世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ミッションとギフト

2014年02月20日 | ライフスタイル
人は皆、

それぞれの使命と才能を与えられて生まれてくる。


だが最初は、その使命が何か、

才能が何かは分からない。


それを見つけるために、勉学に勤しむのだ。


基礎知識をつけ、

経験を積む中でそれは少しずつ正体を現す。


だが、それが分かったところで、

それはまだ原石のままなのだ。


磨くこと、すなわち研鑽することで初めて光りだす。



残念なことに、

多くの人がそれに気づかぬうちに一生を終える。


それは、安逸(idleness)な方向に流れてしまうからだ。


快楽を求めたり、

悪の方向に進んでしまう。


また、自分に与えられた使命やギフトに気づいても

それを光らせるにはこれまた血の出るような努力が必要となる。


なかなか芽が出ない。

そこで、自分には才能がないと思って諦めてしまう。


たぶん、

100人に10人の人がそれに気づき、

その中の一人の人がそれを光らせることができるくらいの確率ではないのだろうか。


そしてまたその中のごく少数の人が

世の中から認められて

表彰を受けたり記録を打ち立てたりするのではないだろうか。


オリンピックの選手などはその良い例かもしれない。

アスリートと言わず、

芸術家や、医学者、政界、経済界でも、どんな分野においてもそれは言えるだろう。



一般的に言えることは、

我々は、誰かを幸せにするために、

あるいは、誰かを喜ばすために生まれてくるのということだ。


それは、多くの人であったり、複数の人である必要はない。


たったひとりの人を幸せにするだけでいい。

たったひとりの人に喜んでもらうだけでいいのではないか。



「本当に幸福になれる者は、

人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である」

                 (シュバイツアー)



ボクは今まで、誰を幸せにし、誰を不幸にしてきただろうか。


今、誰を幸せにしようとしているだろうか。


そして、これから誰を幸せにしようとするのだろうか。


そのために、どんな努力をしているのか。



人生とは、

幸せ探しの旅ではない。

自分が幸せにする人を探す旅なのである。


それを履き違えるから、なかなか見つからないのだ。


自分ひとりが幸せになることはありえない。


誰かを幸せにして初めて、

幸福感が得られるのだ。


幸せは形を成すものではない。

あくまでも感覚の問題である。


幸せと感じる人はすべからく幸せなのだ。



あなたには、幸せにしたい誰かがいますか?

あるいはこれからその人を探し出せますか?


青い鳥は案外身近にいたりする。


時には立ち止まって

足元を見てはいかが?



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それぞれの人の役割には

それぞれのテリトリーがある。


地域にある人、世界を相手にする人。

どちらが良い悪いの問題ではない。


多くの人を幸せにする人も、たったひとりの人に賭ける人も

その重みに変わりはない。



たまたまボクは英語というギフトを頂いた。

だからボクのテリトリーは世界中にまたがる。


その中でも、何かの縁で、いま東南アジア、

中でもベトナムにフォーカスしているまでだ。


先日までは、フィリピンにもフォーカスしていた。

テリトリーは変わり、広がっていくものだ。



英語というギフトはすべからく与えられている。

あとは磨くかどうかにかかっている。


その場所は、言うまでもなく

フリートークである。


集え、フリートークへ。

(最後はコマーシャルになってしまった(^O^))

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