世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

自己実現

2014年02月10日 | ライフスタイル
ボクの人生は「自己実現」の道程であった。


それはその時点での自分のやりたい夢の実現にほかならなかった。


振り返れば、嵐のあとの海を眺めるように

何事もなかったかのように感じるが、


言うまでもなくそこには一つ一つ産みの苦しみがあり、

歴史を刻んできた。



生きている限り、「自己実現」に終りはない。

ただ常にその時点が最終局面だと思って取り組んできた。


それぞれの田舎暮らしの拠点が、骨を埋める場所だという覚悟を持っていた。

今を生きた証でもある。


南阿蘇で6年、

大分・久住高原で14年、

そして阿蘇・西原村で16年目を迎えている。


だが、ここも今終焉の時期を迎えている。



幸か不幸か、後半は街中にも居住と仕事場を併せ持つ。

ただ、それが自己実現の最終局面かといえば、


そうではない。



くどいようだが、ボクの「自己実現」の姿は、『旅』の中にある。


物心ついてこのかた、「旅心」を失ったことはない。

携わってきた幾多の仕事も、その心からブレたことは一切ない。



その過程で、あらゆるものを犠牲にし、手にしてきた。

金も、女も、モノも、地位も、名声も。



今、欲しいものは何もない。


といえば、ウソになる。

モノや地位や名声はもはや必要ない。


残るは、金と女だ。


ただ、昔と違う。

有り余るほどの必要性は全く感じない。


必要最小限でいい。

僅かな食べ物と雨露の凌げる庇があればいい。


そのためにも、お金は言うまでもなく生きていく上で必要だ。



では、女はどうか?


人は文字通り、独りでは生きられない。

いくら強がってみても、誰かと支えあっていかなければならない。


その相手が必要だ。


悲しいかな、未だ見つからない。


男には女、女には男が必要なのだ。


もう懲り懲り、と言いたいところだが

心のどこかで求めている。



ただボクの「自己実現」は、あくまでも「自由」の中に存在する。

極めて自己中心的なものである。


だから、金も女も身につかない。

自覚している。


悲しい性(さが)だ。


自由はあらゆる柵(しがらみ)をなくせば手に入る。

だが、そこには貧困と孤独が待っている。


種田山頭火がいい例だ。

皮肉にも彼は死んで名を残した。



モノからの柵を捨てるのは簡単だ。


だが、心の温もり、

もっと言えば人肌のぬくもりを捨てることはできない。


時に無性に恋しくなる。


食べ物の飢えも苦しいが、心の飢えは耐え難い。

特に凍える夜は。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「自己実現」とはかくも苦しいものなのだ。


ただ自己中心的ばかりではない。

誰かの為に尽くしたいという願望もまたある。


それが愛する人であれば尚更いい。


自分探しの旅というが、

人生とは、畢竟、愛する人を探す旅なのかもしれない。


その人のためには、命も捨てていいと思うような。



かくして未だ、旅の途上にある。

最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。