして、かえって不幸になることが多い。


なぜか人生がうまくいかないと思っている人の考え方は共通している。


最初から完璧を望もうとする。

用意周到な準備を怠らないことはイイことだが、


それに時間とエネルギーを費やし、

本来の目的まで到達できないでいる。


一見合理的に見える思考や行動が、非効率的であることはよくあることだ。

逆に非合理的と思えることの中に、効率性を見出すこともまたよくある。


全く言葉も分からず、外国に飛び込んで、

いち早く言葉をマスターすることなどがそうだろう。



成功を引き寄せる人は、

その前から、自分が幸せだと思っている場合が多い。


悲観論者に成功は訪れにくい。

仮に、成功しても、それが不幸を呼ぶことだってよくあることだ。


常識と思われている既成路線を捨てて、

逆から攻めてみるのも、有効な手段かもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いいじゃない、楽しけりゃ

2012年09月05日 | 人生
人生を楽しもう。

人生を楽しみたい。

誰しも思うこと。


だが、現実はなかなか思うようにはかみ合わない。


やりたいことがうまくいかない。



そんなこんなで、苦虫を潰したような顔して

愚痴や人の悪口ばかりが聞こえてくる。


困った困ったと、笑う顔も引きつり気味だ。


特に今の日本、

右を向いても左を向いてもあまりいい話は流れてこない。


お互い傷口をなめ合ってはため息ばかり。


こんな世の中に誰がした。

生まれてくる時代を間違った。

俺の人生失敗したなー、などなど。



――――――――――――――――――――――

ところがそんな現実とは裏腹に

facebookのコメントを見れば明るい話題や

威勢のいい内容が並ぶ。



何を食べたの、

何処へ行ったの、

やれ飲み会だ、パーティだと。


まるで一年中この世の春満開だ。

誰しもが人生を謳歌している。


あれ、世の中こんなに景気良かったの。

みんな結構楽しそうじゃん。


落ち込んでるのは、ひょっとして俺(私)だけ?

なんて僻(ひが)み根性が顔を出す。


そんでもってちょっぴり焦る。



○○セミナー行ってきました。

とっても勉強になりました。


△△講演会へ行きました。

とてもいいお話でした。


そうか、みんなセミナーや講演会に足しげく通っているのか。

高いお金払って。


俺(私)も負けちゃいられないな。


かくしてセミナー通いが始まる。

だけど、俺(私)の人生一向に良くならない。


どうして!?

そんときゃ、よーしガンバルぞっ!って思うんだけど、

2日もたちゃ、元の木阿弥。


生活全然進歩してない。



次、どのセミナー参加しよーっかナー。

あ、あの人もまた来てる。


帰りにお茶して帰えろ~っか。


んっでもって、

facebookなんかに頑張ってるところアップしちゃおーっと。




こんな人が多いから、俺様(わたくし)、焦るばっかり。


なんか、みんな先行っちゃって、俺(私)だけ置いてきぼり。

で、最近、焦りとストレスで、鬱気味。



―――――――――――――――――――――

世の中、こんなパターンって多くありません?


だけど、心配しなさんなって。

みんな内心おんなじこと考えてんだから。



朝からいちいち、今日も元気で行きましょー!、

なんてfacebookで呼びかける奴がいる。

お前、ラジオ体操か、って。


朝っぱらから、なんでテンションそんな高いの?


余計なお世話だっツーの。


言われなくても、今、元気出そうとしてたんだから。

それ、先こされちゃ、やる気も失せるってもんだぜ。



あの掛け声欠ける奴って、

どこか自分を鼓舞しようとする姿が透けて見えるんだよね。


そんでもって、自分が一番落ち込んでたりして。

だから、無理して空元気出しちゃって。

落差激しそう。




それから、天気知らせてくるやつ。

今日もイイ天気です、とか、

今日は曇り空です、とか、いちいち。


気象予報士か。

言われなくたって、空見りゃ誰だってわかるだろ。



他に話題無いんだろうな。

キット、寂しいんだろうな。


そういや、空ばっかり写真撮って載せてるブログあるよね。


     こんなんとか

何、言いたいんだろ。



      これ、イイよね。好きだな




マ、いっカー!楽しけりゃ。

イイじゃない、今が楽しけりゃ。


さ、飲も飲も。

んで、酒煽ってる姿、facebookまたアップするべ。

Vサイン、Vサイン。














数か月後、

俺(私)さあ、今精神科へ通ってんだよな。

何にもやる気でなくってさー。


会社も行ってないんだー。


どうなんのかなー、俺(私)って。



こんな人、増殖中。

んでもって、感染しそう。



怖い世の中になったもんだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間考察

2012年09月03日 | 人生
命を除いて

この世で一番大切なものは

時間なのではないだろうか。



神はすべての人に平等に時間を与えた。


ただそれは、

一秒、一分、一時間、一日、一年という限られた枠の中ではあるが。


人に与えられた一生の時間は、様々だ。

この世に生を受けても

たった一秒で亡くなる人もいれば、

100年以上生きる人もいる。



お金は、手に入れ、貯めて、増やせるし、

自由に使って、何かと交換することもできれば

人に与えることだってできる。


努力次第で多くを稼ぐこともできるし

失うことも簡単にできる。


浪費したり、稼がなければすぐに無くなることだってある。

だが一度失ってもまた取り返すことだってできる。

あるいは、借金という形で人から借りることもできる。


そして何より、人によって雲泥の差がある。





時間はどうだろう。



過ぎた時間は二度と戻ってこない。

どうもがいても、いくらお金を積んでも取り返すことは出来ない。


否応なしに刻々と過ぎ去っている。


取り返すことはおろか、止めることもできない。


節約したり貯めておくこともできない。

貴重であり非情なもの、それが時間なのだ。




それなのに、それを意識している人は少ないように思える。


時間はこうして使えという、黄金律もほとんどない。


人それぞれ価値観が違うように

時間の使い方も、人それぞれだ。



平等に与えられ、自由に使えるはずの時間。

だが、時間は人を縛るし、追っかける。

流すことだってある。


半面、忘れることだってできる。

楽しむことも可能だ。



お金と同じなのは、

浪費ができて、失うことができるということだろう。






余談だが、

『TIME/タイム』 という

通貨の代わりに“時間”が売買される世界を描いたSF映画がある。

2011年のアメリカ映画だ。


貧乏な人間は寿命が短く、裕福な人間は長いという、

現代社会の貧富の差を象徴するで、

現代社会を風刺するものとなっている。


“命”という現実では量れないものが、“時間”に数値化され、

それを奪い合うことができるというアイデアは面白い。




だがあくまでもSFの世界だ。



時間は、

多くの人が年を取って初めてその取り返しのつかなさに気付くものでもある。


ただ歳をとるとらないにかかわらず、

死を意識している人は、時間を無駄なく効率的に使う傾向があるようだ。




限られた人生、

いつ死ぬか分からない人生であればこそ


時間を上手に使おうとする。

無駄なことをしなくなる。


過去を悔やみ、未来を恐れても何になろう。

今、ここに集中すれば思い悩むことはなくなる。



――――――――――――――――――――――

仕事と時間。

お金と時間。

二者択一のようにも思える。


貧乏暇なしといわれるが

では、お金持ちは時間があるのか。


どうやらそうでもないらしい。


時間とお金は反比例するとも言われる。



仕事もあって、時間もお金もあるようにはできないものか。



ホームレスも結構忙しいらしい。


人と時間に縛られない生き方は出来ないものか。


3食昼寝付といわれた専業主婦の永久就職も今は昔のこと。


終身雇用も、終身夫婦も今や懐かしさばかりが残る。


空気と同じ、

目には見えない。

日ごろあまり意識もしない。


だが、時間も空気ももしなくなれば

それは死ぬ時だ。



いつも時間を意識し、

時を惜しみ、敬意を払い、無駄なく使おう。


そうすれば時間の呪縛から解放される。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好奇心こそすべての原動力

2012年08月25日 | 人生
何をやっても長続きしない。



それは、必ずしも飽きっぽいのではなく、

モチベーションが無くなるからだ。



日本語では「動機付け」と訳されるが

「やる気」といった方がいいようだ。。


motivationを英英辞典で引くと

eagerness and willingness to do something without needing to be told or forced to do it

自主的なやる気や喜び


もう一つは、

the reason why you want to do something

やる理由、意味。

つまり、意味づけ、となる。




長続きしないのは、


やる気や、

やる意味がなくなるからだ。


だが、無理やり気持ちや意味をくっつけても

本当の意味でのやる気の効用にはつながらない。



継続は力というように

何かをやる時に、『継続力』は何より重要な要素だ。


つまり、

継続はモチベーションをいかに保つかにかかっている。



どうすればモチベーションを保ち、

飽きずにやり続けることができるか。


つまり、やる気の源は何か。




それは、


それは、

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
コーキシーン!

そう、

『好奇心』


好奇心があれば、自ずとやる気も湧いてくるものだ。



curiosity

the desire to know about something


何かを知ろうとする欲望であり、

someone or something that is interesting because they are unusual or strange

普通と違うもの対して興味を持つことなのだ。


日本語の辞書では、

【好奇心】 珍しいことや未知のことなどに興味をもつ心。「―が強い」


類語辞書 の検索結果では、

[共通する意味] ★ある物事にひきつけられる気持ち。特に心をひかれること。[英] interest


[使い分け]

【1】「興味」は、おもしろいと感じる気持ちや、知りたいと食指を動かされるような気持ちをいう。

【2】「関心」は、対象に向けて注意を払う心。

「興味」が対象のある一点に感情的に向けられることがあるのに対し、

「関心」は対象全体に理性的に向けられることが多い。


【3】「好奇心」は、

特に対象を限定しなくても、すべて未知のこと、珍しいことなどについて

もっと知りたいと動かされる心をいう。

俗な感じを含めても用いられ、時に行き過ぎたものとして扱われることもある




つまり、引き付けられる元らしい。


仕事にしても、趣味にしても、異性に対しても

引き付けられていなければ意味を失う。



俗に、何事も興味が無くなった時点で、アウト。


一つには、

陳腐化してしまうことに原因はある。


陳腐化を防ぐには、

新鮮な風を入れる必要がある。


そのために、旅の効用はある。

普段と違った空間に身を置くことだ。





「好奇心とは、欲望であり、下心である」

と、スパッと三浦しおんさんもおっしゃっておられる。



余談になるが

下心とは、

舌心とも書ける。


つまり、

舌(言ってることと)と心(思っていること)が一致しないといけない。


言動と本心が一致しなければ本来のやる気は出ない。。


コミュニケーションもまた好奇心の表れだ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターニングポイント

2012年08月12日 | 人生
今、人生のターニングポイントを迎えている予感がする。


なぜなら、今大きな試練を迎えているからだ。

試練こそがターニングポイントの予兆なのだ。


辞書には、ターニングポイントとは、変わり目、転換期と訳してある。





人は死ぬまで

幾度かのターニングポイントを迎えるものだ。

意識するかしないかにかかわらず。


また、ターニングポイントであったにもかかわらず、

そのままスルーしてしまうこともある。


それは、変化を恐れ現状に固執してしまったために

その時期を逃してしまうのだ。



自分の人生の変わり目を素早く悟り、

どう変えるかを素早く判断することが必要だ。


判断を誤ると、思わぬ方向へと人生を導くことになる。



素早い判断と、揺るぎない決断、

そして、力強い行動へと繋げなければならない。




ターニングポイントとは

言葉を変えれば


人生のチャンスと言える。


表面的には

挫折感や喪失感の方が強いかもしれない。



失うことの恐怖から人は身を守ろうとする。

命はその最たるものだが

財産や愛する人もそうだ。


だが最も大切なもの、それに匹敵するも物を失うことこそ

ターニングポイントに当たる。



人生のターニングポイントとは

また、喪失と呼べるだろう。


あるいは、絶望の淵に追いやるものかもしれない。


変わりたくない、変えたくないとこだわり続けるところに

成長はない。



成長には必ず変化が伴う。

変化なき所に成長はない。


そしてその変化はチャレンジの先にしかない。



自分の人生のターニングポイントについて少し落ち着いて考えてみたい。


夏バテ気味なのだろう。

筆が思うように進まない。
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者はこうして潰れていく!?

2012年08月09日 | 人生
正社員をわずか2か月余りで投げ出した少年の話を書いた。

高卒で東京の中堅会社に見事入社できたというのにだ。


せっかく与えられた社宅からも逃げ出し、

東京の同郷の友達の下宿に転がり込んだ。



その彼をボクは東京に訪ねた。

会社を辞めて2週間ほどたつのにまだブラブラとしていた。


仕事先を探しているという。

だが真剣味が伝わってこない。


その間、故郷にいる母親への無心は続いている。


飯を喰っていないという彼に

ボクの東京の友人と引き合わせて一緒に飯を喰った。


東京には時給のいい仕事が転がっている。

犯罪にならないことなら何でもやれ。


稼ぎのいいアルバイトを転々として

金を貯めろ、とアドバイス(?)した。


日給8,000円以上だと25日働けば月20万以上にはなる。

社会保障はない代わり、税金も掛からない(ホントはかかるが)から

まるまる手取りになる。


一年以上は続けて年に100万円貯めろ。

そして、いろんな職種で社会経験と勉強をしろ。


それまで故郷には帰るな、と。



彼は飯をがつがつ喰いながら目を輝かせて聞いていた。

至って素直なのだ。

非常にイイ子なのだ。


ただ肝心な実行力がない。

ことの深刻さが分かっていない。


今日中に仕事を捜して明日から働けと言って別れた。


お母さんにお金をせびるのは辞めておけとも言った。


ボクの東京の友人は千円しか所持金がないという彼に5千円を手渡した。

ボクが必要ないといって止めるのも聞かずに。

東京の暮らしには金がかかるからな、とボクの友人はポツリと言った。



―――――――――――――――――――――――――――――

それから約一か月がたつ。

その間、彼が辞めた(逃げ出した)会社からは

ボクのところにひっきりなしに電話が入ていた。

損害金を払えと。


ボクが彼の保証人になっているからだ。



彼に彼女ができたと風の便りに聞いた。

そして友人の下宿を引き払い、彼女のアパートに転がり込んでいるとも。



だがそれも長くは続かない。

はやばやと捨てられたらしい。


相変わらず仕事はしていないようだ。

金もないし、紐にもなり切れない。


東京で行き場を失った彼は、どうやら郷里に帰って来るようだ。

母親の元ではない。

今度は郷里の友人のところに転がり込むらしい。


母親は帰ってきても家に入れない、といってうっすらと涙を浮かべた。



―――――――――――――――――――――――――――――

郷里に帰ってきてもどうせ同じことを繰り返すのだろう。

先々犯罪に走らなければいいのだが。


彼は東京でも自転車を盗んでパクられている。


このまま彼は転がり落ちていくのだろうか。


ボクが彼に言って聞かせた最悪のシナリオ通りに

18歳の少年は素直(?)に進もうとしているのか。



まだ18歳?

それとも、もう18歳?


彼の人生はまだ長い。

まだこれからだ。

紆余曲折はあっていい。


時には人の道から外れることもある。

ボクもそうだった。


みんなそうして大人になっていくのだから。


ただし、取り返しのつかないことだけしなければの話だが。




―――――――――――――――――――――――――――――――――

親の子育ての最終目標は、子供を自立させることに尽きる。


試験の成績や習い事には熱心でも、

肝心の自立心(独立心)を育てることには関心が薄いようだ。



親が前面にしゃhさり出て子供をかばう気持ちはわかる。


ただ度を過ぎると、甘ったれただけの人間になってしまう。


時には「獅子の子落とし」と呼ばれる躾けも必要なのだ。

(注釈)獅子は我が子を谷底に投げ落とし、
はい上がることが出来た強い子だけを育てる、
という迷信から、
子供を立派に育てたければ楽をさせてはいけない、
苦難の道を歩ませよ というたとえ。




楽することを一度覚えた人間は

なかなか苦労を買って出ようとはしないものだ。


むしろモット楽へと流れがちになる。


これを母子家庭にありがちのことといって片づけていいものか。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人には2種類ある。

仕事をしたがらない人間と

仕事をしていないと生きていけない人間だ。


よく仕事か家庭かなどと二者択一を迫るが、

ワークライフバランスという言葉が持て囃されるように

そのバランスが最も重要なのだ。


だが口で言うのは容易(たやす)いが

人間とは振り子のようにどちらかに揺れ動く生き物であるらしい。


家庭を失うのは悲惨だが、

仕事を失うのはもっと悲惨なのではないだろうか。


今その両方を失った人々がいかに多いことか。




大人は夢を諦めてはいけない。

人の親ならなおさらのことだ。



もう一つ、人は二種類に分けられる。

子供の頃の夢を先細りさせていく人間と


だんだん膨らませていく人間だ。


大半が前者だろう。


18歳の少年に「夢を持て、希望はある」と

どれだけの大人が言えるだろうか。



だから敢えてボクは言う。


夢を捨てるな。

希望を持て。

決して諦めるな
 と。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き受ける力

2012年07月23日 | 人生
「引き寄せの法則」 とかいって

引き寄せる力を推奨している。


寄ってくるのは良いことばかりじゃない。

いらないことや嫌なことも引き寄せちゃう。


むしろその方が多いかも。


貧乏神や不幸の女神などがその典型だ。




問題は

引き寄せた後、それにどう対処するかだ。


取捨選択をしてたら

いいものまで逃してしまう危険性がある。



賢者にも愚者にも

すべからく平等に情報が取れる時代。


問題は、その情報をどう読み取り、評価するかだ。


何も考えずに鵜呑みにすれば愚者の道を進むだろうし、

ガサネタと貴重な情報を峻別できる審美眼を持てば

それだけで強みにはなるだろう。



だがそれを見分けるには

まず吟味しなければならない。



食わず嫌いは美味なものまで口にすることは出来ないように

吟味するためにはまず受け止めなければならない。




人を見た目で判断するのは間違いが多い。


人は見た目が9割なんて本があったが、

裏返せば、

9割間違った評価をしていると言えるだろう。


それだけ人は騙されやすいのだ。




――――――――――――――――――――――――――――

間違えないためには、

どんなことも、

どんな人もまず受け入れる心構えが必要だ。


どんなに引き寄せる力をつけても

「引き受け力」が伴わなければ


結局見逃してしまうことになる。




起こったこと

出会った人はすべて意味を持つ。


それが何を意味するのかを見極めることだ。



飛び交う情報も

ただ単に看過するのではなく、


正しいか間違っているか、

その中にどんな意味が含まれているのかを判断しなければならない。




――――――――――――――――――――――――――――――――

特に

頼まれごとは断らないことだ


無理な相談、

キャパを超えた依頼、

面倒臭いと思える相談などなど


来たものはすべて断らずに引き受ける。



安請負は怪我がの元ともいうが、

怪我してもいいではないか。



この場合、生身のけがでなく失敗のことだが

失敗を恐れていては

可能性までつぶしてしまうことになる。



忙しくて時間がない、

スキルが伴わない、と思っても


とりあえず引き受けてみる。



そうすれば結構できるものだ。


自分にプレッシャーをかけなければ

いつまでたっても自分の殻から抜け出せないだろう。


来るもの拒まず。

まずは、イイよと言って引き受けてみよう。



そうすれば

自分でも気付かなかった

新しい自分を発見できるだろう。



そのためには

何事にも関心を持ち、

常日頃から勉学を怠らず、

自己研鑽に努めなければならない。



まずは

「断らない力」


「引き受ける力」を磨いて身に着けよう。


そうすれば必ず人生が好転する。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊んで暮らす

2012年06月29日 | 人生
ほとんどの方が


出来ることなら

遊んで暮らしたいと思っているのではないだろうか。



ボクも例外ではない。




だが


不労所得や親の財産で


本当に遊びまくっている人は

放蕩の果てにいずれ食いつぶしてしまうのが落ちだろう。





遊び(方)は人によって違う。



遊びは一般的に消費であり

本来それ自体に生産性はない。


ストレス解消という効用はあるが。



つまり

お金は産まない。



だから

逆説的に遊んでお金になればそれに越したことはないはずだ。




遊びをビジネスにすればそれができる。



当然のことだが

遊びだから楽かといえば

必ずしもそうではない。




むしろ

遊びを極めるには

しんどいことの方が多いのではなかろうか。




遊びにはマニュアルがない。


オリジナル性が高い。


人任せにできない。


遊びは自分自身が主役なのだから主体性が伴う。



遊びとゲームは微妙に共通する。


だから一様のルールはある。



遊びといえど

他人に迷惑をかけたり、傷つけたりしてはいけない。



遊ぶことで

世の中のお役にたてればなおさら良い。



そう、

お役にたてば


報酬が生まれるかもしれない。



相手に喜んでもらえれば

お金をいただけるかもしれない。



ここに遊びがビジネスと繋がる糸口があるの。



単純な理論だが

実践はなかなか難しい。




だが

それを見出し、

実行したものだけが



遊びながら暮らしていけるのだろう。



案外

好きで得意なものをビジネスに結び付ければ


上手くいくことが多い。



とはいえ

お金を稼ぐとなると

そんなに生易しいものではない。



遊びをビジネスに繋げるには

時には命を懸けて遊ぶ必要もある。




好きなことも

得意なことのさしあたり見当たらない人も多い。




だからやっぱり

コツコツ働くしか何のだろうか。



しかし

遊びをビジネスにすることを

諦めず追求することは



それ自体が遊び化することだってある。



やっぱり

遊びは良いものだ。



少なくとも


遊び心だけは失いたくない。



かのマザーテレサさんもおっしゃった。


人生は遊びだ。

だから



遊び抜け。


だったっけ?




ちょっと違うようだけど

これも遊び心。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病と自然

2012年06月27日 | 人生
病と自然に対する考え方は似ている。


そしてそれは

東洋と西洋の違いでもある。



西洋思想は、概ね征服にある。

戦いにある。



自然も病も、

戦って打ち勝つことを人間の営みとしてきた。




いっぽう、

東洋では、同化にある。



一体となる。

融和を計るといってもいいかもしれない。



戦うのではなく、

仲良く一緒に暮らす。




西洋が、敵と戦うのを常とするなら、

東洋は、そもそも敵を作らない。




融合、融和、一体化こそ求められる。



あんな奴と仲良くできるか、

と考えるのが西洋であり、



あんな奴とでも友達になろう

というのが東洋だ。



それは

宗教観に如実に現れる。



そもそも

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も


原点は一緒だ。


旧約聖書、新約聖書、コーランといった聖典に

言わんとすることにはさほど差がないように思われる。



なのに戦いが絶えない。




仏教にも宗派は数多くあれど

従うべき聖典はない。



一神教と多神教という違いもある。


儒教や道教といった

戒律より道徳に訴える考えにもよる。






病気に関しても

自然治癒力に対する考え方にも

大きな違いがある。



いわゆる

東洋医学と西洋医学の違いだ。



薬の投与によって病原をたたくのか、


せいぜい漢方薬ぐらいにとどめ、

ユックリとした回復を目指すのか。



一時的苦痛を和らげる必要はあるだろう。

モルヒネはいい例だ。



だが、根本的治療にはつながりにくい。





それは人生論にも哲学にも似る。




敵を武力や力でねじ伏せるタイプが

ヒーローとなる世界と、



ガンジーのように

非暴力を貫いたヒーローもいる。



アウン・サン・スー・ティさんも然り。



東洋人には

派手さや瞬発力はさほどなくても、

粘り強さがあるのだろうか。




抗鬱剤

抗がん剤


睡眠薬

鎮静剤



といった薬にはいささか抵抗がある。


副作用もある。



病を避けて生きることは出来ない。


ガンの恐怖を拭い去ることもできない。




ならばそうなった時にどう付き合うか。


自分なりに考えておく必要があろう。



それは

人生観であり


自らの哲学なのだから。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花嫁の父

2012年06月26日 | 人生
もうすぐ下の娘が結婚する。

ニューヨークにいる。

相手もニューヨーカー。


プエルトリコ系である。





先日こういうニュースを目にした。


「1年間に米国に流入する移民のうち、

アジア系が36%を占めて

ヒスパニック(中南米系)の31%を上回り最多となった」 と。




「アジアの移民が増えているのは、

それだけアジアの経済発展の裏で経済格差が広がり、


貧困から逃れるために自国を捨て移民する人が増えたのが大きな理由。



一方、

ヒスパニック系が減少したのは

不法移民対策の厳格化もあるが、


ブラジルなど経済成長による賃金上昇したことも挙げられる」 という。



娘の結婚相手が

プエルトリコ系ということは


つまりヒスパニックである。




上の娘の結婚相手もアメリカ人だが、

サンフランシスコのチャイニーズアメリカン。




確かにボクの身近なところでも

アメリカ人といっても


アジア系、ヒスパニック系となっている。




ご存じのように

アメリカは移民の国である。


先進国では珍しく人口が増えている。


現在3億人を超える。




そのなかで

白人は60%余り。



40%近くが非白人が占める。



その中でも上記のように


ヒスパニックとアジア系で70%近くを占められている。


その他はアフリカ系と

ごく少数のネイティブアメリカン系だ。




これは州によっても大きく異なる。


ニューヨーク州とテキサス州では

ヒスパニック系が半数近くを占めている。



それ故に

ニューヨークではスペイン語が必須なのだ。



それ以外でも

アリゾナ州、コロラド州、フロリダ州、イリノイ州、ニューメキシコ州など

9つの州は、ヒスパニックが多い。




アジア系は、

カリフォルニア州とハワイ州が圧倒的に多い。





さて

娘婿たちは二人ともアメリカ人だが

アジアとヒスパニックに決定した。




残るは

サンフランシスコに住む息子の嫁さんだ。



人種差別するわけではないが、


思わず

青い目のブロンズ美人を望むのは



日本男子の性(さが)なのか?



ヒスパニック系の方が美人は多そうな気がするけど。

情熱的でもあるし。


反面

気が強い、か?



何処の国でも

女が強いのは共通かもしれないが。



昨今の

日本の大和撫子も例外ではなさそうだ。




間違っていたらごめんなさい。

先に謝っておきます。


怖いから。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦士の休息

2012年06月25日 | 人生
久しぶりに何を書こうか迷ってしまった。


ネタはいろいろあるが

いざ書くとなるとまとまらない。


毎度のこととはいえ、支離滅裂感が漂う。



2週間ぶりのOFFなので気が抜けてしまったせいもあるだろう。

それにこの雨だ。




戦士に休息はないといった舌の根も乾かないうちに

このざまだ。



一人時間を嗜(たしな)むことの喜びを知ったら

それ以上の至福は見当たらない。




しかも

ここは自然の真っただ中。



雨に濡れた草木を愛でながら

思索と弛緩を繰り返す。


こうした時間を持てる幸せを噛みしめる。




余りにめまぐるしい身の回りに

少々辟易気味だからなおさらだ。




それにしても

なぜこんなに慌ただしい世の中になってしまったのだろうか。



便利さと引き換えに

心のゆとりを失ったのか。



知識への欲望に駆られ、

情報の渦の中に巻き込まれてしまったのか。



あらゆる欲求を満たそうとして

追及してきた人間の驕りへのツケが至る所で噴出している。




個人的には

理想的な生き方を渇望しつつ、

分裂した心に苦悩する。





それでも

戦火のもとにあるシリアの人々、

搾取におびえる北朝鮮の人々、


貧困に喘ぐアフリカの難民を想えば



なんと贅沢日々かと自嘲すらしてしまう。




庭のアジサイは

激しい雨に打たれながらも凛とした姿を見せている。




やはり

戦士に休息は似合わないのだろうか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべては縁と選択、そして瞬時の判断で決まる

2012年06月20日 | 人生
自分の身の回りで

出会う人、起こる出来事は



すべて縁がある。



そのすべてにいちいち構っていたり

係わっていたら



とても時間が足りないいし

幾つ身があっても足りないだろう。



どれが重要か、

何処に時間とエネルギーを割くべきか



誰と親交を深めるか


常に迷いの中で判断している。




この判断を誤ると

どうでもいいことに悩んでしまい


無駄な時間を費やすばかりか


心まで蝕まれることがある。




問題や悩みの多くは

所詮どうでもいいことが多いのだ。



そうでなければ

テキパキと片付けてしまった方がいい。



いつまでも悩み続け

引っ張って時間を取られるのは愚かなことだ。




対人関係においてもそうだ。



気が合う仲間とばかり付き合うのは良いが

時にはそうでもない人が混じる。



友達や趣味の世界でもそうだが

こと仕事、ビジネスにおいては


嫌な奴とでも否応なくかかわらなければいけないときがある。




そのとき

この人は自分に利益をもたらしてくれる、

自分にとって役に立つ


つまり有益か無益かを考えて選択してしまいがちになる。



だが

それは往々にして間違いを引き起こす。



自分の利益のためだけに付き合うと

儲けに目がくらみ判断を誤るのだ。




それより

出会ったなら



この人のために自分は何ができるだろうか

と考えて接した方がいい。




何かしてあげることができるのなら

親交を深める必要がある。



何もしてあげられないと思ったら

手を引くべきか


もしくは深くかかわらないことだ。




それは

自分が判断するのではなく


相手が判断してくれる。



力不足であれば

相手は目の前から自然と消えていくだろう。






ビジネスも友情も恋も同じだ。


自分の利益だけを優先させて考えるから

軋轢が生まれる。



相手のことを思うなら

感謝されても


恨まれたり憎まれたりすることはまずないものだ。




誤解を与えることはたまにあるが。



しかし

それも本当に相手のことを想っているなら


時間が解決してくれる。


そのうち氷解するものだ。





出来事においても、然り。


良いことより嫌なことが多いのが世の常。




だが

同じ事象でも


嫌と思えば嫌になり

良かったと思えばイイことに変わる。




雨降って地固まるがよい例だ。



自然災害は嫌だが

本来自然に罪はない。



自然には自然の法則がある。



その法則に則って生きれば

快適に暮らせるはずだ。



問題は

自然に対抗し、


ねじ伏せようとする人間の驕(おご)りがあることだろう。





嫌と思えば、イヤ。


良いと思えば、イイ。




相手も、出来事も

自分を映す鏡と思えばいい。




これも自然の法則なのかもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生ゲーム

2012年06月13日 | 人生
「人生ゲーム」のボードを買ってきた。



しかも

フィリピンで。





「世界一周アプリ作り」を進めるにあたって


ぜひ必要だと思っていた。




英語バージョンのものが欲しかったのだ。








最初は


来月行くニューヨークで買おうと思っていた。




だが


マニラのモールでおもちゃ屋さんを発見。



英語の国だから


きっと英語バージョンがあるはずだと



飛び込んで聞いてみた。




案の定、

”Advebtures Edition”


として出ていた。



約2,500円。


いい値段だ。




タカラのボード版は

2,300円程で出ていて、


(15,000ほどのDX版などいろんなバージョンがあるが)




日本でも

ボードゲームとしては定番で


今もNo1の売れ筋でロングランを記録している。




もちろん

ネット上でダウンロードもできる。





そういう訳で


誰でも一度は子供のころ親しんだだろう


昔懐かしい人生ゲームであるが





英語バージョンとなると


なかなか複雑怪奇で




いまいちやり方が分からない。




日本版は


億万長者バージョンが主流で


比較的単純のようだ。







まず、説明書に従いセットアップ。





狙い通り、PASSPOT cardsも揃っている。








Adventureだけあって


Snow Trekking


Skydiving,


Beach Resort
 における Naneymoon,


Jungle Crouze など冒険trip が満載。




旅をしながらいろんな冒険ができるようになっている。




これなら


「世界一周アプリ作り」に大いに役に立ちそうだ。





対象年齢は日本と同じ9歳以上となっているが、


見ているだけでもワクワクする。




もちろん


英語が理解できないとできないが。







という訳で


「世界一周アプリ作り」のワークショップイヴェントとして


みんなでゲームを楽しもう会を開催しようと思っている。





ゲームを楽しみながら


英語の勉強も同時にできちゃうぞ。




日時は追ってご連絡します。



乞うご期待!!





【追記】


先日


マニラの巨大ショッピングモールMOAの


IMAXシアターで



映画”Dark Shadow"を見たことを書いたが、




ナント


字幕なしだった。




タガログ語の字幕があるのかと思っていたのだ。



つまり、


フィリピンは完全な英語の国だということだ。









日本も

字幕なし、



あるいは英語字幕のスクリーンを用意すべきだ。




日本語字幕どころか


日本語吹き替えもあって驚く。





それでいて


字幕なしで洋画が見れるようになりたいなどと言って、


英会話スクールに通ったりしている。




何という矛盾、無駄。




そんな手間をかけるから


映画料金も世界一高くなるのだろう。




TVのロードショーもしかりだ。





グローバリズムに逆行し


ますます世界から取り残されていく。
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直観を信じる

2012年06月10日 | 人生
ピンとくることがある。



アイデアが浮かぶ。




論理や理詰めより


感覚で生きている。






情報は気にはするが


左右されることはない。





自分が


面白そうと感じたら


同時に

潜在意識が



「出来る」

と答えているのだ。




だから


その場合勇気を出してチャンスと受け止める。





逆に


違和感を感じたら。




なんか違う。


どうもしっくりこない、


と感じたら、





潜在意識が


Noというサインを出している。



どこか違うと思い


違和感をを引きづりながら


何かに取り組んでも


上手くいかないことが多い。






やるときは


英断と決断を持って、




トコトンやる。


やり抜く。


決してあきらめない。


投げ出さない。




とにかく覚悟を決める。



勝負に出る。






直観(直感)に従うことだ。

Follow the Intuition



それは


神からの声に近い。





潜在意識


素直に受け止めている。






直感


感性によって磨かれる。





感性とは



文字通り感じる力であるが



神経質なこととは違う。



感受性が強いこととも少し違う。





ものごとを読み取る力


といった方がいいだろう。




正確に読み取り


判断する能力、ともいえる。





しかもそれは


一瞬で決まる。




だから


瞬発力が要求される。






言葉のやり取りもそうだ。



日常の会話に


熟慮する時間はない。




だから

時に失言を生む。





失言の多い政治家が


まったく感性に欠けていることはおわかりだろう。




無神経といってもいい。



鈍感ともいえる。







ならば


感性を磨くには?









それには

経験値を高くすることだ。



失敗を重ねることだ。




落ち込まないことだ。



痛みを知ることだ。


悲しみを知ることだ。




儚さを知ることだ。




些細なことに喜びを知ることだ。



何事にも好奇心を持って取り組むことだ。



子供心を持ち続けることだ。



そして


ときに



バカをやることだ。





旅をし、


恋をし、



人と数多くかかわることだ。






そして


常に本物と接することだ。







そうすれば自ずと


感性が研ぎ澄まされ、




直感がすべてを導き、





面白可笑しく人生を送れることになる。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする