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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ブログは災いの元?

2013年03月13日 | ライフスタイル
本音で語ると災いを産む。

建前が先行する日本においては当たり前のことである。


分かっちゃいるけど、それでも本音をぶつけたい。

その衝動を抑えきれず、ブログを書き続けている。


本音を語れることこそが、モチベーションの源だといっても過言ではない。


建前論、きれいごとに終始したブログなんて書きたくない。

クソ喰らえだ。(Kiss my ass)



だが弊害も半端じゃない。

いままで何人の友達を無くしたか。


ボクの過激(?)なブログを読んで、あんな考えの奴とは付き合えない、と。

いや、もともとそんな人間とは友達ではなかったのだ。


知り合いが去っていった、というべきかもしれない。


きっと知らないところで

ボクに好意を寄せていた女性もかなり姿を消しただろう。


あんなスケベな奴とは到底付き合えない、と。


まあ、人間関係で最も大切な「縁」というものの重みも知らないからだろう。


一旦かかわった人間をボクは自分から切ることはしない。

全ての出会いはすべからく意味がある。


あまねく人を愛する。

人間を好き嫌いするのは、愚者の行為だ。


とはいえ、相手から去るのはどうしようもない。


「来るものは拒まず、去る者はチョッと追うが、しつこくは追わず」

がボクのモットーだ。




だが、これを言えば(書けば)知り合いを失うと分かっていながら

それでもボクが執拗に本音で語るのはなぜか。


それは

ボクがボクであるために必要なことなのだ。

自分のアイデンティティを確立するためには避けては通れない道だ。


本当の自分を知ってもらったうえで、

友人になるなり、親しくなる方がイイに決まっている。

それが真の友情となる。


自分を偽り飾リつけたところで、いつか化けの皮は剥がされる。


だからボクはイイ人ぶらない。

むしろ、必要以上に悪人ぶる。




そんなボクでも

それでもボクを愛してくれる人は必ずいるはずだ、と思うから。


きっといると信じているから。



ボクは正直に生きたい。

自分に対して正直に生きていきたい。


人を騙すことは出来ても、自分自身を欺くことは出来ない。


自分を飾って、

自分でない自分を表現することなんてボクにはできない。



だからボクは、本音で語ることを辞めない。


例え多くの人がボクの側を去っていったとしても。


それでも、ひとりでもボクを理解し、愛してくれる人がいるのなら。


大衆迎合(populisim)、八方美人(everybody's friend) は辞めにしよう。

それはボクには似合わないから。

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