現役(on active list)って言うけど、何?
それは人によって違うわけで、
今やっている仕事やライフワークを死ぬまで続けることじゃないかな。
ボクの場合、ずっと旅を続けながら
関わった人々の役にたつことをし続ける事なんだ。
主に企画面で、その人のいい面、得意な面を見出し、引き出し、育てることだと思う。
そうしながら旅を続けられればこんな幸福なことはない、と思っている。
旅の形はいろいろあるけど、
単なる名所旧跡巡りだけじゃつまんない。
観光して、美味しいもの食べて、ショッピングして、そこの何か面白い体験して云々、が目的じゃない。
その中で、役に立てる何かを発見していく旅なんだ。
異文化体験、自分探しも結構だけど、
形として結果を残さなければ意味がない。
それはまさに宮沢賢治の世界を地でいく生活に似ている。。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
ここで言わんとすることは
まず一節目の、「丈夫なカラダを持ち」である。
すなわち、健康でなければ旅はできない。
これは、丈夫な体に産んでくれた親に感謝している。
そして二節目は、心穏やかにと精神面の安定を謳っている。
いわゆる心身ともに健康であれということだ。
心を病む人が増えている中、心穏やかでいられることに感謝。
三節目は、粗食を
五節目は、質素な生活を説く。
飽食の時代にあって、まさにボクは足るを知る域にある。
そして六節、七節目は優しさという人間性が溢れ出ている。
素直さと思いやり、そして勇気、これこそ人間関係の基本であろう。
刮目すべきは、
四節目だ。
「自分を勘定に入れない」こと。
まさにボランティア、奉仕の精神を貫くことなのだ。
社会起業の精神とはこうでなければならない。
3年前、フリートークを立ち上げたのは
この精神に目覚めたからだった。
そして、NPOとして引き継がれ、世界中に拡大していっている。
死ぬまで人の役に立つこと、これ以上の生涯はない。
そしてこれこそが「流浪の旅人」の真髄なのである。
I will be on the active list throgh my whoke life.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、今ひとつ何かが足りない。
もっと強いミッションが必要だ。
松尾芭蕉や種田山頭火は詩を残した。
山下清は絵を描いた。
そうして自分を表現しながら旅をした。
確かに彼らは貧乏だった。
というか、宮沢賢治の詩を地でゆく生活をしていた。
ボクは、今このブログで自分を表現している。
彼らの時代と違うのは、インターネットがあることだ。
世界からリアルで発信できる。
ただあわよくば、後世に残る作品となることだろう。
死してもなお人々の心に影響力を持つ。
戦争の無残さ、無意味さを伝えつつ銃弾に倒れた戦場カメラマンも何人もいる。
安住の地を捨て、異国で命を絶ったゲバラも革命という強いミッションを抱えていた。
ビルゲイツのように、世界の貧困撲滅運動で活躍している。
しかし、彼らの命をかけた行動でも、世界に紛争や貧困は後を絶たないのはなぜだろう。
紛争の主な元凶は貧困にあるといわれる。
では、貧困と格差がなくなれば、世界は平和を取り戻せるのだろうか。
そうして、マルクス・レーニン主義は生まれたのではなかったか。
だがことごとく共産主義は崩壊していった。
中国も、キューバも、ベトナムも市場経済を取り入れ、
自らが否定した資本主義に毒されつつある。
だがそれによってそれなりに発展したこともまた事実だ。
そして、先進国はどこもその矛盾と付き合ってもがき苦しんでいるようだ。
一時期(学生時代)、ボクもこの思想に傾倒した。
そして、皮肉にも資本主義の尖兵(商社マン)として世界に飛び出していった。
日本は、特定秘密保護法案に見られるように
今や社会主義国の道を歩もうとしているかのようだ。
恐れるのは、戦争といういつかきた道を辿ることだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ボクが世界を旅した時、
1995年~1996年、
世界はまだ穏やかだった。
インターネットや携帯もデジカメも普及していなかった。
2001年9月11日以降、世界情勢はガラリと変わった。
この中で、再び世界を旅するということはどういうことか。
それがはっきりした時、
ボクの二度目の世界一周の旅はスタートを切るだろう。
【追記】
ジョン・レノンになれなかったら
ポールを目指そう!
それは人によって違うわけで、
今やっている仕事やライフワークを死ぬまで続けることじゃないかな。
ボクの場合、ずっと旅を続けながら
関わった人々の役にたつことをし続ける事なんだ。
主に企画面で、その人のいい面、得意な面を見出し、引き出し、育てることだと思う。
そうしながら旅を続けられればこんな幸福なことはない、と思っている。
旅の形はいろいろあるけど、
単なる名所旧跡巡りだけじゃつまんない。
観光して、美味しいもの食べて、ショッピングして、そこの何か面白い体験して云々、が目的じゃない。
その中で、役に立てる何かを発見していく旅なんだ。
異文化体験、自分探しも結構だけど、
形として結果を残さなければ意味がない。
それはまさに宮沢賢治の世界を地でいく生活に似ている。。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
ここで言わんとすることは
まず一節目の、「丈夫なカラダを持ち」である。
すなわち、健康でなければ旅はできない。
これは、丈夫な体に産んでくれた親に感謝している。
そして二節目は、心穏やかにと精神面の安定を謳っている。
いわゆる心身ともに健康であれということだ。
心を病む人が増えている中、心穏やかでいられることに感謝。
三節目は、粗食を
五節目は、質素な生活を説く。
飽食の時代にあって、まさにボクは足るを知る域にある。
そして六節、七節目は優しさという人間性が溢れ出ている。
素直さと思いやり、そして勇気、これこそ人間関係の基本であろう。
刮目すべきは、
四節目だ。
「自分を勘定に入れない」こと。
まさにボランティア、奉仕の精神を貫くことなのだ。
社会起業の精神とはこうでなければならない。
3年前、フリートークを立ち上げたのは
この精神に目覚めたからだった。
そして、NPOとして引き継がれ、世界中に拡大していっている。
死ぬまで人の役に立つこと、これ以上の生涯はない。
そしてこれこそが「流浪の旅人」の真髄なのである。
I will be on the active list throgh my whoke life.
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しかし、今ひとつ何かが足りない。
もっと強いミッションが必要だ。
松尾芭蕉や種田山頭火は詩を残した。
山下清は絵を描いた。
そうして自分を表現しながら旅をした。
確かに彼らは貧乏だった。
というか、宮沢賢治の詩を地でゆく生活をしていた。
ボクは、今このブログで自分を表現している。
彼らの時代と違うのは、インターネットがあることだ。
世界からリアルで発信できる。
ただあわよくば、後世に残る作品となることだろう。
死してもなお人々の心に影響力を持つ。
戦争の無残さ、無意味さを伝えつつ銃弾に倒れた戦場カメラマンも何人もいる。
安住の地を捨て、異国で命を絶ったゲバラも革命という強いミッションを抱えていた。
ビルゲイツのように、世界の貧困撲滅運動で活躍している。
しかし、彼らの命をかけた行動でも、世界に紛争や貧困は後を絶たないのはなぜだろう。
紛争の主な元凶は貧困にあるといわれる。
では、貧困と格差がなくなれば、世界は平和を取り戻せるのだろうか。
そうして、マルクス・レーニン主義は生まれたのではなかったか。
だがことごとく共産主義は崩壊していった。
中国も、キューバも、ベトナムも市場経済を取り入れ、
自らが否定した資本主義に毒されつつある。
だがそれによってそれなりに発展したこともまた事実だ。
そして、先進国はどこもその矛盾と付き合ってもがき苦しんでいるようだ。
一時期(学生時代)、ボクもこの思想に傾倒した。
そして、皮肉にも資本主義の尖兵(商社マン)として世界に飛び出していった。
日本は、特定秘密保護法案に見られるように
今や社会主義国の道を歩もうとしているかのようだ。
恐れるのは、戦争といういつかきた道を辿ることだ。
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ボクが世界を旅した時、
1995年~1996年、
世界はまだ穏やかだった。
インターネットや携帯もデジカメも普及していなかった。
2001年9月11日以降、世界情勢はガラリと変わった。
この中で、再び世界を旅するということはどういうことか。
それがはっきりした時、
ボクの二度目の世界一周の旅はスタートを切るだろう。
【追記】
ジョン・レノンになれなかったら
ポールを目指そう!