エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

エルソル大阪物語■31■「カラテカ」

2018年01月21日 | エルソル大阪物語

■31■


学校の紹介で東大阪の長田の
『カットサロン三四』に住込みで働く事になりました。

「カットサロン三四」のマスターは「がんばれタブチくん」タイプの大柄な人でした。
(頭はしっかりパンチ君)

三四マスター「関美やったら、先生に宮路っておったやろ?」

    上田「宮路先生ですか?美しい方でした」

三四マスター「ワシ、親戚になんねん」

    上田「えーーッ!?」(有り得ん!)

スタッフは、
小柄ロン毛の30代の職人さん、長崎出身の20代半ばで面長の中習さん、
見習い女性の水本さん、というメンバーで、
お店の中はいかにも仕事が出来そうな「ピリッ」とした空気に包まれていました。

僕は、「助教師」という最終学歴が気に入られ期待されました。
別テナントに2号店出店予定があるらしく、
「将来は君にやって欲しい」と入店2日目の夜のレッスン終了後に言われました。

ところが3日目、4日目になるにつれて、
マスターの機嫌はどんどん悪くなってしまいました。
というのは、僕が仕事を出来ないのがだんだん分かってきたからです。

顔剃りはおろかシャンプーさえも実戦には程遠いのです。
夜のレッスンで一生懸命やればやるほど技術不足が露呈されました。

住まいは店から自転車で2分の所にありました。
文化住宅の二階の部屋で『長崎の先輩』と共同生活でした。

2階まで外付け階段を上り、玄関を開けてすぐに狭い台所で、
ふすまを開けると四畳(これが僕の部屋)、その奥のふすまを開けると先輩の四畳半で、
その向こうのベランダにトイレがあるという縦長の部屋でした。

面長で不器用そうな「長崎の先輩」は基本的に無口で、
喋ろうとする時に一瞬間があるので、会話はいつも一方的に僕のペースでした。
といっても毎日11時半までのレッスンだったので、喋るのは夜8時から9時の晩メシ時間だけでした。

先輩にいつも連れて行かれるのはうどん屋で、
400円のうどんでしたが毎日おごってくれました。
勿論毎回僕も自分の分を払おうとするのですが、
「最初の給料でるまでは・・」と受け取ってくれませんでした。

先輩は自転車に乗る時は(二人乗り)
いつも立ち乗りで、全速でブッ飛ばすので、後ろに乗っている僕にはとても迷惑でした。

先輩は週に一回しか風呂に入りませんでした。
僕が銭湯から帰るといつも先輩の部屋から「ウイーン」とビデオテープの出てくる音がしました。
「12時以降は寝るから俺の部屋立ち入り禁止」
と言われていましたが、12時以降はとても怪しい部屋でした。

それから、何故か先輩は月曜日の休みは丸一日居ませんでした。

毎日のレッスンはこの先輩と二人だけでした。
マスターに怒られるのも先輩ばかりでした。

僕は変に優遇されていて、
仕事のできない僕への当てつけに先輩が叱られているような気がしました。

二週間後、
いつものうどん屋で先輩の給料を聞いて驚きました。
何と、僕と同じなのです。

「あんなに僕より仕事出来るのに・・」
「年上なのに、・・・」
「あ、オレ毎日おごってもらってる・・」

その夜はなかなか寝付けず、イヤホンで音楽を聞いていました。

「ダンダンダン」と誰かが階段を上がって来ました。

「おーい、開けてくれー」
酒に酔ったマスターでした。

三四マスター「上田君、12時消灯言うたやん!」
      「おーいそっちおるかー?」

先輩登場、寝起きとは思えない機敏な反応。
(どうやらこの抜き打ちチェックたまにやってるな・・)

また先輩怒られ役、

三四マスター「お前がちゃんとせんからあかんのや!」
      「何んやコレ」
      「お前らこの台所ちゃんと使っとんのか?」
      「洗剤ひとつ無いやないか」
      「何んじゃこのトイレ!」
      「ホース持って来い!今から掃除せェ!」

始めから終わりまでイライラと叱って帰っていきました。

上田「すみません、僕が電気つけてたから・・」
  「すんませんでした、あ、僕がやります・・」

申し訳ない気持ちで謝りました。

先輩「ええワ、俺がやる」
  「あのオッサン奥さんと喧嘩したらいつもああや」
  「気にすんな!あー、しかし腹立つなあ」

一瞬の間もなくスラスラと先輩のペースでしばらく喋りました。

それから少しして、
マスターが空手の師範で道場も持っていて、
毎週月曜日は従業員一同強制的に通わされている事を知りました。

三四マスター「上田君もそろそろやるか?」(熊のポーズ)

これが決め手になりました。

上田「あの、マスター、お店辞めさせていただきます」

協議の結果、マスターの意向で店を辞める理由が
何故か「学校の先生に呼ばれて学校に帰る」になりました。

それと営業中のうちにいなくなってほしいとのことで、
挨拶もそこそこに少ない給料を手に立ち去りました。

さて、またまた引越しをしなければいけません。
「長崎の先輩」にはきちんと挨拶したかったのですが、
先輩の部屋にお礼の走り書きを置くのが精一杯でした。

たまたますぐ近くに小さな運送会社がありました。
社長との掛け合いの上、二つの条件で泉南まで一万円で引き受けてくれました。

・僕が助手席に乗り荷物運搬のサポートをする。
・最後にドライバーにチップを渡す。

ドライバーは40代の蟹江敬三似で非常に無口でした。
「ココ曲がるか?」と、
途中止まって自販機の前で「いるか?」だけしか言いませんでした。

カーラジオが無ければ地獄の2時間でした。
泉南の親戚の家に着いたとき、20歳の僕は40代の蟹江似にチップ千円を渡しました。
蟹江似はそれほどゴキゲンになれずアッサリ帰っていきました。

予告もなしに荷物と共に戻って来たので親戚のオバサンは大変驚いていましたが、
すぐに豪快に笑い飛ばしました。

「ま、ゆっくりしていき」

■31■


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