承久の乱
後鳥羽上皇の院宣は「鎌倉に攻め入るのではなく、”義時追討”」
……《義時の首を差し出せば許そう。朝廷に味方をした者は厚遇しよう》というモノで、武士たちは従うであろうと読んでいた。
事実、そうなる流れもあったが、政子は《上皇に従って未来永劫、西の言いなりになる》のを良しとせず、《戦って坂東武者の世を創る》と御家人たちに訴えた。その政子の言葉に、板東武者は一丸となった!
……というのが、前話の流れだったが、《できれば戦などしたくない》というのが御家人たちの本音。
朝廷軍を鎌倉近辺で迎え撃つというのが常道のように思えたが、時が経てば、御家人の気持ちは冷えていきそう。
そこで、鎌倉側から京に攻め込むこととなった。総大将は北条泰時、補佐に時房。
しかし、旗揚げしたのは、たった18騎。《自分を入れても19騎か…》と落胆する泰時だったが、自分を入れて18騎と知って、更に落胆(一緒だろう・笑)
まあ、ドラマ初期の“頼朝挙兵”を思い出す兵の少なさ。ところが……
なぜ、大軍に?
蓋を開けてみると、鎌倉軍は19万騎まで膨れ上がっていた。
「策が当たったなあ」と泰時は嬉しがっていたが、一体、何が起こった?
この情勢の変化は唐突に思えたが、何か、秘策や説明があったのだろうか?(私が寝ていた?)
原因は《朝廷と御家人の思いの違い》
朝廷……栄誉を与えれば武士は従う(武士は、朝廷(皇族)、貴族、寺院の下に武士)
幕府……御家人に褒賞として所領を与えた(“一所懸命”の語源)
「策が当たった」というのは、《見切り発進で挙兵、京を目指す》という行為を起こしたことを指していたのだろう。
上記のように、御家人(武士)の意識の違いが、大群に膨れ上がったのだろう。
兵力は圧倒的多数で木曽川を突破したが、宇治川では苦戦!
朝廷は宇治川に架かる橋をすべて落としてしまったので、鎌倉軍は進攻がままならない。そこで……
“泰時の秘策”……家を壊して筏を作り、強行突破!
武具なしで川に入り、筏を押す兵は無防備……盛綱の胸にも矢が刺さり、犠牲に……と誰もが思ったが、延命。
……宇治川を突破した鎌倉軍の勝利!
実は、勝利の行方を左右したポイントはもう一つあって、上皇自身が陣頭に立って士気を高めるかどうか……上皇自身はやる気満々だったが、藤原兼子に《後白河法皇の言葉を思い出しなさい》と戒められて、自重。
敗れた上皇は隠岐に流されることとなった。
どういう罪状で配流(流刑)となったのだろうか?
ところで、善村を「じじい」呼ばわりした奴は誰?
“承久の乱”…少し雑だったように感じた。
最終話冒頭の家康の登場や、陸の再登場、さらに意表の文覚の再登場、そして運慶の泰時像よりも、もう少し丁寧に描いて欲しかった。(子どもたちへの武芸の訓練も不要)
ただし、運慶の泰時像については、どうせ描写するのなら、泰時の心の深淵を表したものとして、クライマックスの政子&義時のシーンに重ねて欲しかった。仏像を斬ろうとして、倒れる…というのは安易。
義時も像を見て、もう少し自分を顧みるのかとも思ったが……
希望としては、義時と政子との会話で“裏・鎌倉殿の13人”の回想シーンで義時像を重ねてほしかった
政子と実衣(実衣の述懐の言葉)
「結局、姉上は一度も偉くなりたいとは思わなかった(偉くなろうと)狙っていた人たちは、みんな亡くなってしまった」
「全成の血筋を絶やしたくなかった」「どうかしていた」「誰でも、人の上に立ってみたいと思うもの」
義時と のえ
のえは義時に毒を盛っていた。
息子が北条の後を継ぐことを願ったが、叶いそうもない。
のえの独自の解釈によると、
《八重は“敵筋の伊東家の娘”、比奈は“政敵の比企の娘”、北条家の嫡男は二階堂筋の我が息子の政村であるはず。
なので、後継ぎを泰時に決めている義時が亡くなれば、嫡男は政村と認められる》というもの。
それで、義時毒殺を目論んだ……
だが、本当のところは……
そういう自分(のえ)の本心や本性を、義時は全く気づかない。それは、義時が自分に全く無関心だからだ。
そんな義時に対する復讐だったのだろう。
泰時「新しい世を創るのは私です」……御成敗式目
帝暗殺を反対し、
「やっていいことといけないことを、はっきり示す」→御成敗式目
それを聞いた時房「今、新しい世が来る音がした」
目を輝かせ、泰時を見る。
泰時、初に初めて褒められる
御成敗式目の草案を語る泰時に、初は
「まじめ」
「何が悪い」
「悪いとは言っていない。偉いと言っています」
「初めて褒められた」(にこにこ)
義時と義村
義村に酒を注ぐ義時
「のえが体に効く薬を用意してくれてなあ…それを酒で割って飲むとうまい」
義村は、普通の酒でよいと避けようとするが、
「一口だけでも飲んで見ろよ……長沼宗政がお前の裏切ろうとしていた心内を白状したぞ」と。
「もし俺が裏切っていたら、(鎌倉)負けていた。勝ったのは(裏切らなかった)俺のおかげだとも言える」と嘯くが……
構わず義時は
「うまいぞ。それとも、飲めないわけでもあるのか…」と迫る
観念した義村が酒を飲み干し、
「お前にできたことが俺にできないわけがない。
俺はすべてに於いて、お前に優っている。頭のキレも剣の腕もだ。
それなのに、お前は天下の執権。俺は一介の御家人だ」
「…お前を超えてやる。こえてんやりゅ…いかん、唇が痺れてきた」
「これはただの酒だ。毒は持っておらん」(義時)
「…本当だ。しゃべれる(けろり)……俺の負けだ」
「平六(義村)、これからも太郎(義時)を助けてやってくれ」
《何度も裏切ろうとした自分に頼むのか》と驚く義村
「お前は一度死んだ」と。
「これから先も、北条は三浦が支える」と言う義村
おそらく才覚などは義村の方が上だった。
しかし、頼朝に近い位置にいたのは北条だった。
おそらく、これが義時と義村を分けた要因であろう。
しかし、それよりも、義時には《板東を何とかしたい。武士の世にしたい》という強い意志があった。
損得勘定を考える義村との大きな違い……こちらの要素の方が大きかったかもしれない。
「これから先も、北条は三浦が支える」の義村の言葉は嬉しかったが、最後に襟を直さないかドキドキした。
ついでに「”おなごはキノコが好き”というのはでまかせだ」と告げる。
……「早く言って欲しかったぁぁ」(信じていたのか・笑)
義時と政子
「それにしても、血が流れ過ぎた。 何人が死んでいったか…
……梶原殿、全成殿、比企殿、新田殿、頼家様、畠山、稲毛殿、平賀殿、和田殿、中章殿、実朝様、公暁様、時元殿」
「病で死んだはずの頼家が、なぜここに入っているの?
嘘つきは、自分の付いた嘘を覚えていないと。
うすうすは分かっていた。怖くて(真相を)訊けなかった」
脚本の三谷氏は、NHK特番で『ウラ話トークSP』で「政子は最後まで聖女(善人)」と言っていたので、
《義時の指示で頼家を殺害したこと》《頼家の死を病死だと偽っていたこと》を受け止め、毒を抑える薬を義時に渡そうとしていた行為は、偽りではないと考えられる。
しかし、義時が、帝(後鳥羽上皇の孫)の復権を懸念し、殺害を企てるのを聞いた政子は、義時に薬を渡さず、床にこぼす。
「泰時がいるから、そんなことを(帝を殺害)しなくても大丈夫」と義時に言うが、義時は、「泰時の為、汚い仕事は自分の仕事で、そう言う悪行は自分が地獄に持っていく。自分が汚れるほど、泰時は輝く」と語る。
結局、泰時を信じない……自分しか信じることができない。
義時は必死に床を這いつくばり、床に溜まっている薬を舐めようとするが、政子は自分の衣で拭き取るように滑り込み、阻止。義時にこれ以上の悪行を重ねて欲しくないと言う
三谷氏は最後まで政子は聖女だったというが、私には、そんな義時の傲慢さが、数々の悲劇を繰り返した。義家の死も然り……そんな怒りが政子の心に湧き出したのではないかと、私は思ってしまう。
ともに北条を守り、鎌倉幕府を創ってきた弟・義時の最期を看取り、むせび泣く政子……完
第1話「大いなる小競り合い」 第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」 第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」 第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」 第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」 第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」 第12話「亀の前事件」
第13話「幼なじみの絆」 第14話「都の義仲」
第15話「足固めの儀式」 第16話「伝説の幕開け」
第17話「助命と宿命」 第18話「壇ノ浦で舞った男」
第19話「果たせぬ凱旋」 第20話「帰ってきた義経」
第21話「仏の眼差し」 第22話「義時の生きる道」
第23話「狩りと獲物」 第24話「変わらぬ人」
第25話「天が望んだ男」 第26話「悲しむ前に」
第27話「鎌倉殿と十三人」 第28話「名刀の主」
第29話「ままならぬ玉」 第30話「全成の確率」
第31話「諦めの悪い男」 第32話「災いの種」
第33話「修善寺」 第34話「理想の結婚」
第35話「苦い盃」 第36話「武士の鑑」
第37話「オンベレブンビンバ」 第38話「時を継ぐ者」
第39話「穏やかな一日」 第40話「罠と罠」
第41話「義盛、お前に罪はない」 第42話「夢のゆくえ」
第43話「資格と死角」 第44話「審判の日」
第45話「八幡宮の階段」 第46話「将軍になった女」
第47話「ある朝敵、ある演説」
【ストーリー】番組サイトより
反目する北条義時(小栗旬)を討ち取るため、義時追討の宣旨を出し、兵を挙げた後鳥羽上皇(尾上松也)。
これに対し、政子(小池栄子)の言葉で奮起し、徹底抗戦を選んだ幕府は、大江広元(栗原英雄)や三善康信(小林隆)の忠言を聞き入れて速やかに京へ派兵することを決断。泰時(坂口健太郎)、平盛綱(きづき)らが先発隊として向かい、時房(瀬戸康史)らが続く。
そんな中、三浦義村(山本耕史)は弟・胤義(岸田タツヤ)と……
脚本:三谷幸喜
後鳥羽上皇の院宣は「鎌倉に攻め入るのではなく、”義時追討”」
……《義時の首を差し出せば許そう。朝廷に味方をした者は厚遇しよう》というモノで、武士たちは従うであろうと読んでいた。
事実、そうなる流れもあったが、政子は《上皇に従って未来永劫、西の言いなりになる》のを良しとせず、《戦って坂東武者の世を創る》と御家人たちに訴えた。その政子の言葉に、板東武者は一丸となった!
……というのが、前話の流れだったが、《できれば戦などしたくない》というのが御家人たちの本音。
朝廷軍を鎌倉近辺で迎え撃つというのが常道のように思えたが、時が経てば、御家人の気持ちは冷えていきそう。
そこで、鎌倉側から京に攻め込むこととなった。総大将は北条泰時、補佐に時房。
しかし、旗揚げしたのは、たった18騎。《自分を入れても19騎か…》と落胆する泰時だったが、自分を入れて18騎と知って、更に落胆(一緒だろう・笑)
まあ、ドラマ初期の“頼朝挙兵”を思い出す兵の少なさ。ところが……
なぜ、大軍に?
蓋を開けてみると、鎌倉軍は19万騎まで膨れ上がっていた。
「策が当たったなあ」と泰時は嬉しがっていたが、一体、何が起こった?
この情勢の変化は唐突に思えたが、何か、秘策や説明があったのだろうか?(私が寝ていた?)
原因は《朝廷と御家人の思いの違い》
朝廷……栄誉を与えれば武士は従う(武士は、朝廷(皇族)、貴族、寺院の下に武士)
幕府……御家人に褒賞として所領を与えた(“一所懸命”の語源)
「策が当たった」というのは、《見切り発進で挙兵、京を目指す》という行為を起こしたことを指していたのだろう。
上記のように、御家人(武士)の意識の違いが、大群に膨れ上がったのだろう。
兵力は圧倒的多数で木曽川を突破したが、宇治川では苦戦!
朝廷は宇治川に架かる橋をすべて落としてしまったので、鎌倉軍は進攻がままならない。そこで……
“泰時の秘策”……家を壊して筏を作り、強行突破!
武具なしで川に入り、筏を押す兵は無防備……盛綱の胸にも矢が刺さり、犠牲に……と誰もが思ったが、延命。
……宇治川を突破した鎌倉軍の勝利!
実は、勝利の行方を左右したポイントはもう一つあって、上皇自身が陣頭に立って士気を高めるかどうか……上皇自身はやる気満々だったが、藤原兼子に《後白河法皇の言葉を思い出しなさい》と戒められて、自重。
敗れた上皇は隠岐に流されることとなった。
どういう罪状で配流(流刑)となったのだろうか?
ところで、善村を「じじい」呼ばわりした奴は誰?
“承久の乱”…少し雑だったように感じた。
最終話冒頭の家康の登場や、陸の再登場、さらに意表の文覚の再登場、そして運慶の泰時像よりも、もう少し丁寧に描いて欲しかった。(子どもたちへの武芸の訓練も不要)
ただし、運慶の泰時像については、どうせ描写するのなら、泰時の心の深淵を表したものとして、クライマックスの政子&義時のシーンに重ねて欲しかった。仏像を斬ろうとして、倒れる…というのは安易。
義時も像を見て、もう少し自分を顧みるのかとも思ったが……
希望としては、義時と政子との会話で“裏・鎌倉殿の13人”の回想シーンで義時像を重ねてほしかった
政子と実衣(実衣の述懐の言葉)
「結局、姉上は一度も偉くなりたいとは思わなかった(偉くなろうと)狙っていた人たちは、みんな亡くなってしまった」
「全成の血筋を絶やしたくなかった」「どうかしていた」「誰でも、人の上に立ってみたいと思うもの」
義時と のえ
のえは義時に毒を盛っていた。
息子が北条の後を継ぐことを願ったが、叶いそうもない。
のえの独自の解釈によると、
《八重は“敵筋の伊東家の娘”、比奈は“政敵の比企の娘”、北条家の嫡男は二階堂筋の我が息子の政村であるはず。
なので、後継ぎを泰時に決めている義時が亡くなれば、嫡男は政村と認められる》というもの。
それで、義時毒殺を目論んだ……
だが、本当のところは……
そういう自分(のえ)の本心や本性を、義時は全く気づかない。それは、義時が自分に全く無関心だからだ。
そんな義時に対する復讐だったのだろう。
泰時「新しい世を創るのは私です」……御成敗式目
帝暗殺を反対し、
「やっていいことといけないことを、はっきり示す」→御成敗式目
それを聞いた時房「今、新しい世が来る音がした」
目を輝かせ、泰時を見る。
泰時、初に初めて褒められる
御成敗式目の草案を語る泰時に、初は
「まじめ」
「何が悪い」
「悪いとは言っていない。偉いと言っています」
「初めて褒められた」(にこにこ)
義時と義村
義村に酒を注ぐ義時
「のえが体に効く薬を用意してくれてなあ…それを酒で割って飲むとうまい」
義村は、普通の酒でよいと避けようとするが、
「一口だけでも飲んで見ろよ……長沼宗政がお前の裏切ろうとしていた心内を白状したぞ」と。
「もし俺が裏切っていたら、(鎌倉)負けていた。勝ったのは(裏切らなかった)俺のおかげだとも言える」と嘯くが……
構わず義時は
「うまいぞ。それとも、飲めないわけでもあるのか…」と迫る
観念した義村が酒を飲み干し、
「お前にできたことが俺にできないわけがない。
俺はすべてに於いて、お前に優っている。頭のキレも剣の腕もだ。
それなのに、お前は天下の執権。俺は一介の御家人だ」
「…お前を超えてやる。こえてんやりゅ…いかん、唇が痺れてきた」
「これはただの酒だ。毒は持っておらん」(義時)
「…本当だ。しゃべれる(けろり)……俺の負けだ」
「平六(義村)、これからも太郎(義時)を助けてやってくれ」
《何度も裏切ろうとした自分に頼むのか》と驚く義村
「お前は一度死んだ」と。
「これから先も、北条は三浦が支える」と言う義村
おそらく才覚などは義村の方が上だった。
しかし、頼朝に近い位置にいたのは北条だった。
おそらく、これが義時と義村を分けた要因であろう。
しかし、それよりも、義時には《板東を何とかしたい。武士の世にしたい》という強い意志があった。
損得勘定を考える義村との大きな違い……こちらの要素の方が大きかったかもしれない。
「これから先も、北条は三浦が支える」の義村の言葉は嬉しかったが、最後に襟を直さないかドキドキした。
ついでに「”おなごはキノコが好き”というのはでまかせだ」と告げる。
……「早く言って欲しかったぁぁ」(信じていたのか・笑)
義時と政子
「それにしても、血が流れ過ぎた。 何人が死んでいったか…
……梶原殿、全成殿、比企殿、新田殿、頼家様、畠山、稲毛殿、平賀殿、和田殿、中章殿、実朝様、公暁様、時元殿」
「病で死んだはずの頼家が、なぜここに入っているの?
嘘つきは、自分の付いた嘘を覚えていないと。
うすうすは分かっていた。怖くて(真相を)訊けなかった」
脚本の三谷氏は、NHK特番で『ウラ話トークSP』で「政子は最後まで聖女(善人)」と言っていたので、
《義時の指示で頼家を殺害したこと》《頼家の死を病死だと偽っていたこと》を受け止め、毒を抑える薬を義時に渡そうとしていた行為は、偽りではないと考えられる。
しかし、義時が、帝(後鳥羽上皇の孫)の復権を懸念し、殺害を企てるのを聞いた政子は、義時に薬を渡さず、床にこぼす。
「泰時がいるから、そんなことを(帝を殺害)しなくても大丈夫」と義時に言うが、義時は、「泰時の為、汚い仕事は自分の仕事で、そう言う悪行は自分が地獄に持っていく。自分が汚れるほど、泰時は輝く」と語る。
結局、泰時を信じない……自分しか信じることができない。
義時は必死に床を這いつくばり、床に溜まっている薬を舐めようとするが、政子は自分の衣で拭き取るように滑り込み、阻止。義時にこれ以上の悪行を重ねて欲しくないと言う
三谷氏は最後まで政子は聖女だったというが、私には、そんな義時の傲慢さが、数々の悲劇を繰り返した。義家の死も然り……そんな怒りが政子の心に湧き出したのではないかと、私は思ってしまう。
ともに北条を守り、鎌倉幕府を創ってきた弟・義時の最期を看取り、むせび泣く政子……完
第1話「大いなる小競り合い」 第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」 第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」 第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」 第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」 第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」 第12話「亀の前事件」
第13話「幼なじみの絆」 第14話「都の義仲」
第15話「足固めの儀式」 第16話「伝説の幕開け」
第17話「助命と宿命」 第18話「壇ノ浦で舞った男」
第19話「果たせぬ凱旋」 第20話「帰ってきた義経」
第21話「仏の眼差し」 第22話「義時の生きる道」
第23話「狩りと獲物」 第24話「変わらぬ人」
第25話「天が望んだ男」 第26話「悲しむ前に」
第27話「鎌倉殿と十三人」 第28話「名刀の主」
第29話「ままならぬ玉」 第30話「全成の確率」
第31話「諦めの悪い男」 第32話「災いの種」
第33話「修善寺」 第34話「理想の結婚」
第35話「苦い盃」 第36話「武士の鑑」
第37話「オンベレブンビンバ」 第38話「時を継ぐ者」
第39話「穏やかな一日」 第40話「罠と罠」
第41話「義盛、お前に罪はない」 第42話「夢のゆくえ」
第43話「資格と死角」 第44話「審判の日」
第45話「八幡宮の階段」 第46話「将軍になった女」
第47話「ある朝敵、ある演説」
【ストーリー】番組サイトより
反目する北条義時(小栗旬)を討ち取るため、義時追討の宣旨を出し、兵を挙げた後鳥羽上皇(尾上松也)。
これに対し、政子(小池栄子)の言葉で奮起し、徹底抗戦を選んだ幕府は、大江広元(栗原英雄)や三善康信(小林隆)の忠言を聞き入れて速やかに京へ派兵することを決断。泰時(坂口健太郎)、平盛綱(きづき)らが先発隊として向かい、時房(瀬戸康史)らが続く。
そんな中、三浦義村(山本耕史)は弟・胤義(岸田タツヤ)と……
脚本:三谷幸喜
どうなることやら、と思いながら、
最終回まで見ましたが、
なかなか面白かったです。
そして、なんで『源氏』が滅んでしまったのか。
が、ちょっとだけわかったような気が
しました。
頼朝が、上総広常の軍勢を盗った??所と、
頼朝が範頼を信じられなくなった所と、
頼家が御家人の女房を奪おうとした所を
見て、
これは・・・・さすがに・・・・。
滅びてもしょうがないかと。
でも、この時点で、『義時・泰時』が
最後の勝者になるなんて、
さすがに読めないです。
>18騎が・・・・
たったの18騎がなんで19万に
なるのだろう・・・・。
今思うと、これが一番の謎で、
19万にまで膨れ上がると、
兵糧が持ちません(笑)
ま、実際の所、19万は吾妻鏡に
書いてあるだけなので、
実際にはないですよね(笑)
でも、普通に倍・3倍くらいは
軍勢を集められたような気もします。
過少に見積もって、三方の軍それぞれ
3万としても、
9万ですか・・・・。
やっぱ、おかしい。義時の代理が
率いる兵の数では・・・・
(結局、泰時さまの人徳か・笑)
>(義時)自分しか信じることができない。
なんで、薬を政子にもって来てもらうように
頼んだんやろう。
姉だけは信じたかったんやろか・・・・。
義時の、この時の気持ちがなんとも・・・・。
それにしても、後鳥羽上皇の退場シーンが
なんかあっという間に連れていかれたと
いう感じで、
あれ程の大物でも、最終回の邪魔になるなら
すぐに・・・・退場・・・・。
いや~~~~。上皇を裁くなんて、
今思うと、とんでもない話ですねぇ~~~~。
個人的には『院宣』を記念に持って帰ろうと
したオリジナルエピソードが
大好きなこてくんでした。
ではではっ。
『鎌倉殿の13人』面白かったです。終わってしまいました。ちょっと喪失感も…
まあ、もうレビューを書かなくていいと思うと、嬉しいです(結構大変だった)
>頼朝が、上総広常の軍勢を盗った??所と、頼朝が範頼を信じられなくなった所と、頼家が御家人の女房を奪おうとした所を見て、
>これは・・・・さすがに・・・・。滅びてもしょうがないかと。
そうですね。頼家はクズに近かったですし、頼朝も非道な奴でした。
頼朝の死は、もう少し苦しむか、罪を悔いてほしかったです。綺麗に死に過ぎました。そこはかなり不満。
鎌倉軍の異常な増え方は、不思議でした。本文で書いたことが原因だと思いますが、描写がないので、不思議でした。
義時の最後は少し疑問ですが、良かったと思います。
>個人的には『院宣』を記念に持って帰ろうとしたオリジナルエピソードが大好きなこてくんでした。
ええ、面白かったです。時房は面白かったです。ナイスキャラでした。
最終回では、「ほんとだ、しゃべれる」(善村)が良かったです。
とうとう終わってしまいましたね。ここまで熱を入れてみた大河ドラマは久しぶりでしたので、まさに「鎌倉ロス」に苛まれているところです。
最終回、延長した15分間はそのまま政子と義時の二人芝居に当てられました。この時になって初めて政子が頼家の死の真相に気づく、という描写をいれたことで多様な解釈が可能なラストになりました。
私には、義時の中でいつしか「小四郎」と「北条義時」がせめぎ合うようになっていたのではないかと思えるのです。最後、政子には「小四郎」が救いを求めているように感じられたのではないかと。
死ぬ間際の「姉上・・・」という言葉は、それまでのたうち回っていたのが噓のような穏やかな言い方でした。あの瞬間、義時は「小四郎」に戻ることができたのかもしれません。あまりにも遅すぎましたが。
のえと義村。この二人は言ってみれば義時によってプライドを傷つけられて、それが殺意にまで昇華しました。。
のえの方は、元々義時を愛していたわけでもなく、権力狙いで近づき、猫をかぶってまんまと妻の座に収まることに成功。最初は「ちょろい男」と持っていたはずですが、そんな夫がいつしか全く自分に興味をしめさなくなり、プライドはずたずたに。
それでも自分が生んだ政村を跡継ぎにしようと我慢してきましたが、兄が殺され、自分に一切相談せずに義時が自分の首を差し出す決意をしたことで限界になり、殺意が芽生えたようですね。
一方の義村。幼いころからの盟友でしたが、何かと自分を頼ってくる義時を内心では見下していたのですね。そのように下に見ていた相手が大人になって自分より上の立場になり、コンプレックスを持ち続けていた。
それでも最後は本音をぶつけることによって、何か吹っ切れたようで、盟友の関係に戻ることができたのは、ちょっとした救いでした。
そういえば、義時が「女子はきのこが好き」ということを頑なに信じていた理由が明かされてすっきりしました。義村に吹き込まれていたとは(笑)。
さて1月からの『どうする家康』を見るかどうか迷っているところです。脚本が古沢良太氏なので興味があり、とりあえず5話くらいまで見て判断してみようかと思っています。
一年間、コメント、ありがとうございました。(『相棒』のコメントもありがとうございます)
面白かったので、レビューにも力が入りましたが、その分、きつかったです。続けられたのは、ひとえにmarumoriさんのおかげです。
最終回は、何と言っても、義時と政子のラストシーンでした。marumoriさんの感想は流石です。
のえの殺意もなるほどです。ただ、私は、のえに“是が非でも殺害する”と言うほどの殺意はなく、毒を盛っていたことに早く気付いて欲しかった。そして、これまでの鬱積した思いをぶつけたかったように感じました(死んでしまったら、文句が言えない)
義時と義村のやり取りも面白かったです。いい感じで二人の関係が続きそうになったのは嬉しかったです(義時はその後、死んでしまいましたが)
『どうする家康』の脚本が古沢氏なので、食指がそそられますが、主演の人がちょっと……
まあ、今年、かなり力を使ったので、来年はパスです。見るとまた感想を書いてしまいそうですし。
今年も感想、ありがとうございました。
ほんとうにためになります。
どうもありがとうございます。
『のえ』が最後の最後で存在感を出してきた時は、
お、おおっ。という感じでした。
ちゅうか・・・・泰時びいきがすぎまして
『北条政村』の存在をすっかり忘れてました。
いかんなぁ~~~~。
来年も「どうする家康」は見ます。
感想はしんどいので、『短評』か『私評』に
なりますかねぇ~~~~。
もしも、感想を書くとしたら、
最初からもう歴史を知ってるのを前提に
書くつもりです。
ただ、「小牧・長久手の戦い」の後の
『地震』の事が出てくるのなら、
それは書かないといけないのかな?
とも思っています。
わたしが大昔に見た大河の家康と、今では、
かなり変化してますので、
もしも、感想を書くなら、その辺を思い出し
ながら書かないといけないかなぁ~~~~。
と、真面目に考えると、いや、ほんと。
全然書けなくなっちゃいますので、
その辺はさくっと・・・・。
ではではっ。
(よいお年を)
今年もお世話になりました。
>『のえ』が最後の最後で存在感を出してきたは、お、おおっ。という感じでした。
のえは、気の毒な処遇でした。でも、上面だけの人との接し方でしたので、自業自得かも。実際に、妻がのえだったら、ちょっと…かなり嫌ですね。
>ちゅうか・・・・泰時びいきがすぎまして
『北条政村』の存在をすっかり忘れてました。
他のNHK番組で、泰時は歴史学者から視ても、清廉な人物だったようです。その清廉さが発揮できたのは、義時が北条の地盤を固めたからだと、その番組の参加者の時政(彌十郎)さんが語っていて、私もその通りだと思いました。
政村ですが、史上では、謀反人扱いとなったのですが、泰時は許し要職に据え、政村も応えて尽力したとありました。
>来年も「どうする家康」は見ます。感想はしんどいので、『短評』か『私評』になりますかねぇ~~~~。
>もしも、感想を書くとしたら、最初からもう歴史を知ってるのを前提に書くつもりです。
信長~家康はストーリー(歴史)が視聴者も分かっているので、作り手も大変ですね。
『鎌倉殿の13人』は、私がその当時のことをほとんど知らなかったので、純粋に楽しめました(『平清盛』もそうでした)。
脚本の古沢氏は、おそらく、歴史のかなり深い所まで潜って、脚本を書かれると思うので、見応えがあるものとなると思います。
私は視聴しないつもりなので、こてくんの記事、楽しみですとは単純に言えません(申し訳ありません)。
良いお年を。