世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

何を犠牲にしてきたか

2014年01月28日 | ライフスタイル
人は、何かを得るためには何かを捨てなければならない。


ボクは、旅をこよなく愛し、自由を尊んできた。

そのために何を捨ててきたのだろうか。



一般に、人は孤独を忌み嫌う。


孤独には寂しい、惨め、後ろめたいというイメージがつきまとう。


だが、ボクは孤独が好きだ。

週に一度阿蘇の別荘で独り過ごす。

山懐の自然に抱かれて孤独を楽しむのだ。


ただ、昔から独りが好きだったわけではない。

好きになった。

好きにならざるを得なかった、と言ったほうが当たっているかもしれない。



自由を愛する人が、

自由のために家族もなく、生涯一人で生きているのと違い


ボクの場合、2度の結婚と、3人の子供を得ることができた。


2度結婚に失敗したというより、

2度も結婚できたと思う気持ちが強い。


まあ、相手から見れば無責任男に映るだろうが。

だが、3人の子供たちは立派に成長した。

ボクはそれを誇りに思っている。


もちろんそれは母親たちのお陰であり、

父親のボクは反面教師に過ぎなかった。


今でもボクは彼女たちに感謝している。


幸か不幸かボクは二人の嫁さんに逃げられた。

だが、子供たちはそれぞれ家庭を築き、仕事を持って自立している。


ボクはその間ただ一途に自由に我侭に生きてきただけだ。

よっぽど母親たちが偉かったに違いない。



そういう訳で、お陰さまで未だにボクは自由を満喫している。

それもこれも、ボクの両親、そして二人の嫁、三人の子供たちのお陰である。


それを想うたびに、ボクはなんて幸せものなのだろうと感じてしまう。


だからこそ、自由の中にいて自分なりに何か恩返しをしなければと

目下、社会起業という形で仕事に打ち込んでいる。


ただ、人はこれさえもボクを身勝手、我が儘、いい加減、無責任だと決め付けたがる。


だが、所詮自由とはそんなものなのだ。

開き直ることも一つの処世術だと心得ている。




自由と孤独はセットになっている。

孤独に耐えられなければ自由を得ることなどできない。


幸い、ボクは孤独さえも楽しむことができる体質を持っている。

というか、ボクにとってはいかなる状況も孤独で有り得ないのかもしれない。


どこにいてもネットでつながり、

どこに行っても愛人、オッとそうじゃなかった、友人が出来る得意技を所有している。


独りでいることが決して孤独ではない。

誰とも繋がりのないことが孤独なのだ。


ボクはむしろ、二人でいるとき、大勢でいるときの方が孤独を感じる時がある。

大都会で孤独を感じたことは何度かあった。

だが、自然の中に身をおいて孤独だと思ったことは一度もない。

宇宙との一体感が心を満たしてくれるからかもしれない。


ただ自然の驚異を感じたことはある。

嵐の時地響きのような音に襲われた恐怖は今でもトラウマになっている。


おそらくボクは死ぬまで自由を手放すことはないだろう。


では、そのため何を犠牲にしてきただろうか。

Nothing.

何もない。

ボクはすべてを手にしてきたといっても決して過言ではない。


こう言うと、強欲で傲慢で嫌な奴だとまた嫌われそうだが。


たとえそうだとしても、

犠牲にしたものがあっただろうかと感じてしまうのは事実だ。


なぜなら、今までの出来事、犠牲にしたであろうことも

すべてが意味のあることだと思うからだ。


今のボクには家庭がない。

それは家庭を犠牲にしたことになるのだろうか。


否。

少なくともボクの中ではそうは思えない。


家庭が自然消滅したことで、ボクはさらなる自由を得た。

それで孤独を感じたこともない。


世間的には、

家庭がない = 可哀想 = 孤独 = 不幸

という縮図が映るかもしれない。


だが実際は、

家庭がない = 自由 = 孤独 = 好きに旅ができる = 幸せ

なのだ。


家庭がなくても、

家族はいる、愛する人はいることが救いなのだとは思う。


人は自分の居場所を求めてさまようかもしれない。

だが、ボクは居場所を捨てて自由を満喫する。


流浪の人生こそ、ボクの生き方なのだ。



【追記】


好きな人と一緒に旅をすることも素敵なことだと思う。

(ボクは今まで充分それをしてきた)


だが、一人旅はもっと素敵なことなのだ。

そして、行った先々で現地の人と繋がる。



二人の世界はexclusive(排他的)になりやすい。

だが、孤独の世界はinclusiveで (内包的、誰でもを受け入れる)いることができる。


二人の世界は、ある意味そこで完結しているが、

孤独(独り)の世界は未知数であり、あらゆる可能性を内包している。


二人の世界は安定を求めるが、

孤独(独り)の世界は変化を呼び起こす。


二人の世界は不変に美を求め、

孤独(独り)の世界は危うさに陶酔する。


孤独で自由であることは、なんと美的であることか。

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