世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

With C という生き方

2020年05月03日 | ライフスタイル
久しぶりに柔らかな雨が降っている。

外の作業はお休みだ。



一向に終息の目途が立たないコロナ。

いろんな憶測が流れるがどれも信憑性に欠ける。


終息を願う気持ちは同じだが、

この際、コロナと共生する道(with C)を選んだほうが賢明かもしれない。


       (シイの木の下で瞑想する筆者)


そもそもコロナは何故この世に現れたのか。


病気になる原因の大半は、

生活習慣によるものだと思っている。


そして、

病気は、悪しき生活習慣を改めるよう警告を鳴らすために出現する、と。



そもそも、現代の生活とは理想的なモノなのか。

人間は、幸せを求めて生きているのでないのか。


働いても、働いても我が暮らし楽にならず。

じっと手を見る、だけではもはや収まらない。


見るだけではなく、

よく手を洗いなさい、と。


経済活動が止まり、

生活苦がやってくる。


それは、

これまでの生活基準をベースに考えるからかもしれない。


人は変化を嫌い、

リスクを回避しようとする。


あくせく仕事をして、

限られた時間を日々の糧のために切り売りし、

肉体を消耗させ、

家庭を蔑(ないがし)ろにし、

人間関係を煩雑へと導く。


またその暮らしに戻ろうというのか。

ナント愚かな。


肉体も精神もすでに限界状態ではなかったのか。


排気ガスをまき散らし、

森を焼き払い、

海を汚し、

24時間灯かりが消えない暮らし。


嗜好に走り、

興遊に耽る。


このことを当たり前だと思って生きてきた。


便利さと快楽を求めて

自分で自分の首を絞めていたことに気づかなければならない。


幸せになるために求めてきたものが、

不自然であったことに。


特に、生態系において。


コロナは、

不自然から自然への誘いである、

と認識しなければならない。



もはや、

生活習慣というよりも、

生き方そのものを改めなければならない次元に来ている。


コロナに打ち勝つという

対処療法的考え方を改めなければならない。
(感染した人には必要だが)


働き方改革ならぬ、

「人生改革」である。


今まで、引きこもりが非難されていたものが、

今や、推奨され、美徳ともうたわれる。


この世論の豹変ぶりはどうなのか。

皮肉なものだ。



何のために生まれてきたのか。


も一度、原点に返って

よーく考えてみたい。


何のために生まれてきたのか。


もう、何かにつけ戦うことは辞めて、

共に生きることを選択してみないか。


これが、コロナが突き付けた課題なのだ。



【Asay-go-Rock】


敵と思えば敵になり、

友と思えば友になる。


憎しみや怒りからは何も生まれない。

むしろ弊害となる。


受け入れ、許してこそ

分かり合える。






















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