世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

心の持ちようで人生が決まる

2012年11月20日 | 人生
人生は、悲喜こもごもである。

一生という長いスパンでもそうだが、

一日の内にも良いことや悪いことが日々繰り返されている。


その都度、ハイテンションになったり、気が沈んだりと。

だが、明るく生きようが暗く生きようが、同じ人生。


人には、悪いことがいつも起きる人がいるかと思えば

いつもいいことばかりが起きている人がいる。


だが、それは、錯覚にすぎないのだ。

人生の内で、起きていることはほぼ同じ。


受験に失敗し、

失恋し、

仕事に疲れ、

人間関係に悩まされ、

病気し、

やりたいこともままならない。



誰しもがストレスに苛(さいな)まれている。


それでも、人生に差がつくのはなぜか。

スタート(生まれて)からゴール(死ぬ)は、決まっている。


人生は、100キロのマルチアスロン・レースのようなもの。


その間に起きる艱難辛苦は誰しもが味あう。


へこたれたら、ダメ。

諦めたら、ダメ。


泣いてもイイ、

悶絶してもイイ、


それでもひたすら走り続ければイイだけのこと。


強いものが勝つのではない、

賢いものが勝つのでもない、


諦めなかったものだけが、最後に残るのだ。


―――――――――――――――――――――――――――

長い人生の中ではいろんなことが起きる。

予期しなかったことが、いっぱい起きる。


その一つ一つに、いちいちクヨクヨしていたら確かに身が持たない。


ものは考えようという考え方を持とう。


人生は、

自分自身の心(気)の持ちよう

物事の捉え方ひとつ

つまりその人の考え方でほぼ決まってしまう。



自分だけに不幸が降りかかっていいるのでない。

誰かさんだけに幸せが降り注いでいるわけでもない。


みんな平等に、不幸が襲いかかり、

幸せのチャンスが訪れているのだ。



同じことが起きても、

不幸になる人は、それを不幸ととり、

幸せになる人は、幸せになるための試練と解釈する。


ただそれだけの違いが、人生の明暗を分ける。




すべての人に起きていることは、大なり小なりさほど変わりはない。

違うのは、解釈の仕方だけだ。


どうせみな同じことが起きているのなら、

悲観せず、楽しむ方がいい。


能天気と言われようが、

お人よしと言われようが、

おバカさんと言われようが、


楽しんだものが、人生の勝利者になる。


【蛇足の一枚】


    今日も美女とお酒に囲まれて(埋もれて)。
    (昨夜、マリアのジャズ・コンサートで)


自分は持てると錯覚している、

はい、単なるスケベオヤジのおバカさんです。


イイじゃないの、幸せならば。
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アイデアはどこから湧くのか

2012年11月19日 | 人生
アイデアの源は何か。

それは、


「愛デア」 る。

つまり、アイデアの源には常に愛が潜んでいないといけない。

愛デアは、愛で始まり愛に終わるといっても過言ではない。



もっというなら、

愛出会ともいえる。


愛は、出会いが無くては生まれない。

出会いの先に、愛が生まれ、結果的に愛デア が湧く。



人と会い(愛)、人と話し(放)、人と触れ合う(触)。

葛藤の末そこに熱(情熱)が発生し、化学変化を起こして愛デアへと昇華する。


つまり、出会いなきところ愛は生まれず、

愛なきところに愛デアは存在しない。



日々の暮らしの中で、人に会い、人を愛し、素晴らしい愛デアが自ずと湧き上る。


愛と共に生きよ。



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120%燃え尽きる

2012年11月04日 | 人生
仕事も恋も、遊びも真剣勝負。

一瞬、一瞬に命を懸けている。

完全燃焼 (120%燃焼)

渾身の力を込める

一切手を抜かない


一所懸命、その場に120%の力を出し切る。

だから、いつ死んでも悔いはない。


てか、いつ死んでも本望だ。

だって、毎日が人生の最高地点にいるのだから。

明日まで生きれば、明日、また一歩成長する。



「坂の上の坂」 という本がある。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の間違いではない。


どんなに坂をのぼりつめても、

そこからまた上り坂が続いている。


つまり、毎日毎日が頂上でもあり、階段の踊り場でもある。


だから、120%出し切って、今日の頂上を目指す。

明日起きた時、さらなる頂が見える。


だからまた、その頂に向かって上り続けるのだ。

登っても登っても、頂上と思って一息ついてもさらにまだ上がある。


たまったもんじゃない。

いい加減、うんざりもする。

もうここまで来たのだから、ここで満足しようと思う。


自分に妥協してしまったら、そこでお仕舞だ。


だから、また新たな頂に向かうチャレンジ精神が生まれる。

そうでなければ、そこで人生止まってしまう。



五木寛之は、人生の下り坂を説いた。

登山は、本当は登るより下る方が難しいことをボクは知っている。


人生もまた同じ。

一見、下っているようでもさらに上に伸びる階段の騙し絵がある。

そんなものかもしれない。



人生には、3つの坂があるとも言われる。

上り坂、下り坂、そして、まさかの3つである。


まさかは、予期せぬことを意味するが、

「真坂」と書くこともできる。


つまり、真の坂だ。


自分が昇っている坂は必ずしも正しくないかもしれない。

なぜなら登るべき坂は一つではないからだ。



一方、ハリーポッターの学校のように、

次から次へとドンドン階段が横から現れるかもしれない。



いずれにせよ、人生生きてる限り登り続けなければならないということだ。


身体は毎日睡眠という形で休めても

本来、気を休めることは出来ない。


気休めはあくまでも気休めにしか過ぎない。


だが、気も締めっぱなしでもストレスとなって擦り切れてしまうだろうから

上手に緩めたり、休めたりする必要はある。

ただ、一瞬の気の緩みが命取りにならないように。




今の世は戦国時代と思うべし。

戦国武士に一時の気休めは、即命取りになった。






「死生観」を持って臨む。


どうせ死ぬのだ。

誰しも、一人残らず死ぬのだ。


だから、いつ死んでもいいように自分を常に最高に保つ必要がある。


そのために、今日をやり切る。

今日を燃え尽きる。



だから、寝るのも必死で寝る。

翌朝新たなエネルギーを作り出さなければならないから。



これがボクの生きる道なのだ。



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昔取った杵柄

2012年10月31日 | 人生
久しぶりにいい汗をかいた。

シングルスのゲームは3~4年ぶりだろうか。




軽くラリーのつもりが、熱く燃えてきて真剣勝負になってしまった。

下手にむきになって捻挫したり、アキレス腱を切ろうものなら

年寄りの冷や水になりかねない。

最初はそう思って臨んだゲームだった。


最初はK氏が3-1と先行。

徐々にエンジンがかかってきて、5-4と逆転したが

最後は、時間切れでドローに。




30歳から始めたテニス。

病み付きになり、マイコートまで作った。(2か所も)

挙句はウィンブルドンまで行く始末。



だがこのところ、一緒にやってくれる相手がいなく、

ゲームからは遠のいていた。


     階段の踊り場で一人テニス


そこに、K氏からの嬉しいお誘い。

もちろん、二人ともテニスよりそのあとのビールがお目当て。


その前に、ビールがさらに美味しくなるように一汗かこうということに。



――――――――――――――――――――

だが、スポーツジムに行って驚いた!

平日の夜というのに、いるわいるわ、アスリート(?)たちが。


満員御礼状態だ。


これが成熟社会の実態なのだろうか。

仕事帰りに、真面目(?)にアフター5を楽しんでいる姿。


今、スポーツジムはどこもにぎわいを見せているという。

お金を出して、シコシコと熟(こな)しているようにしか見えない。


〇〇教室に入って、基本から習う。

ルールに従って、お行儀よくスポーツを楽しむ。


予約を入れ、時間通りに来て時間通りに終わる。

終われば、お疲れ様とあいさつを交わしながら三三五五と帰宅の途に就く。


判で押したような、日本人の真面目な姿がそこにはあった。

それはそれで決して悪くはない。


だが、どこどなく違和感を感じる。


静かすぎる。

心底楽しんでいるというより、義務感が漂っているように感じる。

黙々とこなしている。

ふざけるといった無邪気な姿が全く感じられない。


もっと破天荒であっていいような気がする。

創意工夫があっていいような気がする。


Playには、ルールに則ったゲームもあるが、

遊びと言い意味合いもある。


その遊びという色彩がすっぽりと抜け落ちたような、Play。



――――――――――――――――――――

人はいつから笑わなくなったのだろうか。

こころから笑っている人を見なくなった。


感動する心を失ってしまったのだろうか。


日本は古来、身体で感情を表現する術を身に着けてこなかった。

日本の伝統の武道はどれも、静かだ。

柔道も、弓道も。

まずは作法から入る。


相撲も然り。

勝ってガッツポーズさえ非難される。

勝利の喜びはあくまでも控えめだ。


笑うなんぞはご法度だ。

負けた相手を敬う気持ちからだろうが。



――――――――――――――――――――――――――――

発散するためのスポーツジムに行き、

返ってストレスがたまりそうな雰囲気。


スポーツやゲームはそもそも自然と一体だった。

今や、箱入りスポーツと化し、

汗をかいてもストレスになりかねなくなってしまった。




とはいえ、テニスは楽しい。

そして、そのあとのビールはもっと楽しい。


屁理屈は別にして、

ボクにとってスポーツとビールは切り離せない。
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自分はいったい何者なのか

2012年10月26日 | 人生
肩書きは自分で決めるものだ。


とはいえ、何にしたらいいものか。


ホテルオーナー

カフェオーナー

タビスト

ブロガー




いろんな顔を持つ男には憧れる。

時には慈善家、

時にはエロオヤジ、なんてのもいいだろう。



名詞を2枚以上持っている人がいるが、ボクもその一人。

ホテルとカフェの。

だけどあんまり好きではない。

自分を名乗るとき、一枚にスッキリ納められないものか。



――――――――――――――――――――――――――――

頭の整理をするためにも、上記以外に今手がけているものを書いてみた。


輸出入 通販 商品開発

カウンセラー (英会話、起業、メンタルetc.)

社会起業家

講師

作家(まだその域には程遠いが)

建築設計

デザイン (ライフ)

美容・健康

バイオ・エネルギー、環境研究

シンガーソング・ライター (おこがましいけど)



ザッと思いついたのだけでもこんなもんだろうか。



お蔭でとにかく毎日が忙しいというより、慌ただしい。

それが嫌かというと、毎日が楽しくてむしろ大好きだ。


イベントの後の飲み会も多い。

イベントを立ち上げればあげるほど、飲み会の数も増えていく。


それだけ金もかかるし、体力も消耗する。

まあ、酒も食べるのも、女も、いや人間も好きだから

それはそれでイイ。


断れない、否、断らない性格だから人付き合いがすこぶるいい分

疲れるのは事実だ。


年齢は確実に重ねているわけだが、気持ちはむしろ若返っている。

少年返りというか、子供返りというか。

幸か不幸か赤ちゃん返りまではいってない。



体力勝負は商社マン時代と一向に何ら変わらない。

頭も体もフル回転で突っ走る。


とにかく達成感と、ランニングハイ的疲労感が好きだ。

ぶっ倒れても、いつ死んでもいいと思ている。


―――――――――――――――――――――――――

オレはいったい何者か。

確かに名刺一枚には収まりきれない。


ときどきこうしてゴーギャン的な自分の棚卸をしないと

自分を見失いそうで怖い。


人生面白おかしく生きるためにも

やりたいこと、やれることはすべてやる。


貪欲に、獰猛(どうもう)に生を全うしたいから。



【追記】

雨かァ。

静かな一日になりそうだ。


だけどボクは今日も馬車馬のように突っ走る。
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技術に溺れるな

2012年10月22日 | 人生
家電業界が、ボロボロだ。

シャープ、ソニー…。


技術で勝ってビジネスで負けたと嘯(うそぶ)く幹部もいる。


これが今の日本の姿だ。

職人ニッポン。



日本が生き残るには商人(あきんど)ニッポンにならなければならない。


日本人は、どこかお金を汚いものと見がちだ。

お金に執着するものを蔑む傾向にある。


士農工商と言われた時代から商人は見下されてきた。


だが、その時代も実権を持っていたのは、

武士より商人だった。



なぜ日本はガラパゴス化し

世界から見捨てられようとしているのか。


それは、技術開発力には優れていても

それを売る術を知らないからだ。


どうだ!こんないいものを作れるのだ。

黙っていても売れないわけがない。


欲しかったら、取に来い、的な殿様商売を未だにやっている。




一方、海外のビジネスは商社マンが作ってきた。


ところが、

日本の技術が評価されメーカーは、

商社にコミッションを取られるより、

メーカー自らが売り込んでも売れると勘違いした。


大工さんが不慣れな家の営業までやってしまったものだからうまくいくはずはない。


セールスはセールスのプロに任せるべきだ。

大工さんは、セールスマンが取ってきた契約を忠実に実行して

立派な家を建てればイイ。


だがその大工さんも、海外で家を建てなければならなくなった。

さて、どうする。


オレは職人だ。

言葉なんて必要ない。

作品を見せりゃ、説明なんて必要ない。


こんな驕りがどこかにあった。



片や競争相手は、

技術力より言葉巧みに販売攻勢を仕掛けてきた。

しかも低価格で。


これではどんなに腕が良くても

胡坐(あぐら)をかいていたらひとたまりもない。

かくしてノミを研ぐことも忘れてしまった。



―――――――――――――――――――――

活路はあるのか。

ある。


営業力をつけることだ。

営業力とは、コミュニケーション力に他ならない。


営業は、売ってナンボではない。

売って、フォローしてナンボなのだ。


きめ細かいフォローをしてこそ、また買ってくれるのだ。

消費者は、商品だけを買っているのではない。


売る人も一緒に買っているのだ。


同じ商品を買うのなら、愛想のいい人、面倒見の良い人から買うのが当たり前だ。

そういう人なら、ほかより少し高くても買うだろう。


その人の進める商品なら、進んで買うだろう。


―――――――――――――――――――――――――

通訳を介した会話にどれだけ説得力があるだろうか。

恋をするのに、いちいち通訳をつけるだろうか。


「ビジネスと恋は同じ感覚で」 と説いた。

魅力をアピールする力が無くては、どんなに商品(人)が良くても人は買ってくれない。


そもそも魅力がなければなおさらだ。

人間も商品も同じなのだ。

性能が良くて、長持ちして、見かけもよいものを人は好む。


そして、その良さをアピールしなければ分かってもらえない。


競争相手は、「嘘も百ぺん言えばホントになる」 ことを知っている。

そんなやつを相手にしなければ、飯は食っていけない時代なのだ。

プライドだけでは荒波を乗り越えることは出来ない。


いつまで過去の成功体験に酔いしれているのか。

ウサギとカメの、ウサギになるつもりなのか。


そんな危機意識すらに職人国ニッポンにはない。



今からでも遅くはない。

営業力を磨け!

そして走れ!
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口癖

2012年10月18日 | 人生
口癖がその人の性格を決める。


ネガティブな表現を多く使う人は

当然ネガティブな生活を送るだろうし、


反対も然り、

前向きな言葉を多用する人は当然人生が前向きになる。


――――――――――――――――――――――

まずは、「天国言葉」を多用しよう。

「天国言葉」とは、斉藤一人さんの造語だ。


「天国言葉」は次の5種類だけ。



自分はついてる

嬉しい・楽しい

ありがとう・感謝してます

しあわせだ

ゆるします




誰だって嫌なことはある。

なんで自分だけが、って思うこともいっぱいある。

ついてないときも必ずある。


そんな時でも敢えて言う。

「よかった!!オレは(私は)ついている」と。


面白くなくても、嫌でも言おう。

「嬉しい!たのしい!」 って。

泣きながらでもいいから、言おう。

鏡を見て、笑ってみよう。

笑顔を作ってみよう。

作り笑いをしてみよう。



誰だって嫌な奴、嫌いな奴の一人や二人はいるもんだ。

意地悪したくなる奴、

仕返ししてやりたいやつ、

見返してやりたいやつ、


オレ(私)を振った女(男)、

騙したた奴等々。


悔しいけど、みんな 赦しちゃおう。


「許します」 って言ってみよう。


そして、最後に 「ありがとうございます」 って叫ぼう。



―――――――――――――――――――――

最初は意識して使おう。

思っていなくても、無理してでも言ってみよう。


声に出して、できれば大声で。


だんだんと無意識につけるようになってくる。


そして、ホントにそのような気持ちになってくるから不思議だ。


特に気分がすぐれないとき、

イライラするときは敢えて言ってみよう。


朝起きたとき第一声にする。

夜寝る時、ベッドの中で言ってみる。


みんな、ありがとう、って。

今日もありがとう、って。


騙されたと思って言ってみて。

たぶん1ッか月もしないうちに効果が出るはずだ。


お金もかからないし。



効果的な言葉は、「ありがとう」と「幸せだ」、の二つ。



言葉は言霊という。

すべて波動となって自分に跳ね返ってくる。



―――――――――――――――――――――――


反対に、地獄言葉は、

不平不満・グチ・泣きごと・悪口・文句・心配事に関する言葉。


ついてない

ダメだ

面白くない

ゆるせない

といったたぐいの言葉は控えよう。



地獄言葉を言っていると、本当にそのような現実がやってくる。


不平不満ばかり言っている人には、不平不満を言いたくなる現象ばかり起こる。


それで、また不平不満を言っていると、またそのような嫌なことがおこる。

まさに悪のスパイラルに嵌ってしまう。


悪循環を断ち切るには、天国言葉を使うことだ。




よく、

忙しい、忙しいを連発する人がいる。

そんな人ほど時間の使い方が下手だ。


お金がない、お金がないとぼやく人。

そんな人には絶対に、お金は入ってこない。



お金にも気持ちがある、って知ってます。


お札を皺くちゃにしている人。

一円玉に無頓着な人。


お金から嫌われるよ。



何やってもうまくいかない、って思ってる人は

ホントに何をやってもうまくいくはずがない。


失敗しても、きっとその中から学ぶことはあるはずだ。

何か気づくことがあるはずだ。


そこだけに焦点を当てて考えてみよう。


そして、「良かった!」 って言ってみる。

失敗に,ありがとうって言ってみる。

気付かせてくれてありがとう、って。



自分を振った相手に言ってみよう、

振ってくれてありがとう、って。


もっといい相手が必ず現れるから。




さあ、今日から笑顔を絶やさず、

天国言葉だけを使うようにしよう。
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体験値の意味するものとは

2012年10月13日 | 人生
体験値がその人の人生を決める

体験値は何で測るか。


「旅した数はその人の人生の器と比例する」

同じく、「恋の数は人生の幅に比例する」


一般に人の体験とはどのようなものを指すのか。


仕事上の体験。

スポーツなど趣味における体験。


会話や食事を伴う人との出会いによる体験。


旅による体験。


体験とは文字通り、体におけるフィジカル的な感覚で知る出来事を指す。


その穴を埋める知識としてのものには

新聞や雑誌、インターネットなどによる情報収集や

読書が挙げられるでろう。



そして、体験と知識が相まってその人の人格が形成される。

体験が少ない人、知識がない人がどれだけつまらないかは想像に難くないであろう。


―――――――――――――――――――――

仕事や趣味以外で、その人を大きく左右する体験は

「旅と恋」であろう。


だから冒頭の

「旅した数はその人の人生の器と比例する」

「恋の数は人生の幅に比例する」

ということが言えるのである。


旅と恋は常に相関関係にあることが多い。


旅することをあまりしない人、

恋の体験が少ない人は総じて体験値が少ないように思われる。


仕事に重きを置く人生、

趣味に興じる人生、


それもまた人生ではあるが。


人の価値観もそれぞれと言えばそれまでだが、

やはり、同じ一生、

「旅と恋」は多ければ多いほどいい。


そして体験値が高いほど、人生は面白い。







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常識を疑え

2012年10月09日 | 人生
山中教授のノーベル賞受賞は時間の問題であった。

毎回候補に名を連ねていたからだ。


IPS細胞とは何ぞや。

一つの受精卵からは決まった細胞しか作れなかったものを

皮膚の細胞に、いくつかの遺伝子(いでんし)を放り込んだら、

まるで受精卵の中にある細胞とうり二つの細胞ができた所から始まったとされる。


いずれにしても、常識とされているものを

ぶち壊してきた結果である。


もちろん彼の半生は順風満帆でここまでこれたわけではない。


挫折あり、絶望ありだった。




今回の受賞で感じたこと。


常識を疑え。

己を知ること。

挫折に挫けないこと。

諦めないこと。


そして、仲間を作ること。



そこから、偉大なオリジナリティが生まれる。


ボクの大好きな

Inovation(革新)

Revorution(改革・革命)
という言葉がぴったり当てはまる。



後は、実践あるのみ。

まだまだ、研究開発の段階。


彼が自ら「まだ誰も助けていない」と言うように、

やっとスタートラインに立ったところだ。


これで、多くの難病が救えたらいい。


まだまだ日本人も捨てたものではない。
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これからの生き方

2012年10月07日 | 人生
人生とは、

うまくいく様でうまくいかないものであり、

うまくいかない様で、結構うまく回っていくものでもある。



そもそも人生は矛盾に満ちている。

人は、安定と快楽を求めると同時に、

不安と恐怖を求めるところも併せ持つ。


それは、

不安の中に安定を見出そうとするし、

恐怖の中に快楽が潜んでいるからだ。



ボクの提唱する「スイッチライフ」「マリッジシングル」

まさにそうした矛盾の中から生まれた処世術である。



だがその根本にはある狡猾さが内包されている。


それは、

リスクヘッジ(Risk Headge)である。

リスク分散のことであり、

hedge against risk(リスク回避手段)ともいう。


様々な起こりうるリスクを回避したり、

その大きさを軽減するように工夫することを指す。

具体的にはヘッジ取引により将来のリスク低減、

分散投資によるリスクの低減などが代表的。


つまり、どう転んでも起き上がる方策を常々から考えておくことだ。


拠点を数カ所に分散し絞ることもその一つ。

それは防衛本能であり、危機意識の表れでもある。


―――――――――――――――――――――――――――

結婚し、子育ても終わり、

その後に来る自由を満喫する生き方。


それは、それまでに何をし、何をしなかったにかかってくる。


今までの価値観、常識で生きてきた人に幸せな最期は訪れない。

常識では計れない生き方こそ、面白いのだ。



以下、ある人気ブロガーのブログから抜粋した。


定年まで一流企業で働いていたり、早くから外資系企業で働き、

40代で経営職を務めるなど、それなりの自己資産を形成済みで、

もうそんなにたくさん稼がなくても生きていける、

そんなに必死に働く必要はなく、

ボランティアでも執筆活動でも天下り組織のアドバイザリーでもやりながら、

ゆっくり生きることが可能な人達。


そういう人達が、自分を育ててくれた業界への恩返しと、

長年、働いてきた業界にたいして「本来はどうあるべきなのか」を問うために、

私財と時間を投資して、第二のキャリアを始めてる。



「これは、ひとつのトレンドだ」 と言い切る。



20代の新入社員の頃に感じた社会の現実、

企業の経営姿勢に関する根源的な疑問を、

20年のキャリアを経て、自分自身で解決してみようと試みる。

それが、これらの人達に共通する起業のモチベーションである、とも。



そんな幸せな生き方こそ、求められる。
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俺に明日はない

2012年10月04日 | 人生
明日仕事なんで。

明日が早いんで。


自重気味に答える人。


何故、今、この瞬間(とき)を大切にしないのか。

明日が来るという保証がどこにあるのか。


眠りにつくとき、

明日目覚めるという確証はどこにもない。



今、この瞬間(とき)は確実にあるというのに。



お利口さん、

小賢しいことを言う奴に、むしろ明日はない。



明日が来たら、明日は明日の風が吹くのだ。

明日のことを今日心配なんかする必要はない。



今に賭ける。

今に全力で臨む。


明日はもうん来ないと思って。

命が今日という日のうちに消えてなくなると思って。



そうして初めて明日が開けるのだ。

輝かしい明日がやってくるのだ。


不確実な明日のことを憂えるより、

今この瞬間(とき)に賭けてみないか。


そうして

「一今日懸命」生きている。

「一今日一会」
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なんとも厄介なこと

2012年10月01日 | 人生
昨夜は

ベッドルームのトップライトから降り注ぐ月の灯りをベッドに横たわりながら楽しんだ。

2週間ぶりのデイオフ。


目が覚めたらなんとお昼の12時を回っていた。


ちょっぴり寒気も漂う新しい月。

何となくベッドの温もりが嬉しい季節である。




街中生活が続くと、なんとなく心が荒(すさ)んでくる。

だが、自然の中の生活も、続くと気が抜けてしまいそうで困る。


こうして時折街と田舎を行ったり来たり、

心と身体の弛緩のバランスが取れる。


やっぱり「スイッチライフ」



そういえば、とうとうこの夏海へ行かなかったなー。

秋の海、誰もいない海もまたいい。


荒れた海は恐怖と同時に勇気をくれるし、

静かな海は、落ち着きと安らぎを与えてくれる。



街中ばかりにいると、

便利さと引き換えに集中力さえも失われていくような気がする。

何処となく自分の意思に関係なく流されているような感じも覚える。


大地に足がしっかりと着いていないような浮遊感がある。

それもまた、妖艶でいいのだが。


それも続くと自己喪失感が襲ってくる。

人間とはなんとも厄介な生き物だ。



こうして寝ダメができるのも、静けさのお蔭だろう。


誰も来ない隠れ家で、

誰にも邪魔されずに眠る。


ゆっくり寝たければ若い女とは結婚するなとは至言である。

とはいえ熟女もいいが、若い女も捨てがたい。


全く厄介な動物よ。



月夜の夜、男は狼男に変身するという。


ハロウィンを待たずして、

また月夜であろうと闇夜であろうと関係なく

時折変身願望がヒョイと顔を出す。


これもまた厄介だ。



独り寝は心地よく、何処となく空しい。

膝を抱えて寝るより、膝枕がイイに決まっている。


アー、厄介だ、厄介だ。

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エロ心

2012年09月29日 | 人生
先日起業意欲について書いたが、

http://blog.goo.ne.jp/dreamincountry/e/70a73edd2ba0e174cd78ddd660268cc7

その中の一つに


『エロワルZiZi(ジイジ)の会』

として立ち上げる初めての企画がある。


名付けて「アオザイサロン」


通称、「アオサロ」


ピンサロと間違いそうな如何わしい名前だが、

極めて健全(?)なサロンである。



内容は企業秘密なので割愛するが

平たく言えば、

ベトナムの民族衣装を着た色っぽいお姉ちゃんがいるバーのことだ。


何度も何度も書いたので耳タコができたかもしれないが、

アオザイは世界で一番色っポイ民族衣装だと、ボクは固く信じている。


腰上までスリットが入っていてわき腹が見える。

なんともムラムラくる衣装なのだ。


通常中にはパンタロンをはくが、

アオサロでは、ショーツ一枚にする。


想像するだけでも、ヨダレが出る。


そして、ショーターム。

その涎を垂らしたスケベオヤジ(失礼)に、うちわを持たせ扇がせる。




名付けて、モンロータイム




ヨダレが鼻血に変わるとき、お開きとなる。


なんだ、結局企業秘密を明かしてしまった。

のっけからもったいぶる必要もなかったのだ。



事業計画書も出来上がっている。

テナントも目途がついた。



後は、実際やるかわいこチャンを見つけるだけ。

ダレかー!やらない!?



キャッチフレーズは

アオザイを着て、マリリンモンローになろう!!

ほとんど、意味不明??



【追記】

『エロワルZiZi(ジイジ)の会』

の会員を募集しています。


年齢、性別、国籍は問いません。

青年部、女性部もありますから。


規約見たい方は、ご一報くださいネ。
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怒りの先にあるもの

2012年09月22日 | 人生
怒りの反対は何か。

悲しみではない。


憐みだ。


日本の尖閣諸島国有化に反発する中国での「反日」の動きは経済関係だけでなく、

文化分野にも拡大し始めた、と報道にある。


反日デモに便乗、ストで操業停止に追い込み、

賃上げ要求をしている日系企業の従業員も少なくないという。


日本製品の不買運動も活発だ。



かの国は、経済制裁だけにとどまらず、

出版規制による文化活動にまで及んでいる。



バカにつける薬はない

バカは死ななきゃ治らないなどというが、


民度の低い国はまさにその類に属する。



坊主憎けりゃ袈裟までの心境かもしれないが、

自分で自分の首を絞めているようなものだ。


天に唾するといってもよい。


ますます民度は下がるばかりだ。




あまりにお粗末な行動に呆れ果てて

怒りどころか憐みさえ感じるこの頃である。



経済や軍事では先進国になったが、

精神面ではいまだに未開の国である。


刃物を持ったキチガイほど怖いものはない。




確かに日本は、落ち目の国に成り下がってしまった。

経済も政治も。


だが、日本人の心まで亡国にしたくはない。


情けない話ではあるが、

どんなに落ちぶれても日本人としての矜持は持ち続けたい。


貧しくとも、心は錦で着飾っていよう。

そして世界に凛として一輪の花を咲かせよう。
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老人格差社会

2012年09月17日 | 人生
いわゆる高齢者と位置づけされるお年寄りが

団塊の世代もその高齢者域に達しだしたところで、

3,000万人を超え、割合が人口の25%に達した。


だが、一頃の隠居老人の影は薄い。


気力体力が尽き、人生訓と説教癖の塊と揶揄される姿ではなく、

旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たち(天声人語)である。


だが、本当にそういう人たちばかりかというと

そうではない。



団塊の世代は、高度成長期に支えられた最後の逃げ込み組だ。


脱サラを夢見て果敢に挑戦してきた世代ともいえる。

そこには成功組と失敗組が存在する。

ただ多くは辛酸を舐めた失敗組に所属しているようだが。


団塊の世代の中にも、

真の逃げ込み組と、脱落組がある。


2008年、リーマンショック前に定年を迎えて、

無事退職金を手にして、年金をもらえる組は余裕の老後が約束されただろう。


その時点で、借金なし、預貯金・資産あり、子育て完了した組であればなおさらだ。

そして何より、健康でなければならない。


その反対、

借金を抱え、預貯金・資産なし、子供はまだすねをかじる状態で、

健康を崩し患っている状態であれば、老後は悲惨である。


仕事がない分、ますます生活苦に悩むことになる。

中には生活保護に頼らざるを得なくなる。


ここでも、総中流社会から

富める者と貧しき者の二極化が進行している。


老後難民という言葉さえ生まれた。

悠々自適、楽隠居は今や死語なのだろうか。



年金と現役としての仕事による収入、

つまりダブルインカムがあり、

健康で、若さを保ち、子供たちも独立してれば夢ではない。


配偶者がいない方が、若さという面では引き立つ場合が多いようだ。

つまり、性生活にも貪欲であり続けられるからだ。



―――――――――――――――――――――――――――

「われわれは99%だ」 

というスローガンがウォール街を闊歩したことがある。


アメリカにおいてはその格差はもっと著しい。

米国の所得増はもっぱら1%層に偏っている。


それが中流層を空洞化させ、極貧世帯の急増を招いている。


だがこれまで、

富裕層に集まる富が下層へしたたり落ちれば経済全体が潤う、

という「おこぼれ効果」論が幅をきかせてきた。


だがそれはすでに機能していない。


しかもこの不平等の階層化が進み、逆転も難しくなってきた。

米国が「機会均等の国」といわれるのは、おとぎ話にすぎないともいう。


『世界の99%を貧困にする経済 [著]ジョセフ・E・スティグリッツ』より




日本においても然りだ。


総中流社会と言われ、社会主義のお手本のように言われた日本も

今や過去の話だ。


アメリカほど極端ではないにしろ

富める者と貧しき者の二極化が足早に進行している。


子供は減り、高齢者は増加の一途を辿る。

財源はパンクし、社会保障制度も風前の灯である。


内政外交とも稚拙な政治がまた拍車をかける。




だが諦める必要はない。

活路は、東南アジアにあることは先にも述べた。


ここでも、金銭格差より、

アイデアとやる気の格差が命運を左右する。


金、資金はあるところにはある。

それを運用するのはアイデアと行動だ。


そのための土台は、心身の健康にあることは言うまでもない。




誰しもが長生きすれば老後は経験する。

今後それも厳しい老後になることは間違いない。


だからこそ、若いうちから経験を積むことだ。

親は子供に、様々な経験をさせなければならない。


そしてどんな状態でも生き抜く力をつけさせなければならない。



豊かな老後は望めないにしても、

楽しい老後は勝ち得ることができる。


そのためには若いうちからの準備が不可欠だ。


その時が来て、うろたえても後の祭りにならない様に。
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