ELFじ~さんのほっつきある記(キャンピングカー アラモのたび)

アラモで走る無計画のたびと車中泊。たび先で温泉を楽しみ、ちょっと山登りと自転車。あとは快適化、ときどきじ~さんの日常。

一乗谷は日本のボンベイだった (2016/6/12)

2016年06月12日 | 2016/6 北陸のたび 2
 道の駅「パークイン丹生ヶ丘」の売店の開店は10時なので、それに合わせて店をのぞいてみた。なんと地元の方らしき年配の人が数人、既にカウンターでコーヒーを飲みながら談笑していた。どうやら地元の人たちのサロンも兼ねているようだ。ただ店の商品はお土産物と数種類の野菜が少しだけで、買うものに困る。

 今日の最初は10キロくらい戻るが「劔神社」に行ってみる。このあたりは織田信長の祖先の地だそうで、地名そのものが織田だ。織田信長はこの劔神社を氏神としていたそうだ。





色々なエピソードはあるようだが、行ってみたら地方としては立派な神社だったなという感想しかない。

 ここから折り返して、本日のメインは「一乗谷朝倉氏遺跡」だ。

 途中で手前にある道の駅「一乗谷あさくら水の駅」に立ち寄って、一乗谷の観光案内などを入手しようと思ったが、どういうことかないもない。まさか役所の管轄違いですとは言わないよね。





どうもここは横を流れる足羽川の堰「頭首工」の完成を記念して作られた公園をベースにした道の駅らしい。ちょっとしゃれた感じの小さな道の駅だが、自分としては駐車場ときれいなトイレがあるよという意味合いしかない。



この周辺のご案内という看板の原画をパンフレットに刷ってくれればいいんだけどね。



 いよいよ一乗谷朝倉氏遺跡資料館に入ってみる。ここはこの先の現地の復元町並みと合わせて\230の共通券がいい。



 内部は写真不可だが、一乗谷に関連する資料や出土した遺物がいっぱい展示されている。そこいら中が重要文化財。青磁のかけらまで重文だ。

 この一乗谷は戦国武将、朝倉氏が5代にわたって都市を構築していた遺跡だ。織田信長の軍に攻め込まれて火によって灰燼に帰した場所なのだ。

 いよいよ遺跡の現地。この遺跡の特徴は特別史跡、特別名勝、重要文化財のトリプル指定を受けていること。自分の理解では、古い時代からずっと残っているものも、後代の人もそこ/それを使っているのでだんだん変質しているか、古いものを破却して新しいもので上書きしているものが多い。(伊勢神宮などでは古いままの形が残っているのかもしれない)そうした中で戦乱の末、当時のものがそのまま埋もれて(せいぜい田畑)、昔のものがそのまま残っているわけだ。これは日本のポンペイだといったら言い過ぎだろうか。なにしろここには1万人が暮らす都会だったそうだ。

 バスも乗用車もほとんどの人は復元町並みの所にある駐車場に停めて、復元町並みと川向の朝倉邸跡を見て帰るようだ。先に資料館を見てきたこともあって、少し手前の史跡公園センターの駐車場に停めて、遺跡のあと(平面復元地区)をじっくり歩いてみた。



なんと道路が広い。5メートル幅くらいかな。道路わきの側溝と各戸ごとに井戸(四角の石の枠が井戸のあと)がある。ただ職人の家割は狭い。



こちらは山手側の寺院の跡。それにしてもお寺が多い。

 いよいよ復元町並みに入る。こちらは武家屋敷の通り。



それぞれに門がある。



入っていくと庭はそこそこ広い。



母屋の中では人形が当時の雰囲気を出している。





なんと狭いが離れまである。



 こちらは町人というか職人エリア。





入ったら土間の正面に井戸。その横は表の間で仕事や料理、食事などをする。
奥に一つ部屋がある。



 復元町並みを出て川向こうの高台に庭園の跡がある。



そして下がったところに朝倉義景館跡だ。





 なかなか見ごたえのある遺跡だった。やはり先に一乗谷朝倉氏遺跡資料館に行ったのが良かった。



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