今朝、facebook のH氏のタイムラインで面白いやり取りをしましたので掲載します。
H氏は、「子育ては褒めてはいけない」という意見を述べられております。
ボクは、「褒めて育てると」いう持論を展開しました。
あとでこの方のfacebookページを見て驚きました。
なんと職業が、
『協力し合う幸せなよこの関係を広める「熊本こころ相談室」 チーフカウンセラー』
となっていました。
カバー写真には
”Touch for Health 健康法
キネシオロジーによる心身バランス健康法”
なる文字が。
この先入観なしに交わしたやり取りです。
不謹慎にも、後で笑っちゃいました。
では、やりとりの一部始終をどうぞ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H氏のタイムライン:
「『自分は役に立っている』と感じるのに、相手から感謝されることや、ほめられることは必要ありません。貢献感は自己満足でいいのです。」
(※小倉広「アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉」)
私たちは、子どもを育てる時に、絶対にほめません。
ほめるというのは、親の価値観で気に入った時にほめ、気に入らなかったときに叱り、
親の思い通りに子どもをコントロールする方法の一つだと思うからです。
ほめたり叱ったりとコントロールされて育った子どもは、自立しやすいでしょうか?自立しにくいでしょうか?
自立しにくいですよね。
私たちは、子どもに自立してほしいと願っているので、ほめません。
ほめて育てると、
☆ほめる人がいる時は「良いこと」をするけど、ほめる人がいなかったら「良いこと」をしないようになる。
☆ほめられるために手段を選ばないようになる。
☆結果ばかり気にするようになる。ほめられるようなことはするが、失敗するようなことに挑戦するチャレンジャー精神がなくなる。
☆自己受容に、どうしても他人の承認が必要な人になってしまう。自分だけで、自信を持つことができない人になってしまう。
☆人の目ばかりを気にする人になってしまう。
ほめて育てると、その子は不幸になり、苦しみます。やめた方がいいですよ。
だから、私たちは、子どもが自己満足で貢献感を得られるように、勇気づけを行うのです。
え?勇気づけって、、、、、うーん。一口じゃ説明できないなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これに対しコメントしました。
以下は、そのやりとりの一部始終です。
(カット、脚色は一切しておりません)
かじ えいせい:
褒めて育てましたが、おっしゃるようにはなってません。
負の面だけを見てられるようですが、褒められることで自信と勇気がつきます。
ほめ方とタイミングの問題でしょうね。
H氏:
かじさん。
いいえ。それは、その子にほめたことの負の作用を跳ね返す力があっただけです。
ほめることはできればやめた方がいいと私たちは思う
それに、世間の人が ほめる と表現しているものの中に
私たちが 勇気づけと呼んでいるものも含まれているようです。
私たちは、勇気づけと上から目線のコントロールのためのほめるを区別して表現しているのです。
多くの子どもには、ほめられたことや叱られたことの 負の作用をかなり跳ね返すことができるようです。
でも、私たちが観察して、他人の承認欲求が高い人が多いのはどうしてでしょうか?
他人の目が気になって仕方がない人が多いのはどうしてでしょうか?
それは、他者承認が必要なように持っていく圧力が家庭でも、学校でも多いからだと思っているのです。
私は、いろんなところでセミナーを開催してきましたが、
ほめたり叱ったりしない方がいいという話をすると、
ほとんどの人が、ほぼ百パーセントの確率で え? と言う反応をされます。
しかし、2時間ほど話すと今までの経験から言うと、皆さん納得されます。
さらに言うと、ほめたり叱ったりする代わりにどうすればいいのかをわかるには、かなりの時間が必要です。
例えば、勇気づけの方法を学ぶSMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーは16時間かかります。
そのほめることが横の関係じゃなくて、
上から目線のコントロールのためのたて関係のほめるの場合は、
ほめられることで身につく自信と勇気は、
他者の承認を必要とする他者承認の自信と勇気です。
想定外のストレスが生じた時にもろくも崩壊します。
かじ えいせい:
褒められれば誰でも嬉しいはずです。
おっしゃるように問題はほめ方とタイミングです。
ご機嫌取りのほめ方は見抜かれます。
良いことをしたら褒めるのが当然だと考えます。
おっしゃるように、家庭や学校の問題、つまり大人の問題でしょう。
子供は素直です。
褒められれば伸びるものです。
褒めることを否定するより、ほめ方の指導をなさったほうがいいかと思います。
基本、褒めて育てることをお勧めします。
H氏:
ほめると表現していても、そのほめるが 横の関係の対等な人間としての感動だったり、
感謝だったり、共感だったり、過程や姿勢の注目するやり方だったら、
私たちは、それを 勇気づけ と呼びますが、
勇気づけを受けると、自分の自立したやり方が認められるので、
他者承認の必要ない地震や勇気が育ちます。
かじ えいせい:
おっしゃっていることはわかります。
だから褒めるなという結論は性急すぎるのでは。
H氏:
セミナーなどでやって見せますが、上から目線のほめることをするとかなりの割合の方が不快だとおっしゃいます。
私たちが提唱しているのは、
ほとんどのほめるは上から目線のほめるなので、勇気づけと区別しようという提唱なのです。
かじ えいせい :
心から喜び共感すれば子供は素直に育ちます。
H氏:
ごめんなさい。
ほめない方がいいという主張には、かなりの自信があります。
絶対に撤回しません。
それに、アドラー心理学ではかなりの昔100年前から主張していることです。
かじさんこそ、これだけの文章を読んだだけで理解しておいででないのです。
ほめない方がいいです。
心から喜び、共感することを私たちはほめるとは呼びたくないです。
かじ えいせい:
褒める定義が間違っていますね。
H氏:
なぜなら、成功した時だけでなく、失敗したり挫折したりした時も勇気づけたいからです。
間違っているのはかじさんだと私は思います。
失敗したり、挫折したり、落ち込んだ人にも、私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います。
かじ えいせい:
僕の3人の子で実証済みです。
本郷さんはお子さんは?
H氏:
2人います。
私も実証済みだし、全世界のアドラー心理学の子育て法を学んだ100万人以上の親でも実証されています。
かじ えいせい:
子育ては学問とは違います。
それこそ上から目線ですね。
H氏:
かじさん。あなたの違う意見を持ち、違う方法を使う人々がいてもいいんじゃないでしょうか?
あなたと争う必要性を感じません。
いいえ。子育てには、学問が必要だと思います。
かじさんこそ上から目線じゃないでしょうか?
かじさん、あなたと正しい争いをする気が これ以上はありません。
私は私の道を行く、かじさんはかじさんの道を行っていいじゃないですか?
以上。
これ以上答えませんでした。
無駄だと思ったので。
単に意見を交わしただけなのに、
争うとか、気がないとか、カウンセラーにあるまじき発言に驚いた。
というか、これがカウンセラーと呼ばれる(?)人の実態なのだ。
「私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います」
と言っておきながら、墓穴を掘っている。
これでは、異文化を受け入れることなどできない。
グローバル時代にはついていけないだろう。
「私」はと言わず、「私たちは」と言っていることからも
集団主義で自信のなさが感じられる。
日本人はよく羊の群れに例えられるのが頷ける。
心広く持ちたいものだ。
グローバル時代は、
いかに意見の違う人たちと仲良くやっていくかを磨かなければならない。
ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(内包性)の精神こそ必要なのだ。
みなさんのご意見を。
H氏は、「子育ては褒めてはいけない」という意見を述べられております。
ボクは、「褒めて育てると」いう持論を展開しました。
あとでこの方のfacebookページを見て驚きました。
なんと職業が、
『協力し合う幸せなよこの関係を広める「熊本こころ相談室」 チーフカウンセラー』
となっていました。
カバー写真には
”Touch for Health 健康法
キネシオロジーによる心身バランス健康法”
なる文字が。
この先入観なしに交わしたやり取りです。
不謹慎にも、後で笑っちゃいました。
では、やりとりの一部始終をどうぞ。
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H氏のタイムライン:
「『自分は役に立っている』と感じるのに、相手から感謝されることや、ほめられることは必要ありません。貢献感は自己満足でいいのです。」
(※小倉広「アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉」)
私たちは、子どもを育てる時に、絶対にほめません。
ほめるというのは、親の価値観で気に入った時にほめ、気に入らなかったときに叱り、
親の思い通りに子どもをコントロールする方法の一つだと思うからです。
ほめたり叱ったりとコントロールされて育った子どもは、自立しやすいでしょうか?自立しにくいでしょうか?
自立しにくいですよね。
私たちは、子どもに自立してほしいと願っているので、ほめません。
ほめて育てると、
☆ほめる人がいる時は「良いこと」をするけど、ほめる人がいなかったら「良いこと」をしないようになる。
☆ほめられるために手段を選ばないようになる。
☆結果ばかり気にするようになる。ほめられるようなことはするが、失敗するようなことに挑戦するチャレンジャー精神がなくなる。
☆自己受容に、どうしても他人の承認が必要な人になってしまう。自分だけで、自信を持つことができない人になってしまう。
☆人の目ばかりを気にする人になってしまう。
ほめて育てると、その子は不幸になり、苦しみます。やめた方がいいですよ。
だから、私たちは、子どもが自己満足で貢献感を得られるように、勇気づけを行うのです。
え?勇気づけって、、、、、うーん。一口じゃ説明できないなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これに対しコメントしました。
以下は、そのやりとりの一部始終です。
(カット、脚色は一切しておりません)
かじ えいせい:
褒めて育てましたが、おっしゃるようにはなってません。
負の面だけを見てられるようですが、褒められることで自信と勇気がつきます。
ほめ方とタイミングの問題でしょうね。
H氏:
かじさん。
いいえ。それは、その子にほめたことの負の作用を跳ね返す力があっただけです。
ほめることはできればやめた方がいいと私たちは思う
それに、世間の人が ほめる と表現しているものの中に
私たちが 勇気づけと呼んでいるものも含まれているようです。
私たちは、勇気づけと上から目線のコントロールのためのほめるを区別して表現しているのです。
多くの子どもには、ほめられたことや叱られたことの 負の作用をかなり跳ね返すことができるようです。
でも、私たちが観察して、他人の承認欲求が高い人が多いのはどうしてでしょうか?
他人の目が気になって仕方がない人が多いのはどうしてでしょうか?
それは、他者承認が必要なように持っていく圧力が家庭でも、学校でも多いからだと思っているのです。
私は、いろんなところでセミナーを開催してきましたが、
ほめたり叱ったりしない方がいいという話をすると、
ほとんどの人が、ほぼ百パーセントの確率で え? と言う反応をされます。
しかし、2時間ほど話すと今までの経験から言うと、皆さん納得されます。
さらに言うと、ほめたり叱ったりする代わりにどうすればいいのかをわかるには、かなりの時間が必要です。
例えば、勇気づけの方法を学ぶSMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーは16時間かかります。
そのほめることが横の関係じゃなくて、
上から目線のコントロールのためのたて関係のほめるの場合は、
ほめられることで身につく自信と勇気は、
他者の承認を必要とする他者承認の自信と勇気です。
想定外のストレスが生じた時にもろくも崩壊します。
かじ えいせい:
褒められれば誰でも嬉しいはずです。
おっしゃるように問題はほめ方とタイミングです。
ご機嫌取りのほめ方は見抜かれます。
良いことをしたら褒めるのが当然だと考えます。
おっしゃるように、家庭や学校の問題、つまり大人の問題でしょう。
子供は素直です。
褒められれば伸びるものです。
褒めることを否定するより、ほめ方の指導をなさったほうがいいかと思います。
基本、褒めて育てることをお勧めします。
H氏:
ほめると表現していても、そのほめるが 横の関係の対等な人間としての感動だったり、
感謝だったり、共感だったり、過程や姿勢の注目するやり方だったら、
私たちは、それを 勇気づけ と呼びますが、
勇気づけを受けると、自分の自立したやり方が認められるので、
他者承認の必要ない地震や勇気が育ちます。
かじ えいせい:
おっしゃっていることはわかります。
だから褒めるなという結論は性急すぎるのでは。
H氏:
セミナーなどでやって見せますが、上から目線のほめることをするとかなりの割合の方が不快だとおっしゃいます。
私たちが提唱しているのは、
ほとんどのほめるは上から目線のほめるなので、勇気づけと区別しようという提唱なのです。
かじ えいせい :
心から喜び共感すれば子供は素直に育ちます。
H氏:
ごめんなさい。
ほめない方がいいという主張には、かなりの自信があります。
絶対に撤回しません。
それに、アドラー心理学ではかなりの昔100年前から主張していることです。
かじさんこそ、これだけの文章を読んだだけで理解しておいででないのです。
ほめない方がいいです。
心から喜び、共感することを私たちはほめるとは呼びたくないです。
かじ えいせい:
褒める定義が間違っていますね。
H氏:
なぜなら、成功した時だけでなく、失敗したり挫折したりした時も勇気づけたいからです。
間違っているのはかじさんだと私は思います。
失敗したり、挫折したり、落ち込んだ人にも、私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います。
かじ えいせい:
僕の3人の子で実証済みです。
本郷さんはお子さんは?
H氏:
2人います。
私も実証済みだし、全世界のアドラー心理学の子育て法を学んだ100万人以上の親でも実証されています。
かじ えいせい:
子育ては学問とは違います。
それこそ上から目線ですね。
H氏:
かじさん。あなたの違う意見を持ち、違う方法を使う人々がいてもいいんじゃないでしょうか?
あなたと争う必要性を感じません。
いいえ。子育てには、学問が必要だと思います。
かじさんこそ上から目線じゃないでしょうか?
かじさん、あなたと正しい争いをする気が これ以上はありません。
私は私の道を行く、かじさんはかじさんの道を行っていいじゃないですか?
以上。
これ以上答えませんでした。
無駄だと思ったので。
単に意見を交わしただけなのに、
争うとか、気がないとか、カウンセラーにあるまじき発言に驚いた。
というか、これがカウンセラーと呼ばれる(?)人の実態なのだ。
「私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います」
と言っておきながら、墓穴を掘っている。
これでは、異文化を受け入れることなどできない。
グローバル時代にはついていけないだろう。
「私」はと言わず、「私たちは」と言っていることからも
集団主義で自信のなさが感じられる。
日本人はよく羊の群れに例えられるのが頷ける。
心広く持ちたいものだ。
グローバル時代は、
いかに意見の違う人たちと仲良くやっていくかを磨かなければならない。
ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(内包性)の精神こそ必要なのだ。
みなさんのご意見を。